昼寝の極意


「誕生日のお祝いに、サンジ君が本当に欲しいものをプレゼントするわ」

ほんのりと目元をピンク色に染めて、上目使いでそう話すナミのあまりの可憐さにサンジの心臓は数秒間止まっていた。
多分マジで。
いぃーやァっほぅい~!と踊り狂いたい衝動を堪え、その場で脳みそをフル回転させる。
本当に欲しいもの。
ナミさんのおっぱ・・・いや、ロビンちゃんのおっぱいも捨てがたい。
むしろ二人のおっぱいに挟まれたい。
そうだ、それがいいそうしよう!
「ナ、ナナナナミすわんとロビンちゅわんの、お、おおお」
「セクハラは、発言だけで10万ベリーいただくわ」
口にする前に釘を刺され、ガクリと膝を着く。
本当に欲しいものって言ったじゃないですかー
セクハラじゃなく、マジなんですけどおおおおぉ

声に出さずに慟哭するサンジを冷たい視線で見下ろし、ナミは腕を組んだ。
「さあ、早く欲しいものをおっしゃい。こんな大盤振る舞い、一年に一度くらいしかないのよ。今を逃すと来年までお預けよ」
「えええ、ちょっと待って…」
甲板に這い蹲ったサンジと、今にもヒールで踏みそうな態度のナミを仲間達は遠巻きに眺めていた。

「ナミもあれで、誕生祝いの計画のつもりなんだよなあ」
「どう見ても、女王様と下僕にしか見えませんヨホホ~。私ちょっと、羨ましいんですが」
「サンジ君に日頃の感謝をしたい~って言い出したの、ナミなのにな」
なぜかサンジが不利な状況にあるのを見かねて、ロビンが声を掛けた。
「いきなり言ってもすぐに思いつかないものよ、ナミ」
「違うわよ、きっとすぐに思いつくものがろくでもないものばかりなのよ」
ナミに即座に言い返され、サンジはトホホと肩を落とす。
図星なところが、更に痛い。
「ええとね、それじゃあ台所用品…はフランキーとウソップが希望通りに直してくれるからいいとして、調味料とか…」
「サンジ君が欲しいもの、よ。もうすぐ島に着くから、希望する物を買ってあげることはできるけど、そういう仕事がらみのモノじゃなくて、サンジ君が個人的に欲しいもの」
「…個人的に」
ごくりと唾を飲み込んで、サンジは真顔で応えた。
「ナミさんとロビンちゃんの、セミヌードブロマイド」
「いいけど、高くつくわよ」
“プレゼント”っつったじゃねえか!!
仲間達の総突っ込みなど、ナミの耳には届かない。

サンジは小一時間ほど「うーんうーん」と考え込んで、ようやく結論を出した。
「時間が欲しい」
その答えに、なるほどと仲間達は納得する。
「そう言えばそうね、サンジ君は四六時中働き詰めで、自分の時間って持たないものね」
「って言うか、働いてないと死んでしまう病じゃねえのか?」
「みんなが遊んでる時間でも、キッチンで下拵えとか仕込みとかしてるよな」
だからこそ、ナミが「誕生日を祝いたい」と言い出したのだ。
料理をすること以外、さして物欲のないサンジには格好のプレゼントとなるかもしれない。
「俺、昼寝とかしてみてえんだよな」
「ああ~~~」
「なるほど」
一々もっともで頷いてしまう。
毎日毎晩、誰よりも早く起きて遅く寝るサンジの寝顔は、ある意味レアだ。
眠るサンジを見るのは大抵、大怪我をしているか出血多量で死にかけているかのどちらかでしかなかった。
「ポカポカ陽気にのんびり昼寝って、いいかもしんねえな」
「ようしわかった、じゃあみんな!全力でサンジを昼寝させるぞ!」
「「「「お―――――!!!」」」」
「…そ、そんなに頑張ってくれなくていいんだよ、ほんとに」




一口に“昼寝”と言っても、案外難しいものだと当のサンジが思い知ってしまった。
さあどうぞと甲板に腰を下ろしても、眠れるものでもない。
床が固いからかと毛布を持ってきたり、クッションを敷いたりソファを持ってきたりと仲間達が頑張ってくれたが、それで寝れるものでもなかった。
「ロビンちゃんが膝枕してくれたら、即寝できるかも~~~」
「鼻血出して昏倒に一票ね」
「ほんとにそれでいいのか?勿体無くねえか?」
ウソップに真顔で諭され、サンジはしょぼんと項垂れる。
「けどよう、いざ寝ろっつったって、眠れるもんじゃねえなあ」
「確かにそうかもなあ」
普通にしていてもルフィはどたどたとうるさいし、船内は常に賑やかだ。
「いっそ睡眠薬でも飲む?」
「や、それ昼寝じゃねえから」
「眠り歌でも奏でましょうか」
「それも昼寝じゃねえから」
「後頭部殴ったら寝るんじゃねえか?」
「だからそれ昼寝じゃね…」
昼寝の定義が怪しくなってきた。
そもそも、手持ち無沙汰で昼寝と言うパターンはサンジにはあり得ない。
なんせ、やりたいことが山ほどあるからサンジの意識の中に“暇”と言う文字はない。

