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「明日は大気の状態が安定し、にわか雨の心配もなさそうです。晴れる所が多く、お出かけ日和となるでしょう」
ラジオから流れる天気予報も太鼓判を押してくれた。
うし、これでOK間違いないと、サンジは一人頷いて冷蔵庫を開ける。
明日はいよいよ、たしぎとスモーカーの結婚式だ。
土曜日の今日もよく晴れて、準備も捗っていることだろう。



6月の晴れた週末に結婚式を挙げたい。
そんなアバウトな注文にも適当に応えられる環境であるシモツキは、今はその本番に向けて賑わっていた。
結婚式の会場は、農業施設前の庭。
駐車場も含めた広場に簡易のテーブルとイスを置いて、立食形式でパーティを行う。
参列者は自由参加。
ただし、各戸で1品ずつ料理を持参してくることが条件で、しかも種類が被らないよう事前に「なにを作る」かが自己申請になっている。
サンジには、たしぎから特別に「ウェディングケーキ」の注文が入っていた。
だから今回は、ケーキにのみ全力を注ぐ。
当日のご馳走は、シモツキの皆さんにお任せだ。

結婚式の第2の主役とも言うべきウェディングケーキを任され、サンジは張り切っていた。
クロカンブッシュにするか、3段以上の塔タイプにするか、スペースが広いのをいいことに巨大なスクエア型にするか。
クロカンブッシュと塔タイプは切り分けるのに苦労するだろうし、なにより花嫁がたしぎだとすると、倒壊の危険性が高すぎる。
散々迷った末、巨大ロールケーキにすることに決めた。
縦に撒いてあるんじゃなく、横まき。
切り株みたいに横倒しの状態で、ぐるぐるロールを巻いていって、中身は色々変えて行くのが面白いかもしれない。
そう思いついて、せっせと薄いスポンジケーキを焼きまくっている。
中身はフルーツにジャム、チーズクリーム、抹茶にチョコレートと多種多様だ。
作ってみないことにはどんなものが出来上がるか、自分でもわからない。

「名付けて、森の切り株」
「なにやってんだ?」
デザイン画を書いていたらゾロに背後から覗き込まれ、わあと両手で手元を隠した。
「なんで隠すんだ、見せろよ」
「うっせ、できてからのお楽しみだ」
一応、サンジもケーキのデザインを考えて図面に描いては見るものの、天性の画力のなさか本人にしかわからない図が出来上がってしまう。
上手なたしぎのイラストを見慣れているコビー達からはしょっちゅうからかわれるし、前にゾロだって「なんだこれ」と首を傾げながら、逆さまに眺めていたことだってあるんだ。
これは絶対、人には見せられない。
「今夜は気合入れて準備してんだからな、邪魔すんなよ」
「おう、楽しみにしてるぞ」
ゾロもそれ以上追求してこないで、準備の続きだと言いながら施設に行ってしまった。

やっぱり女の子の夢は、真っ白なウェディングドレスだろう。
従姉妹が2次会で着たドレスを貰えたと、たしぎちゃんは嬉しそうに報告してくれた。
真っ白なドレスは花嫁でしか着られないし、式場で挙げる場合はドレスの持ち込み料が取られるから行き場がなかった服らしい。
ベールは白のオーガンジーの生地を買ってきて、自分で裾にレースを縫いつけて作ったとのこと。
花嫁の指が絆創膏だらけだったのはそういう理由からかと、サンジは一人胸を熱くした。
「たしぎちゃんのドレスが白一色なら、ケーキは多少華やかな色の方がいいよね」
「ええ、できたら。テーブルに飾る花も、明日の朝みんなで摘んで来てくれるんです」
電話で打ち合わせしていたら、宅急便が届いた。
また明日ねと電話を切って、バラティエからの荷物を受け取る。
人の結婚式とは言え手作り感に溢れていて、まるで自分のことのように心浮き立って落ち着かない。





