蜂蜜天使


その島の名前を聞いた時、サンジはどこかで聞き覚えがあるなと思った。
それがなんだったか、すぐには思い出せない。
けれど確かに、どこかで聞いた。

朝食用に焼いたパンケーキが、ポンポンと目の前を飛び交う賑やかな食卓。
次から次へとせっせと焼き足しているのに、底なしの食欲を持つルフィが縦横無尽に手を伸ばし、お代わり用の皿のみならずウソップの皿にまで手を付ける。
当然、自分の分だけでも死守しようとウソップは皿を持って避難し、ついでにチョッパーのパンケーキを摘み上げた。
目の前からパンケーキがなくなって慌てたチョッパーが巨大化し、隣に座るブルックを吹っ飛ばす。
飛ばされたブルックはそれでもパンケーキを落とさず皿だけを高々と掲げて床に倒れた。
無事守られたパンケーキが目の前の高さにあったから、ゾロは当然のようにそれにもかぶりつき平らげる。
「あんまりです、そんな死者に鞭打つような仕打ち!ええ、ワタシ確かに死んでますが、あんまりですヨホホ〜」
大袈裟に床に突っ伏して泣き暮れるブルックを慰めるため、フランキーはぽろんぽろんとギターを爪弾きつつ自分の分のパンケーキはゆっくりと味わって食べた。
「ったく、朝ごはんくらいもっと落ち着いて静かに食べなさいよ」
ロビンとナミの皿に手を出す猛者は、さすがにいない。
けれど、たっぷりと用意されたヘルシーシロップにびよんと伸びた腕は、テーブルから生えたロビンの手がぱしりと叩き落した。
「ダメよ、このシロップは私達専用」
にっこりと微笑むロビンの後ろで、サンジが「あ!」と声をあげた。
「なあに?どうしたのサンジ君」
振り返るナミのオレンジ色の瞳を見返して、サンジはやや興奮した面持ちで一人頷く。
「思い出したんだ、シードロイッチ島。蜂蜜の産地だよ」
「蜂蜜ぅ?」
口いっぱいにパンケーキを詰め込んだルフィが、上からたらりとシロップをかけてごくんと飲み込んだ。

「近くにメルメサって島がないかな、すごく小さな島みたいだけれど」
地図を広げたナミが、う〜んと目を凝らしてから「ああ」と表情を明るくする。
「あったあった。あら、ほんとに小さい島よ」
「シードロイッチ諸島の中でも、そのメルメサで採れた蜂蜜が最高級なんだ」
「へーそうなんだー」
「聞いたことないな」
今しがたパンケーキを食べたせいか、なんとなくみんな舌に甘味が残っていて蜂蜜の話題にも俄然食いついてくる。
「市場に出回るシロモノじゃないしね、最高級のものはグラム3万ベリーはするぜ」
「・・・さっ!」
「グラム3万ベリー?!」
なにそれ馬鹿らしいと、ナミは呆れた声を出した。
「食べたらなくなるものに、馬っ鹿じゃないの?」
「それを言ったらモトも子もねえぞおい」
突っ込むウソップの隣で、チョッパーがきらきらと目を輝かせた。
「グラム3万ベリーって、一体どんな味がするんだろうなあ。一口舐めてみたいなあ」
「その一口が3万ベリーだぞ」
やいのやいのと盛り上がる仲間達を前に、ロビンはカモメ新聞をパラリと捲った。
「シードロイッチ島でログが貯まるのは3日間ね、サンジの誕生日には間に合わないわ」
「出港してからになっちゃうか」
どうせなら、上陸している時に盛大にお祝いをしたい。
特に、船上での誕生祝では毎回サンジに一番世話になっているのだ。
日ごろの感謝をこめて、せめて陸の上で大いに祝いたかった。

