百の嘘 千の睦言



その目が、俺を見ない。

いつも挑むように嘲るように眇められる瞳が、不意に泳いで意味のない視線に変わる。
普段意識しない距離感がやけに息苦しくて、重い空気を払うように手を伸ばし痩せた肩を掴んだ。
シャツの下で筋肉が張り詰めている。
避けも、後退りもせず、それでも無意識に身構えてじっと俺の後ろの何もない空間を凝視して―――

いっそ逃げる素振りでも見せれば、せめて言葉で抗えば、俺はこの手を止めるきっかけを作れるのに。
コックは逃げない。
身じろぎもしない。
ただ動きを止めて、呼吸すら忘れて、何もないものを見つめるのだ。

俺はシャツを握ったまま拳を作り、胸元を剥き出しにするために強く引く。
ボタンが千切れて飛び、そのときだけコックは小さく舌打ちする。
けれどそれ以外表情は揺らがず、そのことが酷く俺を苛立たせる。

俺に触れられているのにお前の大好きなナミやロビンや、崇めて止まない女達ではない、大嫌いな野郎に触れられているのにどうして好きにさせるのか。

皺くちゃになったシャツの中で、コックの呼吸に合わせてうなじが喉が、かすかに上下して見える。
それで俺はまたほっとする。
ほんの少しの動きが(それが抵抗でなくとも)俺を安堵させる。
シャツを開き蒼い静脈の浮き上がった薄い皮膚に歯を立てれば、こくりと唾を飲み込む動作で喉仏が動く。
これがいい。
こうして動いて、俺の手でもっともっと反応を示したなら、この掴みどころのない不安のような不信のような、心許ないらしくない思いから、解放されるだろうに。

床に引き倒し乗り上げても、コックは俺を見ない。
その視線は天井辺りを彷徨って、薄く開いた唇から罵りの言葉も、溜め息一つ漏れてこない。
その唇に指で触れて、濡れた歯をなぞって、腰を屈め顔を寄せて唇を押し当てて。
食むように口付けて舌を指し込み歯列を割り奥に引っ込んだままの薄い舌に絡めても、コックは口を閉じない。
かと言って舐め返してもこない。
瞳も閉じずただ息を潜めて、俺のするがままに身を任せているようで、それはすべてを頑なに拒んでいる。
コックはずっと、俺を拒み続けている。

合わせない視線で、顰める息で、動きを止めた力ない四肢で、音のない声で。
コックは俺を拒み続ける。
どんなに熱く舌を絡めても、耳を探り髪を撫で肌に吸い付いて、喉笛に歯を立てても。
コックは応えない。
色素の薄い肌がうっすらと粟立ち、うなじの毛が逆立って頬が上気しても、コックの瞳は硝子珠のまま時を止めてしまう。

その目を捉えたくて、せめて視界に入りたくて、髪を掴み乱暴に上向かせて血が滲むほど唇を噛んだ。
力なく床に投げ出された腕で押し退けられたくて、乱暴に掻き抱きまたは押し付けて揺さぶった。
怒りを孕んだ罵りの声ですら聞きたくて、コックの身体を暴きながら辱め、嘲り侮辱し挑発した。
せめて悲鳴だけでもと、まだ解け切らない狭い場所に無理やり捻じ込んで、内臓から壊すように犯し尽くした。

それでも、コックは俺を見ない。
まるでそれが誰であろうと、俺であっても俺でなくても、どうでもいいとしか思えないほど無頓着に、無表情に、すべてを投げ出しすべてを受け入れて拒まなかった。
こんなにも、全身で俺を拒んでいるのに。






部屋の隅で揺れるカンテラの光を跳ね返すだけの、淡い硝子珠を見つめながら、それでも俺は根気よく反応のない身体を愛撫し続ける。
応えて欲しくて見て欲しくて、わざと乱暴に扱うことの虚しさに耐え切れず、それでもコックを求めることを止められなくて、ただこうして人形のような身体を温める。
時間をかければそれなりに解れる箇所に身を埋め、そこだけ暖かで柔らかい、コックのすべてのような内臓の内側に押し入り腰を揺らす。
そこだけが無防備で、包み込むように俺を受け入れる。
もっと、もっと奥までと欲して止まず、俺は冷たい身体を抱き締めて、白い頬に口付け、腰を抱いて背中を擦り、髪に頬擦りしながら深く深くまで埋め込んでいく。
ぴったりと隙間もないほど抱き締めて、唇を合わせて性器を埋め込んで共に揺れているのに、コックの心はあまりに遠い。

