■いまよりも深い場所


宴好きの船長が率先して、誕生日を肴に宴会を始めるのはこの船では珍しくない。
ただ、クルーそれぞれの誕生日ごとに催すとなるとほぼ毎月もしくは毎週に偏ったり、そもそも貴重な食材を誕生日ごときで大盤振る舞いするはずもなく、ただ騒ぐ名目だけに成り下がっている。
それでも、11月11日のゾロの誕生日には皆が祝いの言葉を口にして、酒も1本だけ余分に付けてくれた。

宴と称しても、クルー総出で夜通しどんちゃん騒ぎが続く訳ではない。
踊る者歌う者、眠る者風呂に入る者と、それぞれが宴を自由に楽しみ、または切り上げた。
主役であるはずのゾロも早々に展望室に上がり、煌々と輝く月を肴に一人で手酌酒だ。

時刻が日付を跨ぐ頃、気配を感じてふと杯を傾ける手を止める。
いつも0時きっかりに眠る男が、夜食を携えて昇って来たらしい。
差し入れならもっと早い時間に来るのが常だが、今日は宴会で遅かったからか。
それとも、他に意図があるか。

無意識に探るような思考になっていたことに気付いて、内心舌打ちする。
奴が絡むと、ろくなことがない。


「起きてるか?」
ゾロより気配に聡いくせに、そんな憎まれ口を叩きながら顔を覗かせる。
片手には夜食が入ったバスケットと、グラスが二つにワインが1本。
「スモークチーズと魚介のアヒージョだ」
サンジはそう言って、芝居がかった優雅な手つきでバスケットから皿を取り出した。
彼が作る料理、一つ一つに名前と薀蓄があるらしい。
自分相手ではそれほどでもないが、ナミやロビンを前にすると料理一つとってもなんたらかんたらのこんたらどうたら・・・と訳の分からない単語を並べ立てて仰々しく供する。
単なる飯だろと思いつつ、こいつにとっては技名みたいなもんかとも思った。
いや違うか、と一人で突っ込む。

「・・・あんだよ」
とりとめもないことを考えながら、いつの間にかじっとサンジの顔を見つめていたらしい。
睨む視線で無かったことが気まずいのか、サンジは不必要に剣呑な目付きで睨み据えてきた。
それに敢えて応えず、ゾロの方から視線を逸らす。
今は喧嘩より、夜食だ。

無言で料理に箸を付けたゾロに、サンジもそれ以上は追及せず持参したワインの封を開けた。
二つのグラスに均等に注ぎ、一つを手に取って軽く掲げる。
ゾロも箸を止めて、グラスを手にして口を付けた。
サンジの好みらしい、キリッとした口当たりだ。
これはこれで箸が進むと、ゾロは黙って酒を飲みつまみを食べた。
その間、サンジは形ばかりグラスを傾けて煙草を吹かしている。

腰を下ろした場所は、ゾロが座る位置から拳三つ程距離がある。
並んで座っているから、眼の前には夜の海が広がっていた。
月明かりに照らされ、輝くさざ波の間から時折り魚の黒い影が跳ねた。


いい月だ、とか。
明るい夜だな、とか。
世間話をする間柄でもないので、ゾロはただ黙々とつまみを食べ酒を飲んだ。
サンジのグラスはあまり減らない。
船の揺れに合わせて、暗い色合いの液体が艶めかしく揺れている。

残りのワインをすべて飲み干してしまってから、ゾロはぱんと手を合わせた。
食事が終了した合図だ。
いつもなら、そもそもゾロが食事を終えるまでサンジが傍で待っていたりはしない。
夜食を差し入れて憎まれ口一つ叩いて、さっさと帰って行く。
そうでないときは大抵、ゾロが食事を摂る前に無言でサンジの腕を掴み、もしくは待ち構えた獲物のように引き倒してコトに及ぶ。
だから、こんな風にサンジが自主的に居残ることは初めてだ。