「そんなん、前倒しでいいじゃねえか。島にいる時に祝おうぜ」
ウソップが言えば、チョッパーもうんうんと頷いた。
「そうだよ、そうしようよ」
「日付にこだわるこたあねえな」
「シードロイッチ島で、みんなで蜂蜜パーティってのもオツですヨホホ〜」
「特産ってことは、蜂蜜たくさん食べれるのかなあ」
「なに?蜂蜜舐め放題か?うまほー」
想像だけでダラダラと涎を溢れさせたルフィの頭をおたまでパコンと小突き、サンジは口端からふうと煙を吐いた。
「アホか。特産・名産品は市場に出て高値が付くんだから寧ろ地元じゃ滅多に手に入らねえよ」
「えー、グラム3万ベリーひと舐めできませんかね」
「舐めたい!舐めたい!」
「俺達は断固求むぞ!蜂蜜舐め放題!!」
「せめてひと舐めを祈願して一曲歌います、『ゾロさんのハニーハント』!」
「俺かよ!」

再び賑やかな宴の場になったラウンジで、サンジは食後のお茶を煎れてナミとロビンにこっそりと囁く。
「俺の誕生日なんて、スルーでいいんだからね」
「いやよ、サンジ君の誕生日こそ盛大にお祝いしたいわ」
「そうよ、スルーで終わらせる気は毛頭ないわよ」
二人にそう返されて、サンジはへろりと眉尻を下げた。
「それじゃあぜひ、二人からお祝いのキッスを・・・と言いたいとこだけど、一つ我がまま言っていいかなあ」
「ええどうぞ、キス以外ならなんなりと」
ティーカップを両手で持ち上げ、ナミは悪戯っぽい瞳でサンジを見返した。
「滞在中にメルメサ島に行ってみたいんだ。そこで採れる蜂蜜がなんで最高級なのかって言うと、その島にしか自生しない花の蜜をその島でのみ生息する蜂が採取するかららしい。まさに、島ならではの希少種なんだ」
「それは、興味深いわね」
ロビンも大きく頷き返した。
「島自体は無人島で、今は収穫期も終わって花は咲いてないみたいだけど、確かにどんな島なのか見てみたい気もするわ。シードロイッチ島から船で30分ほどだし、観光がてら行ってみましょう」
「ありがと、俺にとって最高の誕生プレゼントだよ」
ナミの許可が出て、サンジはホクホク顔でまだ歌い続けている朝食の席に戻った。



シードロイッチ・ハニーを初めて知ったのは、バラティエにいた頃だった。
まだ子どもだったサンジは直接手に取ることができなかったけれど、その深みのある琥珀色の輝きは今でも目に残っている。
シードロイッチの中でも特に最高級とされるメルメサ・エクセレントは、当時でもグラム3万ベリーは下らぬ高級品だった。
好事家がコレクションで持っているのを別にして、調理に使って実際に食べるとなると、よほど信頼の置けるコックにしか任せられない。
バラティエの常連だった大富豪がゼフの元にこの蜂蜜を持ち込んだとき、スタッフは色めき立った。
幻の高級食材を実際に手にすることも嬉しかったが、なによりこの食材を任せるに足る、信頼を得られたことが誇らしかった。
さすがうちのジジイだぜ、とサンジも子ども心に誇らしく思ったものだ。
ゼフはその蜂蜜の味を生かして最高の料理を提供し、大富豪も大いに満足した。
その礼にと、シードロイッチ・ハニーを一瓶バラティエに置いていってくれたから、それはサンジもひと口味見することができた。
スプーンひと匙で天国が浮かぶくらい薫り高く、甘くて深い花園の味がした。

その時のことを思うと、無意識にうっとりと目を閉じてしまう。
いまだ舌に残る甘味は、何度も脳内で上書きされてしまったから当時より随分と大袈裟なものになってしまっているかもしれない。
けれど、忘れ得ぬ味だ。
またもう一度あの味を・・・と求めないまでも、せめて原産地はこの目で見てみたかった。
こうして航路上で巡り会える機会が訪れるなんて、実にラッキーだ。


