恋という名の翼 -2-



「ロロノア先輩のネクタイが手元に返ってきた」と言うニュースは、瞬く間に校内を席巻したらしい。
サンジが手渡したとき周囲の反応がおかしかった理由も、すぐにサンジは知ることになった。

「あなたがサンジ君?ゾロにネクタイ返したって」
いきなり呼び止められ、綺麗な声だったから無条件に目をハートにして振り向けば、想像以上の美少女が立っていて、サンジは一瞬卒倒するかと思った。
「な、ななななんって素晴らしい日なんだ今日は!貴女のような美しい人に声を掛けられるなんてっ」
「・・・想定外の反応ね」
赤い髪がよく似合う、スタイルのよい女生徒は、あからさまに呆れた表情で腕を組んだ。
「私はナミ、2年生よ。ゾロとは友人なの」
「先輩ですか!ナミ先輩!!ああ〜これぞまさしく運命の女神の導き!今ボクは恋という名のイカヅチに撃たれた!」
「・・・これ、殴っていい?」
イライラを隠さず隣にいたウソップにそう問えば、「遠慮なく」と返される。

「んでね、ネクタイのことなんだけど〜」
「はい〜なんですか、ナミすわんっv」
頭にコブを作りながらも、サンジは懲りずにでれでれと相好を崩している。
「あーんな高い木の梢に引っかかってたのに、なんで取ったの?」
「え?なんでって、手で」
再び拳が振り落とされる。
「このお馬鹿、私が聞いてるのは動機よ」
「動機って・・・」
まさか女生徒のだと思って、邪まな考えで取りに行ったとはとても言えない。
「大方、女子のだと思っていいとこみせようと思ったんじゃねえの?」
横からズバッとウソップに指摘されてしまった。
図星だったから手加減せずにその場で蹴り倒す。
「・・・なんだ、ほんとに何にも知らなくて、単なる好意だったのね」
ナミはホッとしたような落胆したような、複雑な顔を見せた。
「なんで・・・あれ、なんか曰くつきなんすか?」
蹴り倒されたウソップが、床に横たわりながら首だけこちらに向ける。
「うん。2、3年生では知らないものはいないんだけどね」

ナミの話によると、あのネクタイが梢に引っかかってから、もう1年近く経つのだという。
元々ネクタイを面倒がって、ゾロは殆ど身に付けることがなかった。
だが胸ポケットには仕舞ってあったそれが、ある風の強い日に突然舞い上げられて、高い木の梢に絡まったのだという。
「その日、ちょうどその時間。ゾロの恋人だった子が、交通事故で亡くなったの」
幼い頃から一緒で同じ剣道部員でもあった彼女は、ゾロとは公認の仲で校内でも有名なカップルだった。
突然の悲報にゾロは元より学校全体が悲しみに包まれていたが、梢に引っ掛かったままのゾロのネクタイを見て、誰からともなく噂が流れ始めたのだ。
あれは、死んでしまったゾロの彼女が空で身に着けているのだと。

「なんでネクタイなんすか?」
「まあ学校にはつき物の、伝統みたいなものよ。うちの高校では卒業式の日に意中の人とネクタイを交換して卒業するの。そうすると進路は違っても、二人は決して別れたりしないって言い伝えがあって。だから卒業式の日にストライプの斜め方向が違うネクタイを身に着けてる子はもう恋人がいるってコトだし、卒業前に告白する口実にもなって、結構カップル成立率が高いのよね」
「なるほど」
納得するウソップの横で、サンジは見る間に蒼白になった。
「それじゃ・・・それじゃ俺があの時回収しちゃったネクタイって・・・」
「そ、彼女が絞めるはずだったゾロのネクタイ。ゾロは彼女の形見にネクタイを貰ってるはずだから、『交換』は成立してたはずなのよね」
「う、わ〜〜〜〜〜」
サンジはその場で頭を抱えてしゃがみこんだ。
知らなかったとはいえ、なんて無粋なことをしてしまったのか!
みんなが知っててそっと見守っていた恋人同士の切ない思い出の形を、何の関係もない自分が台無しにしてしまったのだ。
「そんなに落ち込むことないわよ。ゾロだって、いつか風に飛ばされてどっか行くだろうって思ってたし」
激しく凹んだサンジの様子に、さすがにナミも可愛そうになったのか慰めの言葉を掛ける。
「まさか、わざわざ登って取ってくれる子がいるなんて思わなかったのよ。すごいわね、あんた」
最後は褒められたんだか貶されたんだかわからない台詞までいただいたが、サンジはしばらく立ち上がれなかった。
どうしようどうしよう・・・
俺って、馬鹿―――