「眠れないのか」
いつも通り二人で布団に入ってからも、サンジはゴロゴロと寝返りを繰り返した。
秒速で眠りに落ちるゾロが、手枕をして薄目を開けている。
「悪い」
「いや、いいんだが」
まるで遠足の前の日みたいだなとゾロが呟けば、サンジはそうかもと枕に顔を埋めた。
「朝起きたらあれしてこれして・・・と考えてると、なんか寝付けねえんだよ」
「そうだな、夢の中でも算段してるだろ」
「そうそう、それ。夢ん中だと絶対失敗するんだよ。あ、あれ忘れた!とか」
「おう」
「んで、目が覚めてから夢でよかったって思うの。まあ、予行練習になっていいけど、よっぽど心の中で心配に思ってんだろうな」
「失敗の予行練習か」
ゾロは低く笑って、サンジに向き直った。
「お前がそれなら、たしぎは今頃どうなってるか・・・」
「あー」
容易に想像できて、サンジも苦笑した。
たしぎの場合、夢で失敗するだけじゃ済まない気がする。
「まあ、今回の結婚式は周りがお膳立てしてるから、当人たちは何にもすることがないはずだ。前日も当日も」
「そうなのか?」
「そうでないと、成功しない」
「・・・なるほど」
サンジはゾロの肩にことんと頭を預けて、薄暗い天井に視線を移した。
「それでも今頃、たしぎちゃんも眠れない夜を過ごしてるんだろうなあ」
「眠らせてるだろ、スモーカーが強制的に」
ゾロの声が少し艶を含んでいて、サンジは毛布を掴んだままどきりとした。
このまま俺が眠れないでいたら、ゾロが強制的に眠らせてくれるだろうか。
そんなことを想像すると、無駄に心拍数が上がってしまう。
背中に密着したゾロにまで鼓動が響きそうなくらいどきどきしていたら、耳元ですかーと気の抜けるような音がした。
ゾロの寝息だ。
やっぱり、秒速で眠りに落ちてしまう。

「・・・ちえっ」
サンジは誰にともなく舌打ちして、毛布に顔埋めて拗ねてしまった。
拗ねたポーズのまま、いつの間にか眠りに落ちたらしい。






当日は見事に快晴だった。
式は11時から。
受付は10時30からということで、ゾロは先に出て行った。
サンジはケーキの仕上げをして、ギリギリの時間に迎えに来てもらう。
そうでないと暑い時期だから、ケーキを置いておく場所がないのだ。

受付が始まった頃に、ゾロが迎えに来てくれた。
「どんな感じだ?」
「おう、気の早い人は9時から来てたぞ」
朝が早いシモツキの人らしく、既に会場は賑やかになっているらしい。
ゾロに手伝ってもらって、軽トラの荷台に巨大ロールケーキを積んだ。
全体に冷凍しておいたから、運んでも崩れはしないだろう。
会場で飾り付けをすることにして、エプロンを着けたまま助手席に乗る。
「んじゃ行くぞ」
「おう」

梅雨時期だと言うのに見事に晴れ上がった空は、雲ひとつない。
いつも雨の恵みで潤っている樹々が、今日は明るい日差しの下で滴るような緑に輝いていた。
実にいい天気だ。
施設の手前辺りから、農道にずらっと車が停めてあった。
見事な路駐。
黒のモーニングを着たおじいさんが腰を曲げながら、えっちらおっちら坂道を歩いて昇っていく。
それを追い越すのが申し訳なく思いながらも、ケーキを下ろすためだから仕方ないんだごめんなさいと心の中で詫びる。
施設の庭には、いっぱしの会場が出来上がっていた。
折りたたみテーブルを並べて、白いクロスを上から掛けてある。
横に並べたパイプイスにはリボンが結ばれ、ちょっと華やかになっていた。
日差し避けに商工会のロゴが入ったテントが立てられ、その下に持ち寄られたご馳走がずらりと並べられている。
ウェディングケーキは、一応式の最初から必要だと言うことで中央の新郎新婦のテーブルに置くことに決められていた。
そこまで軽トラを横付けさせて、皆に手伝ってもらって下ろす。

