■神欺


印象的な瞳を持つ、少女だった。
線で描いたような眉に、切れ長の瞳は落ち着いた琥珀色をしている。
日差しの加減によっては黄金色にも見えて、じっと見つめられると落ち着かない心地になる。
胸の奥に眠っているなにかを暴かれそうな、意味もない焦燥に駆られサンジは自分から目を逸らした。
なにかにつけて好戦的に生きてきた自分にとって、あり得ないことだ。

神座島でのログが溜まるのは三日間。
騒ぎを起こさないように極力静かに留まるのが麦藁の一味の原則だが、大抵が何かしらのハプニングを起こして大騒ぎの上に島を後にするのが常だ。
今回もそうならないかと危惧しつつ、サンジが居留地に選んだのは人里離れた場所にある巫女山だった。
本来ならば男子禁制で、神秘的な巫女のみが立ち入る山と聞いて遠目にでも巫女の姿を眺められたらいいなあと、邪な目的で近付いた。
そうしたらば、先に逗留していた海賊が神をも恐れぬ行為で巫女山に立ち入り荒らしていたので、鉄拳制裁とばかりにすべて蹴り飛ばした。
助けた巫女さんに感謝され、しかもサンジを一目見てまだ「清らか」と判じた巫女によって山中に入ることを許されてしまった。
この経緯には、サンジは若干、忸怩たるものを抱えている。

ともあれ、同じく「清らか」な巫女達に囲まれて過ごす日々は、サンジにとって夢のようだった。
丁度秋の季節なのだろう。
艶やかに色づいた山の恵みは、質素だが滋味に溢れた味わい深い料理へと形を変える。
サンジ自身が腕を奮えば、巫女達は子どものように喜んでくれた。
まさに、サンジ以外男子などいない夢の国。
一生清らかなままでいいからずっとここで暮らしたいなんて、諸刃の剣的誘惑に内心で抗い続けている。

大らかで美しい巫女神を頂点に、巫女神に仕える見習いとして立ち働く巫女姫達の中にその少女はいた。
一目見ても、他の巫女姫達とは明らかに違う雰囲気を纏っている。
重くて嵩張る着物を幾重にも身に纏い、それでいて動作は軽やかに音を立てず身体を揺らさず静かに歩く。
気配すらもわからず、サンジが知らぬ間に傍に立っていたことなどもざらだ。
そうしてじっと、サンジの目を見つめてくる。
煌びやかな光を纏う瞳でありながら、どこか吸い込まれそうな深淵を垣間見て、サンジはいつも自分から目を逸らした。
そうして、無駄にバクバクと高鳴る動悸を鎮めるのに必死だ。
それでいて、目は自然と少女を追っていた。

流れるようにまっすぐに伸びた緑色の髪は、引き摺るほどに長い。
毎日巫女神自身が丁寧に梳っているのだという。
どちらかと言うと、巫女神がこの巫女姫の世話係のようだなと、サンジは不謹慎なことを考えてしまった。
それほどまで、緑の巫女姫は一人だけ佇まいが違った。

神座島を明日に経つという夜、巫女神様に暇を告げるために参上すると、傍らには緑の巫女姫がいた。
サンジが伏して丁寧に礼を述べ、巫女姫にも微笑みかける。
相変わらずまっすぐな瞳が、珍しく揺らいで見えた。
サンジが去ると聞いて、少しは寂しく思ってくれているのかもしれない。
そう思うと、サンジの方が胸が締め付けられるような気持ちになった。
自覚していた以上に、いつのまにかこの少女に心を奪われていたのかもしれない。
サンジの好みはもっとこう・・・ふるゆわだったり、砂糖菓子のように甘かったり、あるいは正視できないほどの豊満さでボンキュッボンだったりするのだけれど、この少女はそのいずれにもまったく当て嵌まらなかった。
それでいて、こうまで心を鷲掴みにされるとは。
サンジにとって、もしかして初めての真剣な恋じゃないかと遅まきながら気づいて、なおのこと少女の目を見返せなくなってしまった。
今さら気付いてももう遅い。
サンジは明日の朝早く、旅立つのだから。


「この島での最後の夜は、巫女姫と過ごされるがよかろう」
巫女神様がとんでもないことを言いだして、サンジは文字通りその場で座ったまま飛び上がった。
「な、ななな何を仰るんですか?ここは神聖な巫女山ですよね?」
そう言ってから、あわあわと口元を抑える。
夜を過ごせと言ってるだけで、youアレコレやっちゃいなYO!と言ってる訳ではない。
早合点だ、恥ずかしい。
そう羞じて一人で身悶えるサンジを前に、巫女神様はほっほと笑った。
「この島で起こることは、すべて神様が許されること。そなたも己の思うがままに行動するがよろしいのう」
意味深なことを言って、巫女神様はもう下がれと扇を揺らめかした。

先を歩く巫女姫に付き随って、サンジは心臓を高鳴らせながらその後に続いた。
サンジより、頭一つくらい小さい。
恐らくはまだ10代半ばの巫女姫に、無体なことなどするつもりは毛頭ない。
けれど、あのまっすぐな瞳で迫られたら・・・キスの一つくらい、しちゃうかもしれない。
すでに及び腰なサンジは、先に寝屋に入った巫女姫の様子を窺いながら、おっかなびっくり足を踏み入れた。
赤い衝立に真っ白な布団が一組。
一緒に寝る気満々なのか、巫女姫はすでに枕元に坐している。
「あ・・・あのね巫女姫ちゃん。俺は明日旅立たなきゃいけないんだけど・・・」
それがなにか?と言わんばかりに、冷たい目線で巫女姫は顎を上げた。
いいから座れと、言いたいらしい。