元来の「女の子好き」が高じたせいか、人一倍ロマンティックな性質なのだ。
恋愛映画にどっぷり嵌り、ケータイ小説で号泣するタイプだから、この手の話にはからきし弱い。
今思えば、体育館で見守っていた女生徒達も、わかっていたから敢えて先輩には近付かなかったのだろう。
だって先輩には彼女がいる。
もう死んでしまったけど、ずっと忘れないで愛しく思っているだろう彼女の面影を感じて、誰も先輩には近づけないのだ。
なのに俺って、馬鹿―――
己への悪態はエンドレスでサンジを苛んだ。
知らなかったとはいえ、まったく余計なお世話だった。
できるものなら入学式まで巻き戻しされたい。
得意げに木に登った自分を今なら、コンカッセで止められる。




「はあ・・・」
今更謝っても済むものでもないし、そもそも知らなかったことだから謝るのもおかしな話だろう。
あの時妙な顔をしていた他の先輩達の気持ちも、今ならわかる。
なんだか合わせる顔がなくて、放課後には金輪際体育館に近付かないでおこうとも思った。
部活はやっぱ、サッカーかな。

サンジはそんなことを考えながら、ぼうと空に向かって煙を吐いた。
休み時間の一服は心が休まる。
プレハブの部室の間は幹の太い木の陰にもなっていて、絶好の休憩場所になっていた。
職員室からも離れているし、建物の間をぴゅうと風が吹き抜けて、煙も匂いもすぐに消してくれる。

不意に人の気配を感じて慌てて地面でタバコを揉み消した。
仕種が挙動不審だったのか、相手も歩を止めたのがわかった。
―――やべ・・・
恐る恐る顔を上げたら、あの先輩だった。
違う意味で、どきんと胸が弾む。

「なにやってんだ?」
「あ、いや・・・」
指先には潰れた吸殻。
このまま固い土の下に埋めるには、動作にやや無理があるか・・・
「先輩こそ、何してんすか」
「・・・迷った」
「は?」
真面目な顔しておかしな冗談を言う人だ。
先輩は大股で座っているサンジに近付いてきた。
やばいやばいと、片手で吸殻を握り締める。
「ブラバンの部室ってどこだったっけか?」
「は?あの・・・音楽室の隣じゃないかと」
確かひとしきり説明は受けている。
「音楽室の横って、倉庫しかなかったぞ」
「いえ、入り口は廊下側にあるんです」
「そうか」
なんで1年の俺が3年生の先輩に学校の間取りの説明をするんだよ。
礼を言って立ち去ろうとする先輩の背中を、思わず呼び止めていた。
「先輩!」
「なんだ」
振り向く先輩の顔は無表情だが、不機嫌な訳ではない。
サンジは心の中のモヤモヤを払拭するつもりで、勢いよく頭を下げた。
「余計なことして、すんませんでした!」
「・・・謝らなくて、いい」
なんのことかすぐ察したらしい、先輩は再びサンジの下に歩み寄った。
「いらねえこと、お前に吹き込んだ奴がいるんだな。気にすんな」
「けど・・・」
尚も言い募ろうとするサンジの前に、先輩は腰を降ろした。
「むしろ俺が礼を言う方だ」
あの時も、先輩はすぐに「ありがとう」と言ってくれた。
それが自然でなんの違和感もなくて、サンジは気付かなかったのだけれど。

