風待月 -3-


「こんにちはー」
玄関で声がして、サンジは「はい」と返事しながら飛び起きた。
まんじりともできないで寝転がったまま、1時間ほど経とうとしている。
たしぎちゃんの声だと思ったらその通りで、スモーカーとウソップにカヤも一緒だった。
「ごめんなさい、お昼寝中だった?」
手櫛で髪を撫で付けて出てきたからか、たしぎが気を遣う。
「いや、寝転んでたけど寝てなかったんだ。ちょうどよかった」
暇だったんだと、付け足す。
「ゾロは風太と寝ちゃったから」
「風太?」
「へえ、風太にしたのか」
「男の子だったんですね」
今日引き取るって聞いてたから見に来たの、とたしぎは手土産のコーヒー豆を差し出しながら言った。
「お昼寝中なら悪いですね」
「もう起きるよ。さっき昼前にも1時間ほど寝てたんだ」
どうぞ上がって、と身体を壁にくっ付けながら、たしぎが通るスペースをことさら広く取る。
もう安定期に入ったそうだが、ぱっと見お腹が出ているようには見えない。
それでも頬の辺りが少しふっくらしただろうか。
「靴脱ぐの気を付けてね。スリッパ履くのも」
「いやですよサンジさん」
笑いながら、たしぎはスリッパの裾をもう片方の足で踏んだ。
あああと悲鳴を上げる前に、スモーカーの手ががっしり肩を掴む。
「お前は裸足で歩け」
「・・・はい」
「妊婦さんが裸足になったら、足が冷えるよ」
気を揉むサンジにいいんだとスモーカーは手を振り、ウソップとカヤが苦笑いしながらその後に続いた。



「こんにちはーって、きゃー可愛い」
声を上げるたしぎの前で、いつの間にか起きた風太がピンピン尻尾を振っている。
自力でゾロの腹巻の中から出てきたらしい。
「風太君、こんにちは」
「こんにちはー」
女性陣は早速風太の前に膝を着いて、目線を下げて挨拶している。
「今日はカヤちゃん、お休み?」
「ああ、月曜日の午後は代休が取りやすいんだ」
すっかり話を聞いていないカヤの代わりにウソップが答える。
「小さいもんだなあ」
胡坐を掻いたスモーカーが、たしぎの手の中からひょいと風太を摘み上げた。
「どれどれ。ほお、堂に入ったもんだ」
無造作にひっくり返されても、風太はきょとんとしたままだ。
「いい熊犬になるぞ」
「くまいぬ?」
「将来、熊と戦えるくらい度胸があるってことだ」
冗談じゃない、とサンジが眦を上げた。
「風太を熊となんか戦わせるか」
「・・・それより、今まさに食われそうなんだけど」
「そうだな、一口でぱくっと」
スモーカーは風太を片手で摘み上げたまま、口を開けて見せた。
「食べられるー!」
「風太、逃げてー」
女性陣の悲鳴にゾロが遅まきながら目を覚まし、風太と同時に欠伸をした。




「はい、おやつをどうぞ」
たしぎに貰った豆を挽いて薫り高いコーヒーを淹れ、おやつを運んだ。
こんなこともあろうかと冷蔵庫の中で冷やしておいた、抹茶の葛寄せの上に苺のジュレを乗せたシンプルな冷菓子だ。
「まあ綺麗」
緑と赤の対比が鮮やかで、結構見栄えがする。
「いいですね、これ和々でも出していいですか」
「うん、レシピを預けるよ。お松ちゃんにでも作ってもらって」
コロコロと纏わり付いて来る風太に、ウソップがポンと何かを投げた。
それを一所懸命追いかける様が、とても可愛い。
可愛いが、しかし―――
「ウソップ、今なに投げた?」
「あ?俺の靴下丸めたの」
「いーやー!」と叫んだのは、女性陣だけではなかった。


「もっとこう、遊び道具があった方がいいな」
カヤに叱られてシュンとしつつ、抹茶葛をもそもそと口に運ぶ。
「それこそ木屑でもいいんじゃねえか、そら取って来い!って奴で」
「それはもうちょい大きくなってからな」
「まだ赤ちゃんですものね」
サンジの足裏にじゃれついてガウガウやっている風太に目を細め、そうだよなあと同じ目線でごろりと転がる。
「まだ生まれて2ヶ月しか経ってないんだよな、風太」
サンジの目は、ずっと風太に釘付けのままだ。
少しでも目を離してなにかあったら大変とばかりに、意識が集中している。

