春黄金 -4-



「戸締りだけは、気をつけろよ」
昨夜不法侵入したくせに、ゾロは生真面目な顔でそう言って出かけていった。
二晩続けて一人寝となったサンジは、さすがに少し面白くない。
いっそ雨脚が酷くなってゾロが出かけるのを面倒になればいいのにとさえ思っていたのに、夜更けと共に雨は降り止み、今では中空にうっすらと月の影が見えるほどだ。

「・・・つまんねえな」
一人ごちて、サンジはまた侘しい夕食を手早く終えた。
ゾロがいつ戻ってもいいように仕込みだけは用意しておいて、早めに台所も片付ける。

今日は雨降りだからと、結局二人でゴロゴロするだけで一日を終えてしまった。
今から思えば、手習いをするなり繕いを習うなりすればよかったと後悔する。
サンジは字が読めないし書くこともできないから、寺子屋でも師範を務めるゾロは格好の先生だ。
少々癖のある字を見込まれて時折は筆耕の仕事も引き受けているから、ゾロの副業は案外多い。


何もない夜更けは、ゾロに本を読んで聞かせてもらうのもまた楽しい。
サンジはゾロの倍ほども長い年月を生きているが、知識も経験もあまりに乏しかった。
自分たちの関係は、今の姿の有り様がぴったりだとわかっている。
ゾロは大人で、自分はまだ子どもだ。
何の役にも立てない、半人前の半妖だ。

サンジはほうと一つ溜め息をついて、踏み台に乗ると棚の上の扉に手をかけた。
仕舞ってある裁縫箱を取り出そうとして、ふと気が付く。
―――別に、踏み台使わなくてもいいじゃねえか
ゾロがいないのだから元通り大きくなればいいものを、つい子どもの姿のままで動き回ってしまっていた。
馬鹿だなあと自嘲していたら、伸ばした手が何かに触れてひらりと紙が落ちていく。

「・・・あ」
サンジは踏み台の上から畳を見下ろし、間の抜けた顔で口を開けたまま固まった。
すっかり忘れていた。
昼間サンジの度肝を抜いてくれた、あの怪しげな枕絵とか言う奴だ。

サンジはそろりそろりと左右を見回し、誰もいないのを確認してから戸棚を閉め、そっと踏み台から降りた。
踏み台を元の位置に片付け、改めて畳に膝をつく。
―――わあ・・・
正座して改めて眺めれば、先ほどちらりと見たよりもきちんと全体の絵柄が見て取れた。
流麗な筆で、絡み合う男女の睦まじい姿が大胆に描かれている。
最初の印象どおり、男と女は口を合わせていた。
着物はきっちり着込んでいるが、何故か裾が腰まで捲くられて下は何もかもが丸見えだ。
女は大きく足を広げ、男の指が二本も突き入れられている。
そこから溢れ出す淫水は男の指を伝って流れ落ち、女の太股まで粘ついて濡れて見えた。
微細に書き込まれた毛の一本一本さえ生々しくて、卑猥な水音が聞こえてきそうな迫力だ。
膝をついた男の足の間には極端に大きな一物が堂々と反り返り、その先端からも淫水が溢れている。
太過ぎるそれはゴツゴツとした筋が幾重にも書き込まれて、そんなの絶対入るの無理だろうと紙面上でも突っ込まずにいられない。

サンジは一旦紙から目を逸らし、再びきょろきょろと辺りを見渡した。
無論、部屋の中には誰もいない。
しんと静か過ぎる部屋の中で、サンジは紙を持ったまま俯いた。
甲にえくぼの浮いた小さな手が、少しずつ広がって指が長くなっていく。
着物の色身も変わり、丈が伸びると共に正座する腰の位置も上がった。
裾から覗いていた脛はにょきりとはみ出し、毛羽立った畳の表を擦りながら伸びた。

すっかり大きくなったサンジが、握り締めた紙を食い入るように見つめたまま同じ姿勢で固まっている。
口は閉じているものの、鼻息が荒い。
端整な白い顔が、今は耳まで赤く染まってしまい、引き結んだ口元は今にも戦慄きそうにへの字に曲がっていた。
ちらりと、またあらぬ方へ視線を移す。
しつこいほど気配を探りながらも、今ひとつ踏ん切りがつかないのかきっちりと膝を合わせ正座したままだ。

