■菊月


明け方まで降り続いていた雨も上がり、畳まれていたテントが張られる頃には屋根も乾いていた。
少し風はあるが、雨雲を吹き払ったお蔭で抜けるような青空が広がっている。
まさに、祭り日和。
道の駅で開催された『広域連盟主催:秋の大感謝祭』は、多くの人で賑わっていた。
軒を連ねるテントの中でも、ひときわ多く列を成している屋台がある。
今年初めて参加した、和菓子屋だ。

「はい、栗蒸し羊羹一棹と黄身しぐれですね。こちらの生菓子も、ありがとうございます」
元々手際の良いコニスだが、今日はその客捌きにも磨きが掛かっていた。
ともすればあちこちから別々にかかる注文の声にも、即座かつ的確に反応している。
まさに三面六臂の活躍で、ゾロはといえばそんなコニスの邪魔にならず、かつ少しでも助けになるよう居並ぶ客の整理をするぐらいしかできない。
サンジはと言えば、ブース内で一心不乱に菓子を作っていた。
その手元を見るためにわざわざ並び、買うのも後回しにしてずっと眺めている人も少なくない。

イベントに出店しないかと提案してきたのは、ゾロだ。
商店連盟の会長からは度々依頼があったが、晴れがましい場所は苦手だし分不相応だと、先代がずっと断り続けてきた。
サンジが後を継いでからも人手が足りないことを理由に断っていたが、今年は店主がゾロとなり、雇いの職人も増えて販売担当のコニスもいる。
人手は充分とばかりに、ゾロが勝手に引き受けた。
そのゾロに説得される形で、サンジも渋々了承した流れがある。

サンジ的には、生菓子は新鮮さが命だし屋外だと塩梅も変わってくる。
職人らしいこだわりで最初は首を縦に振らなかったが、せっかくの地域の祭りを盛り上げようぜとか、いい機会だから霜月堂の存在を知ってもらおうぜとか。
ゾロの、いつにない積極性に押された感は否めない。
だが、やると決めたからにはとことん極める性質なので、作り置きの菓子をただ並べるだけでなくブース内で実際に作る過程を見てもらえる実演販売にしようと言い出した。
ゾロもそれはいいアイデアだと思ったので、手続きやら何やら奔走し準備万端で当日に臨んだ。
その結果が、大行列である。

――――早まったか。
途切れることのない人波をどこか遠い目で見やりながら、ゾロは眉間に皺を寄せた。
人寄せパンダになるのは想定していたが、ここまで注目されるとは思ってもいなかった。

ゾロ自身、今まで縁のなかった和菓子の世界に関わるようになって、今でも「甘い」としか表現できない拙さだが、そこそこ和菓子の良さがわかってきている。
店舗を広げたり支店を出したりなんて野望はない。
だが、こんな味もあるのだとか腕の職人がいるのだとか、もう少し知ってもらいたい欲はあった。
無論、ほんのちょっぴりだがサンジを自慢したいなどという邪な感情がない・・・こともない・・・かもしれない(つまりあった)

サンジが作業する姿は、毎日見ているゾロだってつい時間を忘れて見入ってしまうほどに見事だ。
淀みなく、くるくると器用に動く手先。
まるで魔法のように、あっという間に形を変える菓子。
なにより、作業している間のサンジの表情がいい。
最初は、人前で菓子を作るなんて緊張するなどと言っていたが、いざ生地を手にすると途端に作業に集中し、他人の目線を気にしなくなった。
恐らく、ここが屋外でイベント会場の中だということも忘れているのだろう。
ただ一心不乱に、菓子を形作っていく。

薄いピンクに色付けされた練り切りに、餡子を包んで滑らかに丸める。
三角棒でリズミカルに筋を付け、黄色いそぼろ餡を飾れば菊の花の出来上がりだ。
更に、グラデーションを活かした花型に挟みを入れていくと、切り端が花弁のように開いて大輪の花が咲く。
作業するサンジの口元にはほのかな笑みが浮かび、いかにも愛しげな目線が菓子のみに注がれていた。
本当に菓子作りが好きで、菓子そのものを愛しているのだろうなと見ているだけで伝わって来る姿だ。
この光景がゾロは大好きで、つい見せびらかしたくなるのも仕方のないこと。

「今作った、そのお菓子が欲しいわあ」
「ほんとに、上手ねえ」
年配の女性達は思ったことをそのままに口にするから、反応が大きくわかり易い。
その女性達に連れられて嫌々付き合って来たのだろう旦那方も、職人の技には素直に感嘆して楽しんで見える。
女子高生達はキャアキャアとさんざめきながら携帯で勝手に写メを撮っているし、さっきからずっとスマホを掲げて動かない若い男は動画を撮っているのかもしれない。
無断でそういう行為をされるのは正直気分がよくないが、芸能人でもあるまいに無闇に抗議し拒絶することはできない。
なにより、撮られている当人がまったく気づいていないからどうしようもない。

