風待月 -8-




サンジが目を覚ましたのは、ゾロが勉強会から帰った後だった。
コーヒーの匂いに鼻を擽られ、ゆっくりと瞼を開く。
台所に立つゾロの背中に気付いて、慌てて飛び起きた。

「いま、何時?」
「7時半だ」
ゾロは即答しながら、狐色に焼いた分厚いトーストが乗った皿を卓袱台に置く。
「そう慌てなくても、大丈夫だろ」
「あ・・・うん」
腹の上に乗せたタオルケットを手繰り寄せながら、サンジはまだぼうっとしている。
寝ぼけて頭がふわふわしているが、悪い気分ではない。
と言うか、かなりの爽快感。
よほどぐっすり眠れたのか、惚けた頭と裏腹に身体はどこかすっきりしていて、気持ちいいくらいの倦怠感がなんだか気恥ずかしい。

「ん、と・・・」
開け放たれた裏庭へと目をやれば、風太は犬小屋に繋がれたきりで足元の匂いをフンフン嗅ぎまわっていた。
尻尾はぴょこぴょこと忙しなく振られ、ご機嫌のようだ。
「飯食わせて、トイレも済ませたぞ。鎖を外してやると生垣の向こうに飛び出て済ませやがった。どうやら自分で決めたらしいな」
「あーそうかも、昨日もそこでやってた」
敷地内でしないのはえらいなーと、褒めたのを覚えている。
「明け方ちと降ったようだが、ちゃんと犬小屋の中で寝てた」
ゾロが何かと先回りするように言葉を繋げるのがおかしくて、サンジはつい噴き出してしまった。
「なんだ?」
怪訝そうな表情のゾロにいやいやと首を振り、顔を洗うべく布団から出る。



たまに寝過ごしてゾロが朝食の準備をするときは、大抵トーストだ。
厚めに切ったパンの耳にまでマーガリンをたっぷり塗って、強めに焼く。
端が焦げるぐらい焼くのがゾロの好みで、サンジのはタイミングを計ってキツネ色で留めようと努力はしてくれているらしい。
トーストとコーヒーだけのシンプルな朝食となるが、サンジは案外このメニューが気に入っている。
特に、はちみつをたっぷりと掛けて噛り付くのが大好きだ。
「卵かなんか、焼くか?」
「いや、これでいい。寝過ごしてごめんな」
タオルを首に巻きながら卓袱台の前に座ると、ゾロは満足げに首を振っている。
「よく寝てたからな。本当ならこのまま昼前まで寝かしてやりたかったんだが、そうすっとお前起きてから怒るだろ」
当たり前だと言い返さず、サンジはにやんと笑った。
和々に菓子を卸す仕事を忘れて寝過ごすような真似は、例え無意識にでもしない自信はある。
起きるのにゾロの手を煩わせることは殆どない筈だ。
「お気遣いどうも、お陰でよく眠れた」
半分嫌味も込めたが、ゾロはそうかよかったなと邪気のない笑顔でトーストに齧り付いた。
夕べサンジの意識が飛ぶくらいあれもこれもイタしてくれたのは夢か幻だったのか・・・と思えるほどの爽やかさだ。

「今日はハウスと畑で仕事すっから、お前も都合付いたら一緒にどうだ」
「お、そうかわかった。じゃさっさと食って、ともかく和々の準備する」
犬小屋の前でパタパタ尻尾を振りながら、「いつになったらお家に入れてくれるの?」と期待の眼差しで見つめている風太に、サンジは手刀を切ってごめんと謝った。





今年は空梅雨なのか、まるっきり雨の気配がない。
日が翳って少し鬱陶しげな天気になっても、その後に雨に繋がらないのは辛いところだ。
明け方に降ったところでその程度では焼け石に水、蝉のションベンだ。
農園フードを被り首にタオルを巻いてせっせとトマトの芽かきしているサンジの傍らで、風太はチョコマカと草の中で飛んだり跳ねたりして、賢く遊んでいる。
鎖で繋いでいなくても、逃げる心配はなさそうだ。
寧ろサンジが移動する度に後追いをするようで、可愛らしくて仕方がない。

「うおーい」
農道を走る車が路肩に寄って、ウソップが降りて来た。
「二人とも、精が出るな」
「ちょうどいいとこ来た。カヤちゃんに持って帰ってやってくれ」
サンジは収穫したほうれん草やらきゅうりやらを袋に入れる。
「棘、気を付けるように言ってあげろよ」
「おうありがとう。でも売り物じゃねえのか」
「ここのは家で食う分だ、食いきれねえから遠慮するな」
畦道をさくさく歩いて来るウソップの足元に、風太が駆け寄ってまとわり付いた。
「お、一緒に来てんのか。可愛いな」
「だろ?」
女性に対するのとはまた違うニヤけ方で、サンジが目尻を下げる。
少し離れた位置で作業していたゾロが腰を上げた。
「おう」
「うっす。ゾロ、家の場所決めたんだ」
「そうか、どこだ」
「北畑の方、色々世話になったな」
サンジは軍手を脱いで額から流れ落ちる汗を拭い、そっかーと日焼けした顔を綻ばせた。
「いよいよウソップ邸が建つのか」
「家より併設するウソップ工房のが凝ってんだぜ、これからが勝負だ。いっぱい打ち合わせなきゃなんねえからな。また色々教えてくれよ」
「任せとけ。それより田舎の工務店を困らせるなよ」
「それも仕事だ。無理難題吹っかけてやる」

