■告白


「2組の子と別れたんだって?なら私と付き合わない?」
受験を控えているはずの3年女子が物おじしないアプローチを仕掛けてきたが、ゾロは無表情でさっくりと断った。
「めんどくさいんで、いいです」
先輩相手だから、一応敬語だ。
「はっきり言うなあ。まあこっちも玉砕覚悟だからいいけどー」
男勝りであっさりした性格の先輩は、カラカラと笑い飛ばして気安くゾロの肩を叩いて去って行った。
先輩の後ろ姿が廊下の角を曲がって消えてから、ゾロは叩かれた肩を軽く払う。
実に、面倒臭い。

「好きです、付き合ってください」と告白されて、断る理由もないから付き合い出したら色々と面倒なことになった。
一緒にいたいとか次の日曜日どこに行こうとか、暇さえあれば誘いを掛けてくる交際相手が煩わしくて、返事もろくに返さない態度をとったら泣いて詰られた。
ロロノア君、ひどい。
こんな無責任な人だなんて、思わなかった。

一体、自分をどんな人間だと思っていたのだろう。
逆に問いたい気にもなったが、口を開くのも億劫なので、ただ黙って目の前でベソベソと泣いている女の旋毛を見つめていた。
きっと、何か言えば文句は3倍から5倍に増えて、しかも見当違いな方向から帰ってくる。
根元と毛先の色が違うなーとか、どうでもいいことを考えているうちに、女子はゾロの目の前から立ち去って行った。
やれやれとほっとして踵を返しかけると、校舎の影から注がれる視線に気付く。
また女子だ。
しかもこちらは二人。
一人が、もう一人の背中にまわって両手で押している。
押された方は顔を真っ赤にして、所在なさげに指を絡め、そろそろとゾロに向かって歩を進めた。
「あ・・・あの、あの・・・」
この展開は、前にも見たような気がする。
「ロロノア君、好きです!付き合ってください!」
ゾロは、小さく息を吐いて空を仰いだ。
もううんざりだ。


  *  *  *


「モテる男は辛いねえ」
一部始終を見ていたらしい、部活の先輩で幼馴染のくいなが廊下側の窓から身を乗り出してゾロをからかった。
「うっせえな、面白がってニヤニヤ見てんじゃねーよ」
「傍から見てたら、面白いに決まってんじゃん」
窓の桟に肘を着き、姉さんぶって諭すように言う。
「面倒くさくても、いっそ別れない方がよかったんじゃない?一応彼女持ちなら、アプローチしてくるのも減ったでしょうに」
「別に俺が振った訳じゃねえ」
「日ごろの行いの悪さで振られた訳ね、まあどっちにしろ時間の問題か」
だったら――と悪戯っぽく笑った。
「次に告白してきた子と付き合っちゃったら?」
「だから、もういいよ」
「なんでー、ほかに好きな子、いる訳じゃないんでしょ」
くいなの言葉を受けてちらりと脳裏を過ぎった面影に、ゾロの方が驚いた。
ない、それはない。

「いねえよ、そんなん」
予鈴が鳴った。
ゾロは「じゃあな」とも言わず、黙って廊下を早歩きする。
くいなは横目でそんなゾロを見送って、静かに窓を閉めた。


  *  *  *


火曜日は、部活動も道場の稽古もない、唯一の曜日だ。
ゾロはいつも、火曜日には図書館に出向いてそこで宿題を済ませている。
そこそこ大きな公立図書館は、いつ行っても誰かしら利用者がいて、静かな賑わいを見せていた。
大体が親子連れか、年配の男性だ。
それにゾロのように、学習室を使うために訪れる学生。
ただ、その中にあってただ一人だけ、異質な男がいた。

年の頃は20代後半くらい。
いつも、観葉植物の影に隠れた閲覧席に座っている。
人覚えの悪いゾロが覚えてしまうくらい、その男は目立っていた。
まず目を引くのが、派手な金髪だった。
街でよく見かける、中途半端に染めた斑な金色ではない。
生え際から毛先まで、混じりっ気のない濃密な蜂蜜色。
男の肌の白さが髪色と馴染んでいて、人工的な染めでないことは一目瞭然だった。
なんとはなしにじっと観察してみると、伏せた男の瞳が曖昧な色をしていることにも気付く。
黒や茶色ではない。
明るい日差しの下でなら、もっとはっきりとした光彩を見て取ることができるだろう。
図書館で見かける彼はいつも本に目を落としているから、伏せた横顔を盗み見るしかできない。
骨太だが厚みのない、すんなりとした手首が白いシャツの裾から覗いている。
彼の出で立ちは、大抵シンプルなシャツと細身に似合うストレートなパンツ姿だ。
飾り気はないが、その分スタイルの良さが際立つ。
ファッションなどに疎いゾロでも、今日の服もいいな・・・程度に琴線に触れる。

