恋衣 -1-


待ち合わせの場所に30分前に着いたとき、すでにそこにカヤの姿を認めてウソップは仰天して地下鉄からの階段を駆け上がった。
多くの人が行き交う歩道を踊るようにすり抜けて、大きく腕を振り声を掛ける。

「カヤ!」
興味深そうに道行く人を眺めていたカヤが、その声に顔を上げた。
ウソップを見てふわりと、花が綻ぶように笑う。
おずおずと遠慮がちに挙げた片手が彼女のはにかんだ様子を更に際立たせて、ウソップは息せき切って走り寄った。
「早いんですね」
「早いのはカヤだろ、いつから待ってたんだ」
「今来たところです」
マフラーに顔を埋めるようにして、ふふふと笑う。
「待ち合わせで待ってみたかったんです。ウソップさんと外で会えるのなんて、久しぶりだもの」
きゅーんと胸が締め付けられて、ウソップはその場でうずくまりそうになった。
なんだ、なんなんだこの天然の可愛さは!
これはすでに愛の凶器、完全無敵の最終兵器だ。
いまこの場で命の炎が燃え尽きようと、わが人生に一片の悔いなし!
「ウソップさん?」
「とにかく中に入ろう、いくら今日はあったかいとは言えまだ2月だ」
カヤの背を抱きながら、ウソップは視線だけ巡らした。
デパートの柱の影に心配で立ち去れなかったのであろう執事の姿を認めて、軽く会釈する。
メリーが安堵したのを見て、ウソップはそのままデパートの中に入った。



「いくら待ってみたかったって言っても、30分前は早過ぎるんじゃないのか?」
「あら、だってウソップさんも30分前にいらしたじゃないですか。結局待ち時間がなかったですわ」
デパートのレストランに入り、窓際の席に二人向かい合わせに座る。
カヤはオープンテラスに行きたがったが、風が冷たいからとウソップは認めなかった。
「今度はちゃんと待ち合わせ時間を守ること、そうしないと外での待ち合わせができない」
「どうして?」
「そうでないと、もしかしたらもうカヤが来てるかも知れないって心配になってもっと早く来ることになるだろう」
そこまで言ってウソップはああと額に手を当てた。
「それでもまだカヤが早く着いてたら・・・」
「どんどん待ち合わせ時間が早まってしまうのね」
「そうそう、結局時間なんてないようなものだ」
「それは困るわ」
「だろ?」
二人顔を見合わせて笑う。
「だから今度は時間励行、いいね」
カヤは頷きつつも、悩ましげに眉を顰めた。
「でも楽しみ過ぎて眠れないから、やっぱりちょっぴり早く来ちゃうかも」
ああ〜〜〜〜〜〜
ウソップはセットされていたフォークをさり気なく握り、テーブルの下に持って行って自分の太股をチクチク刺した。
落ち着け、目を覚ませ俺。
カヤの可愛さに飲み込まれるな、己を取り戻せ!

こんな可愛い彼女のことを友人達に度々自慢するのだが、みんな口を揃えていつものホラ話が始まったとしか捉えてくれない。
また妄想彼女の捏造か。
現実を見ろ寝言は寝て言え等、散々な反応である。
それでもウソップはめげない。
カヤは確かに実在しているし、こうして一緒に楽しい時間を過ごせるのも事実なのだから、何も知らない第三者になんとからかわれようと痛くも痒くもないのだ。


「お正月の旅行はどうでした?」
「ああ、よかったよ」
お土産の根付ストラップを渡して、封筒を取り出す。
「優秀な気象予報士が同行してたから急な吹雪とかに遭わなくてな。実に快適な旅だったぜ」
テーブルに写真を広げてカヤに説明する。
「これが泊まった宿、こっちが温泉」
「わあ、雪がいっぱい積もってますね」
私も行きたかったなあと呟くのに、ウソップは残念そうに首を振る。
「吹雪はなかったけど気温が低過ぎる。けど、初夏辺りもいいと思うよ。今度は・・・」
そこまで言って、やや俯いた。
「こ、今度は一緒に・・・行こうか」
「はい」
ためらいなく頷くカヤを目の前にして、ウソップの右手はテーブルの下で忙しなく動いた。
フォークの刃がジーンズを突き破ってしまいそうだ。

「わあ可愛い」
カヤが小さく歓声を上げた。
手にしたのは、野生の猿が一緒に湯船に浸かっている写真。
「そこ、猿と一緒に入れる露天風呂つってさ。すげえだろ。こん時チラチラ雪も降り始めてて頭に積もってて」
「この、後ろにいるのがルフィさん?」
「そうそう、どれが猿でどれがルフィかわかんねえだろ」
何枚か写真を捲り、その度にカヤは鈴が鳴るような笑い声を立てる。
「あ、この方がナミさんね」
写真が趣味のウソップは、しょっちゅう旅行に出かけてはあちこちの風景を取り捲りカヤに見せている。
けれど今回は、同行した友人達を撮るのも楽しかった。
「そうナミ、ルフィの彼女だ」
「凄く綺麗な人」
まじまじと見詰めているのがルフィと混浴している写真だから、ウソップの方が赤面してしまった。
「ウソップさんも一緒に入ったの?」
素朴な問い掛けにとんでもないと首を振る。
「俺はそこまでお邪魔虫じゃない」
「でも、写真撮ってる」
「そこは言わない約束で」
ぷっと噴き出した二人の間に、ランチメニューが到着した。
しばらく黙ってサーブされるのを見守っている。
ウェイターが行ってしまってから、カヤは内緒話でもするように心持ち顔を寄せてきた。