「大切な・・・彼女との思い出だったんでしょ」
サンジが泣きそうな顔でそういうと、先輩は渋面を作る。
「そんなもん、俺にとって思い出でもなんでもねえ」
「え?」
思わぬ言葉に、サンジは間抜けな声を出した。
「確かにくいなは死んじまったが、そもそもあいつとはおしめも取れない頃からずっと一緒だったんだ。今更ネクタイの一つや二つ、なんのジンクスにも約束にもなりゃしねえのによ。そんなもんよりもっと長く、たくさんの思い出が俺ん中にはある」
「あ・・・」
幼馴染だと言っていた。
とても似合いのカップルだったとも。
「だから、正直俺はネクタイのことなんかどうでもよかった。実際、お前が届けてくれるまで忘れていた。確かに木の上でヒラヒラ舞っててくれれば、その間はあいつの存在が誇示されて俺に声かけてくる奴もいなかったからな・・・」
「・・・・・・」
「お陰で楽だし」
「・・・・・・」
なんですと?
「まあ、周りの奴が卒業式のジンクスを持ち出して、勝手に美談を作ってくれたんだ。お陰で、くいながいなくなったからって後釜に入ろうなんて名乗り出る奴もそんなに出てこなかったし。女子同士で不可侵ってのか?それぞれ見張りあう形みてえになって、単独で告ろうって勇気のある奴はいねえみてえだな」
「・・・・・・」
サンジは呆れて相槌も打てなかった。
ってことは何ですか?
偶然ネクタイが巻き上げられて木の上でヒラヒラしてるのをいいことに、フリーの自分を満喫してたってことですか?
女子に告られるって面倒臭い?
不可侵だとお?自覚があるのが尚のこと腹立つじゃねえか、何様だこの野郎!!
「てめえって、サイテー」
頭に血が昇るとすぐに口も滑るのはサンジの欠点だ。
だが止められない。
「じゃあ何かよ。このネクタイがヒラヒラしてたお陰で、うざい女生徒ちゃん達が近付かないから楽って、そういうこと?そいじゃ、彼女の思いももうねえの?なんだよそれって、ひでー・・・」
言ってて何故か、じわんと視界が歪んでしまった。
先輩がぎょっとした顔で目を見開いている。
「なんでてめえが、泣くんだよ」
「てめえ、んな好き勝手言って、もう彼女のこととか忘れちゃったのかよ・・・」
あんまりだあんまりだ。
このネクタイは、あんな高い木の上で、一人でヒラヒラはためいてるしかできなかったのに。
「あのな、誤解があるようだが」
「うっせえ、言い訳なんて聞きたくねえっ」
なんだか鼻まで垂れてきて、サンジは慌てて顔を片手で覆って立ち上がろうとした。
ら、何故か先輩に正面から押さえつけられる。
「―――!?」
蹴り倒そうとしたら、先輩の肩が震えていることに気付いた。
サンジの両腕を掴んで圧し掛かるようにして、先輩の背中が揺れている。
「・・・先輩?」
間を置かず、先輩が笑い始めた。



「いや・・・すまん。お前ってなんか・・・」
ぶぶっと時折噴き出しながら、先輩は目尻に涙を溜めてまで笑っていた。
そこまで笑われる謂れはなくて不愉快だが、何故だか正面からどっしりと乗っかられるようにして押さえつけられているから動きようもない。
サンジはハンカチで鼻を抑えて、むすっと睨みつけた。
「悪い。でもなんか嬉しかったぜ」
先輩は目を擦ってにかりとサンジに笑いかけた。
いつも仏頂面しかしていない先輩だと聞いていたのに、笑うとどこかガキ臭くて愛嬌がある。
意外に思えてサンジも険のある目つきを改めた。

「くいなはな、俺の彼女って訳じゃなかったんだ」
サンジが逃げないと見て取ると、先輩は隣に並ぶようにして腰を下ろした。
「彼女じゃ、ない?」
「おう、あいつもそのつもりはなかったぜ。ただ、周りがそう言うから俺らも適当に合わせてた」
「・・・そんな」
また抗議の声を上げそうになったが、彼女の方もその心積もりだとすると、サンジの怒りは的外れなことになる。
「お前に言わせれば、それも卑怯だってことになるんだろうな。だが俺らは部活に打ち込んでる方が楽しいタイプでな。そういう仲に周囲に思わせて置いた方が、何かと楽だったんだ。・・・怒るなよ」
サンジの顔色を伺うように、そんなことを言う。
今度はまともに見返せなくて、サンジはむすっと唇を突き出したまま下を向いた。
「お前は否定するかもしれないけど、男と女でも親友ってあるんだぜ。少なくとも俺とくいなはそうだった。誰よりも近くて分かり合える、親友でありライバルだった。あいつにはとても敵わない部分があったし、あいつもそうだったと思う。できることなら、生涯を掛けて競い合いたかった」
そう呟く先輩の声が寂しげで、サンジはつい顔を上げてしまった。
先輩の端正な横顔が、どことなく沈んで見える。
「お前の言うことは最もだよ。俺はくいなの死を自分の都合のいいように利用してしまった。周りが勝手に話を作ってくれるのにかまけて、否定も肯定もしなかった。自分が俺の『彼女』扱いのままになってるなんて、あいつが知ったら頭から湯気出して怒るだろうにな」
サンジの方に振り向いて、困ったように笑う。
「『あんたが弱いの私のせいにしないでよ』なんて、あいつなら絶対そう言うな」
「・・・弱いのか?」
「ああ、まだ中々強くなれねえ」
中学ん時からずっと連覇だと聞いていたけれど、先輩の強さの基準は別のところにあるのかもしれない。