「おおう」
「すげえ!」
「サンジさんらしいですねえ」
「・・・どういう意味?」
巨大な白い渦巻きを下ろした後、サンジは持ち込んだフルーツとバラティエから送ってもらったエディブルフラワーで飾りつけた。
平べったくて安定しているから、これならたしぎちゃんも安心して入刀できるだろう。
会場のテーブルを飾る花はすべて野から摘んで来たらしく、可憐だがさほどの華やかさはない。
その分中央に据えたウィディングケーキが目立ってしまっているが、これから入場するたしぎちゃんの美しさには霞むだろうと見当をつけ手早く準備を終えた。

「おめでとうねえ」
その合間にも村の人々が続々と集まってきていた。
庭で摘んで来てくれたらしい花束を持参してくれる人もいて、テーブルフラワーはどんどん無秩序に、賑やかになっていく。
軽トラを遠くに停めて来たゾロが戻ってきて、サンジの横に立ち参列者を眺めた。
「・・・なんかに似てる光景だなあ、これ」
「なに?」
「ああそうか、功労者表彰か」
「なにそれ」
「じーさんとばーさんが一世一代の格好して、式に臨むんだよ」
スモーカーとたしぎを祝福して、みんなが一番の晴れ姿で出席してくれている。
当事者でもないのに感動で胸が熱くなってうっかり涙ぐんでしまったサンジに、ゾロは横からそっとハンカチを差し出した。

「今日は本当に、いい日ぃねえ」
色留袖を着た隣のおばちゃんが、おじさんを連れてやって来た。
まるで可愛いおまんじゅうみたいだ。
「本当に、精進がいいんですね」
「たしぎちゃん達のぉご家族も、都合がついてよかったねぇ」
スモーカーはともかく、たしぎの両親は娘がいきなり見知らぬ土地に住み着いて、しかもそこで結婚するなどと聞いて卒倒するほど驚いたらしい。
がしかし、娘の頑固さと芯の強さは知っていたから、無碍に反対をせず今日の日に初めてシモツキを訪れたのだ。
スモーカーとは盆と正月に会っているから、話は早かった。
「スモーカーさんのお姉さんがえらい美人で驚いたなあ」
「ほんとにねえ、似てないねぇ」
コロコロ笑うおばちゃんの視線の先には、なるほどシモツキでは滅多にお目にかかれないような長身の美女が立っていた。
ピンと伸びた背筋が実に美しく、愛想笑いをしていてもどこか風格がある。
凛とした佇まいは、少したしぎちゃんに通じている気がする。

「皆様、本日はお日柄もよく・・・」
年配の女性の落ち着いたアナウンスが流れた。
司会は元役場で放送担当者らしい。
着席を促され、サンジはゾロと並んで末席に近い場所に座った。

「皆様大変長らくお待たせいたしました。ただいまより新郎新婦が入場いたします。盛大な祝福でお迎えいたしましょう」
農舎のシャッターが上がり、トラクターをバックにスモーカーとたしぎが姿を現した。
スモーカーは普通の背広だが、たしぎは純白のドレスに漆黒の髪がよく映えて、レースで飾られたベールが風にそよぐ花びらのようだ。

「おめでとう」
「たしぎちゃん、綺麗―」
おっさんおばさんの歓声を受けながら、結婚式には定番のBGMと共に二人はしずしずと歩いてくる。
たしぎの後ろにいるのがお父さんなのか、すでに始まる前から鼻の頭を赤くしていた。
それを見ただけで、サンジの涙腺がまた緩む。
眼鏡をかけていないたしぎは、まるで花嫁人形のように愛らしかった。
スモーカーに手を引かれ、歩く足取りもどこかたどたどしくて可愛らしい。
一応コンタクトを入れているはずだが、慣れないのか時折眼鏡を治す仕種をしては空振りしている。
二人が雛壇に座ると、それぞれの両親も後ろの席に着席した。
普通の披露宴なら一番末席でそっと涙を拭っているはずの親族が、新郎新婦と同じように目立った場所に座っているのは中々の見ものだ。
「今ここにお二人の輝きの時を迎えまして、ただ今よりご両家の結婚ご披露宴を開宴させて頂きます」
高らかな開宴の辞に、またしてもサンジの目頭が熱くなる。
施設で飼っている鳩が一斉に解き放たれ、今日は放し飼い状態のチャボがコッコと足元の石を啄ばんだ。