「二人きりでお正月を過ごされてもおかしくないでしょうに、どうしてウソップさんが同行することになったんですか?」
別にウソップが旅行に出かけていることを責めているわけではない。
カヤにしたら少し不自然なものを感じたが故の、素朴な疑問なのだろう。
「撮影係?」
「いやあ、ないない」
苦笑しながら目の前でひらひらと手を振る。
ふと思い当たって、カヤに顔を寄せた。
「覚えてるかな、中学ん時俺のクラスメイトにサンジってのがいたの」
「サンジさん?」
カヤは少し視線を宙に漂わせてから、ああと軽く声を上げた。
「綺麗な金髪で、面白い方」
「そうそう」
カヤに面白い人として認識されていたと知ったら、サンジはどれだけ悔しがるだろう。
今のサンジはどうか知らないが、少なくとも中学の頃のサンジはやたらとかっこつけるフェミニストだった。
それを思い出して、ウソップの表情が自然とにやけてくる。
「そのサンジさんが何か?」
「ああ、偶然だけどナミの知り合いってわかってさ。んでもって、ナミとルフィの共通の知り合いがシモツキって小さな村に住んでてさあ」
「?」
小首を傾げるカヤに、ウソップはナプキンに図を書いて説明した。



「つまり、ナミさん達の知り合いのゾロさんって方とサンジさんとが、お付き合いなさってるんですね」
「いや・・・付き合ってはいないらしい。ナミ曰く、くっつくかどうか瀬戸際らしくて」
「それで仲立ちに?」
「うーん、そうなのかなあ」
そう突き詰められるとウソップにもよく分からない部分がある。
俺、何しに行ったんだろう。
「でも、同級生でサンジさんのことをよく知ってらっしゃるから、ナミさんはウソップさんを誘われたんですよね」
「よく知ってると言うと語弊があるんだよな。なんせサンジは途中でいなくなっちまったし」
「それでも、ナミさんよりは過去をよく知っていると」
「まあ、そういう訳だ」
カヤはおっとりとしたお嬢様育ちだが、頭の回転が速く聡明だ。
話をしていてとても楽だなと感じる。
「それでナミさんがウソップさんに同行を頼まれたのなら、きっとナミさんはそのゾロさんって方とサンジさんのお話がまとまればいいと思ってらっしゃるんですよ」
「そうなのか」
「そうです、だから協力して貰ったんです」
でも結果的には、ウソップは何の役にも立たなかった。
肝心のゾロはウソップの話なんか聞いてくれなかったし、話さないで済んだことに正直ほっとしている。

「カヤは引っ掛からないか?その、二人は男同士だってことに」
恐る恐る問えば、カヤはあっと白い手を口元に添えた。
「まあ、そう言われれば・・・」
がくんと肘が落ちる。
カヤのこういう部分が溜まらなく愛しい。
どこか抜けていて可愛さ炸裂だ。
「でも、そうしてナミさんやルフィさんが一生懸命になられて、ウソップさんもわざわざお出かけになったということは応援したくなるお二人だったんでしょう?」
真顔で問われれば、そうかもと頷かざるを得ない。
ウソップの目から見ても、ゾロはしっかりとした好青年だ。
やや大雑把過ぎるきらいはあるが浮ついた感じはないし、サンジのことも真面目に考えているようで茶化したりできる雰囲気でもなかった。
だからこそ、ある程度サンジの過去を知っていてもらいたいと矛盾した考えも持ってしまったのだけれど。

「確かサンジさんは・・・私は学年が違ったからあまり覚えてないんですが、修学旅行で具合が悪くなられたんですよね」
「ああ、うん」
楽しかった修学旅行の最後の夜。
教師に付き添われて病院に向かったサンジは、それきり二度と自分達の前に姿を現さなかった。
「結局ウソップさんにも何の連絡もなしに、転校してしまわれたんですか」
「そうなるなあ」
年賀状くらい来るかと思っていたのに、サンジからはなんの音沙汰もなかった。
担任も詳しいことがわからなかったようで、クラスメイトからの別れの色紙は卒業証書とともに彼が引き取られたという遠い親類の元に送り届けられたらしい。
ということは、サンジはあれからどの学校にも転入手続きをしなかったというのだろうか。

「修学旅行で、一体なにがあったんですか?」
カヤのもっともな疑問に、ウソップは前を見詰めたまましばし沈黙した。
それこそが、ウソップがゾロに伝えようと思っていたことだ。
「特に何があったって訳でもないんだけどなあ」
今いち自分も理解できてないんだと前置きして、ウソップは語り始めた。



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