自然と上機嫌になって、ふんふふんと無意識に鼻歌まで飛び出てしまう。
朝食の後片付けをしながら腰でリズムを取っていると、表で素振りをしていたらしいゾロがラウンジに入ってきた。
「飲み物は冷蔵庫の中、右扉」
振り返らずにそう言えば、背後でがちゃりと冷蔵庫を開ける音がする。
ゾロ専用のカップにたぷたぷと注ぎ、一息に呷ってからふーと大きく息を吐いた。
ろくにタオルで拭いもしないから、きっと汗まみれなのだろう。
せめて汗を拭いてからラウンジに入って来い、と言いたいところだが、きっと言っても無駄なので振り返らない。

ゾロの姿を見なくて、なにをどうしているのかなんて気配だけで手に取るようにわかる。
冷蔵庫を開けて、もとの位置に戻した。
開いたコップはシンクまで運ぶ。
全部サンジが躾けた通りだ。
背後から手が伸びて、サンジが洗う桶の中にとぷんと浸けられた。
よくできましたと横目で見ていたら、後ろ髪を軽く掴まれた。
「―――ん」
くいっと引っ張って首を傾けられ、咥えていた煙草を抜き取られる。
横から浚うようにゾロの唇が押し付けられた。
サンジは両手を泡だらけにしてくるくるとスポンジを動かしながら、ゾロの強引な口付けを黙って受け止める。
一頻り口内を舐めたあと、ちゅっと吸ってから唇を離した。
琥珀色の瞳が満足気に眇められ、まだ半開きの唇に煙草が差し込まれる。
触れた時と同じように唐突に手を離し、そのままくるりと背を向けた。

「ごっそさん」
「そりゃどうも」
再び煙草を吹かしながら、サンジはラウンジを出て行く足音を背中で聞いていた。
――― 一体、なんだろうねえ。
呆れ半分、驚き半分、気恥ずかしさ少々。
ゾロとあれこれいたすようになってから、もう随分と経つ。
だからまあ、キスの一つや二つは慣れっこなのだけれど、でもこんな風に何気ない日常の中でこういう、甘いとも言える行動を取られると正直驚くというか、それを素直に受け止める自分にビックリするというかなんというか。
ともかく痒い、なんか痒い。
平静を装ってはいるが内心は酷く動揺して、でもそれを悟られたくなくて表にも出したくなくて意地をはっているだけで本当は心臓バクバクとか、まあそういうプチ恐慌状態だった。
なんだよ、不意打ちで卑怯だぞ。
自分でやりたい時だけやって、後は放置ってなんだよ。
俺だってなあ、俺だってなあ・・・
たまには俺からやりたい・・・ことはないぞ、だって俺は男にどうこうとかしたくないんだから全然。
別にゾロにちゅーしたいとかそういうの、ないんだからなホモじゃないんだから。
ゾロがやりたいって言うから仕方なく相手してやってるだけで、断じて。
今のだって急に無理矢理してくるから仕方なく答えてやっただけで、俺って大人―。
うん、大人だから俺。
やりたい放題のお子ちゃまマリモとは格が違うんだから。
だから、あいつの我がままに気ままに付き合ってやってるだけ、なんだから―――

真っ赤になって俯いたサンジの頬に、さっきまでゾロに掴まれていた髪がさらりと落ちた。
そう言えば、長いこと切ってない。
そろそろ襟足も隠れるし、前髪も目元を覆い隠して鬱陶しい。
何より、ことの最中にゾロがやたらと触れてくるから、平時でもさっきみたいに触れられると途端にクルから困る。
や、クルってなんだよ。
サンジは一人でぶんぶんと首を振った。

いつもはウソップに散髪してもらうのだけれど、今回は上陸するから島で切ろうか。
たまにはプロに。
「うん、そうすっか」
いつの間にか頭の中は散髪のことに変わっていて、サンジは気分転換に成功した。