仕方ないから、ゾロは意識的に目力で牽制した。
スマホを掲げる女性には心外そうに片眉だけ上げ、ずっと動画を撮影してその場を離れない男性には目を眇めて睨み付ける。
――――おこww
――――実は激おこww
中にはそんなゾロの姿も一緒に撮影する猛者もいたりして、ブース周りは静かな熱気に包まれていた。
「・・・参ったな」
「こうなることは、ある程度想像できましたよー」
何気なく呟いたら、にこやかに接客しているコニスに笑顔のままズバリと突っ込まれた。
女性の方がよほど、危機察知能力が優れていたようだ。

お蔭様で満員御礼で、昼過ぎには完売の札を掲げてブースを締めることができた。
販売用の机に白布を掛け、霜月堂の看板も下ろす。
サンジは人が引いてからほっと肩の力を抜いて、ようやく周囲を見渡した。
「なんか、あっという間だったな」
「すごい集中力でしたね、お客さんも喜んでられましたよ」
コニスが労いながら、冷たい麦茶を差し入れてくれる。
気温はさほど高くないが、人いきれと作業のせいで汗を掻いていたサンジにはありがたかった。
「そう?結構、お客さん見てくれてた?」
サンジがそう聞いたので、コニスはぽかんとしてからゾロと目を見合わせた。
「人垣が、できてましたよ」
「そうなんだ」
ほんとに気付いてなかったんだなーと、改めて感心する。
舞台度胸というより、ただ単に没頭していたのだろう。
これでは、自分の姿が撮影されていたことも当然気付いていない。

「でも面白かった、風を感じながら作業することって滅多にないし、こうして人にお披露目すんのも緊張すっけど、修行になるかも」
「お前全然、緊張してなかっただろ」
ゾロの突っ込みにも、んなことねえよとアヒル口で言い返す。
「またこういう機会があったら、参加してえな」
「いいですよね」
サンジとコニスが顔を見合わせて笑う間で、ゾロは腕組みして言い切った。
「次はない、イベント出店はこれが最後だ」
「ええー」
「あら…」
「なんでだよー、次は俺、もっとゆっくりお客さんの顔見ながらやりたいよ」
「絶対ダメだ」
「なんでー」
「なんででも、ダメっつったらダメだ」
言い出したら聞かない頑固おやじのごとく、ろくに理由も説明しないでただダメだの一点張りなゾロとサンジが軽く言い争いを始めたので、コニスがまあまあと割って入った。
「ところで、こちらのサンプルはどうします?先ほど売っていただけないかとお声掛かってたの、断ってらしたでしょ?」
そう言って手にしたのは、手のひらサイズの三段ケーキ型和菓子だ。
アイボリー色の生地に、紅葉を模して紅や黄色のモミジや銀杏が飾り付けられて、赤いリボンが結ばれている。
どれも練り切りで作ってあるから、丸ごと食べられる生菓子だ。
「ああ、それは・・・」
サンジは途端にバツが悪そうな表情してから、帽子を脱いでポリポリと後ろ頭を掻いた。
「…これは、こういうバースディケーキもできますよーって宣伝で」
「そうですね、皆さん感心してられました」
生真面目な顔で相槌を打つコニスに促され、サンジは横を向いたままゾロに向かって和菓子を差し出した。
「単なるサンプルだから、てめえにやる」
「俺に?」
受け取ってから、ああ!と思わず声に出してしまった。
「そういや、今日は俺の誕生日か」
「うっせえな、でけえ声出すな。別に、てめえの誕生日だからって作った訳じゃねえぞ。あくまでサンプルだからな」
「そうか、俺の誕生日ケーキか」
ニヤニヤするゾロに、サンジは鼻息も荒く言い返す。
「だから、てめえのじゃねえっての。サンプルだから、もうだいぶ乾いちまってるし、色だって・・・」
頬を赤くして言い繕うサンジの後ろから、客が声を掛けた。
「それ、写真撮ってもいいですか?」
「いいですよ、どうぞ」
サンジが答えるより先に、ゾロがケーキを持ち直してにんまりと笑う。

―――ドヤ顔だw
―――すげードヤ顔ww

ケーキと一緒に自分まで笑顔で映り込んでから、ゾロはぱくりと一口で和菓子ケーキを平らげた。



End



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