多分学生ではない、いい年した大人がこんな平日の夕刻に図書館でのんびり本を読んでいるなんて。
ニートか就活中か、それとも夜の仕事か勤務形態が普通とは違うのか。
ゾロはいつの頃からか、彼についてあれこれと推理するようになっていた。
生まれはどこの国なのか。
どんな仕事をしているのか。
日本語は、問題なく話せるのだろう。
本を借りているようだし、図書カードも持っている。
場所柄、誰かと言葉を交わしているところは見たことがないが、スタッフに笑顔で会釈しているのは何度も見た。
大体、相手は若い女性スタッフだったが。
平日に休みの、サービス業なのかもしれない。
それとも、在宅で仕事をするクリエイターかなにかかもしれない。

勝手な妄想だが、彼はクリエイティブな仕事が似合うと思った。
白くて長い指先から、様々なモノを形作って活かす彼を想像すると、ある種の職人のようにも感じられる。
それとも、あの外見からストレートに想像すれば、bPホストとかもあり得る。
そう考えたが、なんとなく嫌でその思い付きは却下した。
女性にデレデレと相好崩す様はいかにもホスト向きのように思えたが、逆に、それでは向いてないと勝手に結論付けた。
学習室で宿題に打ち込む傍ら、ゾロは来る時と帰る時に必ず男を意識した。
毎週、この時間に彼を見かける。
目立つ相手だから、いつもいるから。
だから自分の意識の中に入り込んだんだと、ゾロはそう思っていた。

「好きな子でも、いるの?」
くいなの何気ない問いかけに、瞬時に男の姿が脳裏に浮かんだ意味は考えなかった。


  *  *  *


「母が旅行から帰って来たのよー、これお土産」
近所に住むくいなは、休みの日にふらりとゾロの家を訪れる。
まさに家族ぐるみの付き合いで、ゾロにとって姉のような存在だ。
「さんきゅ」
「ちょっとー、受け取っただけでお茶も出さないの?」
「客じゃねえだろ、お袋出かけてていねえし」
「だからって愛想ないわねー、いいわよお茶くらい私が煎れてあげるから」
勝手知ったる風に台所に立ち、コーヒーを煎れて持ってきた土産を皿に盛る。
「なんだよ、結局くいなが食いたいんじゃねえか」
「へへへーバレたか。私これ好きなんだよねー」

よく晴れた秋の日の縁側は、ぽかぽかと温まって気持ちがいい。
そこに座布団を並べ、二人の間にお盆を置いた。
ゾロは膝の上で寝ていた猫を下ろし、胡坐を組み直す。
「いただきます」
「どうぞ、私もいただきまーす」
ちんまりと正座したくいなは、背中と腰を屈めてカップを持ち上げる。
インスタントだがそれなりに香りのいいコーヒーを啜った。
「ゾロももう、17だねえ」
「あ?」
唐突に言われた数字に、遅まきながら気付いた。
「そうか、今日11日か」
「やっぱ忘れてたんだ。おばさん、今日ご馳走作るって買い物行ったんじゃないの?」
ついでにきっと、ケーキも買って帰って来るよ。
くいなの予言に、そうかもなと素直に頷く。
「もう、この年になると誕生日とかどうでもいいな」
「なに年寄り臭いこと言ってんのよ、彼女でもいれば絶対イベント日になるのに」
彼女か―・・・
煩わしさを思い出して眉間に皺を寄せるゾロとは対照的に、くいなは両手でカップを抱いてふはんと気の抜けた息を吐いた。
「彼女なんて、作ろうと思えばいくらでも作れるんだよねゾロは」
「だからいらねえって」
「そんなん、彼女じゃないよね・・・ってか、恋してないんだよねゾロは」
“恋”なんて、およそくいなに似つかわしくない単語を聞いて、ゾロはぎょっとして目を瞠る。

「いいよー恋は。まあ、しようと思ってできるもんじゃなけどさ、いつかゾロも、きっと誰かに恋するよ。そうすると、世界が変わるよ」
縁側から庭を眺めながら、どこかうっとりとした表情で語るくいなの横顔はゾロが知らない人のようだ。
「恋をしたんだって、認めた瞬間から世界に色が付くよ。いやほんと、なんかこう・・・なにが変わった訳でもないのに、なんか違うから」
そこまで言ってゾロを振り返り、さっと頬を赤らめた。
「…って、なんか恥ずかしいこと言ったね私」
「マジだ、こっちのが恥ずい」
「んもー悪かったわね!」
ゾロを肘で押しやって、隣で丸まっている猫を引き寄せる。
照れ隠しに猫の手で遊ぶくいなを、ゾロは奇異な物でも見るような目で眺めていた。
くいなも、『恋』とやらをしているのかもしれない。
もしかしたら話を聞いて欲しいのかもしれないが、ゾロは別に聞きたくもないから全力でスルーしてやる。
「ねーゾロ」
「んだよ」
「・・・さあ、冗談めかして言ってたけど、実は割と凹んでるよ」
「―――・・・」
ゾロにさらりと告白した、男勝りの先輩だ。
冗談めかしてはいたが、結構本気だったらしい。
「ゾロはモテるから、告白され慣れてっかもしれないけどね」

