天使と猫


「見つけたぜ」

声を掛けられ、振り向いた先には、下卑た笑みを浮かべた男がいた。

「ヘェ、本当に降りて来てやがるぜ。しかも噂通り上玉な天使様だなぁオイ」

銃を手にしたその男が、ゆっくりと距離を詰めてくる。
一方、“天使”と呼ばれた者は表情を変えることなく、静かにその男を睨んだ。

金色に輝く髪が、サラサラと風に靡く。
黒いスーツに身を包み、ポケットに手を突っ込んで猫背気味に斜に構え、真っ直ぐに男を見る碧い瞳の力の強さに、男は、堪らねェな、と言って舌なめずりをした。

不意に、シャラン、と金属の鳴る音がして、足元を見る。
どこから来たのか、“天使”の細く長い脚にすり寄る猫が、見上げて、にゃあと鳴いた。
それから、タンッと跳んで“天使”の肩へ乗り、今度は頬にすり寄る。

「あ?なんだ?それは。化け猫か?」
「……」
「緑色の猫なんて、気色悪ィ」
「……」
「…なんだァ?生意気なツラしやがって」

生意気に更に鋭くなった碧い瞳がまた堪らないと、男は汚れた手を延ばし、白い顎を掴んで引き寄せた。
その隣で、琥珀色の目が、光る。

「――――…あまり、甘く見てると痛い目見るぜ?」
「あん?」
「逃げるなら、今のうちだ、クソ人間」

“天使”は銜えていた煙草を指に挟み、ふぅーっと男に向けて煙を吐き出し、ニヤリと笑う。
それに激昂した男が態度を豹変させ、ふざけるな!と銃口を“天使”に向けた。

バサァ―――…
黒スーツの背中に突如現れた、白く輝く翼。
猫が、“天使”の顔に触れる。

次の瞬間。
キィィーーーンっと金属音が鳴り響いた。

弾かれて地面に倒れた男は、何がおこったのか暫く理解できていない様子で立ち上がれないでいる。
目の前には、それまで存在しなかったはずの緑色の髪をした男が刀を両手に持ち、更にもう一本口にも銜えて、ゆっくりと歩み寄ってきた。
切れ長の三白眼に、琥珀色の瞳がギラッと光る。
その瞳と同じ輝きを持つ左耳の三連ピアスが、シャランと小さく音を立てた。

「だ、だれだっ貴様!」
「名乗る筋合いは、ねェ」

刀を銜えているのにやたらハッキリとそう言い放つと、二本の刀をゆっくりと動かしながら、体勢を低く構えた。

「あぁ!!待て、わかった、てめェ、ロロノア・ゾロだな?!なんでこっちの世界に来てやがんだ…?!なんで“天使”のサンジとてめェが…」
「三刀流――…」
「ひっ―――…!」
「鬼、斬り…―――――!!!」





――――――…





やれやれと瓦礫の上に座ったサンジは、新たな煙草に火をつけ、紫煙を燻らす。

「――…ったく、てめェが人間化する必要もねェくれェの雑魚だったのに。無駄にクチビル奪いやがって」
「お前を傷つけようとするものは、全てぶった斬る」

また…。
コイツはなんでこんなことを言ってくれるかな。
…恥ずかしい奴め。

瞬時に首まで真っ赤になったサンジの顎を掴み、ゾロは噛みつかんばかりに唇を奪う。
何度も、何度も。

「ンッ…、ちょ、待て…!ゾロ、ここで…?」
「こんな薄汚ェとこ、誰も来ねェよ」
「バッ…!そんなあやふやな根拠で、ヤらせてたまるか…っ!!」
「時間がねェ!!」

叫ぶゾロの必死さに、思わず目を瞠るサンジだったが、次第にそれが優しく細められ、クク、と喉の奥で笑いが漏れる。
それとは逆に、琥珀の瞳がより一層鋭くなる。

「あほ、そんな顔すんな」
「……」
「ここには、人は住んでねェみたいだぜ?」

クイ、と顎をしゃくってみせた先には、以前人間が住んでいたであろう建物が建ち並んでいた。

「どうせ襲うなら、ベッドの上で激しく、シて?」

今度はゾロの方が目を瞠る。
そうして考えるより先に体が動き、性急にサンジを抱き上げると荒々しくそのドアを開けた。

互いに服を脱がし合いながら口づけを交わし、ベッドにもつれ込む。

白く輝く羽根がふわふわと舞いあがり、やがて部屋に響く二人の荒い呼吸と、ベッドの軋む音と、激しさを示す淫らな水音。
しかし二人にはもう、互いに呼び合う切なく熱のこもった声だけしか、聞こえていなかった。






