十六夜 -1-



「秋色って、青とオレンジだな」
そう言いながら、サンジは両手で庇を作って眩しい空を見上げた。
「すかんと晴れた空の青と、枝先に残ってる柿の実一つ。潔くて綺麗だなあ」
毎年たわわに実って、今年はそれで何を作ってくれるだろうかと期待していた庭先の柿の実が、ある朝目覚めたら数個を残してほぼなくなっていた。
まだ半分青かったのに。
せっかちなサルめ。
「これから紅葉するだろ?そうすっと山は黄色とか赤色とか、オレンジなわけよ。そこだけ見てるとなんとなく物悲しい寂しい気配なのに、バックにすかっと晴れた青空が広がっててみ?鮮やかだよなあ」
そう言って笑う、屈託のない笑顔の方が余程艶やかだ。



普段は気にも留めないような当たり前の風景を、サンジはいつも愛しげに語ってくれる。
それは群れなして飛ぶ赤トンボだったり、黄金の穂波の間に揺れる蕎麦の白い花畑であったり。
ただの季節の移り変わりとして景色が変化するだけなのに、サンジは風や雨にさえ匂いを感じ取ってその度感嘆の声を上げる。

―――秋って綺麗だなあ
ここに越してきたときは「春ってこう、ウキウキするな」と言っていたし、酷暑が過ぎた夏にも「やっぱり夏はいいなあ」とも言っていた。
多分、今年の冬は「俺、冬って好きなんだよね」とか言うに違いない。
それが容易に想像できて、つい口元が緩んでしまう。

サンジは今週出す予定の料理をテーブルに並べてから、どうした?と首を傾げた。
一人でニマニマしかけていたのがバレたか。
「いや、美味そうだと思って」
「実際美味いか、食ってみようぜ」
二人向かい合わせに座り、いただきますと声を揃えた。
木曜日のレストラン。
客のいない店で、二人だけのランチを取る。
今週のメニューに決めた料理を実際に厨房で調理し、客に出すのと同じような状態で試食して忌憚のない意見を出し合うのだ。

「炊き込みご飯、もうちょい味が濃い方が俺の好みだ」
「ん〜やっぱりか。みんな働き者だから塩気欲しがるしな」
「せっかくの新米なんだから、米の味が生きてるってえとこんくらいのがいいかもしれねえがな」
「舞茸がいい味だしてるだろ」
「ごぼうがいい匂いだ。銀杏はまだ早いか」
「ライスコロッケの中でとろけてるチーズ、もうちょっと増やしてもいいかな?」
「トマトも入れたらどうだ」
「あ、それもいいかも。でもまだトマトあるか?」
「ごんべさんとこで手配できっかも知れん。聞いて見る」
「付け合せのパスタサラダが思ったよりあっさりしてるから、多少濃厚でもOKかな」
「これ何の風味だ?」
「青ジソだよ」
「デザートのクレープん中のチョコソース、多すぎねえか?」
「甘さは抑えてあるし、そんくらいのがインパクトあるだろ。この洋ナシ味が濃いんだよ。フランベにすると余計引き立って負ける」

毎週こうして一足先にご馳走を食べさせてもらえるのは俺にとって役得なのだが、サンジはこれでさえ俺に「手伝ってもらっている」と思っているから始末が悪い。
自分が創り出す料理が、その心まで温めるような味が、どれほど人を幸せにしているのかまったくわかっていないのだろう。
メディアに取り上げられようが毎回多くの客が訪れようが、サンジの基本姿勢はまったく変わらない。
美味いモノを美味しく食べてもらいたい。
そのことだけに全力を注いで努力するのみだ。
外野から寄せられる賞賛の言葉も、サンジにとっては過度のお世辞程度にしか届かない。

「リネンを秋っぽく変えたいんだよ。まだ暑苦しいかな」
「そうでもないぜ、陽射しはまだきついが空気が秋らしくなってる。天気予報ではまた週末辺り雨らしいから、少しずつ肌寒くなるだろう」
「扉と同じ赤を基調にしてさ、色を変えるだけで雰囲気変わるよな」
壁に嵌め込まれた飾り棚には、お隣さんから貰った飾り南瓜が等間隔に並べられている。
オブジェもどんどん秋らしくなって、日々変化し進化するサンジそのものを象徴するかのように新鮮だ。

