発車オーライ



西海地方は山と海に囲まれた、風光明媚な片田舎だ。
高速を通れば都心にも近く、観光にはもってこいの名所・旧跡も多い。
観光業界も活発で、多くの業者が乱立している。
交通会社も数多く存在していると言うのに――――
「なんでまた、こいつと一緒なんだよ」
思ったことをそのまま口に出して溜め息を吐いたら、運転席から同じように大きな溜め息が聞こえてきた。
「それはこっちのセリフだ」

あひるツーリストの添乗員サンジは、ぎろりと運転手を睨み据えた。
「お前が言うな。この天然迷子」
マリモ交通鰍フ運転手ゾロが、嫌そうに顔を顰める。
「またてめえのピーチクパーチク口やかましいのを、真横で聞かされる俺の身にもなってみろ」
「添乗員は喋ってナンボだろうが!運転が仕事の癖に致命的な方向音痴とか、そもそもの職業選択が間違ってんだよ」
「最終的に目的地に着けば文句ねえだろうが!」
「まず行程通りに進め、クソ野郎!」

マリモ交通も多くの社員を抱えているはずなのに、なぜかサンジが添乗するバスの運転手はこの緑頭がよく当たる。
運転技能自体は高く、スムーズかつスピーディで安心して乗っていられるのだが、いかんせん方向音痴が酷過ぎた。
前回も、立ち寄りスポットが「スカイピア」だったのに、着いたところは「ウェザリア」だった。
名前は似てるが方向が全然違う。
結局両方とも梯子する形になり、最終的に時間内に調整が付いたのは奇跡としか言えない。
お客さんには、両方寄れてラッキーだったと喜んでもらえたから結果オーライだったのだけれど。

「また、駐車場に入るのに逆方向からぐるっと一回り・・・程度で済ませてくれよ」
「そんな真似したことねえよ」
「してんだよ毎回、気付いてねえのかこのウスラトンカチ!」

集合時刻より30分早く、駐車場に客の車が集まり始めた。
不毛な言い争いに終止符を打ち、サンジはさっさとバスから降りてにこやかな笑顔で出迎える。
「おはようございます。こちら “西海ロマンティック古城めぐり一泊二日”ツアーへようこそ!」
運転手に問題ありだが、その分のフォローは自分がしなくては。
サンジは気を引き締めて、決意を新たにした。
お客さんに楽しんでいただきご満足いただけることこそが、一番大切なのだから。




「右手に見えますのは、ブロギイ山脈でございます。その昔、巨人ブロギーがドリーと戦った際・・・」
車窓から眺める景色を、慣れた口調で滔々と説明していく。
平日のツアーだからか、今回は年配のお客さんが多い。
熟年夫婦やママ友らしき奥さん集団。
二組ほど若いペアがいるが、後はほぼ壮年で大変に賑やかだ。
しかも二割はリピーターで、サンジを贔屓にしてくれるお得意さんだった。
この年代は反応もいいから、案内していても楽しい。

「こちらの名物はヘラクレスンオオカブト。オオカブト饅頭は、いまも当地のお土産bPに選ばれております」
「サンちゃん、ヘラクレスン音頭一曲!」
「歌って〜」
絶妙の合いの手とおばちゃん達の黄色い声援を受け、サンジは片手を挙げて前髪を掻き上げた。
「それでは、僭越ながらお手を拝借。あ、ヘーラクレス〜ン♪」
拍手と喝采の中、観光バスは滑るように高速を進んでいく。



「今日も絶好調だな」
昼休憩の道の駅で、トイレから帰ってきたゾロが運転席に座りながら声を掛けた。
それに、リストをチェックする手を止めないで応える。
「別に、いつもと一緒だぜ。お客さんのノリがいいんだろ」
「だから、“今日も”っつっただろうが」
「まあな、俺はいつでも絶好調〜♪」
嫌味も聞き流して、パタンとバインダーを閉じる。
顔を上げたら、目の前に紙コップが差し出された。
湯気の立つ匂いで、紅茶だとわかる。
「俺の好み、コーヒーより紅茶だとようやく覚えたか」
「こんだけ頻繁に一緒になれば、嫌でもわかる」
上等だ、と紙コップを受け取りホルダーに置いた。
そうして、自分の荷物の中から包みを取り出す。
「これは海老マヨな、こっちは高菜、ツナ、牛肉しぐれ・・・」
行程表で相手がゾロとわかってから、ついそれ用の昼飯を準備してしまっていた。
まあ、ゾロもサンジの飲み物を買って来てくれたのだから、お相子だ。

