神様の言うとおり


「ねーサンジくーん、お願いがあるんだけどなあ」
愛しいナミに甘えた声で強請られたら、内容を聞く前に引き受けるのがサンジだった。
「わかったよ、なんでも聞いちゃう」
この軽率さに、傍で聞いているだけの友人ウソップは溜め息を吐くしかできない。
「実はね、お正月バイト掛け持ちしてるんだけど、三日の午後にどーしても間に合いそうにないバイトがあるの」
「うんうん」
「その前のバイト先から延長願い出てて、こっちのが時給いいのよね。でも引き受けちゃった方も断れないし」
「お正月から勤勉なナミさんって、偉いなあ」
「でしょでしょ、でね、助けてほしいの」
ナミ曰く、先のバイトから駆け付けるまでの間だけでいいから、サンジに代役を受けてほしいのだという。
「ごめんね、なるべく早く交替するから」
「無理しないでいいよ、急いで事故にでも遭ったら大変だ。ナミさんが来るまでの間は、俺に任せてくれたらいいから」
どんと胸を叩くサンジに、ウソップは背後から突っ込みを入れた。
「待てサンジ、よーく考えろ。お前がナミの代役で働いた賃金もナミの懐に入るんだぞ。それ、単なるタダ働きだぞ、お前になんの儲けもないぞ」
「ナミさんの役に立ってることこそが、俺への最大の報酬!」
「ああん、サンジ君ってばやっぱり頼りになる〜v」
という訳で、バイトの中身も知らされぬままサンジは安請け合いしてしまった。



そして迎えた三日、サンジは呆然としていた。
「ピンチヒッター、引き受けてくれて悪いわねえ」
ナミの姉ノジコは、ちっとも悪いと思っていないような快活さで、てきぱきとサンジの衣装を整えてくれる。
「ようしできた、上背はあるけど痩せてるし違和感ないわ。あ、すごく寒いからもう一個カイロ貼っとく?」
赤い袴をぺろりと捲られ、サンジは慌てて飛び退った。
「あ、いえいいですもういいです。ってか、これマジですか?」
「そうよ、想定外によく似合ってる」
手放しで褒めるノジコの隣、鏡に映っているのは巫女姿の自分だった。
白の小袖に緋色の袴。
念入りに薄化粧まで施されていて、艶やかな唇が自分の物ではないみたいだ。
まさに「これが私?!」

巫女さん?
バイトって巫女さんのバイト??
巫女さんって、女性じゃないとダメなんじゃないの???

「基本、黒髪じゃないとダメなんだけど、生粋の金髪だからOKみたいよ。むしろ金髪の巫女さんって珍しがられて、参拝客増えるかも」
「いや、ちょっと待ってください。黒髪うんぬんより先に俺、男だけど・・・」
「黙ってたらわかんないって、さ、がんばろー!」
同じく巫女の衣装に身を包んだノジコが、サンジを引っ張って打ち合わせ場所へと飛び出した。

―――いや絶対、バレるって!
冷や汗を掻いたサンジだったが、正月の神社は戦場さながらの混乱ぶりだった。
バイト経験者のノジコに基本的なことだけ教えられ、後は現場とばかりに放り出される。
幸い、裏方に回って大量のおみくじやお守りを運ぶことに専念できた。
女性に比べれば力仕事は得意だし、表立って接客しないで済むのは正直助かる。
巫女姿の可愛い女子の間で働けるのはありがたいが、いちいちメロリンしていられないほどに忙しかった。
動き回るから、寒くてもさほど気にならない。
一息ついてふと外を見れば、表でおみくじを担当している子など寒さのあまり蒼褪めている。
それでも笑顔を絶やさず、ひっきりなしにやってくる参拝者に丁寧な応対をしている様は、もはや凛々しい戦士のようだ。
「交代します」
金髪であることを理由に裏にのみ引っ込んでいたが、さすがに気の毒になって交代を申し出た。
すでに日は落ちて、夜気が強くなっている。
雪こそ降らないが、足元から忍び寄るような冷えは身体に堪えるだろう。