――――――…






「ん……」

サンジが目を覚ますと、外はもう陽が傾き始めていて、部屋はオレンジ色に染まっていた。

ぼんやりとした頭で寝返りをうつ。
先ほど確かに背中にあった白い羽は、姿を消していた。

不意に、ザラリ、と。
頬を舐められた。

あぁ、戻っちまったか――…。

その場にはもう、緑髪の剣士の姿はなく。
代わりに緑色の猫がサンジの肩に前足を乗り上げ、覗き込んでいた。
サンジが起きたことを確認したのか、再び白い頬を、ザラザラとした小さな舌で舐める。

「…いてェよ」

そう小さく抗議してもやめる気はないらしく、猫は何度も、頬だけでなく顔中を隈なく舐めた。

「…っ、こら、あんま調子乗ってんじゃねェぞ、クソマリモ」

猫なのに、目の前で、ちっ、と舌打ちでもしそうな生意気な顔をするのが可笑しくて、サンジはクスッと笑った。

こういうときに―――…
人間化すりゃいいのに、とそっと心で思いながら。
叶わない願いに胸がキュッと痛むのを隠すように猫を引き寄せ、そっとその胸に抱きしめた。




さっき、人間の男は「天使のサンジ」と言った
覚悟はしていたが、こんなにも早く噂が回り始めていることに、サンジは僅かに不安を感じている。
人間にとって天使は、己の心を癒し、己の身を守ってくれる特別な存在だ。
とはいえ、ほとんどの人間はその存在すら知らない。中には崇める者もいるがそれは象徴的なもので、実際に実体で存在しているとは思ってもいないだろう。
ごくわずかな欲深な人間が、どういう経緯か天使の存在を知り、より優秀な天使を自分の手元に置きたいがために、天使狩りをしている話は聞いていた。
わずかだとはいえ、そういう輩がいることは事実であり、現に、すでにこうして襲撃されている。
しかし今回はゾロが始末したとはいえ、サンジのいうとおり、普通の人間では、サンジには到底敵わないだろう。
襲撃されても返り討ちにするだけだ。サンジの心配はそこではない。

ある時。
ある者の強い魔力でゾロは猫の姿になってしまった。
しかし、何故か“天使”の口づけで一時的に人間の姿に戻ることができる。
いつでもどこでも、というわけではなく、どうやら、口づける時が“天使”の姿でないとその効果は得られないようだ。
そのことは、サンジにも最近わかったことである。
まだ、どういった仕組みで、とか。
どの程度の時間戻れるのか、とか。
詳しいことがハッキリと、解明できていないのが現状だった。

サンジ自身、“人間界”で“天使”の姿になれるのは、気持ちが昂った時など、特定の時だけで不安定だ。
いまいち、自分でコントロールできていないのがとても歯痒く思う。
ゾロもまた、“人間界”で無理に人型に戻ろうとはしない。
一度、サンジが無理に“天使”の姿になろうとして、酷く衰弱してしまったことがあったからだ。

そんな二人にとってリスクの高い人間界になぜ降りてきたかというと、このゾロの呪縛については、どうやら人間が深く関与しているということを偶然知ったからだった。
3日後、サンジは20才の誕生日を迎える。
本来なら、エリート天使であるサンジは人間界を守る“守護天使”になるべく、特定の人間に就くための儀式が行われる予定だったのだが。
サンジはゾロを連れ出して、ひと月も前に勝手に人間界へと降りてしまった。
その行為は掟を確実に破っていることになるが。
まだ“天使”の力があるということは、裁きは受けていないということだろう。

人間界で普通の“人間”と“猫”として身を隠し、情報を得るつもりでいたのだが。
噂が広まってしまうと、動きづらくなってしまう。
サンジはそのことに懸念を抱いているのだ。



