恋人の日



放課後の教室でゾロにキスされた。
キスには慣れっこのサンジだったけれど、これにはさすがにビックリしたしちょっとビビった。
ゾロが、いつものゾロじゃないみたいだったから。
暇さえあれば寝ているし、忘れ物はしょっちゅうだし、遅刻どころか待ち合わせ場所に満足に着いた試しがないし。
誰がどう見てもダメ人間の見本みたいなゾロなのに。
サンジが傍にいて、面倒見てやらないと学校生活も無難に送れないゾロなのに。
まるで知らない人みたいな、見たこともないような目でサンジに触れた。

あの日以来、サンジはゾロの顔がまともに見られない。
いつものように馬鹿話して、小突き合って。
肩を並べて廊下歩いて、ふざけ合って肩に触れて。
けれど、どうしてもゾロの顔から視線が逸れて時には訳もなく俯いているサンジに、気付かないゾロじゃなかった。



    *  *  *



休みの日には朝からサンジの部屋に入り浸る。
これも小学校の頃からの、言わば習慣のようなもので。
ゾロは行くとも言わないで当たり前みたいに家に来るから、サンジも断れなくて部屋に上げた。
けれど、さっきからサンジは一人でゲームばかりしている。
ゾロもサンジの横に陣取って漫画を読んでいるのに、サンジはちっとも顔を上げない。
クラスの女子の話とか先生の噂とか、そんな他愛もないことをひっきりなしにベラベラと喋り続けた。
南門の塀の上で昼寝をする猫の飼い主の美人女子大生の行きつけの美容室のオーナーの姪っ子の誕生日のケーキの注文について一頻り語った後、不意に言葉が途切れた。
会話ではない。
ゾロはさっきから、相槌一つ打っていない。

突然訪れた沈黙に、これって天使が通ってるのなーと口を開きかけて、先にゾロが喋った。
「お前、最近変だな」
「―――・・・」
お前のせいだろうがとは、悔しくて言えない。
だってあんなの、サンジにとっては挨拶程度のことなのだ。
特別な意味なんてない。
ないと思うのに、どうしても意識してしまう。
今だって、横に並ぶゾロの肩と自分の肩とが触れ合うほどに距離が近い。
気温が高くてすでに半袖のゾロは、よく日に焼けた腕から放熱してるんじゃないかと思うほどの体温を感じた。
傍に来るな暑苦しいと、軽口すら叩けない。
色んなことを意識してしまって、却って言葉にできないのだ。
こんな風に、気にしてるのは自分だけかと思うとそれもまた腹立たしい。

「おい」
「あんだよ」
「俺昨日、散髪したんだ」
いきなり何を言い出すかと思えば。
アホかと言い返す前に、ゾロがずいっと頭をサンジの目の前に差し出してきた。
身体を傾けているから、腹の前に中途半端に寝そべるような形になっている。
サンジは慌てて、その場で後ずさった。
けれど壁に背中が当たってそれ以上逃げられない。
目の前には、綺麗に刈り上げたゾロの襟足があった。
「おら」
撫でろと言わんばかりに伸び上がる。
困ったサンジは、いっそこの顎を膝で蹴り上げてやろうかとさえ思った。
近過ぎて威力は半減だろうけど。
物騒な気配を読み取ったか、ゾロはむすっと口をへの字に曲げて身体を起こした。
さっきよりもっともっと、顔が近い。

「なんで触らねえんだよ。お前これ好きだろが」
「・・・」
「それに、俺の目え見ろ」
「・・・うるさい」
ゾロがなにか言えば言うほど、サンジの顔がどんどん熱くなっていく。
近過ぎる距離も肌に触れるような熱もきつい視線も、何もかもがサンジを追い詰めるようだ。
「俺が、キスしたからか」
「うっさい」
ガンっと膝で腹を蹴った。
ゾロはケホッと一声噎せてから、大きな掌で太股を押さえる。
またそこからジワリと熱が沁みた。
「なんだよ、なんだよてめえだけ平気な顔して、ずりいんだよ」
口に出して言ったら、なんだか尚更辛くなった。
自分だけだ、みっともない。

「だったら、てめえもすればいいじゃねえか」
思いがけない提案に、は?っと思わず顔を上げる。
久しぶりに見たゾロの顔は、あの時のように怖いくらいに真剣だ。
「お前だってすりゃいいじゃねえか。そしたらおあいこだ」
不意を打たれたからビックリしたのだ。
サンジだって、別にできないことじゃない。
と言うか、サンジの方がずっと慣れてる。
あんな、触れるだけのぎこちないキスじゃなくて、もっと―――

きゅっと唇を引き結んでから、サンジは勢い付けてゾロの唇にぶつかった。
顔を真っ直ぐにすると鼻が当たるから、首を傾けて探るようにしっかりと合わせる。
唇をむにっと動かして、ほんの少し舌先を出して。
ちろりと舐めてから顔を離せば、能面みたいに固まっていたゾロの顔が突然火を噴いたようにぼっと赤く染まった。
サンジの部屋に差し込む夕日の色より、鮮やかだった。

そうして二人はこの日から、恋人同士になった。