「う〜ん」
低く唸ると、サンジは膝の上に枕絵を乗せ腕を組んだ。
難しい顔で首を捻っているも、上気した頬が深刻さを台無しにしている。
「・・・うむ」
もじもじと膝頭を擦り合わせ、また顔を上げてきょろりと視線を流す。
誰もいないのを確かめて、また枕絵を見下ろした。

―――人間ってのは、こうして交わるのか
別に、狐同士は仕方が違うとか、そういう話ではない。
サンジとて、じゃあ狐はどうするんだと問われれば正確な答えなど出なかった。
でも多分、人も狐も似たようなものだろう。

―――ここに、これを入れんだよ・・・な?
今いち確信が持てないが、多分そうなんだろうと思う。
人里で育てられたとは言え、物心ついたときから社の中で大人に傅かれて生きてきた為、人の営みには疎い。
けれど村が滅びてからたまに、寂れた小屋の中で勝手に寝泊りする旅人などがいた。
そこで男女が絡み合っているのを、目にしたこともある。
なんだか見てはいけないもののようでじっくりと見物することはなかったが、女の白い脛の間で無様な揺れ方をする男の汚い尻なんかは目に焼きついた。

―――あれがこうしてこうなると、ああなるんだろうなあ
ほうと漏れた溜め息は、自分でも熱いと感じた。
なんだかこう、腹の底がむずむずして落ち着かない。
擦り合わせた太股の間でどくどくと何かが脈打つようで、心の臓が下まで下がってきたのかと一人慄いた。

―――ゾロも、こんなのするんだろうか
ゾロは、自分と違ってちゃんとした大人の人間だ。
いくらぐうたらしていても、一応しゃんとさえしていればいっぱしの男前だし、体格だっていい。
こんなひょろ長い顔の男と違って、引き締まった身体に見合うだけの一物だって備えているだろう。
それをこんな風に、綺麗な女の足の間に埋め込むのだろうか。
あの大きな手で太股を撫でて、剣タコのついた指がこんな風に蜜壷を突くように蠢くのだろうか。

サンジは思わず両手で頬を覆って、うわあと情けない声を出した。
絵だけでも刺激が強いのに、見知った男を想像したら余計熱が上がってしまった。
さっきまで腹の底に沈んでいた心の臓が、今度は喉元までせり上がって来たような心地だ。
それでいて、胸には代わりに鉛でも詰められたかのように重く冷たかった。
ゾロが女とこうしているところを想像するだけで、ずうんと嫌な塊が押し付けられたみたいで気が滅入る。

サンジは思い切るように顔を上げ、元の戸棚に戻そうと立ち上がった。
と、裸足の甲が微妙に小さく変化する。
これはと思い手を見れば、白く節の高い男の手が細指の女のそれに変わっていた。
「あれ?」
着物も小紋だ。
間違いなく、サンジは今おサンになっている。

いぶかりながら再び畳に膝をつけ、じっとして耳を澄ませた。
姿が変化したという事は、屋敷の敷地内に誰かが足を踏み入れたということ。
しかもそれは、この家に「おサン」という娘がいると信じ込んでいる者だ。
ゾロが一緒と言うことはない。
それならば、サンジの姿がここまではっきりとおサンになど変わらないから。

こんな夜更けに来客だろうか。
それにしては、訪いを告げる声が聞こえない。
いきなり木戸を蹴る音がして、サンジはびくりと身体を震わせた。
一人ではない、複数の足音が気配を殺しながらも近付いてくる。

―――押し込みか?
下女一人と侮って、物取りにでも来たのだろうか。
だがこの家に金などないことは、一見すればわかるだろうに。

サンジは用心しながら襖に向かい、後退りした。
たん、と音を立てていきなり戸が開き、見知らぬ男達が姿を表す。
いかにもゴロつきといった感じの、人相の良くない男達が五人。
草履を脱いでいないことから、単なる客でないことはわかった。