「ようこそお参りくださいました」
迂闊に声を出すと男とバレるので囁くように、けれど笑顔だけははっきりと浮かべて愛想よく応対した。
休みの日は実家のレストランで働いているから、計算は得意だ。
客あしらいも慣れているし、“巫女”という点以外は、サンジに向いているバイトかもしれない。
サンジ自身、巫女の装束でいることに慣れてしまったし、今頃男とバレるならもうどうにでもなれと開き直った心境だった。
一刻も早くナミに来てもらいたいが、それとは裏腹にこんな寒くて過酷なバイトをナミにさせたくないとも想ってしまう。
金髪の巫女が珍しいのか、何度かシャッター音がしたが無視した。
それにいちいち関わっている暇もない。
次々に参拝客を捌きながら、さて次のおみくじ・・・と手を伸ばしたら目の前に突っ立った男が動かなかった。
なんだこいつ、どん臭ェと顔を上げて、サンジも固まる。
目の前に立っていたのは、同級生のゾロだった。

小学校からずっと一緒で、幼馴染でありながら犬猿の仲であるゾロとは、何の因果か高校でもクラスメイトだった。
だがとにかく、サンジとは気が合わない。
サンジが好きになるものをことごとく馬鹿にし(女子とか女子とか女子とか)、サンジが得意なものでなにかと張り合い(体育とか体育とか体育とか)、サンジが求めるものを横から掻っ攫ったりする(女子からの人気とか人気とか人気とか)
非常に気に食わない、実にムカつく喧嘩仲間だ。
だがそれが、なんだってここに?

「・・・ぐる眉?」
「はい、5千円お納めになります!」
5千円分のおみくじ?と周囲がざわつく中、ゾロの後ろからナミが顔を出した。
すでに巫女装束に着替えている。
「ごめーん、遅くなっちゃった」
「あ、ナミさんっ、あ、あ」
いろんなことが同時に起こってパニくったサンジの腕を、ゾロががしっと掴む。
「ありがとうね、交代〜」
折り畳み机の端からするんと引き出され、人波に押されるようにしてゾロと一緒にテントを出る。
その隙にナミはサンジがいた場所にちゃっかりと収まり、なにくわぬ顔で参拝客を捌いていた。

「おま、なんてカッコしてんだ」
「うっせえ、てめえこそなんでンなとこいるんだよ!」
「コーザ達と一緒に初詣に・・・」
「コーザ?っつうか、みんないるのか!うわあああ」
サンジは慌てて、ゾロのジャンパーの裏に隠れるように身を潜めた。
その動きにぎょっとして、ゾロは参道を外れ樹木の影に入る。
「おま、なにやってんだって」
「馬鹿野郎、こんな恰好見られたら俺の終わりだ。人生の終わりだ」
「もう相当終わってっぞ」
「うわああああ、言うな〜〜〜〜」
きゃー恥ずかしいーと、ゾロの懐に顔を突っ込んでぐりぐりしてくる。
「うう、あったけえ・・・」
「殴られたいか、てめえ」
学校でなら殴り合い蹴り合いなど日常茶飯事の関係なのに、サンジに懐に飛び込まれてゾロはとにかくたじろいでいた。
離れろと、突き放す気にもなれない。
というか、ちょっとだけ嬉しい。

――――これで、隠れてるつもりなんだろうなあ。
確かに、上背こそほぼ同じででかい巫女ではあるが、こうしてゾロの胸元に顔を突っ込んでほとんど抱き合う形になっていれば、よもやこれが男だとはバレないだろう。
だがそもそも、巫女が男の懐に顔突っ込んでたらやばいだろうに。
「このまま、お持ち帰りしちまうか」
ぼそっと願望を口にしたら、サンジはふへ?と涙目で顔を上げた。
「いや、ダメだろ。衣装返さねえと」
お持ち帰りはいいのか?
ゾロが期待に胸を膨らませたことなど露知らず、サンジは状況を把握できていないままにゾロの後ろに回って今度は背中に隠れる。
「あっちの社務所に、着替えっとこあんだ。あそこまで一緒に歩け」
「いや、今さらだろお前」
さっきまで堂々と、おみくじ売ってたじゃないか。
そう突っ込みたかったが、背中で恥ずかしがるサンジも可愛いので止めておいた。
いや、可愛いってなんだよ。

公衆の面前で巫女といちゃつきながら歩くのはさすがにまずいので、木立の中をひっそりと二人で通り抜ける。
なのに、途中でサンジが「あ」と声を出した。
「やべ、社務所ダメだ」
「なんでだ」
「だってあそこ、女の子の着替え場所だもん。俺が着替えちゃまずいだろ」
そりゃそうだが、それはもっと早い段階で気付くべき事柄ではないか。
ゾロはふっと溜め息を吐いた後、ならこっちに来いとサンジの背中に手を回した。