シードロイッチ島は、温暖な気候と陽気な島民の気質のせいかどこかのんびりとした島だった。
それでも、ログを溜めるための観光客相手に街は発展しなかなかの賑やかさだ。
港には海軍でも海賊船でも分け隔てなく繋留できる場所があり、船番の必要はなかった。
「繋留費は割高だから結構痛いけど、みんなで誕生祝をするには持って来いね」
「おう、冒険だー!」
「待てよルフィ、予定を決めねえとっ」
「俺、本屋と薬屋に行きたいぞ、珍しいものいっぱいありそうだ」
「本屋は、私も行きたいわ」
「薬屋は俺も行きたい、あと園芸コーナーとか」
街の観光マップを眺め、わいのわいのと盛り上がるクルーの背後で、ブルックは高身長を生かして周囲を見渡した。
「ヨホホ〜なんて美しいお嬢さんがいっぱい、ここは金髪の方が多いのでしょうか、ブロンド美人に目がないんですワタシ・・・あ、最初から目がないんですが」
「ほんっとだ!お美しいレディー待ってて、貴女のサンジがいま馳せ参じますから〜」
その前に・・・と、観光マップを手に取った。
「髪切りたいんだよな、美容室ってどっか載ってっか?」
「ちょーっと待ったー!」
ナミが大声を出して、サンジの目の前に掌を広げた。
なにごとかと、全員が目をぱちくりとしてナミを振り返る。
「サンジ君、髪切っちゃダメ!」
「・・・へ?」
「これよ、これこれこれっ!」
ナミが興奮の面持ちで突き出したのは、メルメサ・ハニー祭りと題したチラシ。
そこには、祭りの目玉イベントが案内されていた。
「蜂蜜色コンテスト?」
「今年、メルメサで採れた蜂蜜と同じ色をしたものと、同量の蜂蜜をプレゼントですって。サンジ君、その髪行けるわよ!」
「・・・は?」
唖然として固まったサンジの周りで、仲間達はほほ〜と一様に頷いた。

「年に一度行われる、蜂蜜の祭典かあ」
生まれ持って備えた色、もしくはその時身に着けているモノでも対象になるらしい。
「けど色なんて結構変わるじゃねえか、光の具合とかでもよ」
「島独自の色彩判定機を使うそうよ、それで公平を期しているんですって」
それで、今この時期に金髪の人間が多いのも頷けた。
みな、商品の蜂蜜目当てで集まっているのだ。
ただし、通りすがりに祭りのことを知って船になにかを取りに戻るのはアウト。
そのために、港湾局が船を管理しているのだ。

「そんなの、もし髪の長い人が当たったらすごい量の蜂蜜になるんじゃないの?」
「蜂蜜は採れた場所や花の種類、その年によってそれぞれ色が微妙に変わるから、どの色が高級種になるかは毎年わからないみたいだよ」
「過去には、蜂蜜色の馬が当選したこともあるみたい」
「ふえ?馬一頭分かよ」
「かと思えば、ある年では安物のネックレスの石だったようですね」
「耳かき一杯程度の蜂蜜じゃ、味見にもならないわ」
ああだこうだと言いつつ、とりあえずみんなで身の回りをチェックして蜂蜜色になりそうなものを選んだ。
「サンジ君は髪でしょ、ゾロはピアス、ロビンは腕輪、ウソップは上着のボタンかあ。他になんかないかなあ」
「案外と、ないものですねえ」
「俺の股間のビスはどうだ?」
「却下」



ポンポンポン・・・とのどかな音を立てて進む定期観光船に揺られながら、海を渡る。
シードロイッチ島からごく近く、メルメサはすぐそこに見えた。
蜂蜜の採取のためだけに利用される島で、シーズンオフの今は無人島だった。
それでも、青い海に囲まれた小島は緑豊かでそこここに色鮮やかな花が咲き乱れている。

「綺麗なとこ・・・」
「お祭りがなくても、充分楽しめそうな島ね」
風に乗って、どこか甘い香りが漂ってくる。
人工的な香水には弱いチョッパーも、この匂いには目を閉じて胸いっぱいに吸い込んだ。
「あーいい匂い、気持ちいいなあ」
「なんだあこりゃ、美味そうな匂いだなあ」
「食うなよルフィ、花は花だぞ」
ゾロも、珍しく目元を和ませて景色を眺めていた。
そんな表情は珍しいなと思いつつ、サンジはなんとなくその隣に並び立つ。