「ご馳走さんでした」
「はい、お粗末さまでした」
立ち上がって片付けようとすると、サンジがいやいやと手を翳した。
「午後は組合行くんだろ、片付けはやっておくからちょっと休んどけよ」
と言っても、店に寝る場所はないけどなと頭を掻いている。
「美味い飯食ったから力が漲ってる。皿洗いくらいどうってことないが、それなら早めに行ってもいいか?」
先に現場を下見に寄っておきたい。
そう言えば、それなら早く行けと追い出されるように店を出された。

軽トラに乗り込む前に振り返ると、戸口に立って誰に憚ることなく笑顔で手を振っている。
その顔があんまり可愛らしくて、背骨から力が抜けるような感覚を覚えた。
これが骨抜きって奴かと、どこかで客観的に納得する。
辛抱たまらず引き返して、忘れ物か?ときょとんとしている目を正面から見つめながらキスをした。
「行ってくる」
「・・・さっさと行け、エロまりも!」
途端、真っ赤になって口元を手の甲で押さえ、足だけ動かした。
蹴り飛ばす勢いのそれを避けて、駆け足で軽トラに乗り込み車を発進させる。
バックミラーの中で、片手で顔を覆った痩身はそれでも角を曲がるまでずっと見送ってくれていた。

―――新婚さんだ
ずっと側で見ている訳でもないコビーやヘルメッポ、果てはお隣さんやごんべさん達にまで「やってられねえや」と匙を投げられるラブ馬鹿っぽいカップルらしい。
人前で何かしている自覚はないのだが、滲み出る雰囲気から察せられてしまうのだろうか。
今だって、不気味に口元がニヤついているのに気がついた。
いかんいかん、せめて仕事の時だけでも気を引き締めないと。





サンジのレストランを手伝うのは、実際やってみてとても楽しかった。
元々大学時代は飲食店でバイトしていたし、会社員時代も営業が担当だった。
決して愛想がいい訳ではないし、黙っていると怖いと散々言われてきたから人に好かれる外見でないのは自覚していたが、それなりに気を遣って先に立ち回る術は身につけてきたつもりだ。
レストランではそれがいかんなく発揮できて、結構面白い。

じっと客の様子を見ていると、人それぞれの視線や動きで何かを欲している人だけが浮かび上がるように視えてくる。
その人を注視し、目が合ったらすぐに歩み寄る。
それで大概、用は事足りた。
客の回転が早いのはサンジの調理スピードだけでなく、ゾロのスタッフとしての機転もあるなとスモーカーにも言われたが、満更でもない。
コツコツと作業をするのも好きだが、こういうのも結構向いているようだ。
今の生活は、農業と接客業を両方適度にこなせて刺激もあるし毎日が充実している。
美味いもの食って楽しく仕事して、さらに週末ご褒美が貰えるとあっては、張り切らない訳がない。


週末ご褒美―――
この響きがまた俺の胸を心躍らせ、無駄に血を滾らせる。
運転しながら、「どうどうどう」と馬でもいなすみたいに声に出して呟いた。
邪念を振り払わなければ、仕事に差し支えるではないか。



いっぱい働いてくれたから、ご褒美をあげたい。
可愛く酔っ払ったサンジはそう言って俺にキスしてきた。
触れる度に口付けが深まっていくのを、その時はまだ多少冷静だった頭で必死でブレーキを掛け続けていたが、途中でぷつんと何かが焼き切れる音がした。
それ以降、部分的に記憶が飛んでいる。
いや、覚えてはいるのだが意識して思い出すと口元がにやけるのが止められないのだ。

とろりと熱に浮かされたように潤んだ瞳や、半開きの濡れた唇。
白い肌は肌理が細かくて、ちょっと吸い付くとすぐに痕が残る。
綺麗に筋肉がついた身体は、ゾロが触れる度にきゅっと締まったり躊躇いがちに揺れたりと、如実な反応を見せて本人より素直だった。
恐らく誰も、本人さえもあまり触れたことがないのだろう部分は同じ男のものとは思えないほど可憐で、その慎ましやかさが俺の理性を辛うじて押し留めた。
―――無理をさせちゃ、いけねえ

