星はなんでも知っている

天を焦がすように赤々と篝火が焚かれ、村人たちが総出で飲み歌い踊る宴が真夜中まで続いていた。

豊穣な島の実りは食卓を彩り、長く虐げられていた村人達の顔には久方ぶりの笑顔が咲いていた。
その中でも一際艶やかに、一輪の花のようにマヤが笑っている。
その傍らには穏やかに微笑むサガ。
共に酒を注ぎ合い、黙って目を細めているのはゾロだ。



七聖剣の呪いが解けて海軍は去った。
ようやくの美しい島に、平穏が戻ってくる。
サンジは宴の輪から離れて、石造りの柱の影でゆっくりと大鍋を掻き混ぜながら喜びに浸る人々を眺めていた。

大団円だ。
島に平和が戻り、マヤちゃんは愛しい男を取り戻した。
これも愛の力って奴か。
あのサガって野郎は気に入らないが、マヤちゃんがあんなに綺麗に笑うんなら何も言うこたあねえな。
良かった。
本当に良かった。

サンジは初々しくも幸せ溢れたカップルに目を細め、その隣で淡々と酒を呷っている馬鹿男に視線を移した。
―――こんの、クソ馬鹿マリモ
怨念波を飛ばしたところで、相手はどこ吹く風でそっぽを向いている。
サンジは口の中で思いつく限りの罵詈雑言を呟いてから、だまって鍋を掻き混ぜた。
いかんいかん。
怒りながら料理すると飯が不味くなっちまう。
「今度はそれを配るのかい?鍋を移動させようか?」
不意に背後から声がかかった。
ああ、と我に返って笑顔で振り向く。
「おう、これで仕舞いだ。中央んとこまで運んでくれたら、俺がよそうから・・・」
「いやもう、後は自分たちでするさ。あんたもゆっくりしたがいいよ」
ラコスは熱々の大鍋を軽く持ち上げると、危なげない足取りで宴の輪に向かった。
同じ力持ちでも、ラコスは身体が大きいから鍋が小さく見えて不自然じゃないなあ。
なんとなくそんなことをぼんやりと考えて、むう、と唇を尖らせた。
なに考えてんだ俺。
なんであいつと見比べるような真似をしちまうんだろう。
あの、呆けナスをっ・・・

考えてたらまたムカついてきた。
どういう約束があろうが、男の友情があろうが、仲間を裏切ったことには変わりない。
ましてや、この俺に怪我させたんだ。
やっぱり詫びの一つもあっていいと思う。
なのに、あの野郎は宴の最中も一度だって、こっちに視線を寄越しやがらない。
こんなにもガンつけてやっているというのに。



ほわりと、暖かな湯気が頬を撫でた。
ラコスが両手に深皿を持って片方を差し出している。
「さあ、あんたも食べろ。作ってばかりだっただろう」
「・・・お、さんきゅ」
サンジはほわんと笑って、片手で受け取った。
ラコスは負傷したサンジを気遣ってか、何かと手を貸してくれている。
最初は海賊だからと敵視されていたが、共に戦ってからはころりと態度が変わった。
なんだか大型の動物を手懐けた感じで悪い気はしない。
「マヤ様があのように明るく笑われるのは、本当に久しぶりだ」
ラコスから酒を注がれ、サンジもまた注ぎ返す。
「本当にあんた方のお陰だ、礼を言う」
「いやあ、マヤちゃんの愛の力だよ」
ラコスの目が寂しそうに伏せられた。
ああこいつ、ひょっとしてマヤちゃんのこと・・・
なんて思ったら、なにかを決意したかのように力強く顔を上げた。

「あんたらも、明日には行っちまうんだな」
真顔で見つめられて、うっかり視線を泳がせてしまった。
「まあな。楽しかったよ」
「・・・」
何か言いたそうにして、それでも黙ってラコスは酒を呷った。
サンジもまた、黙ってその杯に酒を注ぐ。

薄々ラコスの気持ちには気付いていた。
元は宥めるつもりで馴れ馴れしく近付いたのだが、この真面目そうな大男はそれですっかり絆されたらしい。
かと言って何かを仕掛けて来る訳ではないから、まったくの無害で便利でもあったので、サンジは気付いていながら
気付かない振りをして傍にいた。
けれどもう、それも今夜で終わりだ。

「あんたみたいな海賊は、見たことがねえ」
ラコスが静かに笑う。
「俺みたいって、みんなだろうが。ルフィやウソップも・・・ナミさん達みたいな麗しい海賊レディもそうそう
 いやしねえぜ」
サンジは茶化す。
けれど、ラコスは真摯な眼差しをそのままに目を瞬かせた。
「あんたみたいに、強くて優しくて・・・料理の上手いのは、な」
ふと言葉を濁した。

