快眠導入剤(おまけ)


サンジは固く布巾を絞ると、開いて畳んでパンパンと叩いた。
それを合図にしたかのように、後ろで待っているゾロがピンと背筋を伸ばしたのがわかった。
振り返らずとも、気配で。

ついでに言うと、もしゾロに犬の耳と尻尾がついていたなら、今ごろ耳はピンと立ち尻尾は千切れんばかりに振られていることだろう。
喜びに耐えきれないように。






どうした成り行きか、サンジがゾロの抱き枕と化して三日が経つ。
最初は不眠に悩むゾロのためだとか、人助けだとか言いくるめられて渋々引き受けたが、よく考えたら別に一週間や二週間寝不足だって構わないだろう。
そうでなくとも昼間は寝くたれている体たらくだ。
そもそもゾロに寝不足なんて単語はあり得ない。
なのに、なんだって人より睡眠時間が明らかに短い自分がゾロを寝かしつけなければならないのか。

その不条理さに最初から気付いてはいたが、あえて言及はしなかった。
あまりにも、ゾロが嬉しそうなので。




サンジがエプロンを外してタバコを咥えながら振り向くと、ゾロは両手を膝に乗せてこちらを見ている。
そりゃあもう真っ直ぐに、目を輝かせて。
その様があんまりにもてらいがなくどこかガキ臭いので、かえってサンジの方が恥ずかしくなる。
そしてつい無碍にできなくなるのだ。

仕方なく、それでもゆっくりと煙を吐いて、サンジは吸殻を灰皿に揉み消した。
「んじゃ、寝るか。」
「おう!」
途端にさっと立ち上がって音を立てないように静かにイスを片付けている。
「今日はどこで寝る?格納庫か?倉庫にすっか。甲板はちと寒いからな。俺は構わねえがてめえが風邪を引く。」
隠しようもないほど浮かれた声音に、サンジは小さくため息をついた。
そりゃそうだろう。
二人寄り添って男部屋のハンモックで眠れるかってえの。

「・・・んじゃ、倉庫?」
「よし。」
畳んだマイ毛布を持って、ゾロは率先してキッチンから出て行った。
サンジも肩を落として後に続く。

そうでなくても夕食の後片付けから明日の仕込みまで、コックの夜は忙しい。
それでもすべてを片付け終えてから、煙草を一服しつつ次のレシピや在庫の確認なんかをするのは、結構楽しかった。
貴重なプライベートタイムでもあった。
なのに、ゾロの安眠枕と化してからそんなひと時すら奪われている。
ゆっくりと入りたい風呂も、皆の順番に混じってささっとシャワーで済ませてしまっている。
なんせ待っているのだゾロが。
見えない尻尾を振りまくって。



―――そんなに嬉しいもんかねえ。
別に自分を嬉しがっている訳ではないだろう。
単純にぐっすり眠れることが嬉しいのだ。
サンジはそう思っているから、不本意ながらゾロの睡眠に協力している。

元々人が喜ぶ姿を見るのが好きだし、例え相手がいけ好かない剣豪であっても、こう純粋に喜ばれちゃあ悪い気がしない。
なんせ変わったのはゾロの方だ。
今まで仏頂面で、飯を食ってもうんともすんとも言わなかった愛想無しが掌を返したように終始ご機嫌で過ごしている。
しかも美味かっただの、今度あれ作ってくれだの気安く声までかけてくるようになった。
これは凄い進歩だ。
人間誰だって、冷たくあしらわれるより親しげに接してくれる方が好感が持てるし情も沸く。
だから今なら、サンジはゾロのことがそう嫌いじゃねえよと素直に言える程度には、好ましく映っていた。
大の男が二人、寄り添って眠ると言う異常事態にも気付かずに。



常日頃から綺麗に整頓されている倉庫ではあるが、ここのところそれにも増して片付けられている。
と言ってもゾロが床に置いてある物を壁際に積んでいるだけなのだが。
そうして少し広くなった隙間に毛布を強いて、きちんと端っこまで皺を伸ばした。
こんなところが意外なことに甲斐甲斐しい。
さあどうぞと掌を返されて、サンジはそれでも嫌そうに底に腰を下ろした。