「だから、お前は気にするな」
一瞬なんのことだろうと思ってしまった。
ネクタイだ。
すっかり最初の意図を忘れてしまっている。
「―――あ」
「そういう事だから、まあ俺もこれからまた色々うざいことなるかもしれねえけどな・・・」
それはなにか?
あのネクタイが回収されたから、新しく恋人探すかもって女生徒達に思われるってこと?
そいで言い寄られてウザイって?
「てめえって、やっぱサイテー・・・」
むすっとして立ち上がったら、先輩もつられるように腰を上げる。
「お前はサイコーだな」
ぽんぽんと頭を撫でられた。
馬鹿にされたようで尚むかついて顔を顰めたら、先輩は笑顔を引っ込めた。

「お前がネクタイくれた時な」
いきなり神妙な顔つきになった先輩に、サンジも表情を引き締める。
「俺は、くいなが引き合わせてくれたかと思った。勝手だがな」
「・・・え?」
前髪をクシャリと掻き混ぜて、先輩は再度小さな声で「ありがとう」と言って笑った。

そのまま立ち去る先輩の広い背中を見送りながら、サンジは今頃になってどきどきしている自分に気付く。
先輩に親しく声を掛けてもらったのに。
きっと誰にも話したことなかっただろう、彼女との思い出も聞かせてもらったのに。
思わぬ本音も聞いてしまったのに。
なんか物凄く失礼な口を利いてしまった気がするのに怒らないで、楽しそうに笑ってくれた。

先輩、「ありがとう」って言ってくれた。
最初からずっと、素直にそう言ってくれていた。
優しく笑って――――


「うわあ・・・」
なんだか心臓が踊りすぎて、口から飛び出そうだ。
熱でもあるかのように顔は熱いし、頬が火照っている。
一体どうしたことだろう。
先輩の大きな手の温もりが忘れられない。
あの声も、意外に可愛らしい笑い顔も、全部。
「うわー・・・」
再度声に出して嘆息し、サンジはその場にしゃがみこんだ。

女生徒相手なら、すぐにわかったことなのに。
恋という名の翼に触れちゃったんだ・・・なんてね。










そうして1年が過ぎ、あの日と同じように麗かな春を思わせる陽射しの中、ロロノア先輩は卒業して行った。

斜めストライプが逆になってない、正規の男子用ネクタイをきっちり締めて、先輩は堂々と答辞を読み上げた。
無論、式の後校門を出るまでに、数多の女生徒が当たって砕けろとばかりに果敢にアタックを繰り返したが、先輩は真面目な顔でそれらを一々律儀に頭を下げては断り続けた。
校庭に集まって晴れやかに門出を祝う、在校生や教師達に賑やかに手を振り返し、3年生達は旅立っていく。

サンジはもう、仰げば尊しのメロディを聞くだけで涙腺が緩むタチなので、お前は卒業生かと突っ込みを入れられるほど真っ赤に目を泣き腫らして見送っている。
先輩は今日からもう、この学校には来ない。
でも、これで終わりじゃないって俺は知ってる。

学校は変わってしまうけれど、携帯は知ってるしメアドも知ってるしお互いの家はもう行き来してるし、この間のサンジの誕生日だって、一緒にお祝いしたのだ。
束の間のお別れだけど、すぐに追いついてみせる。
いろんな意味で、この春はサンジにとってもはじまりの時だから―――

だから先輩、卒業おめでとう。


遠く離れた門の外で、先輩は卒業証書の入った筒を振りかざして大きく手を振ってくれた。
きゃーーーっなんて黄色い声を出す女生徒達の後ろで、サンジもこっそり片手を上げる。

サンジがいつもきっちり締めているネクタイは、今日から少し古ぼけた色褪せたものになっていることに、誰も気付いていない。
無論、裏返せばZ.Rの刺繍があるのだ。




END



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