じゃあありがたく貰ってくと野菜が入った袋を掲げ、ウソップは帰っていった。
風太は後追いをし掛けた足を止め、サンジの方を振り返るとトトトトトと小走りで戻って来る。
再び作業を始めたサンジの背中にぴたりとお尻をくっ付けるようにして座り、何か考えてでもいるような顔をして花曇を空を見上げた。






レストラン営業の金曜日は、サンジにとっても苦渋の選択ながら風太を店まで連れて行くことになってしまった。
首輪抜けの危険性が拭えなかったからだ。
心配で仕事が手に付かない・・・なんてことは職人としてプライドが許さないが、気になることに変わりはない。
首輪抜けができなくなるまでの僅かな期間だからとゾロの許しを得て(別にゾロの許可を取らなくてもいいことではあるが、ゾロの後押しがなかったらサンジとて決断できなかった)晴れて同伴出勤となる。
幸いお客さん達は裏口にいる風太の存在には気付かず、気付いても犬好きの人ばかりだったため問題は起きなかった。
それでもこれはいけないことだな、と自覚している分サンジの気持ちは晴れない。



「実際もうちょいってとこなんだ、風太の首」
自分の指の長さで計っているらしく、サンジはゾロの目の前で指で輪っかを作って訴える。
「あと1cmくらい・・・いや、5mmで絶対外れなくなると思う」
「そう言ってて、きつくなったら穴一つ緩めるだろう」
「・・・う、ううううう」
風太のことで必死になるサンジをからかうのはものすごく楽しいが、ほどほどにしておかなければと自戒して慰める側に回った。
「首だけじゃなく頭もでかくなるからな、そう簡単には首輪抜けできなくなるだろ。大丈夫だ、心配ない」
「そっか、そうだな」
ほっとして、膝の上の風太の腹を撫でていたら玄関から声がした。

「こんにちはー宅急便です」
「はい」
先にゾロが立ち、玄関に向かう。
しばらくして、小さな箱を持って帰って来た。
「誰から?」
「ナミだ」
「え、ナミさん?!」
わふっと風太より犬らしく吠えてゾロの手元にダッシュする。
「そう言えば、何日か前に電話があったな」
「え、ゾロに?なんでゾロに。メール送ったの俺なのに」
「ああ、お前からメールが来たっつてた」
「なのになんでお前に電話だよ」
ナミさん切ないーと風太と一緒に畳の上を転がるサンジを放って置いて、ゾロはさっさと箱を開けた。

「お」
「ん?」
「風太に、かな」
中身は、布や木でできたおもちゃの詰め合わせだった。
振るとカラコロ音がするものもある。
「こりゃいいや、風太がめっちゃ喜びそう」
早速取り出して縁側にしゃがみ風太の目の前で振ってみると、つぶらな瞳を丸くして見入っている。
「よしよし気に入ったか、ほら」
軽く放り投げたら、追い掛けて咥えた。
しばらくウロウロしていたが、こっちこっちと手を叩くとそのまま咥えてサンジの元に戻って来る。
「賢いなあ風太は」
頭や首を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。

「手紙が入ってるぞ」
「え、見せて」
急いでいたのかホテルのメモ帳に走り書きだが、確かに愛しいナミの字だ。

『赤ちゃんを迎えたって聞いて、驚きつつもそれもアリかなって思いました。二人ならきっといい親になれると思う。色々大変でしょうけど子育て頑張ってね。月齢がわからなかったから、いつでも遊べるおもちゃを送ります』

「ナミさん、なんて優しいんだ・・・」
サンジは感激してメモ帳を胸に押し抱いた。
その間にも、風太は「もっと遊んで」とねだるようにサンジを一心に見上げている。
「遊ぶもんがあったら、風太も大人しく留守番してるかもな」
「うん、来週はもう連れてかなくても大丈夫かもしれないな。手始めに和々に行くとき、一人で留守番させてみよう」
サンジは風太の足を雑巾で拭いて家の中に入れると、座布団の上に寝かせて回りにおもちゃを並べた。

「はい風太、ご満悦〜っと」
そうしておいて、何枚も写メを撮る。
「早速ナミさんにお礼メール送っておこう」
ピッポッパと操作するサンジの後ろで、ナミもマメだなあと感心しながらゾロは出荷用のピーマンの袋詰めに精を出していた。



さらに翌日―――
ゾロの携帯にナミから「このペテン師!」との罵りメールが入った訳は、謎のままだ。




END



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