「お前ね、もうそろそろ一人で眠れるんじゃねーの?」
毎晩繰り返す台詞。
「まだ無理だな。もう一晩、ぐっすり眠らせてくれ。」
これも毎晩返される答え。
「それに、これから冬島海域に入るから益々寒くなんだろ。お互い丁度いいじゃねえか。」
今日はこんなオプションまで付いた。
暖かいのは結構だが、なんかやばいと思う。
「できることなら俺はナミさんかロビンちゃんを寝かしつけたいよ。」
あーあとこれ見よがしにため息をついて、サンジは横になった。
なんとなくむっとした顔で、ゾロもその横に転がる。
サンジの首の下に腕を入れてもう片方を背中に回した。
まるっきり腕枕&抱きしめ状態だ。
だがこの腕枕は弾力がなくて固い。
それに眠っている間にも無意識に締めてくるせいか、息苦しくて目が覚めてしまう時もある。
元々サンジは小さな頃から誰かと眠るなんて習慣がないから、最初はゾロを寝かしつけるだけで自分は一睡もできなかった。
それでもなんとか最近は慣れてきて、眠れるようになったけれども。
ここんとこぐんと夜の気温が下がるせいかもしれない。
確かにゾロの体温は暖かくて、こうして抱き締められていると気持ちいいのも確かだ。
・・・って、気持ちいいってなんだよ!
セルフ突っ込みして小さく舌打ちした。
とっととゾロが寝たら、今夜こそこの戒めを解いて脱出しよう。
寝てしまえばこっちのものだ。
そう思ってじっとしているのに、その夜ゾロはなかなか眠らなかった。

サンジの眠りを妨げないように身じろぎ一つしないが、眠っていないのは気配で分かる。
サンジもじっとゾロの肩口に首を預けていたが、どうも気になってゆっくりと寝返りを打った。
「眠れねーのか?」
ゾロの言葉にかちんと来る。
「俺が眠れねーんじゃねえだろ。てめえだよ。」
やや乱暴に腕を引き抜くと、サンジは髪を掻き上げた。
「なんだよ。俺がいても眠れねえんじゃ意味ねえじゃねえか。やっぱお前、一人で寝ろ。」
そう言うと、ゾロはぎゅっと腕に力を込める。
縋りつく子供みたいでなんかいとけない。
「・・・なんで、俺なんだよ。」
サンジは横を向いたまま呟いた。
「そりゃあナミさんやロビンちゃんにこんな不届きなことをしたら許さねえけど、例えばチョッパーとか?ぬいぐるみ系で
 丁度いいじゃねえか。こんな俺みてえなでかい、しかも手足の長いナイスガイをなんだってそう抱きこむかねお前は。」
怒っているのではなく呆れているのだと、そう示してサンジは口元で笑った。
ゾロの腕の力が微妙に緩む。
「・・・匂い、とかよ。」
「あ?」
「お前の匂いとか、柔らかいとことか固いとことか・・・そういうのがいい。」
「・・・はい?」
言葉が端的で理解しづらい。
「・・・俺の匂い=お母さんっていい匂い〜♪じゃねえだろうな。」
ドスの効いた声でそう言うと、ゾロはなんだそりゃと眉を顰めた。
「今だけでもこうしてりゃ、てめえを独占してる気になるじゃねえか。」
真顔でそう言われて、サンジは固まった。
・・・今なんと、ほざきやがった?

