君がいた夏 -5-



-side Zoro-

2学期が始まって、俺たちは何事もなかったように学生生活を続けている。
林間学校での事故は生徒たちの間で一時話題になっていたが、そららはすぐにその後の夏の思い出に塗り潰されていて、過去の話になっていた。

サンジは、相変わらず友人の輪の中にいて、休み時間ともなると馬鹿話ばかりしている。
それでも昼時や放課後には俺の側に来て、当然のように一緒に過ごすから、俺たちの関係はなんの変わりもない。
それでも―――
サンジは時折、俺の横顔を盗み見るような視線を送る。
俺もそれに気付いていて、知らないふりをしていた。
そんな時、二人の間には余所余所しい空気が流れて、奴との距離を感じるのだ。
あいつは俺の中に誰を見て、なにを追っているんだろう。
それを思うと、俺の胸の中は嵐みたいに負の感情が吹き荒れて、抑えが利かなくなりそうになる。

俺は知ってる。
それが「嫉妬」だと言うことも。
でもそれを、口に出したらお終いだとも思う。
俺たちには、まだ時期が早い。
無理強いはしたくないし、奴を傷付けたくもない。
だから俺は顔の筋肉の隅々にまで神経を集中させて、極力表情を出さないようにした。
今まで通りに付き合えるように。
これ以上の関係を望まないように。
サンジもそんな俺に甘んじているのか、何も話してはくれなかった。



「お前・・・どうしたんだその面!」
朝、学校に着くなり顔を合わせたサンジを見て、俺は思わず怒鳴ってしまった。
サンジの前髪は片側に被さるように伸びているからぱっと見目立たないが、左眼の下にでかい青痣がついていた。
「なんでもねーつうか、昨日殴られた」
「なんでもなくねえだろ、誰にだ!」
語気が荒くなってしまうのは仕方ないだろう。
まさかサンジを殴る奴なんていると思わなかったから、ひどく動揺している。
「俺の知らねえ奴。なんか駅で世話になったとか言って、電車ん中でナイフ突きつけられてよ。トイレに引きずり込まれたんだ」
俺の顔からさっと血の気が引いた。
あいつらだ。
前のサンジがのした奴らが仕返しにきやがったのか。
昨日は道場の稽古で放課後は一緒じゃなかった。
そんな時によりによって・・・いや、そうだから狙われたのか?

「大丈夫、なのか?」
もう授業どころじゃなくて、俺はサンジを引き摺って中庭に出た。
秋晴れの空の下、木陰を選んで座りサンジも隣に座らせる。
しょうがねえなと俺に付き合うように腰を降ろしたサンジは、慣れた手つきでポケットから煙草を取り出し左右を見回してから火を点けた。
「てめ、学校ではよせっつってっだろ」
「悪い、一服だけ」
どこで覚えたんだが、癖になっちまったようだ。
「それで、大丈夫だったのか」
暢気に煙草を吹かすサンジに焦れて、俺は前髪を掻き上げた。
白い肌に青い痣が、ひどく痛々しい。
「大丈夫だから、今ここにいんだろが。全員返り討ちにしてやったぜ」
ほっと安堵の息を吐く俺に、サンジは困ったみたいに笑ってみせる。
「ほんとにてめえ、心配性な。そんなに俺あ頼りなく見えっか」
別に拗ねた口調ではない。
そこがまた、サンジらしくなくて距離を感じる。
「頼りねえ訳じゃねえ、これは俺の気持ちの問題だ」
言ってから、「あ」と思った。
サンジも目を丸くして俺の顔を見つめている。
「気持ち・・・って、やっぱてめえ、俺のこと―――」
そこまで言って、ふと目を伏せた。
そんな仕種は、サンジらしくない。
元の天真爛漫なサンジに戻れとは言わない。
けれどせめて、俺を真正面から見て欲しい。
そう思ったから、俺は封印したはずの言葉を口にした。

「俺は、てめえが好きだ」
サンジの目が、草を睨んだまま揺れた。
それでも視線は動かない。
「ガキん時からずっと・・・いつからかわかんねえくらい前から好きだ。だから、ついてめえを守ろうとしたり、てめえの側にいたり、したのかもしれねえ」
相変わらず俯いたままのサンジは、煙草を吸うことも忘れたみたいに身動ぎもしない。
指の先で紫煙を燻らせる煙草は、風に吹かれて短くなっていく。
「野郎同士でとか、友達としてとか・・・色々考えた。けど結局好きな気持ちは抑えられねえ。勿論、てめえが誰を思おうがどうしようが、俺がどうこうするつもりはねえから。応えてくれなくていい」
「応えなくていいなんてっ・・・」
勢い顔を上げたサンジが俺の目を捉えた。
が、すぐに逸らされる。

