サンジェルと呼ぶ


天使がキッチンを歩く。
天使が女二人に笑う。
天使が男衆に怒鳴る。
天使が紅茶片手に煙草を吸っている。
天使がこちらを見る。
天使が「ダラダラといつまでも寝こけてんじゃねぇ」と悪態をつく。
天使が「何処触ってんだこるぁああ」と蹴る。

『サンジ』と言う名をすべて天使に置き換えて可能だ。
ゾロが蹴られた尻をさすりながら、再び甲板の芝生に寝転がる。



3月2日。サニー号でのお昼前。
ルフィがおもしろ百面相をしてウソップがそれに突っ込み、チョッパーが笑う。フランキーがキッチンに設える小物入れを作り、その傍でブルックが歌を歌う。少し離れて、ナミとロビンが、紅茶を片手に本を読む。海風がキッチンから美味しそうな匂いをここまで運ぶ。そろそろ昼飯か、と思う。
別にこれといって何事もない、いつもの麦わら一味の日常の風景。
ゾロは寝転がりながら、再び、サンジを天使と唱える。

天使はいま、キッチンで昼飯を作っている。

幼い頃、どこかで観た世界名作童話の映像で天使を知った。不幸な少年ががんばった末にそれでも報われず、ただ最後に見たかった絵を見ることが出来て、そのあとしんでった話だった。不覚にも号泣したのを覚えている。最終話のラスト、教会で眠りにつく少年のもとに天使が舞い降りる。裸の子供の姿で、背中に小さな白い羽根と頭に輪っかをつけていた。
天使は、幼いゾロの脳裏に、まことに美しく清らかな存在として焼きついた。

天使はいま、おれと一緒に航海している

自分には常に睨み顔しか見せない性質の悪いツンデレ男のどこをどうしたら天使に見えるのか分からないが、いつからそう思い始めたのかも忘れたが、おれにはヤツが天使に見える。背中に羽はなく天使の輪っかもなく、金髪は同じだが、可愛らしさの欠片もない、ただの21歳のやさぐれ男でしかないのだが。
それでももしかしたら、夜中ひとりになったとき背中に隠した羽を広げて、ふるんと震わせてるんじゃないかとさえ思う。
うららかなサニー号の甲板にて。
馴染みの金髪男が羽を羽ばたかせて天空を舞う姿を空想しながらゾロはまたうとうとと眠りに落ちた。



背中にあたたかい感触を感じて、目が覚めた。
体を捩って背中の小さな温かみが何かと見やると、自分の背中に背中をもたれて座り、本を読むチョッパーがいた。
「ゾロ、動いたらダメじゃん」
抱えた分厚い本がずり落ちそうになってチョッパーがぼやく。いや、おまえ。背もたれにしてるのはいいが、そろそろいい加減にしろ。前々から思っていたがおれはおまえのソファでもベッドでもねーぞ。
ゾロの心中など頓着せずチョッパーが本を膝に置き直して、ページをめくる。
本が重たそうだったので寝転がった姿勢を起して胡坐に座りなおし、チョッパーをその上に座らせてやった。開いた本が自分にもよく見えた。
ページの片面に、天使が羽を広げて天空を舞うシーンが描かれたイラストがあった。天使だ。言わばあいつだ。にわかに興味がわいたので聞いた。
「何の本を読んでるんだ?」
チョッパーが振り向く。
「宗教と医学の関係について書かれた本だよ。昔は密接な関係にあったんだけど、医療技術が進歩するにつれて宗教的癒し要素が減ったって」
「なんだそりゃ」
聞いてはみたが、チョッパーの説明がさっぱり理解できない。ただ、開いたページのイラストの天使。その天使はまさに、昔見た物語のクライマックスのそれと同じ姿をしていた。
イラストの上にスペルが書いてある。

ANGEL

「これはなんて書いてあるんだ?」
「エンジェル、って読むんだ。天使ってことだよ」
あーそうだ。天使のことをエンジェルとも言うんだったな。
エンジェルな。エンジェル。