新郎新婦の簡単な紹介の後、二人に向けての朗読があった。
隣でゾロが立ち上がり一礼するのを、誰よりも近くのサンジがビックリして見上げている。
コビーとヘルメッポ、それにゾロが前に出て並び、交替で朗読した。



二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい 立派過ぎないほうがいい
立派過ぎることは 長持ちしないことだと 気づいているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい 完璧なんて不自然なことだと うそぶいているほうがいい
二人のうち どちらかが ふざけているほうがいい ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても 非難できる資格が自分にあったかどうか あとで疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 
正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気づいているほうがいい
立派でありたいとか 正しくありたいとかいう 無理な緊張には色目を使わず ゆったりゆたかに 光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら 生きていることのなつかしさに ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そしてなぜ 胸が熱くなるのか 黙っていてもふたりには わかるのであってほしい

【吉野 弘】



―――もうダメだーっ
もはや、涙で前が見えない。
サンジは膝の上に広げていたはずのナプキンを握り締めて、口元を押さえていた。
えぐえぐとおかしな息が鼻から漏れるが、幸いなことに誰も聞いていない。
と言うか、参列者のほぼすべてが同じ状態だ。
たしぎのパパに至っては、椅子から崩れ落ちそうなほど前屈みになっている。

万雷の拍手の中、朗読を終えたゾロがやや上気した頬で帰って来た。
俯いて顔を上げられないサンジの頭をくしゃりと撫でて、隣の席に腰を下ろす。
「どうだった?」
「・・・・・よ、かった・・・」
サンジは音を立てないように鼻を啜って、なんとか顔を上げた。

「誓いの言葉」
スモーカーとたしぎが、二人揃ってすくっと立ち上がった。
その凛々しさを目にしただで、またサンジの涙腺は決壊しそうになる。
二人は並んで、声を合わせ唱和した。
「私たち二人は 皆様の前で結婚式を挙げることができ感謝いたします。ここに結婚の誓いをいたします」
テーブルの下で、ゾロの手がそっと動いた。
ナプキンを握り締め白く筋張ったサンジの拳の上に、掌を乗せる。
サンジは驚いたが振り向くことなく、新郎新婦から視線を外さなかった。
「1、お互いの両親を大切にします。1、相手を思いやる気持ちを忘れません」
その代わり拳を開いて掌を返し、ゾロの手に重ね指を絡めた。
「1、どこよりも安らげる家庭を築きます。1、喧嘩してもその日のうちに仲直りをします」
ゾロの手は汗ばんでいて、合わせた肌はしっとりと重なり合った。
「1、結婚記念日には美味しいものを食べます」
任せておけと、サンジは横を向いたまま口の中で呟く。

スモーカーとたしぎは、お互いにすうと息を吸った。
ゾロとサンジもほぼ無意識に息を吸い込む。
握り合った手に、力が篭った。

「今日の誓いを心に刻み、力を合わせていくことをここに誓います」


誰にも聴こえないほど小さな声で、けれど確かな言葉を―――
ゾロとサンジは一緒に唱える。



パパパパンとクラッカーが鳴った。
おめでとうと歓声が上がり、再び拍手の嵐に包まれる。
「立会人の皆様、お二人は皆様方の前に永遠の愛を誓いました。 この二人がここに夫婦となる事をご承認いただけますでしょうか。ご承認いただけましたら、どうぞ盛大な祝福をお送り下さい」
ゾロとサンジはぎこちない仕種で手を離して、掌が痛くなるくらい大きな拍手を送った。



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