「天気もいいし、美女も多いし、まさに目の保養ですヨホホ〜あ、目がなくても潤います」
「おいおい見えてきたぜ、あれがスーパーな蜂蜜の産地じゃねえか?」
フランキーが大きなメカ腕を翳す向こうに、紅白幕が垂れ下がった特設ステージが見えた。
歓迎の空砲がポポポポンと青い空に打ち上げられる。


「ハニー島へようこそ!」
「希少蜜蜂の島、メルメサハニーへようこそ」
金色の髪を輝かせ、愛らしい少年少女が花飾りをして出迎えてくれた。
祭りは昨日から行われていたらしく、狭い島にひしめき合うほど人が入り乱れている。
「いやーなんだか賑やかだ」
「出店もあるぞ」
「美味そうな匂いがする!」
冒険だーとすっ飛んでいったルフィを追って、ウソップとチョッパーが飛び跳ねた。
「騒ぎを起こさないでよう」と、ナミの声がその後に続く。

蜜蜂&蜂蜜関連グッズで溢れる土産物屋を眺めながら歩くと、前を行くゾロが迷いない歩みで坂道を登り始めた。
どこに行く気かと、動向を見張るつもりであとをつける。
ゾロは草原を抜けて、獣道さえ外れ、こんもりと生い茂った樹木の間から枝と葉っぱを頭に絡ませて森を突っ切り、丘に出た。
小さな島とは言え賑わうイベント会場からは真逆の方向で、さすがに人気がない。
小高い丘の上からは、紺碧の海が見下ろせた。

「こりゃあまた、絶景だな」
サンジの声に振り向いて、ゾロは少し困ったように眉を顰める。
「酒屋はどこだ」
「・・・はあ?」
「さっき、甘くない酒って看板が出ていた」
「―――・・・」
どうやら、先ほどの出店の中に気になる看板を見つけ、その店を探すつもりでここまでやってきたらしい。
そうか、そうか。

「せっかくだから、この景色を堪能してから戻ろうぜ」
それから一緒に探そう。
そう言えば、ゾロはしょうがなさそうにふんと肩を竦めた。
自分が迷ってここまで来たというのに、なぜかサンジに付き合ってやっている気分になっているらしい。
つくづく俺も丸くなったなと、サンジ自身感心せずにいられない。

2年前までは、ゾロのやることなすこと癇に障って始終喧嘩を吹っ掛けていたっけか。
今回のように迷子の果てに頓珍漢なことを言ったら、以前なら心底馬鹿にして罵倒して嘲笑して大喧嘩に発展していたはずだ。
だが今はそうじゃない。
それどころかむしろ、ああこいつ本当に馬鹿で阿呆で可愛いなと思うほどになってしまっている。
ゾロはゾロで、サンジが鷹揚に接するのに慣れたか、ゾロ自身のふてぶてしさが増したのか。
以前のように無闇に突っかかってこなくなった。
無神経にからかったり神経を逆撫でするようなことは言わないで、時折自分こそがサンジを甘やかせてやっているような余裕を見せている。
こんな関係に変化したのは、やはり2年のブランクがあったからだろう。
2年前だってお互いに思い合ってはいたけれど、2年間離れてようやく再会できた今では、お互い憑き物が落ちたかのように素直に接している。
以前のようにつまらない意地の張り合いや、短絡的な行動はなくなった。
その分、お互いに深いところで繋がっていると自覚することが多くて、それはそれで妙に気恥ずかしくて居た堪れない。
サンジの方はそんな羞恥心が勝るが、ゾロはその辺りも飛び越えて開き直っているのか、すっかり甘え上手になっていた。

