此処より彼方へ 5



ゾロは何度も何度も俺の髪を梳いて、目を細めた。

「稲だ・・・稲穂。米ができる。」
「ああ、聞いたことがあるぞ。米の元の稲ってやつだろ。」

見たことは無いがバラティエで教えてもらったことがある。
イーストブルー独特の黄金の風景。

「でかい夕陽に向かってくいなが逃げるから、俺は追いかけた。」
独り言を呟くゾロの頬がこけている。
この2日間何も食わず、寝てないんだろう。

「稲を踏み倒してこっぴどく叱られた。」
「いい、思い出だな。」
俺の言葉に、ゾロが手を止める。
「・・・幸せ、だったんだろう?」
その手で俺の頬を撫でて、顔を寄せた。

「毎日泥んこになるまで遊んで、闘って負けて・・・そうしたら夜中に火事になった。燃え盛る火の中から俺とくいなは連れ出された。足元には、血塗れのおばさんが転がってた。」
少しずつ、ゾロは言葉を辿る。
頭の中の映像をなぞるように。
「くいなとも離されて、俺は同じような奴らの中に押し込められた。剣の腕には自信があったから、別に嫌だとも思わなかった。」
目を瞬かせても、どこを見てるのかわからないままだ。
「はじめて人を殺した時のことなんて、覚えていない。どうやったらより多く殺せるか、そればかり考えていた。確実に仕留められる急所、返り血の少ない角度、男も女も、子供も関係なくて―――――」

それ以上聞いていられなくて、俺はゾロの首を抱えて引き寄せた。
背中がめちゃくちゃ痛いが知ったこっちゃねえ。
俺の首筋に顔を埋めてそれでもゾロは呟きつづける。

「村の端っこに慰安所があって、いつでも女を抱きに行けた。新しくできた房を覗いたら、くいなが足を開いてた。」
思わず身を固くする。
息を詰めてゾロの様子を窺った。

「あんだけ強かったくいなが、一度も勝てなかったくいなが、ガリガリに痩せて寝そべって笑ってた。俺はそんとき――――」
俺はゾロを抱く腕に力を込めた。
このままゾロが泣けばいいと思う。

「・・・気がついたら、俺の周りは血塗れだった。男に折り重なるように、くいなも血塗れで死んでいた。俺は多分叫びながら走り出して、走って、走って・・・」

村を出て逃げ出したのだという。

「追っ手がいたかもしれねえ。何度も死にかけたかもしれねえ。けど俺は覚えてない。なにも、なにも・・・あれから俺は、空っぽのままだ。」
ゾロの首根っこを掴んで顔を覗き込めば、相変わらずの無表情だ。
なんで――――

「俺のが、泣いてんだよ。」
顎から伝い落ちた涙がゾロの手の甲を濡らして、ゾロは初めて気づいたように顔を上げた。
泣き顔を見られるのは恥ずかしいが、顔を伏せることはできない。
俺はしゃくりあげながら、ゾロの顔を見返した。

「…もしかして、海軍のレディ、そのくいなって子に、似てたのか?」
小さく瞬いて視線をずらす。
「・・・そうだな。似ていた。だけど違うな。」
それからまた俺の顔に視線を戻した。
「お前も違う。金色だけど稲穂じゃねえ。いい匂いがするけどおばさんじゃねえ。」
ゾロは俺の目を正面から見つめて、不思議そうな顔をした。

「青だ。海の青か?空の青か?」
額がくっ付くほど顔を近づけて覗き込んでくるから、俺はその口に唇を合わせた。

軽く押し付けて離れる。
数度瞬いて、眉間に皺を寄せた。

「なんだ、今のは。」
「キスだよ。しらねーのか、野蛮人。」

動かないゾロにもう一度口付ける。
今度は少し長めに触れてまた離れた。
その動きを逃がさないかのように、ゾロの手が背中に廻る。
痛みに顔を顰めた俺に構わずゾロは噛み付いてきた。
唇ごと咥えて舐めてくる。
そりゃ、違うだろう。

「はほ、ひてえ、ほあ!」
甘噛みされて、唇を合わせたままゾロが「あ?」と問い掛ける。
「・・・痛えっての。てめえにやられた傷が、痛い。」
そう言われて始めて、ゾロは俺から離れた。
触れていた手もおずおずと下げる。

「・・・俺に斬られたのに、死んでねえな。」
「まあな、俺は丈夫だから。」
まるで珍しいものでも見たようにじろじろ眺めて、ゾロはぽつりと呟いた。

「・・・死なねえって、嬉しいのな。」
そのすっとぼけた台詞に、俺は思わず笑ってしまった。











倉庫の外でウロウロしていたチョッパーにドクターストップを掛けられて、俺は男部屋に戻った。
ともかく安静にして、早く傷を治してキッチンに立ちたい。
ゾロだけじゃなくて皆に飯を食わせたい。
それでもこれからは、ちょこっとゾロを贔屓にして、あいつの喜びそうなメニューを頻繁に出すんだろうな。
まるで他人事みたいにそう考えながら、俺は眠りについた。