当たり前みたいな顔でお握りを頬張り、ゾロはふと眉間に皺を寄せてサンジを振り返った。
「お前、どの運転手にもこんなん食わせてんのか?」
「はァ?んな訳ねえだろ、相手の好みも知らねえし」
お前とは付き合い長いから・・・そう続けそうになったのを、ぐっと飲み込む。
「たまたまだ、たまたま」
「ふーん」
ゾロはポイポイっと口の中にお握りを放り込み、頬袋を膨らませて咀嚼しながら次のお握りを手に取る。
「ちゃんとよく噛んで食え、米粒付いてんぞコラ」
食べる時まで口やかましい。
こんだけ喋ってよく疲れないなと呆れるけれど、本来なら耳障りなはずの小言もなぜかゾロには心地よく響いた。



「本日宿泊のゴーストホテルに到着いたしました。明日、観光予定のシッケアール城はここからバスで30分。ホテルの裏側は切り立った渓谷で、お部屋から雄大な景色をお楽しみいただけます」
乗車口で丁寧にお辞儀をし、客の荷物をホテルスタッフに引き渡して部屋割を伝える。
バスに戻って座席のゴミを確認し、手早く清掃を済ませている間にバスは駐車場に入った。
「お疲れ」
「おう」
ゾロがバスの清掃をしている間に、ホテルにチェックインする。
自分の部屋番号を伝えるために、客室周りにも余念がない。

「同室?」
「申し訳ありません、こちらの手違いで」
こともあろうに、ゾロとツインルームになっていた。
「困ります、うち会社違うんですよ。あひるツーリストとマリモ交通って言って・・・」
「そこをなんとかお願いします。シングルルームのご要望が重なりまして」
フロント係の男性が、拝むように手を合わせた。
「シングルより経費が安くなりますし、領収書は別々に出させていただきます。それに、こう言ってはなんですが男性同士なので問題はないかと」
「それは、そうですが・・・」
そう言われると、反論できない。
ソリの合わない相手だから、プライベートまで一緒に過ごすのが嫌なだけなのだと正直に訴えるのも大人げなかった。

「わかりました。ただ、相手はどう言うかわかりませんが・・・」
押し問答をしている間に、清掃を済ませたゾロがフロントに姿を現す。
「マリモ観光のロロノアです」
「俺と同室だと」
サンジが顔を顰めて振り返ると、はあ?と片眉を上げて見せたが、フロントに対しては特に文句は言わなかった。
「部屋がねえなら、仕方ねえな」
「申し訳ありません、ありがとうございます」
フロント係に頭を下げられ、ゾロの方がカードキーを受け取る。
サンジは渋々、その後について行った。


「いい部屋じゃねえか」
せめてもの償いか、客と同じスタンダードタイプの客室が宛がわれた。
部屋からの眺めもいい。
が――――

「ツインじゃなくて、ダブルじゃねーか!」
サンジは思わず、カーペットにカードキーを叩きつけた。
しかも、デラックスじゃなくセミダブルだ。
こんなの、大の男二人が寝ようと思ったらくっ付いて寝るしかない。

「ふざけんなこの野郎!部屋変えてもらうっ!」
「まあ待て、部屋がねえっつってたじゃねえか。業者が無理言うんじゃねえよ」
「最初からシングル頼んであったんだよ。こんなの完全にホテル側の都合じゃねえか、知ったこっちゃねえし!」
憤然と言い返すが、これもフロントで女性スタッフが対応していたら反応は違うんだろうなあと、付き合いの長いゾロには推測できる。
「明日のルート確認したら、後は寝るだけだ」
「お前はな。俺はこれから夕食の確認に行って、明日の行程説明とクレーム確認。お客様から要望があったら随時お応えしなきゃだし…」
「スケジュール確認、今しとくか?」
「とりあえず部屋周り行ってくる。てめえは、俺と打ち合わせするまで寝てんじゃねえぞ!ってかてめえは、床で寝ろ!」
言い捨てて、サンジは乱暴に部屋を出て行った。
あれだけ怒っていながらも、客の前では無邪気なほど無垢な笑みを浮かべるのだろう。
一人残されたゾロは、仕方なく業務日誌を開いて机に向かった。



お客様の健康状態は、今のところ特に問題なし。
室内空調、場所によって効きすぎとの情報もあり調整が必要。
明日の予報は晴れ。
道路工事の影響で若干の渋滞が予想され、トイレ休憩地の候補を幾つかピックアップ。
場合によりルート変更もあり。
ナビに頼るより直接、その都度マリモに進言した方がよさそうだ。

頭の中で課題を整理し、疲れた足取りで部屋に戻った。
カードキーを差し込みロックを解除して、部屋に入る。
狭い室内にどんと据えられたダブルベッドの真ん中で、ゾロが爆睡していた。
「―――――・・・」
思わず膝から崩れ落ちる。

あれほど、床で寝ろと!
いやその前に、自分が戻ってから打合せするから起きて待ってろと言ったのに―――――!!!