「にゃあ」

何を考えてんだ?と言わんばかりに、猫の姿をしたゾロが、変わらぬ琥珀色の瞳でサンジの碧い瞳を見つめる。
その瞳があまりに優しい色をしているから。
サンジはなんだか居たたまれなくなる。

――…だから、こういうときこそ人型になれっつの…。
無理なんだけど。
それは、わかっているんだけど。

つい先ほどまで力強い温もりに包まれていたのに、今はいくら抱きしめても、それが返ってくることはない。

それはゾロも、酷くもどかしく思っていた。
抱きしめたいのに、抱きしめることはできない。
サンジはすぐに顔に出る。目の前でグルグルと何か考えているのが、すぐにわかる。
不安に、揺れているのも。
こういう時は、触り心地のいい髪を撫で、腕の中にその細身を閉じ込め、至る所に口づけを落として、大丈夫だと言ってやりたいのに。
この姿ではどれも叶わない。

だからせめて。
再びザラリと、今度は顎のあたりを舐める。

「痛い、っての」

イチイチ抗議してくるが、それでもサンジの表情が和らぐのがわかるから。
ゾロは止めてやらない。



ぐっと腹筋に力をいれて、サンジはゾロを抱きかかえたまま上半身を起こした。
小さな頭をぐりぐりと撫でてから。
サンジは甘く、優しい声で、大切な大切なその名前を呼んだ。

「ゾロ」

琥珀色の瞳が見上げる。
耳につけられた三連のピアスが音を立てた。

「…―――絶対ェ、探し出してやるからな」

そう、力強く誓って。
サンジは、小さな額へと、口づけを落とした。






―――――――…





その日。
珍しく、ゾロの方が先に目を覚ました。

横を向けば、これまた珍しく、ぐっすり眠ったサンジの寝顔があった。
白く透き通る肌に、髪と同じ色の長い睫、くるんと巻いてる不思議な眉毛。
こんなにじっくり眺めるのは、随分と久しい。
朝陽を受けた金色の髪が、キラキラと輝いている。
ごく、自然に。ゾロは手を伸ばして、その髪に触れた。
触れて、そのまま間に差し込み愛おしく梳く。
輝く金糸が、サラサラと流れた。

そこで、ハッと気付く。
手―――…?

金糸からそっと離れて、手を広げたり曲げたりしてマジマジと見る。
それから、ゆっくりと自分の身体に視線を移した。

人間の姿に、戻ってやがる――…。

昨晩、サンジと寝床に入った時には、確かに猫の姿だった。
一体、どういうことか。
僅かに困惑するゾロの前に、どこからかふわっと1枚の紙が現れ、落ちてきた。
空中で掴んだそれには、天界の文字が書かれていた。


1日限定だ。
誕生日、祝ってやれ。
チビナスを頼んだぞ。


心の中で読み上げると、その紙はゾロの手の中でふわっと消えてしまった。

サンジのことを“チビナス”と呼ぶのは、神以外にいない。
サンジと二人、人間界に降りてきたことは、すでに神の耳に入っているだろうとは思っていたが。
どうやら裁きは受けずに済むようだ。どういう意図でそうなったのかはわからないが。

なんにせよ、今日一日はこの体でいられるらしい。

ゾロは改めて隣を見て、自然と笑みをこぼす。
静かに体を起こし、再び金糸に手を差し込み、眠るサンジの耳に唇を寄せて。
今年は言ってやれないと思っていた言葉を、優しい声色で囁いた。

「誕生日おめでとう、サンジ」

眠ったまま、ふわりと。
幸せそうに微笑む腕の中の愛しい天使に。

ゾロはそっと、口づけを落とした。








End...?



ゾロ猫がー!!!
・・・まあ確かに、最初の人間が言ったことはわからんでもないです。
緑色の猫・・・ちょっと・・・アレよね(笑)
でもゾロ猫に舐められたいなあ。
ザラザラしてんですよね、あのザラザラ舌でサンジの滑らかな肌を舐めるんだ・・・く、ふふふふ(なにかスイッチ入りました)
なぜゾロが猫に変えられてしまったのか。
どうしてサンジが天使になった時だけ口付けで元に戻れるのか。
謎だらけですが、いまは天使と猫の可愛らしくもエロティックな組み合わせに萌え萌えさせていただいております。
魅惑的なサンジェル、ありがとうございます!


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