「神社から麓に降りたとこに、俺が通ってる道場があんだ。正月で誰もいねえけど、裏から入れる」
「助かる」
そうして二人で、竹藪の中を歩いた。



「コーザ、探して来ねえかな」
「さっきメールしといた、先に帰るって」
「そっか、悪いな」
人気のない道場はガランとして、寒さが身に沁みる。
それでもありがたいと、草履を脱いでから再びサンジは「ああああああ」と嘆きながら突っ伏した。
「今度はどうした」
「着替えが、ない!」
ゾロも額に手を当てて呻いた。
そう言えばそうだった、こいつは着の身着のままだ。
「服、どこに置いてあんだよ」
「ノジコさんの、車の中」
「連絡・・・つっても、まだ働いてんだよな」
「仕方ねえ、待ってろ」
ゾロはサンジを畳に座らせて、すぐにどこかに行ってしまった。
ひんやりとした畳の感触が心細さを増幅させて、サンジは薄い巫女衣装のまま自分の肘を抱いて震えて待つ。
すぐに、ゾロが風呂敷包みを持って戻って来た。
「これ夏祭り用の浴衣なんだが、なんもねえよりマシだろ」
「あ、ありがと」
「洗濯してあっから」
広げられたのは濃紺の浴衣だった。
確かに夏用で生地は薄いが、巫女装束よりはマシだ。
「いま事務所の中、暖房掛けたから。ここよりちっとはマシだ」
こっち来いよと肘を掴まれ、サンジは倒れ込むようにゾロの懐に飛び込んだ。
「ロロノアーっ」
「なんだ?!」
受け止めるゾロの胸はやっぱり分厚くて温かくて、サンジは鼻水を啜りながら両手でしがみ付いた。
「お前が、こんなにいい奴だなんて知らなかった!」
「・・・ああ」
「面倒かけてごめんな、ありがとう」
ぐしぐしと目元を擦る手を、慌てて掴む。
「こら、赤くなるぞ」
「ああもう、顔洗いてえ」
サンジは恥ずかしそうに俯いて、金色の旋毛をゾロの鼻先に押し付けた。
「へ、変だろ?やっぱ」
「いや、変・・・っつうか、お前にそういう趣味があったって正直―――」
「んなわけあるか!」
そのままの態勢で、ゴンと頭突きする。
ゾロは声もなく仰け反って、赤くなった鼻を抑えた。
「誰が好き好んでこんな恰好するかボケ!ナミさんに頼まれたんだ!」
「普通、頼まれたってンな格好しねえだろ!」
「巫女さんのバイトだなんて、知らなかったんだよ仕方ねえだろ!」
サンジは頬を両手で挟んで、居た堪れないように目を瞑る。
「き、気色悪いって笑わば笑え!」
「・・・別に、気色悪いとか思わねえよ」
ゾロはバツが悪そうに視線を逸らし、ほとんど目線の変わらないサンジから顔を背けた。
「ならなんでこっち見ないんだ、その見ちゃいけないもの見ちゃった感丸出しは〜〜〜」
「だから、悪くねえっつってんだろうが!」
今度はゾロの方が切れて、勢いよくサンジに向き直ると着物の袷を掴んで引き寄せた。
顔ごとぶつかる勢いで唇に食らい付く。

「――――――ん、ん〜〜〜〜〜?!」
サンジは目を白黒させて、ついで袴の下で足をバタ付かせた。
「んごぁ?!ふんごぅわっ」
「んっせ、んなろ―っ」
下唇をふみっと食んでから、ゾロは鼻先がくっ付くほど近くで怒鳴った。
「んな美味そうな口して、近くでギャーギャー喚くんじゃねえよ。食うぞオラっ」
「もう、食ったーっ」
両手で口元を押さえ顔を真っ赤に染めたサンジを、ゾロは怒ったような顔で押し倒した。