男はおサンの姿を認めると、無言のまま大股で近付いた。
鳩尾辺りを殴られそうになるのをすんでで避け、おサンは身を翻し隣の部屋へと逃げる。
「この・・・」
男が低く舌打ちして、後を追いかけた。
伸ばされた手を、軽く足を上げて蹴り飛ばす。
おサンの動きに驚いたのか、男の一人が動きを止め懐から匕首を取り出す。
もう一人が腕を翳しその男を制すると、にやりと口端を上げるような笑い方をした。

「小娘がまあ、よほど慌てたと見える」
男が視線を落としているのは、未だ畳に落ちたままの枕絵だ。
どうやら、おサンが一人でこれに見入っている時に踏み込まれたと察したらしい。
サンジは何を言っているのかと男の視線を追いかけて、枕絵のことを思い出した。
蒼褪めていた頬にさっと赤味が走る。

「おぼこ娘が一人で手慰みか。ロロノアはよほど仕込んだと見えるな」
「まだションベン臭えガキじゃねえか」
男達は下卑た笑みを浮べながら、おサンをせせら笑った。
恥ずかしさに顔を伏せそうになりながらも、サンジはきっときつい目で睨み据える。

「お前たち、なんの用で人の家に上がりこんだ」
冷やかすように、一人が軽く口笛を吹く。
「俺達が用があんのはお前さんだよ。なあに、大人しくしてりゃ手荒な真似はしねえ」
そう言いながら腕を掴もうとするのに、また下から足が伸びて腕を弾かれた。
背後で見ていた男が、いぶかしげに眉を顰める。
「一体なんの技だそりゃあ。さっきから生っ白い足が行儀悪く飛んでやがるが、着物の裾が乱れてねえ」
おサンは両手を膝に当てて、はっとして下を向いた。

今はおサンの姿だから、地味な小紋柄の着物だ。
だから裾は当然きっちりと揃えられているが、実際には着流しのサンジだから足はどうとでも動く。
かよわい小娘の姿で足だけポンポン跳んできたら、いくらなんでもおかしいと気付くだろう。
おサンがたじろいだ隙をついて、男が一気に間合いを詰め、腕と肩を掴み壁際へと身体を押し付けた。
ここまで近付かれると、サンジと言えども迂闊に蹴り飛ばすことはできない。

男はおサンの手首を掴んだまま、またはてと首を傾げる。
「見た目より、太い手だな」
片手で捻れそうな細いおサンの腕も、実際に掴んでみれば男の手首だ。
おサンに手をかけた男は、見た目と感触の差異に戸惑っている。
「大人しい顔をして、なかなかのじゃじゃ馬だな。丁度いい、ロロノアの代わりにたっぷり可愛がってやる」
もう一人の男がニヤニヤと笑いながら、ごつい手をおサンの襟元に捻じ込んできた。
見た目より開いた襟の間から、男の手がするりと中まで入り込む。
「・・・あ?」
間抜けた声を上げたのは、男の方だ。
幼いながらも柔らかな胸があると思ったのに、そこはまな板よりも偏平で手応えが何もない。
「なんだこいつ」
闇雲に指を這わせて、ようやく小さな尖りを見つける。
おサンの身体がぴくんと跳ねて、唇が戦慄いた。
「ガキにも程があんだろう?」
首を傾げながら勝手に胸を弄る男の手が、ふと止まった。
先ほどまで艶やかな島田髷だった髪が、ざわめくように波打って黄色いざんばらへと変化する。
見下ろしていた男の目線が徐々に上がり、凡庸な娘の横顔が端整な男へと変化するのを間近で見届けた。

「なんだこいつっ」
叫ぶより早く、サンジが動いた。
正面に立つ男の股間を膝で蹴り上げ、掴まれていた腕ごと引き倒して同じく胸を蹴り飛ばす。
仲間が一人吹っ飛ぶのを、首を振って呆然と見送った男の後頭部を蹴り、さらに呆気に取られたもう一人の顔面に膝を入れた。
畳にぶわっと鼻血が飛沫く。