「お、来てたのか?」
ゾロが、寝転んだままふいと頭だけ上げて目を開けた。
「おはよう」
「この騒がしいのによく寝てたな」
畳に頬を付けて大きく欠伸をするゾロの前に、冷菓子を置く。
風太はピコピコ尻尾を振りながら、カヤとたしぎの目の前を通り過ぎゾロの元へ近付いた。
なんとなく胸を張って歩いているように見えておかしい。
組んだ胡坐の上で転がり、踵に歯を立てたりするのを片手であしらいながら、ゾロは熱いコーヒーで目を覚ます。
「可愛いですね、うちにも欲しいなあ」
うっとりと呟くカヤに、ウソップは首を振った。
「可愛いのはいいけど、世話が大変だぞ」
「うちの猫も可愛いですよ。でもほとんど家に帰ってこないんですが」
「あれ、もしかしたらうちの猫じゃねえのかもしれねえぞ。本宅は別にあるのかも」
「猫ってそういうところが自由ですよね」
「その点、犬は忠実だからな」
自然と、みんなの視線が風太に集まる。
風太は我関せずで、短い足を踏ん張ってゾロの腹巻の中に頭を突っ込んでいた。

「まだ首輪付けないの?」
指摘され、サンジはちょっと複雑そうな表情を浮かべる。
「一応買ってあるんだけどね」
「なんで一応なんだよ」
ウソップのもっともな突っ込みも意に介さず、サンジはどこか残念そうに紙袋を取り出した。
「小さいサイズね、可愛い」
「赤色か、似合いそうだな」
「どれ、おいで風太君」
手を伸ばすたしぎに背を向け、風太はなんとかしてゾロの腹巻の中に潜り込もうと苦戦していた。
冷菓子を食べ終えたゾロがひょいと抱え上げて、サンジに向かい合わせるように差し出す。
「ホラ、お前が付けてやれ」
「・・・・・・」
「そうね、飼い主がちゃんとしないと」
本当は首輪を付けたかったたしぎが、遠慮してサンジに封を開けた首輪を渡す。
ためらうように受け取って、困った顔で風太に向き直った。

「どうしたの?」
「なんか、可哀想だなと思って」
首の周りに何か付けられるだなんて、自分だったら鬱陶しくて嫌だろう。
「こんな小さいのに、付けなきゃいけないかな」
「そりゃ付けた方がいいぞ、飼い犬って一発でわかるじゃねえか」
「小さいのに可哀想って思う気持ちはわかりますが、やっぱり必要なことですよ」
ウソップとカヤに二人掛かりで説得されて、渋々風太の首に手を回す。
小さな顎をいやいやをするように動かす幼い仕種に、自然と笑みが零れた。
「こら風太、じっとして」
言いながら恐る恐るベルトの穴に通して、太さを調節する。
「これくらいで、いいかな」
「あんまり緩いとすっぽ抜けるぞ」
「でもきついと苦しいだろ」
指が二本入るくらいの余裕を持たせベルトを締める。
風太はしばらく首を振っていたが、たしぎが手を叩く音に釣られてゾロの手の中から飛び出した。
「よく似合うわ、カッコいいよ風太君」
「ほんと、赤がとってもいい感じ」
たしぎとカヤに挟まれて構ってもらえる内、首の異物感は忘れたらしい。
ピョンピョンと跳ねるようにして、じゃれ付いている。

「犬小屋はあれか」
「家から近いな。つか、目と鼻の先じゃねえか。番犬にならねえぞ」
「いいんだよ、熊犬にする気もねえし」
コーヒーのお代わりを淹れながら、新たにお隣のおばちゃんに貰ったおかきセットの封を開ける。
しばらくは風太を肴に、井戸端会議で盛り上がった。





「じゃあ風太、またなー」
「またね風太君」
すっかり人気者になった風太に見送られ、日が暮れる前にスモーカー達は帰っていった。
「さてと、飯の支度するか」
「洗濯物片付けとく」
よく乾いた洗濯物を畳の上に取り込んで一枚ずつ畳んでいる間、風太はゾロの傍をウロウロしていたが、その内座布団の上に腰を落ち着けてコロンと横になった。
ほどなくクウクウと寝息を立て始め、それに気付いたサンジが忍び足で近寄って上から覗き込む。
「たくさんお客さんが来て、疲れたよな風太」
「そうだな」
寝る子は育つ、だ。
そう呟きながら、つい口元が緩んでしまうのはゾロも一緒だった。