「昼間は女共をちやほやしやがって、ルフィ達を甘やかしやがって、こうしてりゃ今は俺だけのモンだろ。」
「・・・」
たっぷり1分は固まってサンジはゾロを凝視した。
ゾロも真っ直ぐに見返している。
殆ど睨み合い状態になって、サンジは初めて目を逸らした。

「それって、なに?つまり俺はてめえの睡眠に付き合ってる訳じゃなくて・・・てめえの独占欲っつうか、ご要望っつうか・・・我がままっつうかに付き合ってるって訳か?」
「我がまま、か。そうかもな、こうしてっと安心するし。」
何が安心だ。
何が俺のモンだ。
沸々と怒りが湧き上がった。

「っざけんな!なんで俺様がてめーのモンになんなきゃなんねえんだよ、なにが安心だ。それを言うなら俺はナミさんやロビンちゃんを安心させてやりて――――っ」
毛布を蹴って立ち上がりたかったが、実際にはぴょこんと端っこが跳ね上がっただけだった。
なんせがっちりとゾロにホールドされている。
「確かに最初はてめえが側にいるとよく眠れたんだが、もう限界だな。」
暴れるサンジをものともせずに押さえつけて、ゾロは場にそぐわぬため息をついた。
落ち着き払ったその態度が逆に不気味だ。
「なにが、何が限界だって?」
ぎりぎりと歯を鳴らしてサンジはゾロの戒めを解こうとする。
サンジにしたらゾロの不眠を解消してやるために添い寝していたつもりだったのだ。
人の親切心を仇にしやがって。
真相を知って、怒り心頭である。
もう少し身体をずらすことができたなら、膝蹴りも入るんだが。
そう思って首を仰け反らせると、ぴとりと何かが吸い付いた。

―――――?
それは一度強く吸い付いてから音を立てて離れた。
思わず目が点になる。
こいつは今、なにを…
思考より先にゾロが動いた。
サンジの頭を両手で抱えるようにして、身体の上に乗り上げる。
床に毛布が敷いてあるから痛かあねえけど重い、って言うか…

「なに人の上乗ってんだ、てめえ」
すっかり組み敷かれる体勢になっていた。
なにもかもが想定外だ。
サンジの顔を両手で挟んで、ゾロは鼻がくっつきそうなほど顔を近付けた。
ほんの少し切なげに眉をひそめ、眉間に皺を寄せている。
睨み合い以外で、人とこんなに間近に見つめ合ったりしたことがない。
目を 逸らしたら負けだと思うのに、直視するのも憚られて顔が紅潮する。


「てめえが好きだ。」

ごく自然にあっさりと、ゾロがとんでもないことを口にした。
「てめえが好きだ。触れてえし抱きてえ。俺だけのモンにしてえ。」
息がかかるほど間近で囁かれて、サンジは半端じゃなくうろたえた。
だががっちり押さえつけられているので、余計床に張り付いて毛布を掻くぐらいしかできなかったけれど。
「なん、なななななに?だ、抱き、抱きって・・・おお俺のモンってなんだ――――っ」
思わず絶叫してしまった。
顔から火を吹きそうだ。
こいつは真顔でなんてこっ恥ずかしいことを言いやがるんだ。
「嫌か?」
ゾロは表情を崩さずさらにサンジの顔を覗き込む。
鼻の頭が少し触れた。
「嫌って、当たり前だろーが、誰がてめえみてえな野郎なんてっ」
ゾロの顔が近すぎる。
サンジは目を瞑って横を向いた。
ゾロの息が上気した頬に触れる。
「ほんとに嫌か。嫌ならやめる。」
腹の上に乗ったゾロの重みから熱が伝わってくる。
包み込むように覆い被さられて、直に響く鼓動はどちらのものかも知れないほど近くて。

ずるいと思う。
こんな状況で選択を迫るなんて。
「・・・嫌だっつったら、やめんのか。」
「ああ、今はな。」
話ながらゾロの唇が頬に触れた。
くっつきすぎだっての。
「い、い、今はって、ずっとやめんじゃねえのかよ。」
「今夜は諦めるがまた明日聞く。」
とうとう唇を押し付けながら話し出した。
ゾロの低い声が皮膚から直接骨に伝わるみたいに、変な響きで脳まで届く。
「明日がダメならその次の日も、その次の日も、ずっとずっとてめえに訊ねる。嫌じゃねえって答えるまでずっと。」
「なんでっ・・・」
柔らかく髪を梳かれて耳元に口付けられた。
首の後ろ辺りから鳥肌が立ったが、これは嫌悪から来るもんじゃない。
「言ったろ。てめえに惚れてるって。俺あ、諦めが悪いんだ。」
ゾロの声が直接脳髄を刺激してぞくぞくした。
絶体絶命の状況の筈なのに、抗う気力が沸いて来ない。
このまま暫く焦らしてえとかさえ思って・・・
焦らすってなんだよ!
ごん、と後頭部を床にぶつけた。
「何やってんだ。」
ゾロは少し身体を起こしてサンジの後ろ頭に手を添えた。
でかい手で撫でられる。
これもマジで悪かねえ。
悪かねえが

