来たる春



ゾロが目を覚まさない。
「今度はなんなの。」
ナミはやや邪険に横たわる身体を足で突付いた。



途中で立ち寄った小さな島は春島海域に差し掛かったところの、のどかな無人島だった。
ちょっと休憩とばかりに散会して、お約束どおりゾロが迷子になった。
チョッパーの嗅覚で難なく見つけはしたが、萌え始めたばかりの青草の上に引っくり返ったまま眠りぴくりとも動かない。
ロビンはゾロの側にしゃがみこみ、側に千切れた注連縄と古ぼけた石に刻まれた文字を読んだ。

「あらまあ。」
美しい眉を顰める。
「なんてこと、剣士さんは呪いにかかってしまったわ。」
「呪い?そんなアナログな。」
鼻で笑うナミに、ロビンは長い指を伸ばして石の文字を指し示す。
「この結界に触れし者、深き眠りに落ち、目覚めは訪れぬ。ただし・・・」
「ただし?」
「その者を心より求め、愛すべき者の口付けにより眠りの淵より呼び覚まさん。」
「はあ?」
ナミの顔が微妙な形に歪んだ。
「何それ、御伽噺?」
「そう書いてあるもの。剣士さんを愛する人がキスしたら、目が覚めるんですって。」
ナミとロビンのやり取りをサンジは一歩下がったところで見守っていた。


なにやってんだ、クソマリモ。
一度ならず二度までも眠りに入るたあ鍛錬が足らねえんじゃねえのか。
ってえかまた目覚めのキスかよ。
何度美味しい思いをすりゃあ気が済むんだクソ野郎。
毒づきつつせわしなくタバコを吹かす。
またロビンちゃんか?
それともナミさんか。

ぐるぐる唸りながら考えていたサンジは、ふとゾロが投げ出した腕の先に目を留める。
割れた岩盤の隙間にちょろちょろ流れるせせらぎと、芽吹いたばかりの若草の塊。
あ――――
話には聞いたことがあったが、実際に目にしたのは初めてだ。
『「ふきのとう」ってんだぜ。天ぷらが美味い。』
この間唐突にゾロが言い出した、旬の食材。
見たことがないと言うと、なら今度見つけたら持って帰ると言って、珍しく笑って見せた。
そん時はてめえも食ってみろ、苦いぞ。とも言った。
好物を食えるから笑ったのか、俺が素直に知らないと言ったから笑ったのか・・・
ふきのとうを、とる為に?

「またロビンに頼むかあ。」
ルフィの声に引き戻される。
「だめよ、私剣士さんを愛しいとは思うけど愛してはいないもの。」
あっさりとロビンは応える。
それではナミはと視線を移せば言語道断とばかりにむっつり顔で首を振られた。
「俺あゾロを愛しているぞ!」
きっぱり言い切るルフィにぎょっとしたが、あんたにとっちゃああたしもサンジ君も同じでしょうとナミに突っ込まれて終わっている。

そうだ、真に愛する者だ。
ゾロを愛するレディなんて・・・いるんだろうか。
「三刀流のロロノア・ゾロに憧れて、恋焦がれてる子もいるかもしれないけどね。」
そう呟きながらもナミは途方に暮れた顔をする。
いきなりゾロを愛する者と言われて、はいこの人ですなんて用意できない。
「待って、呪いには続きがあるの。」
ロビンの声に全員が振り返った。
「その者を目覚めせし者、二度とその者より愛されることはない。」
「は?」
「とんでもない呪いね。」
ロビンは忌々しげに言い捨てて立ち上がった。
「つまり、剣士さんを目覚めさせた人の事を剣士さんは愛さないのですって。」
「真剣に愛してるのに?」
「そう。」
そりゃひでえ。
もしも、もしもここでゾロを熱烈に愛するレディが現れて、キスをしたならゾロは目覚めるかも知れねえ。
けど目覚めたゾロはそのレディを好きにはならないんだ。
しかも二度と、なんて・・・
「可哀想だ。」
つい声に出してしまった。
しかしそんなサンジにナミも同調する。
「ほんとにね。こうなったら誰か行きずりの子にでもゾロに恋して貰うしかないんでしょうけど・・・その子にとても悪いわね。」
だがこうしていても埒が明かない。
ひとまずゾロを船に運んで様子を見ることにした。

チョッパーがゾロの身体を担ぐと、ぱらぱらと何かが落ちた。
海辺へと降りる仲間達から少し遅れて、サンジも続いた。
ナミが振り返りなぜか気の毒そうな顔で笑いかける。
「とんだ誕生日になったわね。」
「サプライズですよ。ったく退屈しねえ。」
サンジはそう言って、にかっと笑った。














狭い医務室のベッドの上にゾロを横たえた。
ゾロの寝顔は見飽きているが、こんな白いシーツの上には似合わない。
チョッパーは小さな蹄で器用にゾロの腕に針を刺した。
「もう、点滴すんのか。」
「ああ、長丁場になりそうだし血管だけ確保しとくよ。この島では女の子も見つかりそうにないしね。」
次の島までは一月ほどかかるらしい。
そんなに寝たきりの状態になっていては、ゾロと言えど色々支障が出そうだ。
「この筋肉ダルマが、やっぱ寝てばっかだとやべえかな。」
「まあね、いくらマッサージなんか施しても筋肉が衰えるのは防げないよ。」
「足とかも、萎えんのか?」
「うん、リハビリは必要だと思う。」
サンジはチョッパーの後ろで気付かれないように顔を歪めた。
このゾロが、鍛錬マニアでマッチョ侍なゾロがリハビリだなんて・・・やっぱり陸まで待てねえよな。
「チョッパー、さっきあんまり夕飯食ってなかっただろ。ラウンジにお前用の夜食が隠してあるから
 喰って来いよ。」
サンジの言葉にチョッパーはえ?と振り向く。
「別にこいつは寝てるだけでてめえが付いてなきゃなんねえこともねえだろ。これから先が長えんだ。」
チョッパーはうん、と頷いた。
「そうだね、じゃあいただいてくる。」
「おう行って来い。なんならこいつは俺が見てやってやる。」
ぴょんとイスから飛び降りてとことこ出口に向かうチョッパーに軽く手を上げて見せて、サンジは扉が締まるのを見届けた。