「そろそろ夕飯の仕込みしてえんだけど」
今日はおやつも出せなかったから落ち着かないと、ワーカホリックらしくソワソワしているサンジを、チョッパーは溜め息を吐いて眺めた。
「みんなが傍にいると、サンジもゆっくりできないかもしれないね」
「確かにそうね。島に上陸してから、もっかい作戦練り直しましょうか」
「ようしそうしよう!じゃあサンジ、飯―――!」
船長の無情な判断で、サンジの誕生日プレゼント作戦は中断した。





3月2日の日付はまるっと無視して、次の島に到着したその日に誕生祝は行われた。
なかなか規模の大きな島で、沿岸部も広い。
目立たない入り江に接岸したが、あちこちに海賊船らしき船が停泊していて特に見張りも必要なさそうだ。
商船も海賊船も、みんな等しくお客様という扱いだろうか。

「じゃあ、みんな先に上陸して素敵なレストランとか探してるね。サンジ君は、夕暮れまでゆっくり昼寝してて」
「店決まったら、電伝虫で連絡すっから」
久しぶりの上陸で浮足立つ仲間達は、サンジを置いていく気満々だった。
これはこれで本末転倒と言うか、正直寂しい。
「もう昼寝とかどうでもいいから、ナミさんとロビンちゃんとデートしたいよ」
「後出しはなしよ、サンジ君には安らかなお昼寝タイムをプレゼントしてあげる」
無情かつ非情な微笑みにがっくりと肩を落とし、サンジは諦めて船べりから手を振る。
「ナミさんもロビンちゅわんも、気を付けてね。野郎ども、レディをしっかりお守りするんだぞ!」
「お前もゆっくり休んだら来いよな~」
煙草を吹かしながら気だるげに見送るサンジを尻目に、仲間達はあっという間に街中へと散ってしまった。


ゆったりと吹き抜ける潮風が、サンジの頬を撫でて立ち昇る紫煙を掻き消して行く。
「―――――えーと・・・」
サンジは早速手持ち無沙汰になり、ポリポリと後ろ頭を掻いた。
一人でゆっくり昼寝…と言われても、静かになったらなったで却って落ち着かないものだ。
そもそも、船番はいらないとはいえやはり一人で寝くたれていて「もしも」のことが起こったら―――

「やっぱ、キッチンの掃除しよ」
独り言を呟いて煙草を揉み消すと、背後に人の気配がした。
「げ」
振り向けば、なぜかゾロがいる。
「なんでお前がいるんだ、降りたんじゃねえのか」
「うっせえな、ナミに言われたんだよ」
ゾロは不貞腐れたような態度でそう言い、懐手を組んだ。
「てめぇを一人にしとくと絶対にじっと寝てなくて、掃除でも始めるってな」
「――――う」
図星だった。
「一人でいても安心して眠れねえだろうし、俺に見張ってろってよ」
「ううう、余計なことを!」
「まったくだ」
そこだけは同意して、ゾロはその場にどかりと腰を下ろす。
「てめえはウロチョロしねえで、潔くどっかで横になれ。妙な気配が近付いたら俺が叩っ斬る」
なんとも頼もしい言葉だが、ゾロに安心感が増せば増すほど悔しい気持ちも倍増するのはなぜだろう。
「うっせえな、てめえみてえなむさ苦しい野郎が傍にいるだけで安らげねえよ」
反射的に悪態を吐いてから、サンジはしまったとでも言う風に顔を顰めた。
ゾロはナミに言われた通りにしているだけで、翻ってはサンジのためだ。
頭では分かっているのに、どうしても素直に受け取れない。
自分自身に苛立って舌打ちを残し、サンジは足早に甲板を後にした。

キッチンに入ると、反射的に棚掃除をしたくなる。
けれど、これでまたあちこち弄ったら聡いナミ達に気付かれて「やっぱりね」と呆れられるだろう。
とにかくどこかで転寝でもすればいいと、椅子に腰かけてテーブルにうつ伏せた。
いつもは賑やかな仲間達と溢れんばかりの料理の皿で埋まっているテーブルが、広々としている。
腕を伸ばしても動かしても、なににもあたらないしひっくり返したり零したりする心配はない。
うつ伏せた状態で平泳ぎみたいに腕を回し、俺なにやってんだと我に返って落ち込んだ。
静かすぎて、落ち着かない。
しばらくじっとしていたが、じきに飽きて顔を上げた。
窓から燦々と、日の光が射し込んでいる。
午後の日差しは少しきついくらいだが、適度に風もあるから暑くはないし、寒くもない。
こんな薄暗い船内で寝ていてもつまらないと、そうっと立ち上がって再び甲板に出た。