「料理が上手いって、俺はコックだっての」
サンジはタバコを取り出し火を点けた。
静かに煙を吐き出す。
「うちのクルー達は揃って見てくれが海賊っぽくないからな。唯一一目見て物騒なのはあの苔頭くらいのもんだ」
つい声のトーンが低くなった。
意識しまいと、わざとラコスを見上げるようにして肩を寄せた。
「あんたもそうだが、この村の連中は皆ガタイがいいな。俺みたいなのは生っちろいとか思うんだろう」
ラコスが低く笑う。
「そうだな、まさかあんたがこれほど強いとは思いもしなかった」
サンジは少し痛いような顔をして口を歪めた。
「まあ、ざまあねえけどな。仲間とは言えあんなマヌケに怪我させられたし・・・」
「それは、あんたが手加減したからだろう」
ラコスの強い口調に驚く。
「少なくともあんたは、あいつを相手にして全力で戦ったわけじゃない。仲間だと思ってたから、仕方のないことだ」
「いいや、俺が油断してたのさ」
まさかゾロが仲間に刃を向ける訳がないと、過信していたのだろうか。
それとも、まさか俺に刃を向けるだなんてと・・・

「あいつがあんたを傷付けたことが、ショックなんだろう」
なんでもないことのように言い当てられて、ぎょっとした。
誤魔化しようもないくらいに。
「それで、あいつはちゃんとあんたに謝ったのか?」
まともに聞かれて、サンジはうっと言葉に詰まった。
「なんだ、詫びの一つもないのか」
「あの阿呆、とんでもねえ捻くれ者だから、そんな真似しやしねえよ」
「相手があんたでも、か?」
ラコスは信じられないと言う風に首を振る。
「仮にも仲間であるあんたの、しかもコックの腕を怪我させたんだろう。気心知れた仲間じゃなくったって、
 ちゃんと筋は通しとくべきだ」
「いや・・・俺とあいつとは、そんなんじゃねえから・・・」
言葉を濁すサンジを、ラコスは哀しげに見つめる。
「だったら尚更だろう。親しいからって有耶無耶にするような奴は、無責任だ」
言い切るラコスがどこか頼もしくって、サンジは思わず笑いを漏らした。

「ありがとな、なんか代わりに怒って貰っちゃって。でもあいつはもう信じられないくらい厚かましくて
 尊大な自意識過剰野郎なんだよ。こっちがあれこれ気を揉んだって無駄なことさ」
ラコスが、サンジの杯にゆっくりと酒を注ぐ。
縁から零れた透明の液が、指を伝って流れ落ちた。



「あんたがここに、残ってくれたらな」
ラコスの目元が赤い。
きっと酒に酔ったんだろう。
「おいおい、随分酔いが回ったな」
サンジはそう言って、ラコスにも注ぎ返した。
「ああ、久しぶりに酔った」
そう言って、また小気味良く杯を呷る。

「あんたは料理が上手いだけじゃねえ。気配りができるし頭もいい。どんなところでも、きっとうまくやって
 いけるだろう」
「それを言うならチョッパーの方だろ。この村に医者はいねえし・・・」
誤魔化しようもないほどに、ラコスの視線が熱い。
「村にとってはな、だが俺にとっては・・・」
言いよどみ、酒を飲んだ。
サンジも黙ってまた注ぎ足す。
「どだい、無理な話だ。夢物語だ。忘れてくれ」
吹っ切るように酒を呷る太い腕を見ながら、サンジはその肩に身体を持たせかけた。
服の下で、盛り上がった筋肉が一瞬強張るのがわかる。

「この綺麗な島で。可愛いマヤちゃんを眺めながら、てめえみてえな優しい奴と・・・ってのも、夢みてえだな。
 俺にとってもさ」
どこからか、風が吹いて花びらが舞っていた。
手を翳し月に映す。

「けれど俺には、本当に叶えたい夢がある。それを追うために船に乗ってる。俺は、海からは離れられない」
海賊もゾロも関係のない、自分だけの夢だ。
「ああ俺もさ、あんたみてえな人がこんなところで留まる筈がねえって、ちゃんとわかってる。酔っ払いの戯言さ。
 忘れてくれ」
サンジは目を閉じ、ラコスの腕に首を傾けた。
さらりと、金に光る前髪が流れる。
「だが俺は、あんたを忘れねえよ。忘れられねえ。それだけは、許してくれ」
サンジは目を伏せたまま笑い、身体を起こした。

「ああ、でもどうせなら俺の飯の味も覚えといてくれ。こんなクソ美味え飯は、そう滅多に食えねえんだから」
わざと砕けて雰囲気を外せば、ラコスもそれに倣い肩の力を抜いてくれた。
「そうだな、もう一杯ご馳走になろうか」
いつの間にか空にした皿を手に立ち上がる。
サンジはそれを目で追って、空に映る月を眺めた。