改めて、眠るゾロを見下ろす。
固く閉じた瞼も、引き結ばれた口元も真っ直ぐな細い眉も、こうして見ればすべてが頑なで無機質だ。
日の当たる甲板で大口開けて鼾を掻いて眠るのがこいつらしい。
こんな姿は見たくねえ。

ゾロが結界を切ってくれたお陰で、小川には難なく近づけた。
芽吹いたばかりの小さなふきのとうを摘んで帰る。
ついでにゾロの側にはつくしも散らばっていた。
でかい図体でこんなものまで摘んでいたのかと思ったら、笑えてしまってしょうがない。
サンジはそれを思いだしてまた笑った。
笑いながら、口元が歪んだ。
ご希望通り、ふきのとうは天ぷらにするぜ。
つくしは酢の物だ。
それでいいだろ。
だから・・・

サンジはイスに腰掛けて、そっとゾロに顔を近づける。
この俺が本気で野郎に惚れるとは思わねえが――――

だがわかってしまった。
なんでロビンちゃんがキスしたとき胸が痛んだのか。
目覚めたゾロを見て、泣きそうになったのか。
全部分かってしまったから。

目覚めさせた者は二度と愛されないって?
上等じゃねえか。
誰も野郎になんか愛されたくねえよ。
これからもこの先も、ずっと気に食わねえ喧嘩仲間だ。
それだけで充分だ。
サンジは目を閉じて唇を重ねた。



カサついた唇にそっと触れ、角度を変えて軽く吸う。
ぴくりと瞼の筋肉が反応して唇が開いた気がした。
と思ったら、ゾロの右手が素早く上がりサンジの後頭部をがっしりと押さえつけた。
「・・・!」
合わせた唇の間からゾロの舌が差し込まれる。
サンジは状態を把握できないまま、その舌を舐めて応えた。
より深く差し込まれた舌に口内を擦られ、唇を吸われる。
息苦しくなってサンジがゾロの肩に手をかけて押しやると、漸く口付けから開放された。
頭を押さえる力が緩んだのを見計らって、突き飛ばすように離れる。
ゆっくりと起き上がったゾロは腕の点滴に気付くと乱暴に引き抜き、サンジを睨みつけた。
「どういうことだ、クソコック。」

起きた。
こいつ、起きやがった。
ってことは、俺の愛ってのは本物だったのか。
なんだかサンジは笑い出しそうになった。
俺はほんとに本気で好きで・・・
でもこれが最後で――――
ゾロが訝しそうに、首を傾けながらサンジへと手を伸ばす。

バイバイ俺の恋心。
叶うはずのない真実の愛。
永遠に―――














「ご馳走様でした。」
「はいお粗末さまでした。」
そう応えてナミはぺろりと舌を出した。
「私がそう言っちゃ失礼ね。」
羽ペンを傍らに置くと新しい紙を取り出す。
チョッパーは空にした食器を重ねて慎重にシンクへと運んだ。

「そう言えば・・・」
ふと思い出してナミは顔を上げて、向かいに座るロビンを見た。
「昼間の石に刻まれた文字、原文のまま読んだのよね。」
「ええ。」
ロビンは本を捲る手を止めて、頬杖をついた。
「それにしちゃあ、なんだかたたどたどしくなかった?」
ナミの言葉にふふふと笑う。
「そうね、不自然だもの。2度目の呪いの方は、後から書き足されてるの。」
「「ええ?」」
ミとチョッパーが同時に叫んだ。
「彫りも浅いし新しいし、きっと誰かが悪戯で書き足したのね。効力も怪しいものだわ。」
「そうなのか?」
チョッパーは手を洗い、とととと二人の間に座った。
「じゃあ、最初の呪いの方はまあ効いてるとしても、目覚めさせた相手を愛することはないなんて呪いは、無効かもしれないのね。」
「それなら、ゾロを目覚めさせる子を探し出すのも楽になるぞ。良かったなあ。」
チョッパーは目を輝かせてイスから飛び降りた。
「俺、サンジにも知らせてくるっ、今サンジが付き添ってんだ。」
そう言って飛び出そうとするチョッパーをロビンの手が止めた。
「待って船医さん、そう慌てることはないわ。今夜はコックさんに任せておきましょうよ。」
「そうね、あなたはもう休みなさい。明日になれば、また状況は違ってるかもしれなくてよ。」
二人にそう言われて、チョッパーは本能でこくこくと頷いた。
よくわからないけれど、この二人が言うことには従った方がいい。
そしてそれは結構正しいのだ。

「じゃあ俺もう寝るね。」
「ええ、おやすみなさい。」
「おやすみ。」
小さな影がラウンジから消えると、ロビンは手を咲かせてお茶を煎れ直す。

シンクにはふきのとうが水に浸けられたままだ。
「春の味覚は明日までお預けでしょうね。」
「やるわね、ロビン。」
再びペンを持って海図に目を落とすナミに、ロビンはまた笑みを返した。
「どんな強力な呪いでも、人の心を変えることなんて不可能なのよ。航海士さん、もう一杯いかが?」
「ありがとう、いただくわ。」




波の音だけが響く、静かな凪の夜。
中空に浮かぶ十六夜の月は、二人の魔女を明るく照らしていた。


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