さざ波の音など届かないはずなのに、静寂の合間を縫ってなにかがざわめいた。
吹かしていた煙草が短くなって、サンジはどこか悔しそうにゆっくりと携帯灰皿に揉み消す。
立ち昇る紫煙は、すぐに闇に紛れた。
月の光を受けて浮かび上がる手の甲も、表情を隠す前髪も、伏せた睫毛の影も。
この男を形作る要素がすべて、ほの暗く光って見えるのは錯覚だろうか。
目を魅かれること自体が癪なのだが、こうして大人しく座るサンジを見つめる機会は滅多にない。
待っているのだ。
ゾロが動くことを。
その事実の方が大きくて、嬉しいとか優越感に浸るとか、そんな単純な喜びよりも戸惑いの方が強かった。

待って、いるのだ。
ゾロが動くのを。


知り合ってから寝る関係になるまで、さほど時間はかからなかった。
最初は喧嘩の延長のように、ただ相手を傷付けたくて殴る代わりに肌を合わせた。
支配したつもりでいて、逆に自分が支配されたような恐れも抱いた。
屈服させるはずが、気が付けば目で追っている事実に愕然とした。
気にするまいと意識することこそが囚われている証左で、日を置かずして執拗に抱いてみれば飽きるかと思ったら、癖になった。
捕まったと、自覚せずにいられないほどに。

欲望に駆り立てられ、闇雲に求め続けるのは自分だけだと思い知らされた。
わかっていても手放せない。
そんな自分を嘲笑う余裕もなく、引き倒されれば形ばかりの抵抗を示して結局は受け入れる。
なんでもないことのように振る舞い、それでいて事後にくゆらす煙草を持つ指先は冷えていた。
ゾロと同じように、ただ喧嘩の延長のつもりで始めた関係にサンジ自身も戸惑っているのか。
こんな風に相手の動向を推し量る行為そのものが、ゾロには不本意でならない。


ふと、サンジが吐息を漏らした。
床に手を付いて腰を浮かす。
動かないゾロに焦れて自ら仕掛けるのではなく、立ち去ろうと決めたのだ。
そう悟ってようやく、ゾロは慌てて手を伸ばした。
一度空を切った手が、翻ってサンジの腰を掴んだ。
中腰で追いすがるように、もう片方の手が向き直ったサンジの肘を捉える。
唐突なゾロの動きに、サンジは目を瞬かせた。
待ち望んでいたはずのサンジの肌より、ゾロの掌の方が汗ばんでいる。

捉えたくて振り向かせたくて、わざと傷付けて抱え込もうとした。
その思いは、今も変わらない。
動揺を隠して取り澄ましたこの顔を、悦楽と屈辱で歪ませたい。
硬い身体を無理やり開いて、己の欲望を奥深くまで叩きつけて満足したい。
凶悪な衝動は確かにあるのに、ゾロはただ見返すサンジの瞳を見つめていた。
やはり、待っている。
動きを止めて、ゾロが動くのを待っている。
“待つ”ことの意味を、ゾロはもうわかっていた。

背中に手を回し、ゆっくりと引き寄せた。
息が掛かるほど近くまで顔を近付ける。
睨み合う視線はそのままに、首を傾けた。
いったん唇を合わせ、探るように舌を差し入れる。
サンジは瞳を閉じない。
気だるげに目を眇め、ゾロの舌に軽く歯を立てた。

向き合って唇を重ねたのは初めてだった。
両手で抱きしめるのも、抱き返されることも。
なぜか最初の時より緊張して、少しぎこちない仕種で床に横たえる。
月は時折り叢雲に隠れ、シャツを肌蹴たサンジの白い胸にまだらな影が降りた。
ゾロはその後を辿るように、ゆっくりと唇をずらし歯を立てる。
いまよりもっと深い場所に、傷ではないなにかを刻み付けたい。



End




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