「もうすぐ入り江に入るわよー、上陸の準備はいい?」
「はーい、ナミすわんv」
久しぶりの陸に皆わくわくしている。
俺だって嬉しいけど、今回の上陸はちょっと複雑な気分だ。
相変わらず馬鹿力で錨を下ろしているゾロの背中をそっと伺い見た。


あれから2週間。
俺の背中の傷もすっかり癒えて、ほとんど元通りの生活に戻っている。
ルフィは腹減ったってうるさいし、レディたちは綺麗だし、ウソップもチョッパーも無駄に騒ぎながらバタバタしていた。
ゾロは、食事も昼寝も再開して、暇さえあれば錘を振っている。
ウソップが作ったときより更に錘が2個も増えた鉄串が同じリズムで上下に揺れている様は、GM号の日常の風景になっていた。

あれからゾロは、俺に声を掛けてこない。
なにがきっかけだか分からないが、そう言う対象から外れてくれたのかなとも思う。
それは大変喜ばしいことなのに、いまいち素直に喜べない自分がいるのは、なんでだろう。

―――――よかったじゃねえか、俺。
そう思おうとするのになんか胸にぽっかり穴が空いたみたいで物足りない。
ゾロのぼけーが移ったんだろうか。



「じゃあ船番はサンジ君で、あとは自主解散ね。明後日の昼には全員船に帰ってくんのよ。」
はーいと返事もよろしく一斉に駆け出す。
「ウソップ!明後日の朝には帰ってくんのよ!サンジ君、買出しがあるんだから!!」
わかってるーと遠くから返事する声に、ナミは苦笑した。

「さて、じゃあ私も行くわね。サンジ君はゆっくり身体を休めてて頂戴。」
「ええ。のんびりさせてもらいますよ。ナミさんも楽しんできてね。」
「のんびり・・・ねえ。まあ頑張ってね。」

意味ありげな視線を受けて振り返れば、真後ろにゾロが立っている。
「えっ、おま・・・降りねえの?」

うろたえる俺を尻目に、ナミさんは軽やかに船から降り立つ。
「え、あの・・・ナミさんっ?ええ?」
ナミさんは振り返りもせず行ってしまった。



相変わらず何も言わないで仁王立ちのゾロに、俺は仕方なく向き直った。
「お前もさ、降りたら?お兄ちゃんのいるところに行くんだろ。」
そう言って街を示すのに、ゾロは俺の顔ばかり見てる。

「それとも、もしかしてこっちも大丈夫になったか?」
そう言って小指を立てて見せたら、ゾロは俺の手首を掴んだ。

「突っ込めれば良かったんだが・・・」
え、いきなり?
いきなりかあ?
反射的に蹴り上げようとした足をかわされて横抱きに抱きしめられた。


「どうも、てめえ見てると突っ込むだけじゃ済みそうにねえ。なんか、触りてえ。」
言いながら唇を舐めてくる。
荒々しく吸われて齧られて、うっかり膝から力が抜けてしまった。

「なんか美味いな。気に入った。」
そう言ってべろんと舌なめずりなんかするから、俺は反論の言葉すら出て来ない。
俺の唇を噛む寸前まで貪り食って、ラウンジに引っ張り込まれる。



奴なりに気を使ってかゆっくりと身体を横たえながら、シャツなんかは乱暴に引き剥いだ。
「いきなりなんだよ!やっぱ、すんのかよっ」
「傷に触るから抵抗すんな。」
「だったら止めろっ、この変態!!」
あっという間に裸に剥かれてあちこち弄くり倒された。
男専門といいながら愛撫する手が慣れてないことに、こいつは本当に突っ込むだけだったんだなと改めて思い知らされる。
それでも奴なりに気を遣ってか、やわやわと追い立てられて、俺は抵抗するよりその手に縋りついた。

目をぎらつかせて、息を切らしてひたすらに求められることがこんなにも気持ちイイ。
若草色の髪を掴んで、日に焼けた肌に爪を立てて、俺はただゾロの名を呼んでいた。

馬鹿みたいに繰り返し、ゾロの名だけを呼んでいた。













出航の日、約束どおりに早朝GM号に帰ってきたウソップはゾロからメモを手渡された。
買い出し用の食材リストがこと細かく書いてある。
「そのメモのとおりに買ってきてくれとよ。」
何故か上半身裸のゾロからそれを受け取って、「ところでサンジは?」と問い掛ける暇も与えず男部屋に消えた後ろ姿を見送ったウソップは、その体勢のまま後退りで船を後にした。