顔を真っ赤にして、落ち着きのない態度で。
友人に付き添われ、またはひっそりと手紙を忍ばせて。
女子達はそれぞれに、あらんかぎりの勇気を振り絞って想いを告げるのだろう。
それくらいの想像は付くが、なんでそんな想いをしてまでとゾロは思う。
お互い好きなら放っといてもくっ付くだろうし、例え片想いでも好きで振り向かせたいと思うなら、強引に押して迫ってなにがあっても離れなければいいのだ。
だが彼女達は大抵自分の想いを一方的に告げて、ゾロが申し出を受け入れたとしてもほどなくしてやはり一方的に別れを告げてくる。
“愛想が尽きる”のはまだ理解できるが、なんにしてもテンポが早い。
だからつい、彼女達の想いは「その程度」なのだと判じてしまう。
なにもかも自分本位にコトを進めるし、くいなの言葉を借りるなら“世界が違って見えて”そんな自分に酔っているのだろう。
客観的にそう分析すると“恋”なんてただの気の迷いで、巻き込まれるだけ厄介だとの思いしかない。
「あたしもさー・・・もう受験も目の前だし、いい加減気持ちにケリつけなきゃとか思ってさあ…」
気が付けば、くいなの一人語りはまだ続いていた。
恋バナとやらを聞いて欲しいんだろうなと察しつつ、ゾロは相槌も打たないでただ無言で土産の菓子を頬張る。
くいなの手慰みに肉球を押された猫が、ゾロの代わりに「にゃあ」と鳴いた。


  *  *  *


日曜日の午後。
友人達と連れ立って、街に出掛けた。
幼馴染のくいなとはまた違う、気の置けない男同士の付き合いもゾロには心地いい。
集団で行動するのは、埋没できて気が楽だ。
「どこで飯食う?」
「モールの屋台でいいじゃん」
「ゾロ、昨日誕生日だっただろ。なんか美味いもん食って祝おうぜ」
「奢ってくれんのか?」
「いや気は心ってぇか、めでたいって口で言うから」
「なんだよそれ」
じゃれ合いながら、人ごみの中を歩く。
ふと足を止め、いつもは気にも留めない路地に目をやった。
最近整備され石畳が敷かれた路地はどこか異国めいていて、いくつかの飲食店が軒を連ねている。
その中の一つの店が、白い扉を開いた。
出てきた女性客を見送るために、ギャルソンエプロン姿の男が姿を現す。

ゾロははっとして、目を瞠った。
そこそこ大きな街だ。
休日のせいか、溢れるほどに人が多い。
大通りの左右にはいくつもの路地があって、ゾロにとっては巨大な迷路のようで同じ場所に二度たどり着けることなどまずない。
こんなにも混雑して、多くの人で賑わっているのに。
ただ一人の人間の存在に即座に気付いてしまったのは、なぜなんだろう。

「どした?いい店あったのか」
立ち止まってしまったゾロに気付き、友人達は人波に揉まれながら引き返してきた。
けれどゾロは動けない。
まるで今までの世界がモノクロームだったかのように、客を見送り頭を下げる彼の姿だけに色が付いて見えて鮮やかだ。

――――恋をすると、世界が変わるよ。

くいなの言葉が、俄かに現実のものとなってゾロの胸を射た。
今この瞬間から、なんてことない日常の風景がすべて輝きを放ち始める。

「おい、ゾロ?」
戸惑い、遠慮がちに掛けられる友人達の声ももう聞こえない。
ゾロはただまっすぐに、初めて目にした世界の中心を目指して大股で歩いていた。
客を見送り扉を閉めようとした彼が、ゾロに気付いて動きを止める。
明るい日差しの下で見る瞳は、想像した通りの透き通った蒼。

こいつ、どっかで見たことあるな。
或いは―――
なにガン付けてきてんだコラ。

そう言いたそうに目を剥いて剣呑な表情で見返すのに、ゾロは構わずもう一歩踏み出した。
ゾロの生まれて初めての“告白”まで、あと10秒。




End



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