繋がれて尚、一つになれない。
一つになりたくて、コックのすべてを俺のものにしたくてだがそれは間違いだとわかっているから俺はコックを抱かずにはいられない。
この喉笛を掻き切って血を啜り肉を食らって骨を齧ったならば、コックを俺のモノできるだろうか。
それでもきっと、この瞳は俺を見ない。
俺に応えず、怒りも憎しみも、哀れみも何も返さず、永遠に失われるのだ。
心も、身体も。

だから俺は、求めて止まない。
筋張った硬い身体を押し開き、傷を付け、愛を施し囁き続ける。
こんなにもこんなにも愛していると――――



















ゾロの目が、凶悪な光を帯びて眇められる。

仲間達との語らいや、なんでもないひと時の隙間。
そっと入り込む二人だけの空間で、まるで覚醒するかのように熱を孕んだ視線が注がれる。
その目にすべてを見透かされるのを恐れて、俺は目を伏せ顔を背ける。
恐れているのだ。
ゾロの目が、俺を見るのを。
俺に触れるのを。

こんなにも恐れているのに、ゾロはそれを嘲るように躊躇いなく俺に手をかけ、引き寄せる。
ゾロの視線が、剥き出しにされた胸元に落とされたと感じるだけで、まるで熱でも当てられたかのように肌が火照る。
こんな、目線だけで人を射殺せるような凶悪さを携えて、人を易々と組み敷く傍若無人さが憎くて怖い。
その手が、視線より尚熱く俺の肌を擦り指で触れて撫でて掴み揺するのに、俺はただ力を抜いて抵抗もせずに受け入れるだけだ。

恐れていると、知られたくはない。
その熱が俺の熱さを引き出すのだと、気付かれたくはない。
触れただけで眩暈がするほど肌が粟立つこの感覚が、嫌悪から来るものだけではないと、悟られたくない。

その唇が、俺の閉じられぬ口に押し当てられ、熱く滑る舌が差し込まれ歯列を割り口蓋を擦りながら舌を探り当てても。
けして応えない。
拒みもしない。
こんなこと、なんてことないと視線を漂わせたまま、必死で弄るゾロの鼻息を頬で感じて震えを隠す。

ゾロの手が俺を傷付けるなら、その方がよかった。
痛みになら耐えられる。
どんなに手酷く扱われても、蔑まれ、侮辱されても心が痛むことはない。
むしろゾロを嘲りながら俺自身を嘲笑って愉快な気分でいられたものを。



ゾロはもう、俺を傷付けようとしない。
優しいとしか形容できない触れ方で、丁寧に、根気よく俺を抱き潰す。
その熱い手に、服を剥がされ皮膚も筋肉も、血管も骨も神経もすべて嘗め尽くすほどに愛撫されて、どれほど声を殺し息を止めて時すらも留めたように冷たい死体に成り下がっても、身体は蕩ける。
ゆるく解れ、胸の内が歓喜に震える。
ゾロに触れられ、あられもなく泣き身体を開いて、すべてを曝け出してしまいたくなる。
決して決して、知られたくはないのに。


ゾロに指を差し込まれ、内部を広げながらゆっくりと押し入られ性器を突きたてられる頃には、俺はただの穴でしかない。
ゾロだけを受け入れ、ゾロのためだけに存在するただの穴でしかない俺を、ゾロは愛しげに抱き締めて髪を梳き、頬を撫でて口付けを落とす。
その滑稽さを笑う余裕すら俺にはなくて、ただ天井を凝視したまま痺れるような喜びと快感をやり過ごすのに精一杯だ。

こんなにもこんなにも身体が、心が悦んでいる。
ゾロに求められ、ゾロを受け入れ満たされるこの破滅に似た不毛な行為を、ゾロに施される愛撫に似た残酷な快楽を。
認めたくなくて気付かれたくなくて、霞んだ視界を振り払うように目を閉じ唇を噛み締めて、あまりにも無防備な穴だけを晒して心を閉ざす。

それでも、ゾロの囁きは耳を擽り脳内を満たし、繋がった内蔵の奥から脊髄へと駆け登る淫靡な快楽と共に俺の意識に滑り込む。
その声を、言葉を、響きを聞きたくないのに。
認めたくはないのに。




そうして俺は耳を塞ぐ代わりに心を閉ざす。

見開いた瞳に光を映さず
ゾロの囁きは闇の彼方へ



決して知られたくはない。
こんなにも、こんなにも愛していると――――



END



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