夕食を食べている間に風太はモソモソと起き出して、サンジはまたしても犬小屋の近くに移動して手ずから餌を食べさせた。
すでに日が暮れて暗くなった庭先だが、家から近い場所にあるから明るさに問題はない。
けれど果たして今日からこの犬小屋に風太が眠ることを、サンジ自身が許せるのか。
怪しいもんだと思いつつ、ゾロはギリギリまで口を挟まないつもりで一人食事を続けている。
「一緒に風呂・・・は、まだダメだよな」
満腹になって元気に走り回り始めた風太を足で構いながら、サンジは食事を再開させた。
「シャンプーの説明も見ただろうが。予防接種が終わる頃か3ヶ月過ぎねえとダメだろ」
「せめてあったかいタオルで拭いてやるよ。さっぱりするぞー」
さっさと食事を済ませると、タオルを用意しにイソイソと立ち上がる。
どうもサンジの生活は、すべて風太中心となってしまいそうな勢いだ。
そんな危惧を抱きながらもゾロは何も言わず、食事の後片付けに専念することにした。



「さて、寝るか」
「・・・そうだな」
案の定、ゾロが就寝宣言をすると、サンジは浮かない表情でじっと見返してくる。
「風太の寝床は?」
「・・・・・・」
無言で縁先の犬小屋へと顔を向ける。
「そう、正解」
それじゃあとサンジの手から風太を抱き上げ、突っ掛けを履いて庭に降りる。
風太はゾロの肩越しにじっとサンジを見つめていた。

「今日からここが、お前の寝る場所だぞ」
真新しい鎖を引っ掛け、首輪に付けた。
外れないかどうか軽く引っ張って確かめ、これでよしと腰を上げる。
「じゃあな、おやすみ」
立ち去るゾロの後を追って、風太は勢いよく駆け出した。
伸び切った鎖に引っ張られ、ガクンとつんのめって転び掛ける。
「風太!」
「しっ」
駆け出しそうなサンジを制し、抱えるようにして居間に連れ込み窓を閉める。
カーテンも閉めてしまえば、外から「キャン」と声がした。

「風太が、鳴いてる」
母犬と別れ別れになっても、徳さんちから離れても鳴かなかった風太が、鳴いてる。
自分の方が泣きそうになっているサンジの頭を、ポンポンと軽く叩いた。
「初日だからな。すぐに慣れる」
ゾロの声など掻き消すほどに、甲高い鳴き声が庭から響いた。
「風太、怖いんだ。あんなところにたった一人で」
「それでも慣れなきゃなんねえだろ。いつまでもついててやれる訳じゃねえ」
「だって、まだ子どもなんだぞ」
昨日までお母さんの傍で寝てたんだ。
今日からうちに来たからって、すぐに一人ぼっちで眠らせるなんて、酷すぎる。
サンジはそう言うと、カーテンと窓を開けて布団を縁側までずずーっと引っ張っていった。
「おいおいおい」
「まだ蚊とかいないだろうが」
用心のために傍に蚊取り線香を焚いて、風太の犬小屋に向き合う位置で寝転んだ。
「風太、大丈夫だぞ。傍にいるぞ」
「キャン」
「よしよし、一緒に寝ような」
「キャン」

サンジの気遣いなど関係なく、風太はこちらを向いたまましきりに鳴き続けた。
傍に見えるから安心というより、傍まで連れて行けそこに行かせろと訴えているようだ。
それに一々サンジは宥めるように返事して、風太に語り掛け笑顔を向ける。
ゾロは灯りをすべてけしてしまうと、サンジに背を向けるようにしてごろりと横になった。
付き合ってやりたいが、明日も朝早くから仕事が入っている。
サンジとて和々の仕込があるだろうに、気が済むまで好きにさせてやるしかないだろう。

―――ここが、離れた一軒家でよかったな。
風向きから考えて、お隣さんまでは聞こえていないだろう。
都会なら騒音問題に発展するなと考えながら、ゾロは風太の鳴き声とサンジの声を子守唄代わりに眠りに就いた。




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