古城の剣士 -1-


鬱蒼と生い茂る木立の向こうに突然現れた古城に、仲間達は息を呑んだ。
古色蒼然とした雰囲気でスリラーバーグの時と似ているが、あれよりも尚寂れている。
あの場所には、おどろおどろしいながらも生き物の(ゾンビだけど)気配がし、使用されている建物には機能性があったが、この城にはそれがない。
住む人が絶え誰も訪れることもなく忘れられた、ただ滅び行く建物の残骸のみで―――

「・・・残念、お宝の匂いはしないわ」
とうとう嗅覚だけでわかるようになったのかと半ば呆れながらも、誰もナミに突っ込んだりしない。
「数百年前に造られた城ね、当時で最高の建築技術を投入されていたのでしょう。ところどころに施された彫刻やデザインは見事だわ」
「雰囲気ありますね〜」
「ブルック、嵌り過ぎててなんか怖いぞ」

エントランスは吹き抜けになっているが、天井が崩れ中は残骸だらけだ。
「雨露凌げるならって思ったけど、寝心地は悪そうね」
「探検だ―――っ」
「暴れてあちこち崩すなよう!マジで脆いぞここは」
フランキーの注意も聞こえていないのか、ルフィは飛び出して行き、それにウソップとチョッパーが続いた。
「中庭がちょっと素敵よ。ここでテント張ればいいかも」
「そうね、雨はまもなく止むでしょう。地面が濡れているのは仕方ないけど、明日の予報は晴れよ」
ナミは気取って空を指差し、一夜をこの場所で過ごすことに決めた。




「しっかし・・・薄気味悪いところだぜ」
久し振りに大きな島に上陸だと浮かれていたら、寄港する前に海軍に見付かってこんな辺鄙な入江に停めざるを得なかった。
しかもそこから森に入ったら、いきなりこんなゴシック・ホラーな城がお出迎えだ。
まるで何かに導かれているようで、正直気味が悪い。
ただ、こういう出来事に最も臆病であるはずのウソップやナミがやけにはしゃいだ感じで留まっている以上、いくら気持ち悪いからと言って自分一人がのこのこと立ち去るわけにも行かず、却って虚勢を張る気が出てしまったのか不寝番まで引き受けてしまった。
バカだなあとか、素で後悔。

「まあ、月が明るいからいいけどな」
夕方まで降り続いていた雨も止んで、湿気を孕んだ風が黴臭さを払うように廃墟の中を吹き渡っていく。
中空には見事な満月だ。
時折雲に隠れるものの、それもまた風情があって神々しい光景にすら見える。
「こーんな豪勢な城には、さぞかし麗しいレディ達が住んでらっしゃったんだろうなあ」
薄気味悪さを誤魔化すように、根拠のないことを夢想して建物を見回った。
仲間達は中庭のテントの中でぐっすりと眠っている。

昼間の“ルフィの冒険”のせいで破損はさらに酷くなっているが、元々頑丈な造りだったのだろう。
ちょっとやそっとの刺激で建物全体が崩壊するような状態ではない。
まるで砂で造った城が波に浸食されて崩れていくように、少しずつゆっくりと朽ちていく様が見えるようだ。
破れたタペストリーに彩られた長い廊下を歩いていると、ふと豪奢な飾り扉の間に隠されるように作られたシンプルな扉を見つけた。
ほとんど壁と同じ素材でできていて、一見すると同化して見える。
住人でなければ、ここに扉が在るとは気付かないだろう。

好奇心に駆られて、サンジはそっと小さな金具を引いてみた。
扉は軋みながらも難なく開き、埃臭い空気が鼻を掠めた。
「えっくしっ」
くしゃみを一つしてから、中を覗き込む。
どうやら物置らしく、古びた調度品が無造作に積まれ埃を被っている。
それ程広くない部屋の奥に、鈍く光を放つものがあった。
鏡だ。
大きな鏡が、息を潜めるように物置の奥の壁に立て掛けられ、こちらを見ていた。

―――見ていた?
ぎょっとして、慌てて視線を戻した。
目が合って、思わず声を上げそうになる。
鏡かと思ったのに、そこには等身大の男の姿が映っていた。
勿論、それはサンジではない。
同じくらいの背格好の、逞しさを感じさせる若い男。
よく見れば白いシャツに腹の辺りを何か布のようなもので巻いて、腰に三本の刀を下げている。

「・・・びっくりさせんなよ、絵かよ・・・」
呟いて、さらにぎくりとする。
絵ではない。
その証拠に、男の顔にはサンジの姿が二重写しになっていた。
鏡だ。
鏡の中に、男の姿が映し出されている。
肖像画か何かのようにじっと佇み、強い意志を感じさせる瞳はサンジを通り抜けてどこか遠くを睨み付けているかのようだった。