遠く地平線まで青いグラデーションが続く大海原を眺めながら、花の香りがする風に吹かれ二人きりで立ち尽くした。
肩が触れるほど近くに寄り添い、ただ声もなく美しい光景に目を奪われている。
ふと、ゾロがこちらを向いた気配がしてサンジも首を傾ける。
意外なほど近くに、ゾロの顔があった。
重なった腕と触れ合う手の甲はどちらからともなく絡められ、指を組む。
ゾロの瞳が、黄金色の光を帯びて眇められた。
それに誘われるように、サンジから目を閉じてそっと唇を近付ける。

「旅の人、迷ったのかい?」
背中に背負い籠を担いだ老人が、崖の下からひょいと首だけ擡げて声をかけた。
まさかそんなところから人が現われるとは思わず、さすがに驚いて二人して引っくり返りかける。
「じ、じじじじいさん、なにしてんだそんなとこで」
危ないだろ、と慌ててゾロの手を振りほどき駆け寄って、老人がよじ登るのを手伝う。
「いやーわしの仕事場はここじゃから、慣れたもんよ」
老人は年を感じさせない身軽さでひょいひょいと草原に這い出ると、よっこらしょと曲がった腰を伸ばした。
「仕事場って、ここが?」
サンジが崖下を覗けば、海風がひゅうひゅう唸りながら吹き上がってくる。
はるか下に見える海は岩を砕くように荒い波が押し寄せ、波飛沫が白く泡立っていた。
「おたくさんら、メルメサは初めてかい?」
「ああ、偶然シードロイッチに立ち寄ったんだ。そしたら祭りをやってるってんでやってきた」
「シーズンオフじゃから、観光で儲けようって魂胆さ」
サクサク歩き出した老人に続いて、サンジは話しかけた。
「シーズンオフってことは、シードロイッチ蜂はいまなにしてんだ?」
「巣箱で眠っておるよ。あれらは実は暑さに弱くての、涼しい場所に巣箱を置いてそこで夏を越す。越冬ならぬ越夏じゃ」
「じゃあ、その辺を飛んでる訳じゃねえのか」
サンジは草原をぐるりと見渡した。
「ところどころに花が咲いてるだろ、あれがメルメサ・ハニーの原料の花なのか?」
「いんや違うよ」
老人はこともなげに言った。
「メルメサ・ハニーは、今わしがおった崖に咲く花の蜜。冬から春にかけてのみ咲く花を、シードロイッチ蜂が採取したものだけがメルメサ・ハニーを名乗れる。ここいらの花畑で採取したのは、ただのシードロイッチ・ハニーじゃ」
「へえ〜」
あんな、岸壁に咲く花からしか取れない蜜だなんて、そりゃあ高価にもなるだろう。
「蜂蜜を採取する時期は、逆にこの島には関係者以外人っ子一人入れんよ。島の自警団はそんじょそこらの海軍より強固で、島の行き来も完全に封鎖される」
「そりゃ、そうでもしないとこのブランド力は維持できないよな」
サンジは納得したように頷き、名残惜しげに岬の光景を振り帰った。
「それに、メルメサ・ハニーがなくったってこの景色は千金に値するぜ」
「そうじゃろ、わしもそう思うよ」
老人は初めて、にっかりと笑顔を見せた。



ゾロを連れてイベント会場へと戻り、目当ての酒を探し出す。
試飲していると、あちこちに散っていた仲間が戻ってき始めた。
そろそろエントリーの時間らしい。
参加者は列を作って大人しく測定を待っている。
無料なせいか参加者は多く、見物の島民がぐるりを取り囲むように集まってきていた。
審査自体は淡々としていて、対象物を測定器とやらで測るだけだ。
「あれ、どういう仕組みになってんだろうなあ」
「全部数値で出るみたいだぞ」
ウソップとフランキーは、計測器の方に興味津々だ。
ルフィは屋台巡りに没頭し、チョッパーはわた飴を買ってブルックに肩車してもらっている。

