花舞小枝



桜の蕾がようやく膨らみ始めたと思っていたら、次から次へと花開き始めた。
青い空をバックに薄いピンク色の花々が咲き揃う枝ぶりの下を、ゾロの軽トラがゆっくりと通り過ぎていく。

「わざわざ花見に出掛けなくても、こうして眺めてるだけで壮観だな」
手動で窓を開け身を乗り出しながら、サンジは流れ行く風に髪を靡かせ空を仰ぎ見た。
「鳥が蕾食ってる、あー勿体無い」
「美味いのか?」
ゾロはとぼけたことを言いながら、ゆっくりとハンドルを切った。
目指すは徳さんちだ。
先月末に生まれた子犬を一度見に行こうと言う話になった。
引き取るのはまだ先だが、どんな子達か見てみたいとサンジのテンションは上がり捲くりだ。



「こんちはー」
家の門で草むしりをしていたおばあさんが、軽トラに気付いて頭を下げた。
「こんにちは、お邪魔します」
「いらっしゃい」
立ち上がりざま背中を逸らして、おばあさんはよっこらしょと手に付いた土を払う。
「納屋の隣に小屋があるから。覗いてみ」
「ありがとうございます」
長い身体を折り曲げてぴょこんと頭を下げたサンジを眩しそうに見上げ、ほっほと笑い返した。
そのまま構わず、また背を向けて別の場所の草むしりを始める。
ゾロは勝手知ったるように納屋に向かって歩いた。
「ああ、ここだ」
「大丈夫か?」
母犬怒らねえ?とか案じながら、サンジは足音を忍ばせて近付く。
ゾロの肩越しに小屋の中を覗き、ぐっと喉を詰まらせた。
「んぐぐ・・・」
大声を出さないように、手の甲で口元を押さえる。
興奮で小鼻が膨らみ、頬は真っ赤だ。
「ぐぐぐ・・・か・・・」
可愛い!!!!
できることなら大声で叫びたいくらいほどに可愛い。

狭い小屋の中に丸まった母犬の腹の辺りに、まるっとしたものが押し合いへしあい詰まるように重なっていた。
どこが頭だかわからないが、小さくて細いシッポがピコピコ動いているのが尻なのか。
「くは・・・ふー」
すでに怪しい人物になりながら、サンジはふがふがと鼻息ばかりを荒くしていた。
母犬はやや警戒するように視線を上げたが、歯を剥いて威嚇するようなことはない。
しゃがんだゾロに倣って自分も体勢を下げ、地面に手を着いてそっと遠慮がちに覗き込んだ。
犬の匂いと、どこか甘い乳臭さが鼻を突く。
「・・・かーわえー」
まだ目も開かないのだろう。
他の子犬の背中に顎を乗せて、鼻先だけが黒い子犬が目を瞑ったままぴょこりと顔を出した。
後の子犬たちはみな母親の腹(胸?)に顔を突っ込んでングングしている。
「やべーどうしよ、どうしよう」
別にどうもしなくてもいいのだが、サンジはあまりの可愛らしさに動揺してか小声で身悶えていた。
「ちなみに、今決めるとしたらどれにすんだ?」
「どれでも!つかもう、どれでも!」
まだ「これ」と決めなくてもいいのだが、こんなにも可愛いものが勢ぞろいしていたらそりゃ目移りするってものだろう。

母犬は短毛で濃い茶色の雑種。
子犬たちは茶色と白の2種類にスッパリ分かれている。
どうやら父親は白い犬だったらしい。
姿形は兄弟全部同じに見えて、皆短毛で丸くて鼻先が黒い。
特に茶色の犬は足先も黒いから、それがなんとも可愛らしい。
「やべえなあ、可愛いなあ」
吠えはしないが警戒を解かない母犬に遠慮して、子犬に触れることはしなかった。
それでも十分、生まれたての子犬の可愛らしさが見て取れる。
これがもう少し成長して、コロコロと足元を歩き回ったりしたらもう、どうしよう。
ゾロは、ふがーとかくはーとか変な声で息を吐くサンジの気が済むまで付き合ってやった。