予想通りと言うべきか、見張っているはずのゾロは芝生の上に寝転んで、頭の後ろで両手を組み足は長々と延ばして爆睡していた。
そうそう、これだよ。
これが昼寝ってもんだよ。

サンジはちっと舌打ちしつつも、そうっと近付いて繁々と寝顔を眺めた。
「見張りが寝るな」と蹴り飛ばしてやってもいいが、ここで乱闘に縺れ込むとまた当初の目的が霧散してしまうから、いっそ参考にさせてもらおう。
船べりの陰で、風は直接当たらない。
みかんの枝葉がちょうどいい影となって、上半身を暗くしている。
もう少し太陽が動いたら影もずれるだろうが、多分そうするとゾロも無意識に移動する。
あいつほんとに寝てんのかよと、影と一緒に移動するゾロをみんなで笑ったことがあった。
野生の昼寝は、なかなか高度なテクニックを身に付けているものだ。

サンジはその場にしゃがんで床に手を着き、ゾロの周りを音を立てずにウロついた。
どうせなら、ゾロみたいに堂々と手足を伸ばし大の字になって高鼾を掻いてみたい。
だがサンジは、寝る時は必ず横になって背中を丸めて寝てしまう。
これも癖の一種だろうか。
手足を伸ばしてのびのびと横たわっても眠れない。
――――あ、あったけえ。
掌越しに、温まった床の温もりが伝わってきた。
身体を屈め、ぴたりと頬を着けてみる。
じんわりと、温かい。
これは気持ちい。
――――いいかも。
サンジはその場で、ごろりと横になった。
丁度、手枕をして仰向けに眠るゾロの脇の下に丸めた背中がそうような形になったが、場所といい影の具合といい、ここがちょうどいいのだ。
――――もともとは、俺が昼寝するための時間なんだから。
先に寝たのはゾロとは言え、ジャストフィットの場所はサンジが優先してしかるべきだ。
後で「なんでくっ付いて寝てんだ」なんて文句を言われても、そう言い返してやる。
横を向いてそう考えていたら、ふと風が止んだ。
ゾロの寝息が、まるで頭上から降り注ぐみたいに静かに降りてくる。
安らかで柔らかく、ゆったりとしたリズムの呼吸音。
なんの心配も屈託も憂いもない、穏やかな響き。

ゾロの呼吸に合わせて、サンジも吸って吐いてを繰り返してみた。
すーっと吸い込み、ふーと吐き出す。
その内、意識せずとも自分の呼吸がゆっくりになっていった。
半眼のまま眺める床板は、まるで広大な砂漠を思わせる砂色の縞模様だ。
仄かに香る木と、風が枝を擦る音。
そして漣。
広い広い、海の砂漠を揺蕩うような、温かな湯の中にどこまでも沈み込んでいくような。
背中全体を覆い隠し、包み込む温もりに抱かれてサンジはいつの間にか眠りに落ちていた。



日が傾くに連れ、みかんの木の影がじわじわと移動する。
無意識にそれを追って、ゾロはこてんと寝返りを打った。
脇の下に丸い塊を認め、そっと薄目を開けて伺い見る。
金色の髪が、風に吹かれて丸まっていた。
丁度ゾロの脇の下から脇腹に掛け、ぴったりとくっ付いて背を向けている。
―――――邪魔
一瞬そう思ったが、無下に転がし除けることはしないで、ゾロは手枕を組み替えてサンジの脇腹に片手を回して抱き込んだ。
太陽の匂いがする旋毛に鼻先を埋め、自分の身体ごとくの字に曲げて押し出すように移動させる。
目を覚ますかと思ったが、サンジは少し身じろぎしたあと、目を閉じたままゾロの腕に頬ずりをした。
その寝顔があまりにも無防備であどけなかったから、ゾロは空いた片手でポリポリと頭を掻き、所在なさ気にまたサンジの腰に手を回す。
もう少しするとまた影が移動して、夕暮れの日差しがサンジの顔辺りに落ちるだろう。
そうなったら自分が起きて、膝にこの小さな頭を乗せればいい。
起きなければ、そうしてまだ少しは眠り続ける。

旋毛の匂いを嗅ぎながら、日に焼けていない白い地肌を指で撫で、つるりとした感触の髪を梳く。
安らかに穏やかに、眠り続けるサンジの横顔をじっと眺めていても一向に飽きることがない。
―――――こんなのもまあ、たまには悪くねえな。
大きな欠伸を一つしてから、ゾロはまた目を閉じた。


街の高台から双眼鏡で一部始終を観察していたウソップが、もういいだろうと電伝虫コールを鳴らすのは、それから3時間後のことだ。


End


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