そう言えば、巫女姫に会って以降彼女が喋っているのを一度も聞いたことなかった。
もしかしたら、言葉が不自由なのかもしれない。
そう思うと少し不憫で、それでいて彼女の神秘性がいや増したようで、やはり胸がドキドキする。
香を炊き締めているのか、サンジが腰を下ろすとどこか甘い香りが鼻孔を擽った。
シチュエーションはばっちりだ。
まさか今宵、サンジはここで大人になっちゃうのだろうか。

巫女姫が、サンジの正面に向き直ってじっと目を見つめてきた。
この瞳だ。
この色に見つめられると、それだけでもこの場に縫い付けられたように魅入られてしまう。
とてもじゃないが抗えない。
今はもう、目を逸らすことすらできやしない。

「今宵、ここで――――」
巫女姫が口を開いた。
その事実に驚いたのと、思っていた以上にハスキーな声質に驚いた。
サンジの耳に低く響き、すっと馴染む。
「お前を相手に、神降ろしをさせてもらうぜ」
官能を誘う吐息に、サンジは一瞬うっとりと目を細めてからはっと瞠目した。
「―――――へ?」
ちょ・・・ちょっと、待っ・・・て?




――――あーっ・・・








「魔獣神様の御降臨じゃ、あれ有難や」
翌日、すっきりと晴れ渡った秋空の下、巫女山の巫女達は盛装で居並びサンジ達を見送った。
とはいえ、当のサンジは疲労困憊・・・というか主に精神面でのダメージが強すぎて、くったりと倒れ込んでいる。
そんなサンジを肩に担ぎ、腰には三本の刀を提げて雄々しく立つ男が一人。
無事成人の儀を終え、魔獣神の化身であるロロノア・ゾロは長かった髪をすっぱりと切り生まれて初めての男装となった。

「魔獣神様は成人を終えるまで、女子として育てられるのですよ。魔物が多い神座島に置いては、巫女山が最も安全な場所」
「晴れて成人を迎えた魔獣様はもはや無敵でございます、私達の加護ももう必要ありません」
華やかに巫女達に祝福されても、サンジは嬉しくもなんともない。
魔獣神とやらが成人するためにサンジに働いた無体を思えば、それも無理からぬこと。
「サンジ殿、これからはそなたに魔獣神様を託します。生涯の番として、よろしくお願いいたしますね」
「なんで、なんで俺なんですかー?!」
ゾロの肩から顔を上げ、思わず発した絶叫ももっともなことだ。
だが、巫女神様は鷹揚に笑って答えた。
「それはもう、貴方が魔獣神様に見初められたからですよ」
「ほかに理由など、ありませんでしょう?」
ほっほっほとさんざめく笑いの中で、サンジは再び「うわああああ」と小さく呻いてゾロの肩に顔を埋めた。
色々恥ずかしいし納得できないし文句もあるけど、なにより居た堪れない。

「世話になったな」
そんなサンジをまるで荷物みたいに担ぎ直して、ゾロは振り返りもせず山を下りた。
色とりどりのの布を振って見送る巫女達は紅葉した山よりも艶やかで美しい。
構わずずんずんと下り続けるゾロの代わりに、サンジが大きく手を振り返した。
美しく清らかな、女性ばかりの聖なる山。
そこにまさか、魔獣が一匹いたなんて――――
なんたる誤算。
やはりグランドラインは恐ろしい場所だ。

ずんずん進むゾロを改めて振り返り、サンジはきっと眦を上げて見せた。
「んで、てめえはこれからどこ行く気だよ」
「ああ?てめえと一緒に島を出るんだ」
「はあ?」
聞いてないよ?
「俺達は番だから、てめえが行く場所に俺もいる。海に出たなら強い相手も山ほどいるんだろう、そこで俺は腕を磨いてやがて世界一の剣士になるんだ」
お前、すでにこの島の神様だよね?
なんでいきなり、世界一の剣士って人間の位置にグレードダウンするんだよ。
いや、それはそれでグレードアップか?

混乱したサンジは、いつの間にかゾロが獣道を登っていることに気付いた。
「なんだよ、どっか寄るのか?」
「いいや、このまままっすぐ港を目指す」
「港なら参道通りに進めばいいだろうが、このボケ!迷子野郎!」
サンジはゾロの肩に担がれた状態で膝蹴りを入れ、ひらりと飛び降りた。
蹴られた脇腹を痛そうに撫でながら、怒りもせずにただ顔を顰めている。

その姿はどこからどう見ても、立派な少年だ。
嵩張る着物に隠されていたけれど、肩幅も広いし足も大きい。
きっとすぐに、大きく逞しい男に成長するだろう。

「しょうがねえ、俺の船に乗りてえならまず船長の許可を得なきゃなんねえんだからな。足手まといの餓鬼なんざ、海賊船に乗る資格もねえんだからな」
「望むところだ」
不敵に笑うゾロの瞳は、サンジが一目で魅入られた琥珀色の輝きを増していた。
その顔で笑って、自然な仕種でサンジの手を取る。

ああやはり、抗えない。
この山に足を踏み入れた瞬間から、自分はもうとっくに囚われていたのだろう。
諦めに似た溜め息を吐いて、サンジは仕方なく取られた手を握り返した。
赤く色付いた艶やかな枯葉が、二人の行く末を寿ぐようにハラリハラリと舞い落ちている。


End



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