去年の夏の夜、粗相をしたサンジを風呂に入れるために裸に剥いて、初めて彼の身体を見た。
不完全なそれは先天性のものではなく、自分で何も施さずに来た故かと推察し、なぜ触れなかったのかと考えを巡らした。
今までの不自然な反応、そしてその夜の昏倒のきっかけ。
どう考えても、雷が鳴ったタイミングで恐慌状態に陥ったとしか思えないが、それにしては若干タイミングが早かった気がする。
音が鳴るより先に来た光。
カーテンもない窓ガラスの前で、真っ暗に塗り潰された外の闇に浮かんだのは、鏡のように映し出された自分達の姿。
俺の下で仰向けになった、己の姿。
あれを見て、サンジは悲鳴を上げたのではなかったか。
自分が襲われているという事実より、誰かが襲われていると解釈したのではなかったか。
何の根拠もないが、そう感じた。
そしてそれは確信に変わりつつある。

なぜなら、実際に行動を起こしてみてサンジは自身が触れられることに対して怯えを感じていないからだ。
何をされるのかわからず戸惑うことはあっても、与えられる刺激を素直に快楽に変えている。
自分に対してのタブーはない。
ならば何が、サンジを臆病にさせているのか。
彼が自らを高める行為を頑なにしなかったのは、なぜなのか。
理由を知りたい思う気持ちが、日に日に強くなっていく。




大晦日にやって来た、ウソップという男を思い出す。
サンジの過去を少なからず知っていて、俺に教えようと親切にやって来てくれた男だ。
けれど結局、俺は話を聞かなかった。
親切を無碍にしてしまった気はするが、ウソップ自身も積極的に話したがらなかった。
そういう態度には好感を覚えたし、サンジのことを心底大切に思ってくれているのがわかって嬉しかった。
ウソップは好ましい人物だ。
そんなウソップが口を重くするほど、サンジの過去は過酷だと推察できる。
そう思うとなおのこと、気楽には問えない。
サンジの過去がどうあろうと自分のサンジへの想いは変わらない自信はあるが、どういう態度で望めばできるだけ彼を傷付けずに自分の望みを叶えることができるのかがわからなかった。
ぶっちゃけ、どこまで許されるのか。
どうしてもサンジに手出ししてはならないと言うなら、一生触れないで傍に暮らす覚悟はある。
サンジのためならそれくらいは耐えられる。
だが、サンジも望むなら話は別だ。
好き合ってるなら双方求め合うのは道理で自然なことだから、後ろめたいことなどなにもない。
ならば、二人の間になんの障害もないはずなのに―――

昨夏の、昏倒したサンジの叫び声が耳から離れない。
自らの魂をも削り取るような、悲痛な叫び。
大人の男のものではない、耳を打つような甲高い響き。
あれは子どもだ。
サンジはいつの頃からか、子どものままで成長しない部分がある。
俺は直感でそう思った。
そんなことを悶々と考えているところだったから、サンジの口から「ウソップ」の名がでたことに驚いた。

てっきりウソップから連絡でもあったのかと思えば、偶然思い出したのだと言う。
そんな偶然があるものかと訝りつつ、どんなきっかけであれサンジが過去に目を向けたことはいい傾向だと思った。
ただ、ウソップから返事をもらったと語る言葉から推測するに、どうやら自分と面識があることはウソップは話してないらしい。
ウソップのことを、彼のサイトを表示しつつ嬉々として語るサンジに、今さら「そいつとは会ったことがある」とは言えず、曖昧な受け答えしかできなかった。

実は去年の大晦日にここに来てるんだと言えばどうして?となり、サンジのことを思って気を回したナミの名前も出ることになる。
たまたま、ルフィの友人として来てたんだと言っても、ならなぜ大晦日当日に擦れ違ってたことを言わなかったんだとなる。
今までサンジとウソップが知り合いだったとは知らなかったんだと言うのは苦しいし、演技ができる訳でもない。
結果、曖昧な態度でサンジに不審を与えたようだ。
この中途半端な対応は自分でもまずかったなと思うが、あの場面ではこれが精一杯だった。
せめて後からウソップと連絡を取り合って口裏を合わせるくらいしてもいいだろうけれど、そういうことはしたくない。
それはウソップも同じなようで、俺に直接連絡はして来なかった。
だが、いつまでもシラを切り通すことなどできないだろう。
ウソップが根を上げるのは時間の問題のような気がする。

難しい顔をして考えながら運転している内に、下見するはずの現場を通り過ぎ、駅までも越してしまって、行き止まりの山の端でUターンする羽目になった。
気をとられていては作業に差し障る。
仕事中に怪我でもしたら、サンジを泣かせる。
そう思って、俺は気を引き締めだ。




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