「告るだけ告って、それで終わりかよ。自己満足?そんなん、俺が困るじゃねえか」
「・・・困る、か」
「おうよ、俺にとっちゃてめえは幼馴染で親友だったんだ。この間まで―――」
この間まで?
いつのことだ。
心の疑問がそのまま顔に表れちまったんだろう。
サンジはまた困った顔をした。
「ゾロ、てめえなんで俺に何も聞かねえんだ」
小さくなった煙草を地面にすり潰して、靴のかかとで小さな穴を掘った。
そこに埋める。
「俺も、聞くべきなのかも知れねえけどな。俺がいなかった間の、お前とサンジのこと」
口元だけに笑みが浮かぶ。
けれど伏せられた目は哀しげだ。
「お前が、俺とサンジのことを尋ねたんなら、ありのまま応えるぜ。えらい捻くれ者で素直じゃないてめえの顔した奴が、ガキみてえに嬉しがってテレビやら車やら携帯やら見てたってことくらいなら」
俺の言葉の含みに気付いたのだろうか。
サンジの顔が僅かに青褪める。
「けど、てめえは俺に言いたくねえことがあるだろ。だから俺も敢えて聞かねえ。聞いたら多分、平静でいられなくなる」
こんなことを言うつもりはなかったのに。
言い始めたら止まらなくなってしまった。
だがきっかけを作ったのはサンジだ。
心のどこかでそう言い訳している、卑怯な自分がいる。
「平静で・・・いられなくなんのか?」
それなのに、サンジはその話から離れようとしない。
そのくせ、俺の目を見ない。

「同じ名前でも、同じ顔でも俺とサンジは違ったよな」
「ああ、違った。俺とゾロが違ったように」
サンジがクス、と笑いを漏らした。
なのにその顔は、まるで泣き出しそうに歪んでいる。
「違ったよ。ゾロなのに全然違う。お前みてえに優しくねえし、人殺しだし、自分勝手だし―――」
ふうと音が立つほど大きく息を吸い込んで、サンジは視線を上げた。
蒼い瞳が俺を真っ向から見据える。

「そんなゾロに、俺ぁ抱かれた」
ずきんと、耳元で音が鳴った気がした。
一呼吸置いて、ばくばくと心臓が脈打ち出す。
それとは対照的に指の先から血の気が引いて、ひどく冷えた感じだ。
「最初はすっげーショックで、腹立ったし怖かったし・・・最悪だった。けどよ・・・」
それ以上聞きたくない。
けれど久しぶりに見たサンジの真っ直ぐな視線から、目を逸らすこともできなかった。
「あっちのゾロもすっげえサンジのことが好きで。それがわかったから俺も絆されてな。けどあくまで、ゾロがすきなのはサンジであって俺じゃなかった。そのことは、俺はちゃんとわかってる」
サンジの蒼い瞳が僅かに膨張して見えた。
と、みるみるうちに溢れた涙が目尻から零れる。
「ただの身代わりだって、わかってたけど・・・でも、ゾロに触れられると気持ちよくて、嬉しくて・・・俺、Hしたことねーけど、すげーすげー良くて、多分あんな気持ちになったのは初めてで・・・」
一度流れ出した涙はとめどなく溢れて零れた。
それを拭おうともしないで、サンジは必死に訴える。
「ほんとに、好きだったんだ。身代わりでもよかった、身体だけでも愛されて嬉しかった。ずっとこのまま、側にいてえとすら思った」
ゾロは衝動的に、震える肩に手を掛けて抱き締めたくなった。
もうそれ以上何も言えないくらい、強く。
けれどその場でただ拳を握り締めて、意識的に動きを止める。
呼吸すら忘れてサンジの顔を睨み返すしかできなかった。
この涙も、サンジの悲しみも全部ひっくるめて、いつか自分が受け止めるために。
それはきっと、今じゃないから。