「起きろクソ野郎!」
怒りをそのままに、太平楽に眠るゾロの腹に踵落としを決めた。
「ぐふっ」
カエルがひしゃげたような声を出し、両手両足を擡げて唸りながら寝返りを打つ。
「て、めえ…」
「起きてろっつっただろうが!」
ケホケホ空咳をするゾロの背中をもう一発蹴りつけて転がし、空いた場所にどかりと腰を下ろした。
反動でスプリングが軋み、腰が浮く。
「すっかり寝くたれやがって。ちゃんと飯食ったのか馬鹿野郎」
サンジ自身、ツアー客の世話に追われて夕食はまだだ。
ゾロは四つん這いでベッドの上を移動し、サイドテーブルに置いたコンビニの袋を勝手に漁っている。
「酒はねえのか」
「・・・お前、明日も運転手だよな」
「冗談だ」
ちっとも冗談に聞こえない。
ゾロは仕方なさそうにペットボトルを煽り、弁当を取り出して食べている。
サンジが二人分買って来たのも当たり前みたいに受け取っていて、癪で仕方ない。

「レシート貰っとくぞ」
「ってかてめえ、一人で全部食うなよ」
いつも二人前くらい軽く食べていそうなゾロにそう言うと、ゾロは箸を咥えたままふっと鼻で笑った。
「がっつかねえよ、てめえが作った飯でもねえのに」
「・・・あ?」
なぜ自分が引き合いに出されるのかと、きょとんとしたサンジにペットボトルを投げてよこした。
「あんだけ美味ぇ握り飯、作ってくんじゃねえか。きっと弁当なら、もっと美味えんだろうな」
「そりゃ、そうだけど」
サンジはもごもごと口の中で呟いて、景気付けみたいに勢いよくペットボトルを呷った。
「さすがに弁当とか、持ってくっと引くだろ?」
「引かねえよ。他の奴ならともかく、てめえのなら」
「・・・そ、そうか」

ゾロとペアになる確率は段違いに高いが、だからと言って毎回一緒になるとは限らない。
行程表ではそうなっていても、当日急な変更だってある。
だから、必ずと約束はできないけれど。
「じゃあ次は、作って来てやってもいい」
「おう」
やっぱりゾロは、それが当たり前みたいな顔をして頷いた。



明日のルートを確認し、立ち寄りスポットからのメールもチェックし終えて一仕事終えた。
「じゃあ俺は風呂って来るから。くれぐれもお前は、床・で、寝・る・よ・う・に」
厳しく言い据えるサンジに、ゾロはへーへーと生返事を返す。
まあ言っても無駄だろうなと半分あきらめて、風呂場に入った。
もしツアー客から電話が入っても、一応ゾロがいるから大丈夫だろう。
同室の利点はこういうとこにあるかもな、と楽観的に考えながらゆったりと風呂に浸かった。

さっぱりして部屋に戻ると、またどうせベッドを占領しているに違いないと思われた人物が見当たらない。
「あれ?どっか行ったのかな」
それぞれにカードキーを持っているから、部屋の出入りは自由だ。
だがどうせ出歩くのなら、誘ってくれてもいいのにとちょっと寂しく感じながらベッドに腰掛けた。

「・・・ちぇっ」
誰もいないと思って、声に出して舌打ちする。
「つまんねーから、もう寝ようっと」
このベッドは俺様のものだ―。
そう言って、うつ伏せで大の字になる。
セミダブルだから広すぎることはないが、なんだかやはりちょっと物足りない。
なんてことを考えた刹那、壁とベッドの隙間から黒い影が躍り出た。

「掛かったな」
「はあっ?」
なんの罠?!と驚く間もなく、シーツの上から圧し掛かられた。
「なにごとーっ?!」
「うるせえ、千載一遇のチャンスを逃すかこのあひる!」
思わず叫び声を上げかけた唇は、あっという間に塞がれた。

―――就寝中は、お静かに。




   * * *




「皆様、ゆっくりお休みになられたでしょうか。ゴシックホラーナイト、お楽しみいただけたでしょうか」
にこやかにアナウンスするサンジの表情は、よく眠れていないのか若干の疲れが見える。

「サンちゃんこそ、寝不足じゃないの?」
「具合悪かったら休んでていいのよ」
常連のおばさま達は実に優しい。
その優しさに縋りそうになりながら、サンジは健気に微笑んで首を振った。
「恐れ入ります。でも大丈夫、今日もお天気に恵まれ絶好の観光日和です。ぜひ皆様と共に楽しいひと時を、過ごさせてください」
どこか悲壮さを滲ませる、明るすぎる宣言に、ツアー客は「よっ」とか「はっ」とかよくわからない合いの手を入れた。
運転席では、日光が眩しいのかサングラスを掛けた運転手が生あくびを噛み殺している。
サングラスの下、左目に青痣が付いているが、夕方までには消えるだろう。

「それでは、シッケアール城に向けて出発いたします。発車、オーライ」
よく晴れた青空に、サンジの名調子がこだました。



End