「また来ていいですか?」
「ああ、そらもういつでも、どんぞどんぞ」
犬小屋の前で長居をしていてもまったく構わなかったおばあさんに礼を言って、名残惜しげに徳さん宅を後にした。
「いつでも来ていいって言ってたな」
ニコニコ顔のサンジは、多分明日から毎日徳さんちに通うのだろう。
容易に想像できて、ゾロは苦笑するしかない。
「すっげえ可愛かったな。やべえなあ、どうしようかなあ」
「とりあえず、犬小屋作るか」
「ホームセンターで材料買って来ようぜ」
ウキウキした気分で春の農道を走っていると、途中ウソップの車と行き違った。
後ろには村の公用車も付いて来ている。
「よお」
すれ違いざまに車を止めて、窓越しに挨拶を交わした。
「これから、空き家の候補地見に行くんだ」
「どっちだ西か?」
「西と南と、それぞれいいとこあるんだと。俺としては、レテルニテみてえにちょっと離れた場所がいいんだけどな」
あんまり辺鄙だと、カヤは寂しがるかもなーと笑っている。
「カヤちゃんはご出勤か?」
サンジもゾロの前に身を乗り出して聞くと、そうだとウソップは大きく頷く。
「朝から張り切って出掛けたからさ、今晩色んな話聞けんだろ」
「大変だな」
「ちと心配だけど、まあ大丈夫だろう」
じゃあまたなと軽く手を上げ発進する。
混み合わない農道だからこその暢気さだ。
ウソップの後ろに付く公用車には知らない若者が乗っていて、ぺこりと頭を下げて通った。
「あれ、ごんべさんJrじゃないのか?」
「4月の異動で課が変わったんだと。あの若いのは未経験だから、ウソップと二人掛かりで手探り状態らしいぞ。またお前んとこにも話を聞きに来るんじゃねえか、先輩」
「へえ・・・まあ、いいけどよ」
先輩と呼ばれ、サンジは満更でもなさそうに小鼻を膨らませた。
「それじゃあ、祭りとか物産展とかはもう、ごんべさんJrとできないのか」
「そうだな、今年からはあの兄ちゃんだ」
そりゃなんだか寂しいなあと、サンジは表情を曇らせた。
「ごんべさんJr、すっごいよく気が付いて親切にしてくれたのに」
「今度は税務課だと。確定申告で世話になるんじゃねえか」
世は諸行無常だと、ゾロは嘯く。
「色んなモンが、少しずつ変わって行くもんだ。なんせシモツキで、ウソップと擦れ違うんだからな」
「確かに、そうだ」
そうだよなともう一度呟いて、サンジは窓から顔を出して煙草に火を点けた。





土曜日のカフェタイム。
ウソップがカヤを伴ってレテルニテにやって来た。
カヤの元気そうな笑顔にほっと安堵しつつ、サンジは踊るようなステップで水を運ぶ。
「いらっしゃいカヤちゃん、来てくれて嬉しいよ」
「こんにちは」
「俺はガン無視かよおい」
ボヤくウソップにメニューを投げ渡し、カヤの目の前にグラスを置いた。
「忙しそうだねカヤちゃん」
「はい、こうしてお食事やお茶をしに来るのも、土日のお休みしかできなくなってしまいました」
カヤは両手を膝の上に置いて生真面目な顔で頷き、ウソップに差し出されたメニューを笑顔で受け取る。
「このシュケットのチェリークリームって美味しそう」
「苺尽くしのパフェ、フレジェってのもいいぜ」
「焼き苺のショートケーキもオススメだよ」
ああもう迷う〜と小さく身悶えしながら、とりあえずシュケットとショートケーキを注文した。
「シモツキ診療所ってどう?」
紅茶を用意しながら聞けば、カヤは目を輝かせカウンターから身を乗り出すように背伸びする。
「とてもいいところですよ。皆さん親切で毎日楽しいです」
「建物も結構綺麗なんだよ、な」
「改築したところだからな」
口を挟んだのはゾロだ。
テーブル客のオーダーを置いて、新たに入ってくる客のために水を用意する。
「ゾロは行ったことあるのか?」
「前にコビーが足切ったことあっただろうが。そこで縫ってもらった」
「ああ」
そう言えば、コビーはしばらく松葉杖で過ごしていたっけか。
あの時のことを思い出すと、なぜか胸がドキドキした。
雨に濡れたゾロの袖口に血が沁みていた光景は、意味もなく不安感を呼び覚ましてくれる。