「8915Y!3201B!」
司会者が意味不明の数字を叫び、記録していく。
見慣れた観衆達はその度に、おおとかなんとかどよめいていた。
素人にはさっぱりわからない。
ウソップのボタンとロビンの腕輪がそれぞれ測定され、いよいよサンジの番となった。
髪を一房手に取られ、測定器が押し当てられた。
別になんてことないのに、なぜか息を詰めて静かに待ってしまう。
「6513Y!1521B!」
測定結果は数字で表される。
次に、ゾロのピアスに測定器が当てられた。
ふと視線を落とすと、審査員の末席にあの時の老人が座っていた。
サンジを見てにっこりと笑いかけ、隣の審査員になにやら囁いている。
「6654Y!2435B!」
測定者が、続いてゾロの顔に測定器を当てた。
「へ?」
戸惑うサンジの前で、ゾロは片目だけぎょろりと見開いた。
「8321Y!4362B!」
「・・・あ」
そう言えば、ゾロの瞳も蜂蜜色と言えないこともない。
ナミが、これはしたりとばかりに手をぽんと叩いた。
「そっかー、ピアスにばっかり気が行ってたわ」
「でも、蜂蜜っていうにはちょっと濃すぎないか?」
「エントリーするだけなら、ただだからいいのよ」
現金なことを囁き合う内に、すべてのエントリーが終わった。

続いて、今年の最高級蜂蜜が段階を経て発表される。
ステージ中央に設けられたひな壇には、上級から特A級メルメサ・エクセレントまで10壷が並べられていた。
ゆっくりとその幕が下ろされ、今年のメルメサ・ハニーがお披露目される。

「へえ・・・」
「綺麗」
ガラス瓶に入れられた蜂蜜は、どれもとろりとした色合いで輝いて見えた。
等級ごとに色がまったく違っていて、それらはすべて数値化されてグラフに載っている。
その数値に一番近いモノが、その等級の商品を受け取るから一目瞭然だ。

ある者はカチューシャの色が合い、またある者は結婚指輪の色が合った。
長いブロンドの髪が合った女性は、恋人に抱き上げられ祝福されている。
等級が低いものから順番に発表され、A級のエクストラ・ヴァージン・ハニーでサンジの名前が読み上げられた。
「やた!」
「やったわ、サンジ君!」
思わずガッツポーズでステージに上がる。
少し伸びた髪の分量を正確に計測し、それ相応のずっしりとした蜂蜜の瓶が手渡された。
「やったよーナミさん、俺やったよー」
大切そうに瓶を掲げ、踊りながら帰ってくるサンジを仲間達が盛大に出迎える。
「エクストラ・ヴァージン・ハニーだなんて、これイーストで売ったらとんでもない値段がつくわよ」
「ナミ〜せっかくサンジがゲットしたのに・・・」
「冗談よ、これはサンジ君への一足早いプレゼントよね」
よしよしと髪を撫でられ、サンジは満面の笑顔でナミに懐いた。

「じゃあこれは俺からみんなへのプレゼント、これを使って明日の誕生日祝うぜ!」
「やったあ、嬉しいわサンジ君」
「さすがね」
「・・・サンジの誕生日じゃねえかよ」
すっかりお祝いムードの麦わらクルーの背後で、最後の特A賞が発表された。
今年は花色が濃かったらしく、蜂蜜の色も他のより少し色濃い。
「8298Y!4351B!」
読み上げられた数値と掲示された名前に、おおとどよめきが起こった。
「特A賞、ロロノア・ゾロさん!」
まさかの、片田舎の蜂蜜祭りで1億2千万ベリーの賞金首が名前を呼ばれた瞬間だった。





「へー・・・これがメルメサ・エクセレント・・・へー・・・」
ナミは何度も日に透かせて、小さなガラス瓶を繁々と眺めた。
「グラム3万ベリーをくだらない、超超超高級蜂蜜なのね、へー・・・」
「落とすなよナミ」
「失くすなよナミ」
「すぐどっか行きそうな量だよな」
ゲットしたお宝を肴に、シードロイッチ島に戻って夕食を摂る。