「・・・なんだこりゃ」
恐る恐る近寄って繁々と眺めた。
鏡の奥に写真が貼ってある。
そんな感じだろうか。
「気味悪りい」
肩を竦める自分の仕種が男の影越しに見えて、サンジは足早に物置から出た。


音を立てぬように扉を閉めて、ほっと息をつく。
城全体の雰囲気に、禍々しさはない・・・と思う。
霊感とかそういったモノはとんと皆無で、無闇に鳥肌なんて立てないサンジだけれど、なんとなくさっきの男の顔には胸が騒いだ。
まるでそこに実在するかのような存在感があって、ただの写真や絵のようには感じられない。
それとは反対に、この館自体は完全に死んでいる。
何も息づかず、潜むものもないかのようだ。
ネズミや虫でさえ蠢かない、完璧なる死の世界。
その中で、何故か鏡の中の男だけに息吹を感じたかのようで―――
「・・・気持ち悪りい・・・」
もう一度呟いて、サンジはゆっくりと月明かりの差し込む回廊を渡った。






先程より雲が晴れて、煌々と降りそそぐ光で中庭が明るく照らし出されている。
突然遠くでボーンボーンと柱時計の鳴る音が響いた。
ぎょっとして足を止める。
―――鳴るような時計なんて、あったか?
何もかもが朽ち果て、動き続けるモノなどなかったはずだ。
そう考えてからもう一度中庭へと目を向けて、かすかな違和感に気付く。
サンジは先程より明るくなった中庭を、目を細めて見渡した。
―――なんだろう・・・

不意に、背後から靴音が近付いてきた。
重くゆっくりとした足取り。
歩幅が広く男性的な足音だが、仲間のものとは明らかに違う。
サンジは身構え、瞬時に振り向いた。
暗い廊下の向こうに、確かに人が立っている。

まだ若い男だ。
白いシャツに腹に布のようなものを巻いて、腰には三振りの刀を提げている。
その姿が先ほど見た鏡の中の男にそっくりで、サンジは目を疑った。
「なんだ、てめえ」
いつでも蹴りつけられる体勢で低く問い掛ける。
静かな回廊にやけに大きく声が響いて、緊張感が嫌でも高まった。
「お前こそなんだ、見かけねえ顔だな」
男は穏やかに答えると、歩みを遅らせることなくサンジに近付いた。
「この城で人に会うなんざ、何年ぶりか・・・つか、今は何年だ?」
男の口調には緊張感などかけらもなくて、サンジは警戒しながらも一歩後退る。
「何言ってんだ、てめえどこに潜んでやがった」
「鏡ん中、気付かなかったか?」
あっさりと答えられて、思わずがくりと膝が抜けそうになった。
「へ?おま・・・マジで?」
「おうよ、まあわかりにくい物置の中だから、大抵気付かねえんだけどよ」
サンジはなんだかバツが悪くて、後ろ頭を掻いた。
「いや、気付いてた。つかさっきまで見てたんだけどよ・・・」
「ああ、それなら僅差だな。さっき出てきたとこだ」
なんなんだ。
なんてメルヘンな会話なんだ。

「いや待てコラ、何おかしなこと言ってんだよ。てめえ、鏡の裏側にでも潜んでやがったのか」
「だから鏡ん中だと言ってるだろうが。お前、頭悪いのか?」
「ざけんな!」
突然現れて訳のわからないことをほざく男に、さらに頭悪い呼ばわりされてサンジは切れた。
だが、加減なしに繰り出された蹴りは勢いよく空を切り、その反動でサンジの身体がバランスを崩す。
「・・・?!」
割れた床に手を着いて体勢を整え、サンジはもう一度男に向かって蹴りを入れた。
またしても空振り。
男が避けている訳ではない。
その身体を通り抜けてしまうのだ。
「なんだてめえ?!」
「無駄だ。俺の姿は実体じゃねえからな」
男は腕を組み、平然と言い返した。