「ゾロ・・・俺が好きになったのは、お前じゃねえんだ。だから俺のことなんて、もう―――」
「お前の答えなんか関係ねえ」
冷酷さを秘めた口調で、ゾロは呟いた。
「てめえが他の男に惚れてようが、忘れられなかろうが、俺には関係ねえんだ。俺はずっとてめえを見てきた。これからもずっと見ていく。俺が好きなだけだ。てめえが迷惑だっつうなら、もう離れる」
え、と声に出した拍子に、またほろりと涙の粒が零れ落ちる。
「どうせ高校を卒業したら別々の道になる。俺は推薦受けて大学行くし、てめえは調理師の専門学校に行くんだろ」
「なんで、知って・・・」
多分そうだろうと思っていた。
あの夏の日の経験は、サンジの方が自分より遥かに大きく影響を受けている。
「お前がもういねえ野郎のことを思い続けて生きていくってんなら、仕方ねえ。勿論他の女にちゃんと惚れて、付き合えるんなら尚いいと思う。俺は、身代わりでも構わねえなんて思わねえから。同じ顔した野郎でも、同じ名でも、身代わりになるなんて真っ平だ」

今、自分を占めている感情は「怒り」だろう。
それをサンジにぶつけるのは筋違いだが、俺にはこれが精一杯の表現だった。
「てめえが俺に惚れればいいと思う。剣士でも海賊でもねえ、ただの星好きのロマンティストな俺に。物足りねえかもしれねえが、てめえだけを見てきた俺に。それを俺はいつまでだって、待ち続ける」
頬に涙の跡を残して、サンジはいつの間にか目を伏せていた。
それが悔しくて、顎に手を添えて顔を上向かせた。
「それが迷惑なら、はっきりとそう言ってくれ。そん時はてめえから離れる。それでも、俺が好きなのはてめえだけだ。それだけは忘れんな」
「てめえ、ずりい・・・」
至近距離で睨み合って、サンジが口元を歪めた。
「自分だけ告って。俺に選択させようとして、けど選べる訳ねえじゃねえか。俺はてめえを失いたくないのに・・・」
濡れた金の睫毛が上下する度に、ぱたぱたと雫が落ちる。
俺は指の腹で頬を擦って涙の跡を拭った。
「言っとくけど、俺ぁ失恋したとこだから・・・付け入るなら今だぞ。なのにそれさえしねえなんて、てめえ潔すぎてずりい」
「だから無理するなっつってんだ。時間はたっぷりある。なんせ俺はてめえを10年以上見てきたんだから、後10年や20年、余裕で待ってられるぜ」
その言葉に、初めてサンジは笑みを見せた。
「・・・んなに、俺が待てっかよ。ちょっと時間くれ。多分、そんだけでいい」
それは遠まわしなOKだろうか。
見詰め合って顔を寄せてる自分たちの状態にも気付いて、俺の心拍数は一気に上がった。
ここで一つ、ダメ押ししておくべきか?


「・・・サンジ、キスしていいか?」
声が震えないように気をつけて、殊更低く囁いてみた。
サンジは驚いたように一瞬目を見張ったが、すぐに瞼を閉じてしまった。
それを了解と取って、ゆっくり唇を重ねる。


ほんの少し触れて離れた。
どきどきしながらサンジを見つめるのに、相変わらず目を閉じたままだ。
足りねえのかと、もう一度今度は首を傾けて重ねてみる。
さっきより深く合わさって、しょっぱい味がした。
サンジの口が僅かに開き、俺を誘うように下唇を舌で舐めた。
驚いて目を見張ると、すっと離れる。
「てめ・・・」
自分でもわかるほど顔が熱くなったが、サンジは何も言わないでただ笑っているだけだ。
チャイムが鳴って、一時間目の終了を告げている。

「んじゃ、行こうぜ。ずっとサボってる訳にゃあ、いかねえだろ」
のそっと立ち上がってズボンについた草なんかを払い、サンジは真っ直ぐ俺を見下ろした。
そのことに満足して、俺も腰を上げる。





焦らなくていい。
俺たちには、時間がたっぷりある。
サンジはここに帰ってきて、俺の側にいるんだ。
それだけは紛れもない真実。

ポケットに手を突っ込んでサンジの後ろをゆっくりと歩きながら、空を見上げた。
秋の空は抜けるように青く高い。

例え季節が巡って星は見えなくとも、俺たちは今ここにいる。
これからも共にいる。

それは紛れもない、俺たちの真実。





END



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