「化け物だっ」
短く叫んで、残りの一人が部屋を飛び出した。
慌てて後を追おうと駆け出すより早く、表でぎゃっと悲鳴が上がった。

どさりと、男が倒れる音がする。
襟元を掻き合わせながら外へ顔を出せば、倒れ付した男の前でゾロが鬼のような形相で刀を納めていた。
「ゾロ・・・」
「無事か」
サンジの姿を認め、ゾロは表情を緩めた。

怒りをそのままにどかどかと乱暴に部屋に踏み入れたゾロは、倒れた男の襟首を掴んで両手に一人ずつぶら下げると庭に出た。
そのまま片手で大の男一人をぶんぶんと振り回し、塀越しに表へと放り投げる。
中空に弧を描くように投げられた男は、塀の向こうでどさっと派手な音を立てて落ちた。
もう一人もそうやって投げると、さらに部屋から二人引き摺ってきて同じように投げ捨て、最後にゾロが斬り捨てた男も担がれる。

「死んでるのか?」
「峰打ちだ」
恐る恐る近付くサンジに振り返りもせずそう答え、最後の仕上げとばかりにその男も塀の向こうへ投げ捨てて、両手を叩く。

「死んで・・・ないよね。でもそうすると、おかしな噂立たないかなあ」
「別に、押し込みの言うことなんざ誰も聞かんだろうし、いざとなったらおサンは狐憑きだと言えばいい。
もう、これに懲りて下手に手出しはしてこんだろう」
そう言ってサンジを振り返り、改めて首を振った。

「怖い思いをさせて悪かったな。どうやら今夜の仕事は罠だったらしい」
「どういうことだ?」
ゾロは壊れた木戸につっかい棒をし、再び戸締りをしっかりとさせると家の中に入った。

雨戸まで閉めて、汚れた畳に顔を顰める。
「あいつら、部屋の掃除をさせてから帰した方がよかったか」
「そんなことより、どういうことか説明しろよ」
羽織を脱いで胡座を掻いたゾロの前にサンジも膝を着いて、ことの仔細を説明するように詰め寄る。
「俺があちこちで用心棒を引き受けるのを、快く思わん奴がいてな。まあ、そいつも腕一本で生きていくような貧乏浪人だから、用心棒の口が減るのはつまらんだろう。しかも、俺は酒さえあればそれほど給金は高くなくても動くんで、それも気に入らなかったらしい。懲らしめるつもりで俺が留守中にお前を甚振ろうと、そういう魂胆だ」
「・・・なんとまあ」
サンジは怒るよりも呆れてしまった。
「そんなことで、人を雇ったのか?」
「本来はお前を攫って、俺を脅そうとしたらしいがな。そんな金があるなら飲んで憂さ晴らしすればいいのに」
ゾロの言い様も暢気なものだが、誰が見ても完全に逆恨みだ。
「厄介なもんだな」
「人にはそれぞれ事情がある。相手が誰かもわかっているから、俺が後で話はつける。こそこそ裏で立ち回られるのは、俺は好かん」
ゾロは鼻白んだ様子でそう言い捨てると、くるりと表情を変えた。

「ところで、お前はなんでそんななりをしているんだ」
問われて、サンジは改めて我が身を見返しぎょっとした。
おサンから本性を現してそれきりだった。
ゾロが知らないはずの、大人のサンジがここにいる。

「こ、これはその・・・」
「襲われそうになって、機転を利かせて男に化けたか」
子どもに返ったからといって、事態が好転するわけでもない。
そう思ってウンウンと頷くサンジに、ゾロはよくやったと褒めるように頭を撫でた。

「ところで、前から思っていたんだけどな」
「・・・うん?」
ゾロの顔を見てすっかり安心してしまったのか、サンジは大人なのにふにゃんと緩んだ表情で見返した。
「お前の頭、ちっこいが子どもにしてはちとでかいなとは、思ってたんだ」
掌が開いて、頭からがしっと鷲掴みされた。
サンジはあ・・・と口を開き、落ち着きなく視線を彷徨わせながら、しばし呆然と突っ立っていた。






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