「せめて両目が揃ってたら、これの倍は貰えたのにねえ」
何気なく呟いたナミの言葉に、その場の空気がピシッと固まった。
だがすぐに、言われた本人が手を伸ばして蜂蜜を奪い取る。
「みみっちいこと言ってんじゃねえよ、どっちにしろ雀の涙だ」
「ゾロー味見はー?」
「食ってみてえなあ、グラム3万ベリー」
「てめえが食ったら、瓶ごとなくなるだろうが」
ゾロはそう言うと、蜂蜜の小瓶を腹巻の中に入れた。
そんなところに入れられたら、誰もそれ以上手出しはできない。
「まあいいわ、私達にはサンジ君のヴァージン・ハニーがあるもんねー」
「ねー」
「ナミさん、そこ省略するのは止めてくんないかなあ・・・」
何度目かの祝杯を交わし、仲間達は久しぶりの上陸を楽しんだ。



二人揃っての蜂蜜ゲットでやや羽目を外しすぎたかもしれないが、それでも足に来るほど飲んではいない。
自制が聞いてしっかりとした足取りで、サンジは自分の部屋に戻った。
この島は物価が安いからと、ナミは珍しくシングルを押さえてくれていた。
それでいてゾロの分は取ってないと言い切る当たり、どこかで迷子になって戻ってこないと踏んだのか、それとも最初から必要ないとわかっていたのか。
突き詰めて考えると怖くなるから止めておこう。
そう思いながら、当たり前みたいについてきたゾロを部屋に入れる。
そのままなだれ込むようにベッドに押し倒されたから、コラコラ待て待てと両手足を突っ張って押し留めた。
「せっかくの陸なんだし宿なんだし、ゆっくり風呂でも入ろうぜ」
「あとでいい」
「いや、あとじゃ意味ねえ。つかお前、たまには率先して風呂に入れよ」
「一緒にならいい」
どこの甘えん坊さんだコラ。
ちゅっちゅと首や頬にキスを施され、サンジはくすぐったそうに首を竦めながらもゾロの短い髪を愛しげに梳いた。
真正面に、ゾロの顔がある。
今は欲情が滲んだ瞳は、部屋の暗い陰影をそのまま写し取って昼間の色とは違って見える。

「・・・あのじいさん、知ってたのかもなあ」
「あ?」
「お前の目を見て、今年の蜂蜜の色だって思ったんじゃねえかな」
そう考えればズルをした気分にもなるが、あの老人が測定者に知らせてくれなければゾロの瞳がエントリーされることはなかった。
「粋なプレゼントだな」
ゾロはサンジの瞳を覗き込み、ぽそりと呟いた。
「両目分あった方が、よかったか」
不意に、サンジの胸がぐわっと熱くなった。

再会してからトラブル続きで、ゆっくりと話をする暇もなかった。
少しでも時が会えば、今まで離れていた時間を埋めるように抱き合った。
お互い、2年間をどうやって過ごしていたのかなんて聞かないし語らない。
ゾロが、左眼を失った経緯も尋ねたことはなかった。
今ここにこうして生きて、朗らかに笑っている事実だけで充分だった。
けれど―――

サンジの右手が、ゾロの左眼に触れる。
震える指がざっくりと刻まれた傷をなぞり、目尻の皺を撫でた。
「どうせ、お前の目ん玉がなくなるのなら・・・」
「ん?」
「・・・俺が、食っちまいたかった」
口に含んで飲み込んで、身体の全てに溶かしつくしてしまいたかった。
強くて綺麗な、愛しい瞳を。

ゾロはサンジの顔を窺い見るように首を傾け、嗚咽に震える唇に何度も口付けた。
そうしながら腹巻の中に手を入れ、小さなガラス瓶を取り出す。
「代わりに、これはてめえが食え」
「・・・そんなんじゃ、足りねえよ」
ガラにもなく、サンジへのプレゼントのつもりなんだろう。
ゾロの人肌で温められた小瓶を手のひらに握り締めながら、サンジは広い背中に手を回してゾロの舌に噛み付いた。



その夜は二人で、特別な蜂蜜を味わい尽した。
サンジがゲットした壷一杯の蜂蜜は明日みんなに振る舞われるのだから、きっと許してもらえるだろう。



End