お、エンジェルがこっちに歩いて来た。

「てめーら、メシだって何度言わせんだよ」

エンジェルがメシだと言って睨んでいる。

最近マイブームの「サンジ」→「天使」に置き換えゲームと同じように、サンジの名前をエンジェルにして、心で唱える。
エンジェルは胡坐をかいてすわる自分とその膝の上で本を開くチョッパーの前に立ち、咥え煙草で、口を歪めてこちらをギロリと睨んでいた。
「早くこねーとてめーらの昼飯全部ルフィに出すぞ」
あわわわ、と慌ててチョッパーが一目散に2階デッキへと階段を駆けて行く。
座ったまま動かないゾロを見下ろして、エンジェルは一言
「てめーはいらねぇんだな」
と低く言い捨て、背を向けた。ゾロはその背中に、羽が見えた、気がした。


真っ白な翼がバサリと一振り、柔らかく羽ばたく。

あたりに白い羽根がふんわりと舞う。

日の光に照らされた金髪が頭部の丸みにそってゆるく光る。まるでイラストにあった天使の輪のように。


左足のかかとがすっと上がり、右足の膝がほんの少し折れた。いままで何度もあった戦闘で、いままで何度も見たことがある、跳躍する一瞬前の足裁き。
自慢の脚力使って2階デッキまで階段使わず、飛ぶつもりなのだろう。
天使が飛び立ってしまう、と思った。
呼び止めたくて、口から思わずの言葉が出た。

「サン、」

ヤツが振り向いた。いままで見たこともない顔で、体をよじったまま、停止した。

おれはその顔に口走った。何を思ったか、何も思わずだったのか自分でもよくわからない。

「サン、…ジェル」

「は?」

息を吐いたようなヤツの声。言った自分も何を言ったのかすぐには把握できず、自分で自分に「なに言ってんだ?」と思った。

「・・・・・・・・・」

二人の間に流れるしばしの沈黙。
先にしゃべりだしたのはサンジのほうだった。
「な、何をわけがわかんねぇこと言ってんだ。とうとうバカが筋肉から頭までまわったか」
「…」
言い返す言葉を見つけられないゾロが無言で固まる。あはは、と突然、別方向から笑い声がした。
「わけがわからないことでもないよ?」
サンジのうしろからチョッパーがてこてこと歩いてきた。自分の食事を確保して本を取りに戻ってきたらしい。本を拾いながら、無邪気に言う。
「サンジェルってさ。サンジ、足す、エンジェルってことだよね?さっきの、本のエンジェル見て思いついたんだろ?いいじゃんサンジェル。ゾロ、上手いこと言うなぁ」
笑いながら本を持って、また2階へと歩いて行った。

「・・・・・・・・・」

二人の間にまたまた流れる静寂の間。

だんだんと面白いほどに、サンジの頬が赤くなった。そのうち首まで真っ赤になって、眉がくるんと困ったように垂れた。でも煙草を咥えた口から出る台詞はいつもの憎まれ口だった。
「なんだ?阿呆がまた変なあだ名考えついたか。もういい加減なに言われてもスルー出来るがな。なにがあってもオレの名前呼ばないつもりもわかったがな。おまえそのうちマジオロスからな」
イロイロ言ってるが、顔が赤い。
そうか、サンジェルか。
「天使」は呼びづらいが、これなら簡単。
立ち上がってすい、と近寄り、肩を引き寄せた。
いつまでも悪態をつく口を塞ぐ。
唇を離して、目をまん丸にしたびっくり顔の耳元に口を寄せて、

「サンジェル」

と囁いた。

わあああああああああああああああ、

全力で蹴られて、海まで吹っ飛んだ。



本日3月2日。夕刻からもう待ちきれんとばかりのルフィの号令でパーティが始まり、飲んで食べて笑って騒いで。最後に一本締めでおひらきとなり、みながそれぞれサンジにプレゼントを渡しておめでとうとおやすみを言ってそれぞれ寝床についたころ、やっとゾロは海から自船の甲板に帰還する。そしてまず風呂入れと怒鳴られて風呂に入りメシ食えと言われて食って、やっとサンジを胸に引き寄せる。
白い首筋に唇を寄せる。
腕の中の天使が、ふるんと震えた。






*** end ***



   *  *  *


まさかの一人遊びゾロ!!
マイブームにサンジェル加わって、もう無敵ですね。
これはサンジ、居た堪れないわ〜〜〜(笑)
もうめっちゃくふくふニマニマしながら読み進めちゃいました。
いいわあこのゾロ。
緩んだ口元が戻りません。
幸せサンジェルをありがとうございます!