恋はみずいろ


どこまでも続く青い空にくっきりと浮かぶ白い雲。
紺碧の海は陽光を照り返して輝き、打ち寄せる波の音は穏やかで優しい。
晴れ渡った空の下、波打ち際を素足で駈けていく無邪気な乙女達の野太い歓声が響いた。

「うふふ」
「あはは」
「捕まえてご覧なさ〜い」

ワンピースの裾を翻し、遠目からなら可憐な乙女達が、追いつ追われつしながら通り過ぎていく。

サンジは綺麗にペディキュアを塗られた爪先をきゅっと丸め、膝を抱えて組んだ腕の上に顎を乗せた。
密かに吐いた溜め息を、聞き取られる。
「どうしたのサンディ、浮かない顔ね」
サンディとは、この島で勝手につけられた愛称だ。
島の乙女達は皆、それぞれに可愛らしい呼び名を持っている。
「別に、なんでもねえよ」
サンジは意識して素っ気なく、乱暴な口をきいた。
気を抜くと、この島特有の言い回しがうっかり出てしまうのだ。

「仲間が恋しいのよね、わかるわ」
訳知り顔で一人頷きながら、サラサラと鉛筆を動かしているのはローズマリーだ。
元は名のある海賊船の副船長だったが、戦いの最中海に落ち、運良くこの島に流れ着いた。
カマバッカに来た者はオカマになる運命か、はたまた心の奥底に乙女心を秘めた者だけがこの島にたどり着くのか。
理由は定かではないが、今こうしてローズマリーとサンジが並んで海を眺めているのは抗いがたい現実だった。

「あたしも最初はそうだった。早く船に戻りたくて仲間に会いたくて、一人で泣き明かした夜もあったのよ」
そう言ってローズマリーは鉛筆を動かす手を止めて、遠い目をする。
「でもねえ、いつの間にかここがあたしの故郷になってた。何より大切な、唯一のふるさと。そして大事な仲間達」
ローズマリーの視線につられて、サンジも顔を上げる。

波を蹴散らし、子どものような笑い声を立ててはしゃぐ乙女…もといオカマ達。
逆光でシルエットしか見えない所が救いか。
「みんなここがふるさとだって言うけど、ホントはあり得ないのよ。だってオカマだもん、誰から産まれるって
 言うの。でもみんな、ここが故郷だと思ってる。結局、ここには来るべき者が来るのよ。あたしもここに来て
 初めて、本当の自分に会えたわ。今までの自分は全部まがい物だった」
そう言って幸せそうに笑うローズマリーの口元は、朝剃ったばかりだと言うのにもう青々と髭が生えて来ている。
四角ばったエラと割れた顎。
唯一可愛らしいと言えないこともないつぶらな瞳を除けば、立派な悪人顔だ。
その瞳も、つけ睫毛とマスカラで縁取られ、原形は定かではない。
大きくて分厚い唇にぽってりと塗られたグロスは、蝿が止まったら飛び立てなくなりそうだ。

「でも、ホントの自分を取り戻しても、こうしていられるのはこの島だけ」
ほうと、溜め息と共に伏せられた睫毛がバサリと音を立てる。
「いいわねサンディは、お化粧なんかしなくてもとても綺麗。その白い肌も金色の髪も青い瞳も、何もかもが
 神様からのギフトね」
言いながら、手にしたスケッチブックを翻して見せた。
いつの間に描いたのか、そこにはサンジの横顔が描かれている。
つけ睫毛もリップもチークも塗りたくってない、素顔のサンジが切なげな眼差しでどこか遠くを見つめている絵だ。
デッサンの上手さは、仲間の狙撃手を思い出させる。

「あたしも…あたしも、ずっと好きな人がいたの」
何であたし「も」なのか突っ込みたいが怖くてできなくて、サンジは黙って膝を抱えなおした。
「同じ船の船医だった人。腕がよくて優しい人でね、イケメンだったから、女にもよくモテたわ。あたしはいつも
 傍にいてイライラしてた。それが嫉妬だなんて気付きもせずに」
うちの船医はトナカイだったよ。
言いたくても言えなくて、代わりに煙草を咥える。
「あたしはいつも、彼にとって頼りになる兄貴だった。荒々しい海賊仲間として、あたしも剛毅に振る舞ったわ。
 ホントのあたしのハートは、彼の前ではいつだってか弱い小鳥のように震えていたのに」
瞬きと共にプルプル震える睫毛の上に、風で巻き上げられた砂が数粒張りついている。

「サンディは?サンディの想い人はどんな人?」
いきなり振られて、サンジはビクリと肩を竦ませた。
ローズマリーのドアップが顔の真横にある。
答えるまで逃がさないわよとの無言の気迫が感じられて、さすが元海賊船副船長と感心せずにはいられない。
「俺の、想い人は…」
ポワンと頭に浮かんだのは、サンジが全身全霊をかけて愛する女神達。
「とても強くて優しい人だよ。スタイル抜群で頭が良くて頼りになって…」
「そう、素敵な人ね。お名前は?」
「ナ…」
言い掛けて、一旦止まる。
「ナ、ナミゾウさんだよ」
「そう、男らしい名前ね