――――やべえだろ。
サンジはどうにかこうにか意識を現実に引き戻した。
正直言って、ゾロに触れられるのは思ってたより気持ち悪くねえ。
あったけえし力強いし、悪かあねえけど。
やばいだろそれは。
人として・・・つうか男としてどうかと思う。

「てめ、てめえもし俺が嫌だ嫌だって拒否し続けたら、強硬手段に出んのかよ。」
それも怖い。
こいつならやりかねねえから。
けどゾロはちょっと拗ねたような顔をして口を尖らせた。

「んなことすっか。俺あてめえがその気になんねえと、手は出さねえ。」
その気って、その気ってなんだよ!
「その気になんんかなっかよ。俺あ野郎に興味はねえんだ!」
「知ってる。だからわざわざ訊ねてんじゃねえか。」
たいした開き直りっぷりだ。
サンジは圧し掛かられたまま溜息をついた。
「・・・それで、てめえとしちゃあ、どうすりゃ満足なんだ。どうしたいんだ。毎回毎晩こうして俺を押し倒して、了承得るまで聞いちゃあ諦めるってのか。」
「それも面倒だな。」
ゾロもつられるように顔を顰めた。
「四の五の言わずにてめえがOKくれりゃあいいと思ってる。けどやるだけってのはナシだ。」
なんて贅沢な物言いなんだ。
「できたらてめえも俺に惚れて、俺を特別に思ってくれりゃあ最高だ。身体は後からでもいい。」
すっかり臨戦体勢でありながらゾロは殊勝なことを言った。
けれど股間は正直で、さっきからサンジの下腹には熱くてゴツゴツしたものが当っている。
それは触れてるだけで凶暴さを感じさせるようなリアルな感触で、もうこれだけで充分犯罪だと思う。
それでも――――
未来の大剣豪が。
剣の道しか歩まぬ男が、同じ船に乗り合わせた野郎なんかに本気になって、あまつさえ突っ込みてえとか欲情しやがるなんて。
サンジは怒るよりなんだか泣きたくなった。

「・・・呆れてモノも言えねえや。」
目を閉じて顔を逸らすサンジの上で、ゾロは推し量るように首を傾ける。
「大体なんで俺なんだ。いくら俺がカッコいいジェントルコックだとは言え、野郎同士だろうが。てめえはホモか。俺様の男前な面に惚れたか、美味い料理の腕に惚れたか・・・」
「何度も言わせんな、てめえに惚れた。」
もうダメだ。
これ以上引き伸ばしたって焦らしたって、行き着く先は同じだろう。
なによりこれほど真摯に想いを告げられたなら、茶化して流すことなどできない。

「てめえのモンには、ならねえぞ。」
「あ?」
聞き返す声が間抜けに聞こえる。
「てめえを特別だと、俺も思っちゃあいるが、だからっててめえのモンにはならねえっつってんだ。俺あモノじゃねえからな。」
ゾロは黙ってサンジを見ている。
どういう意味か考えあぐねているのだろうか。
元々脳味噌まで筋肉で、単純思考しかできないのだから、こっちも直球を投げてやるしかない。

「俺もてめえが好きだってんだ。だからちゃんとキスから始めろ。」
真っ赤になってそう叫ぶと、初めてゾロは表情を崩した。
目元から口元、鼻の頭にまで笑い皺を作る。

「ならもう、聞かねえぞ。・・・いただきます。」
そう言って、ぱくりと食いついた。






その後しばらくサンジの寝不足が続いたが、ほどなくして今度はゾロが安眠枕になったから、
それはそれでよしとしたらしい。



END

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