「心ここに在らずといった感じか?」
サガの言葉に、ゾロは漸く顔を向けた。
気が付けば、その場にいる者が自分を注視している。

「・・・なんだ?」
「あの、ゾロさんにお注ぎしようと何度かお声を掛けさせていただいたのですが・・・」
申し訳なさそうにマヤが言う。
「だーかーら、こいつは放っとけばいいのよ。勧めなくても自分で飲むんだから」
ナミが横から口を挟む。
「それに、今はそれどころじゃないらしいからね〜」
含みのある言い方に、あからさまにむっとした。

「どういう意味だ」
「黙ってちらちら見てないで、ちゃんと話しに行ったらいいじゃない」
ナミのストレートな物言いの後ろで、ウソップがうんうんと頷いている。
ゾロはちっと舌打ちして、また視線を寄越した。



宴の輪から外れた朽ちかけたレンガの片隅で、サンジはでかい男と二人杯を酌み交わしている。
「別に、話すことはねえ」
ああ、とサガが首を伸ばしてその姿を確認する。
「彼は確か、怪我をしたんだよな、コックなのに大事な腕を。私から詫びに行った方がいいな」
「余計なことすんなサガ。大体怪我云々っつったらてめえも俺もルフィもじゃねえか。いちいち詫びてて
 海賊が務まるかってんだ」
そんなものかと一度浮かしかけた腰を下ろすサガの隣で、マヤが心配そうに首を巡らしている。
「いいの〜そんなこと言ってて。あんたがいなかった間、あのラコスって人そりゃあ親切にしてくれたのよ。
 特にサンジ君に」
思い切り意味深に囁いて、悪魔のように笑う。
「ラコスが、この村の人以外にあれだけ親しくなったのは初めてじゃないかしら」
マヤも他意はなく同意した。
ゾロは苦虫でも噛み潰したような顔をして酒を飲み干す。

「ほーんと、結構いいタイプよね。顔はまああれだけどガタイはいいし、何より優しいしよく気が付くし・・・
 ねえ彼って独身なの?」
「ええ、そろそろいいお嫁さんを貰った方がって、お婆ちゃんとも話してたんです」
「ラコスはいい男じゃよ。だが真面目で硬いところがある。わしらが一押ししてやらんとな」
自然とその場にいた者の目線がラコスへと集中した。


「こうして見ると、お似合いね」
ロビンがさらりと言った。
「でしょう。サンジ君も満更じゃあなさそうなのよね」
一瞬ぎょっとしたマヤも、改めて目を移して小さく頷く。
「楽しそうに話しをしてらっしゃいますね」
「美女と野獣ってとこかしら?」
「美・女じゃねーじゃん」
相当酔いが回ったらしいウソップが大胆に笑った。
「あら、サンジさんて綺麗ですよ」

サガは訳がわからずきょときょととし、ゾロは乱暴に手酌している。
「こう言っちゃなんだけど、サンジ君っていいお嫁さんになると思うわよ〜vなんせ料理上手だし、綺麗好きだし
 よく気が付くし・・・」
「口とガラと足癖が悪いがな」
「ラコスもマメじゃよ。愛想なしのぶっきらぼうだが、陰で支えるタイプじゃな」
「益々お似合いじゃないの〜」
「・・・一体、何の話をしてるんだ?」
サガが素で割り込んだ。
「ええとね、ゾロの今後に関わることよ」
「???」
まったく話は見えないが、親友の今後に関わると聞くと一大事だ。
「よくはわからんが、お前何か困難な状態にあるんじゃないのか?」
大真面目な顔で問えば、ゾロは益々顔を顰めた。
「困難も何もあるもんですか。素直に話しに行ったらいいだけよ。別に話さなくてもいいかもしれないけど」
「おいおいおい、ナミが暴走しだしたぞ〜」

突然バキャンと音がした。
ゾロが、盃代わりに使っていた椀を腕の中で握り砕いたのだ。
「ちょっと、何よ・・・」
険しい表情のゾロの視線の先を辿れば、先ほどまで語り合っていたはずの二人の姿が忽然と消えている。
「あらまあ」
ロビンの声がいっそマヌケに響いた。

ゾロはおもむろに立ち上がると、大股でわしわしと坂を下る。
「おい、どうしたんだゾロ?」
追いかけようとするサガをマヤがやんわりと止める。
「しかしマヤ」
「サガには、後で私からちゃんと説明するわ」
まあもう一杯と、ナミがサガに酒を注ぐ。
「こういうことは、男の方が鈍いモンじゃて」
ほっほっほとイザヤが笑い、また皆に酒が振る舞われた。