男はロロノア・ゾロと名乗った。
世界一の剣豪を目指して旅を続けている途中に、この屋敷でうっかり肉体を取られたのだという。
「うっかりにも程があるだろうが、大体なんでてめえのむさ苦しいガタイなんざ欲しがったんだよ」
「タイミングって奴かな。たまたまこの屋敷の跡取り息子ってのが死に掛けてて、そいつの身体が
もたないからってえ言ってた気がする」
「はあ?つまりてめえの身体は、その跡取り息子とやらにために取られたってのか?」
「多分そういうことらしい。おかしな呪術師やら魔女やらを金に飽かして世界中から集めてやがったから」
「魔女だあ?何年前の話してんだ、てめえ」
「だから、もう数百年は経ってっだろ?」
「は?」
話が振り出しに戻って、ゾロは溜め息をつきながらサンジにもう一度問い掛けた。
「だから、今は一体何年なんだ」
「何年って・・・海円歴1520年」
「そうか、ちなみに俺が生まれたのは1338年だ」
「1338年?」
「おうよ」
サンジは途轍もない話に目を丸くして、担がれまいと警戒しながら聞いてみる。
「んじゃあ、200年近く経ってんじゃねえのか?」
「そうなるなあ。時々この城に来た奴に年を聞いてんだが、着実に年数が経ってるな」
―――ほんとかよおい
非常に胡散臭い話だが、今目の前にいるこのゾロとやらの実体がないのはサンジも認めざるを得ない事実だ。
「それじゃあてめえ・・・ずっとこうやって自分の身体を捜してたのか?」
200年近くの間、ずっと?
「どういうわけか、俺が鏡の中から出て自由に動き回れるのは満月の夜だけのようだ。しかも居間の柱時計が12回、時を打ってから夜が明けるまでの間だけ。単純に考えても月1回だよな。しかも時々寝過ごしたりしてるみてえで結構年が飛んでるし、最近は人に会う機会もめっきり減ったしなあ」
「いやちょっと待てお前」
どっから突っ込んでいいかわからない。

「人に会えないってのはともかく、なんで寝過ごすんだよ。月1回しかチャンスがねえってのに暢気に寝ててどうすんだ」
「しょうがねえだろ、鏡の中にいる間は記憶も意識もねえんだし、今更焦ったって身体は見付からねえしよ。俺の感覚としちゃあ時々明るい月夜に散歩するって感じでしかねえ」
それにしたって・・・とサンジは呆れた。
いきなり肉体を奪われて映像でしか自分の存在がなくて、しかも目覚めるのは満月の夜だけなんて酷すぎやしないか。
自分が知らない間に次々と年だけが経って行って、家族も友人もみんな死んでしまって。
この城だって今は住む人もなく荒れ放題だ。
こんな状態じゃ、この先こいつが何度目覚めたって出会うモノすら残ってない。
「なんとかなんねえのかよ!」
他人事ながら悲壮感が胸に迫ってきて、サンジは思わず小さく叫んだ。
「多分俺は鏡そのものに縛られてんだろうが、あの鏡があるから死ぬに死ねねえんだとも思う」
「んじゃあ、鏡を割ればいいのか?」
あの程度の鏡、いくらでも蹴り割ってやる。
意気込むサンジに、ゾロはまあ待てと両手で制した。
「悪いが、俺はこの期に及んで死ぬ気はねえんだ。なんせ、世界一の大剣豪になる夢を叶えてねえから」
「そんな状態になって、今更夢もクソもねえだろ!」
ゾロの暢気さに無性に腹が立って、サンジはキレた。
「どっちにしたっててめえの身体なんか200年も経ってりゃとっくに腐って土になってるに決まってっだろ。とっとと成仏して次に生まれてから大剣豪目指せよ。いつまでフラフラ彷徨ってんだこの迷子野郎!」
「・・・お前、身も蓋もないな」
ゾロは額に手を当てて苦笑した。
「うるせえ、てめえがグダグダ抜かすなら俺が引導渡してやる」
サンジは怒りに突き動かされるように、元来た回廊を走り抜けて物置に飛び込んだ。
先ほど目にした鏡にはおかしな人間の姿などなく、埃を被った表にうっすらと自分の影が写っているのみだ。

―――これを割ったら、ゾロは成仏すんのか
勢い込んできたものの、いざとなるとためらいが生まれる。
本人が望むならともかく、ゾロは死にたくないと言っていた。
世界一の大剣豪になる夢があると。
けど、その夢を抱いたのはもう200年近く前の話なんじゃないのか。
ゾロの中では、流れ去る歳月なんて関係ないことなんだろうか。
ゾロの“時”は、この鏡の中に取り込まれたその日から止まってしまったままなのだろうか。

鏡を見ながら悄然と立ち尽くすサンジの傍らに、ゾロが近付いた。
ゾロの姿は鏡には映らない。
顔を向ければ、困ったように眉を顰めこちらを見ている。
「・・・止めないのか」
「止めたらやめんのかよ」
憮然とした物言いが拗ねた子供のようで、思わず笑いそうになる。
「・・・しょうがねえ、ここで会ったも何かの縁だ」
夜明けまで限られた時間しかないが、一緒にゾロの肉体を探してみよう。
「もし見付からなかったら、俺は明日の朝この鏡を粉々に砕いてから、また旅に出るぜ」
「容赦のねえ奴だ。まあいいだろう」
我が身の生死?が掛かっているのに、ゾロは鷹揚に頷いて了承した。





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