ごめん、ナミさん!
ナミの愛らしい額に、一瞬で青筋が浮かんだ。

「じゃあ、サンディはナミゾウさん一筋なのね」
ローズマリーの言葉に、もう一人の女神が浮かぶ。

「実はもう一人、気になる人がいたんだ。知的でクールで、謎めいた雰囲気が堪らない人でね」
「まあ、サンディったら、二人の間で揺れていたのね」
この小悪魔さんvと、コツンと頭を小突かれる。
「その人の名は?」
「ロ…ロビ彦さん」
ロビンちゃん、ごめん!
深淵を思わせる濃紫の瞳が、すうと眇められた。

「そう、じゃあサンディはナミゾウさんかロビ彦さんのお嫁さんになりたいのね」
ローズマリーの言葉に、サンジはうっとりと頷いた。
毎朝、ナミさんかロビンちゃんのためだけにコーヒーを淹れてあげられたら、どんなにか幸せなことだろう。

「いつか、サンディもこの島から旅立って、ナミゾウさんやロビ彦さんの元に帰れるといいわね」
いつかじゃなくて必ず戻らなければならないのだ。
だって自分には夢がある。

「そしてサンディも、いつか素敵なお嫁さんになれるといいわね」
再び見せてくれたスケッチブックには、ドレス姿のサンジの全身像が色鉛筆で着色されていた。
「サンディは痩せてて鎖骨が綺麗だから、ベアトップが似合うわ。ウエストをきゅっと締めてドレープはたっぷり。
 そして純白のドレスの裾に、青い刺繍で小花を散らすの」
サンディのためだけにデザインされたウェディングドレスだ。
すらりとした身体にぴったりの、可憐なシルエット。
こんなドレスはやはりナミさんかロビンちゃんのが似合うだろうと首を振り掛けて、止めた。
ローズマリーが描いてくれたドレスは、誰よりもサンジによく似合う。

「髪飾りにはやっぱり生花ね。ブルースターがいいわ。ブーケも、白薔薇にブルースターを絡めて、可愛らしい
 ながらも気品高く。まるでどこかのプリンセスのようよ」
ささっと鉛筆を動かし彩りを着けて行く手つきはプロ並みで、本人が言うとおり本来は可愛いものや綺麗なものを
愛でて穏やかに生きるべき性格だったのだろう。
仲間達や元の暮らしに心を残しつつも、この島で前向きに生きて行こうとする姿勢はサンジから見ても毅然として
見える。
けれど、恋する人のことを語る時、ローズマリーの表情は蔭を秘めて切なげだ。
仲間の元に帰りたいと思うのは、誰もが同じ想いだろう。
でもローズマリーは帰れない。
自分を知ってしまった今、もう以前の彼には戻れないのだから。

「ローズマリーもいつか、お嫁さんになれるといいわね」
「あたし?ふふ、そうね。サンディはホントに優しい子ね」
何もかもを諦めた顔で、それでもローズマリーは朗らかに笑う。


この島に飛ばされてから、どこの化け物かと見紛うようなオカマ達に追いかけられ追い詰められても、サンジは
決して彼女達を蹴り飛ばすことはしなかった。
なぜならこの島のオカマ達はすべてに優しく思いやりに溢れた乙女だったからだ。
例え見かけがモンスター並みでも、彼女らは一様にそれぞれの哀しみを背負い、それ故にとても優しい。
女性より女らしい彼女達の一番の強さは、痛みを知っていることなのかもしれない。

「ローズマリーだって、きっといつかは恋しい人の元に帰れるわ。だって貴女は素敵な人だもの」
サンジは貝殻の灰皿に煙草を揉み消し、毛むくじゃらでごつい腕を取った。
「貴女には、幸せになって欲しいの」
重ねた手の、サンジの肌の白さが際立つ。
ローズマリーは眩しそうに目を細め、優しい子ねともう一度呟いた。


寄せては返す波に素足を洗われながら、サンジは顔を上げ少しずつ傾き始めた太陽に手をかざす。

ここはカマバッカ。
哀しきオカマ達が流れ着く最果ての楽園。

傷を舐め合うように庇い合い、励まし合うオカマ達が見る夢は、ピンク色に染め上げられた幻ばかりだったとしても―――


夢くらい見たっていいじゃない。
だって海賊なんだもん。


サンジは目を閉じて、ローズマリーが描いてくれたウェディングドレス姿の自分を思い浮かべた。
その隣に立つのはナミゾウかロビ彦か。
それとも―――

胸に描いた人を思い出すと、自然と涙が流れそうになる。
サンジは仰向いたまま、白い手の甲を瞼に乗せて目元を隠した。

その想いだけを見えない風に乗せたなら、いつか届くだろうか。
遠く離ればなれになってしまった人の元へと。
今なら素直に夢に見られる、愛しいあの人の元へと。

答えもないまま、秘めた想いは風の向こうで彷徨うばかりだ。




END