何も聞くまい。
何も言うまい。
触らぬ神に祟りなし。
くわばらくわばら・・・


くるりと背を向けて男部屋に消えたゾロの広い背中には、何本もの赤い爪跡がくっきりと刻まれていたから。


















今日も今日とてGM号は順調な航海を続けている。
こないだの島じゃあ、結局上陸は叶わなくて、海賊なりの島での楽しみ方って奴をゾロに教えてやれなかったが、今度次の島に着いた時にはちゃんと教えてやろう。


知らない街を歩き回るとか、食ったことのない飯を食うとか、市場のおっさんおばちゃん達と他愛いもないお喋りをするとか・・・
旅の楽しみってもんはそんなとこにあるって教えてやりてえ。


相変わらず俺の作った飯を美味い美味いと食らう奴らを目の前にして、俺はなんだか満ち足りた気分だ。

多少身体にガタが来たが最近はペースも掴めてきたし、海賊共が仕掛けてきても、ゾロは最低限の防戦ラインまで力を抑えることを覚えたみてえだ。
ちったあ、頭が廻るようになってきた証拠かも知れねえ。

ゾロ以外のクルー達が、特に女性陣を筆頭になーんか俺を生暖かい目で見守ってくれてるような気もしないでもないが、まあナミさんもロビンちゃんも変わらず美しいからよしとしよう。






箸を動かす手を止めて、ゾロがふと顔を上げた。
「クソコック、後でちょっとケツ貸せ。」
俺はすかさずその脳天にコンカッセをかました。
寸前でルフィが皿を退けてくれたお陰で、テーブルを汚すことなくゾロの顔面が綺麗に減り込んでいる。


「こんの、馬鹿野郎が!何べん教えたらわかるんだ!!」
激昂する俺にゾロは沈んだ身体に首だけ擡げて、赤く擦れた顔を傾げた。


「・・・あー、クソコック、後で愛し合おうぜ?」
俺はシンクに凭れて煙草に火をつけ、一服吸って深く吐き出した。
「・・・ち、しょうがねえなあ。」
明後日の方向を向いたままカシカシと髪を掻くと、ゾロは安心したようにまた食事を再開する。



「この和え物、美味しいわよねえ。」
「デザートはなんだあ?」
今の俺とゾロの会話をまるで聞かなかったかのように和やかに食事を続けてくれる皆は、
よくできた仲間だと思うよ、ほんと。















行為が始まる前も終わった後も、ゾロはやたらと俺の背中を舐める。
すっぱり斜めに斬られた傷跡は消えそうにないけれど、それを舐めるのがキスの次に奴のお気に入りらしい。

最初は傷口に触ってぴりぴり痛んだりしていたが、いつの間にか俺も慣れちまった。


「・・・あ」
「あ?」

俺の背中に張り付いて間の抜けた声を出すから、俺は煙草を咥えたまま首だけ捻じ曲げた。
そのホッペもべろんと舐めて、ゾロが俺の上から身体をどかす。

「・・・思い出した。」
「お、今度はなんだ?」

ゾロは俺と身体を重ねる度に、ほろりほろりと何かを思い出す。
それはきっといい傾向なんだと俺は勝手に思っている。


「今日は11日だったよな。」
「ああ、そうだっけか。」
俺はぼんやりとラウンジの時計を眺めた。後5分で今日が終わる。
「11月11日ってな、俺が生まれた日だ。」
「はあ???」
思わずがばりと身を起こした。
ケツに響いたがそんなことに構ってられない。


「ちょっと待て、そういうことはもっと早く思い出せ!今日が終わっちまうだろうが!!」
俺の剣幕にゾロの方が驚いて、まじまじと見つめている。
「あ〜、そんなことなら今日は和食にすりゃあよかった。アジの干物がもうちょいだったんだ。あとケーキ。アントルメにするんだったあ!」
髪を掻き毟ってうめく俺を、ゾロは不思議そうな目で見つめている。


「そんなのがいるのか。」
「当たり前だろうが!誕生日だぞ。お祝いするに決まってっだろ。」
ゾロはパチパチ目を瞬かせている。


「祝うのか?」
「おう、なんせてめえの生まれた日だ。めでてえじゃねえか。おめでとさん。」
照れ臭いけどちゃんとそう言って、まだボケッとしている唇に軽くキスする。
ゾロは裸の俺の腰を抱えて寄せると、僅かに口の端を上げた。



「そういや、今まで思ったことなかったけどよ。」
ゾロの目がすうと眇められる。


「俺あ…生まれてきて、良かったな。」







そう言って、初めて見せた奴の笑顔は、すぐにぼやけて見えなくなった。





「――――おい?」



戸惑いを含んだ声で問いかけながら、ゾロは胸に顔を埋めた俺の髪を柔らかく撫でて梳く。
そんな優しい動きだって、最近やっと覚えたものだ。



そうして少しずつなにかを覚えて、すこしずつ、過去を取り戻していけばいい。



俺がずっと側にいるから。









此処より彼方へ―――


共に行こう。



END



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