降るような星空の下を、ゾロは当てもなくがしがし歩く。
風上から匂いがした気がして、顔を上げた。
小高い丘の上の巨木の陰に蛍火のような小さな灯りがちらついて見えた。
誰もいない夜の森を、早足で駆け上る。


暗闇で不埒なことでもしでかしていたなら乱入してやろうと身構えて飛び込んだが、サンジは一人だった。
巨木に凭れ、胡乱気に息を切らしたゾロを見上げた。
「あんだ?」
タバコを咥えたまま眉を顰める。
うっかり踏み込んで当てが外れて、ゾロは所在無く腕を振り拳を握った。
「・・・一人か」
「見りゃわかるだろうが」
あの大男が咄嗟に繁みにでも隠れたとは考えにくい。
気配もない。

「あいつは、どうした」
「あいつって?」
聞くなよ。
「・・・あの、でかいのだ」
「ああ、ラコスか」
サンジがほわんと笑った。

「もう家帰って寝てんじゃねえの。おやすみっつってたから」
ゾロの肩の力が抜ける。
「・・・そうか」

「で―――」
サンジは草むらにタバコを押し付けると、ポケットを弄って新しいのを取り出した。
「てめえは、なんか用か?」
タバコに火をつけたマッチを耳の横でぶんぶんと振り消した。
硝煙の匂いが風に乗って流れる。
「なんだよ、なんか言えよ」
ゾロは腕を組んだまま仁王立ちで空を見上げていたが、意を決したように振り向いた。
見上げたサンジと目が合う。

「血相変えてここまで登ってきたのは、何でだ?」
サンジの、目が笑っている。
ゾロはむうと口を歪めたが、視線は逸らさず睨み返した。
「・・・怪我はもう、いいのか?」
まるで脅すみたいに低く問うた。
とても心配しているような声音とは思えない。
「全然大丈夫じゃねえ、すっげえ痛え。けどそう不便じゃなかったぜ。なんせラコスがずっと傍にいて
 手伝ってくれたから」
ゾロの、細い眉がぴくりと動く。
「いやーほんとよく気の付く男だわ。なんも言わなくても先に動くし優しいし、それが押し付けがましくねえ
 つうか・・・根が真面目なんだろうなあ」
ふーと暗闇に煙を吐いて、ゾロから視線を外したままにやんと笑った。

「ああ言う堅実な奴と一緒にいると、幸せなんだろうなあ」
カシャンと腰の刀が鳴った。
だがゾロは動かない。
腕を組んで空を睨み付けたままだ。

「・・・で、てめえは何しに来たの」
意地悪くサンジが水を向けた。
ゾロはぎり、と奥歯を噛んで腕を外す。
サンジに向き直ったと思ったら、そのまま勢いで覆い被さって来た。
「・・・うおっ?!」
さすがにこの行動は想定外だ。
咄嗟に繰り出した足は脇をすり抜け宙を切るだけで、その間にも視界は反転して後頭部と背中に軽い衝撃を受ける。

「・・・何を・・・」
怒るというよりほとほと呆れて、サンジは力を抜いた。
ゾロは両肩を押さえつけて身体を起こしたが、はっと気付いて片手を外す。
それでも慎重に足だけは膝で押さえたままシャツの合わせ目から手を差し込んだ。
ぐるぐるに巻かれた包帯を撫でて、顔を顰める。

「・・・で?」
サンジはタバコを咥えた状態で、ふんと鼻で笑った。
「口で上手く言えねえからって、即行動かよ。野蛮を通り越して憐れを誘うね」
「怒ってんのか?」
上に乗られたまま素で問われて、さすがにキレる。
「・・・当ったり前だろーが、いきなり人を押し倒して・・・」
「いやこれじゃなくて、こっちだ」
ゾロの手が、サンジの肩に触れた。
信じられないほどに優しく、柔らかく包み込むように。

「・・・」
「怒って、ねえだろ」
断定されるとムカつく。
「怒ってるよ、すっげー・・・」
「怒ってねえ」
「俺が怒ってるっつったら怒ってるんだろうが、何言ってんだ馬鹿」
サンジはタバコを噛んで歯を剥いた。
ゾロの目がじっと見ている。

「てめえは、てめえのことで怒るような奴じゃねえ。怒ってんなら、俺が黙って出てったことだろう」
サンジは目を見開いた。
「・・・悪かった」
吃驚して瞳孔が開きっぱなしになってしまった。
咥えたまま短くなっていくタバコを半開きの口元から抜き取って、ゾロは静かに顔を近付ける。





その後どうやって二人が仲直りしたのかは、星だけが知っている。







        おわり