「なんで?え?巫女萌え?巫女萌えなの?」
「うっせえ馬鹿野郎、どんだけ想定外なんだてめえは!」
サンジも混乱していたが、ゾロも相当テンパっていた。
なんせ、ガアガアうるさくて気に食わない生意気なクルクル眉毛が、いきなり巫女姿でおみくじを打っていたのだ。
しかも、そうと気付く前にどきんと心臓が跳ねて、それ以降ずっとドキドキ高鳴りっぱなしなのだ。
この興奮をどう鎮めたらいいのかわからなくて、戸惑っている間にもこのアホあひるみたいな巫女が自ら懐に飛び込んでくるから、とうに限界点を突破してしまった。
もはや、本能で行動するのみ。

「お前、もしかして男の娘萌えー?!」
「うるせえ黙れ、このヒヨコあひる!」
むちゅ、っちゅっと頬や唇にやみくもに吸い付き、着物の袷から手を差し入れた。
「ふぁっ・・・」
ゾロの掌の温かさに、思わず気の抜けた声が出る。
「おま・・・なんでンな気持ちいいんだよー」
「き、気持ちいいのか?!」
ますます興奮して鼻息が荒くなるのに、サンジは慌てて否定した。
「ちがーう、あったかいから気持ちいいって・・・」
「そうかそうか」
「あ、や、そこ…」
「どうだ?」
「ああん、気持ちいいー」

もはや、自分でも何を言ってるのかさっぱりわからなくなった。
先ほどまで凍えきっていたから冷えのぼせと言うか、顔ばかりが火照って息が熱い。
というか、そうこうしている間にもゾロに触れられたところすべてが熱く滾ってきた。
「ちょ・・・マジやばい、そこやばい」
「もうギンギンじゃねえか」
「ちがうし!ってか、ダメ、着物汚すのダメだし、そもそも衣装を床に置いちゃダメだって、ってか俺寝そべっちゃダメだってバチ当たる〜〜〜」
ゾロに触れられることより着物を汚すことに抵抗を示したから、ゾロはよしわかったと一旦体を起こした。
「なら着物脱げ、大事な借り物なんだろうが」
「あ、うん」
ここで素直にすべて脱いでしまうところが、サンジのあひる頭たる所以だった。
「そいじゃ改めて、いただきます」
ゾロがそう宣言してしまったのも、無理からぬことだろう。
結局、エアコンを掛けて温めておいたはずの事務所に辿り着く前に、二人とも十分温まってしまったようだ。





「明けましておめでとう!サンジ君、お正月は助かったわ」
新学期、始業式もそこそこに笑顔でお礼を言うナミを、サンジは相変わらずのニヤケ顔で迎えた。
「とんでもない、お安い御用だよナミさん」
「んでね、サンジ君の着替え預かって来たんだけど」
「ああ!ごめんねすっかり忘れてた」
サンジは慌てて紙袋を受け取った。
中を確かめれば、おまけにチョコ菓子が入っている。
「わーおやつまでありがとう、ナミさんって気遣いすごいなあ」
「いや、そもそもただ働きさせられてる時点で気遣い以前の問題だから」
相変わらず突込み役のウソップが、ところでとナミに話を振る。
「なんのバイトだったんだ?ナミんちで着替えしたのか?」
途端、サンジはぴやっと毛を逆立てて慌て出した。
「いやいやいや、そりゃまあいろいろアレだよ、ねえナミさん」
「そうよ、サンジ君は十分に働いてくれたもの。うちに着替え忘れたきりでもちゃんと家に帰れたみたいだし、別にそこは詮索しなーい」
ニコニコと、天使のような愛らしい笑顔で怖いことを言ってくれる。
そこに、ゾロがひょいと顔を出した。
「おいぐる眉、これクリーニング出さなくていいのか」
目の前に差し出された風呂敷包みから覗く緋色に、サンジは今度こそビヤッと飛び上がって勢いのまま蹴りかかった。
「うるせえクソ緑!なんで学校持ってくるんだこのハゲが!」
「ハゲてねえ、つうか、てめえあれから逃げてばっかで・・・ってかこら蹴るな!逃げるな!」
喧嘩しながら教室から出て行った二人を、ウソップが首を竦めて見やる。
「一体、なにがあったんだ?」
「さあ?」
ナミも小首を傾げてから、ふふふと笑った。
「初詣で、鉢合わせたみたいね。ちなみに風車神社は、縁結びの御利益があるのよ」
「・・・へえ」
意味ありげな微笑になぜか背筋が寒くなり、これ以上聞いてはいけない病を発症したウソップは、この件に関してはこれ以上関わらないことに決めた。



End