「あん時は整形の医者が留守だったんだが、内科でも上手に縫ってくれたな」
「ああ、チョッパー先生でしょう。大きな身体でつぶらな瞳をしてらして」
「喋ったら声がこう・・・イメージとちょっと違う」
「可愛らしいんですよね」
「へえ」
サンジはまだ病院の世話になっていないから、シモツキ診療所にも足を踏み入れたことがない。
「唯一の常勤医師でらっしゃいますから、内科だけじゃなく整形や皮膚科など一通りの医療に精通してらっしゃるんです。技術的にも知識的にも素晴らしい腕を持ってらっしゃると思います。私がこんなことを言うのはおこがましいんですが」
そう言って、カヤはほうと甘い息を吐いた。
「地域医療に力を入れてらっしゃって、訪問診療にも積極的に取り組んでらっしゃいます。私もこれから色々と勉強させていただく身ですが、お話を聞いているだけでとても感銘を受けました」
「なんかもう、ぞっこんでさ」
ウソップは小声でこっそりボヤいた。
「まあ、評判はいいみてえだな。あちこちの年寄りからよく話を聞く」
「へえ、じゃあいいとこに勤められたね」
「はい」
にっこり笑って頷くカヤに気負いはなくて、サンジも釣られて笑顔になった。
「よかった、じゃあごゆっくり」
言いながら伸び上がってカウンター越しにデザートプレートを置く。
春らしい彩のデザートだ。
「まあ、綺麗」
「美味そう」
早速いただきますと手を合わせ、それから可憐な仕種で顔を上げた。
「こちら、和々でも同じものを食べられるんですか?」
「ああ、同じものを卸してるよ。パフェとかは和々オリジナルになるけど」
「じゃあ、明日は和々に行きましょうよウソップさん。たしぎさんの様子も見てみたいし」
カヤの言葉に、サンジはあっと顔を上げた。
「そう言えば、たしぎちゃん具合悪いって昨日も青い顔してたな。カヤちゃん、診てくれてるの?」
「はい、何かお力になればと」
生真面目に頷きつつ、一口含んで美味しいと頬に手を当てる。
「そんな、大丈夫なのかな。風邪をこじらせたのか・・・」
俄かに心配しだしたサンジに、ウソップが意味ありげにゾロへと視線を走らせた。
テーブルへとコーヒーを運び終えたゾロが、その視線に気付いてなんだ?という風に近付いてくる。
「ゾロ、お前たしぎさんのことサンジに言ってないだろ」
「あ」
忘れてた、と呟くゾロにカヤがあら?と小首を傾げる。
「じゃあ、サンジさんご存じないんですね。・・・あら、私から言ってもいいのかしら」
「どうせゾロから言うことになるだろ。どっちにしたって人から聞くことだ」
「たしぎさん、ご自分で仰ればいいのに」
「恥ずかしいんじゃないか」
「今更恥ずかしがるタマかよ」
「なんだコラ、たしぎちゃんのことなんて風に言いやがる」
「あら、お松さん達とは盛り上がってらっしゃいましたよ」
「ちょっと待ってカヤちゃん、なにそれ俺だけカヤの外?」
あら上手い、と茶化すウソップにおしぼりを投げ、サンジは聞く体勢でカヤの前に移動した。
「たしぎさん、おめでたなんです」
カヤはそう言って、まるでサンジを安心させるかのようににっこりと微笑む。
「もうすぐ3ヶ月ですって、秋には赤ちゃんが生まれるんですよ」
サンジはぽかんと口を開けたまま、えーと喉の奥から空気が抜けるみたいな声を出した。
「たしぎちゃんに、赤ちゃん?」
「はい」
えーえーえーと、まるで仔犬を目にした時と同じように興奮で頬が赤くなっていく。
「そっかーおめでたかー。そうだよな、たしぎちゃん人妻なんだモンな。赤ちゃん・・・できたんだ、わー」
「おめでたです」
確認するように繰り返され、サンジは小刻みに頷いた・
「うん、おめでただ。すごく嬉しいことだ。たしぎちゃん、ママなんだ」
ママになるんだ・・・と目を細め小さく呟く。
「これまでの会話の中に、ひとっつもスモーカーの話題が出ないのが、俺には不憫でならない」
「なんか言ったかウソップ」
「いや、なんでも」
「そうですよ、スモーカーさんがパパです」
途端、サンジは嫌そうに肘を着いて頭を下げた。
「そうか〜たしぎちゃんのベビーの父親はスモーカーか」
「なぜそこでガックリする」
ゾロの突っ込みに、ウソップがひゃひゃひゃと笑った。
「楽しみですね」
「そうだな」
「楽しみといやあ、今日仔犬を見に行ってきたんだ」
「まあ」
「ちょっと待てマリモ、仔犬とたしぎちゃんちのベビーを繋げるんじゃねえよ失礼な」
「まあまあ」
「どちらも可愛いですよね」
「そうなんだよカヤちゃん!それがまあ、なんつうかこう・・・」
いかに仔犬が可愛かったか力説し始めたサンジを置いて、ゾロは駐車場に停まった車に目をやり新しく水を用意した。
噂をすればなんとやら、だ。

冷やかされるに来たようなタイミングで姿を現したスモーカーを若干気の毒に思いつつ、ドアが開く前にいらっしゃいと声を掛ける。
店の扉が開くと同時に、どこからか飛んで来た桜の花びらが店内で舞った。



END



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