こんなに長い幸福の不在 -11-




「いままでどこほっつき歩いていやがった、このクソガキが!」

びりびりと空気を震わせるような怒声と共に、サンジは甲板まで蹴り飛ばされた。
扉を突き破り船べりに背中を打ち付け、なんとか止まる。
最初から覚悟して受け身も取ったが、蹴りの威力が半減していることは否めない。
それでも、仁王立ちするゼフは昔とちっとも変っていなかった。
髪は真っ白になり随分と痩せて、少し小さくなってしまったようだけれど、サンジから見ればいつまでも大きくて強い、クソじじいのままだ。
「まいったな、本当にちびなすで変わってねえ。あん時のまんま、ちびなすじゃねえか」
「畜生、ほんとに今までどこにいやがったんだ」
「心配させやがってコノヤロウ!」
古参のスタッフ達はさすがに老けていたが、暑苦しい勢いはそのままだった。
サンジがバラティエを離れた時、ああ見えてまだ30代だったから今は50歳半ばくらいか。
まだまだ働き盛りだ。

サンジは船べりに手を掛けて立ち上がり、そのまま深く頭を下げた。
「心配かけて悪かった、無事戻った」
「チビなす・・・」
涙もろいパティなど、もう滂沱の涙を流している。
サンジはきっと顔を上げ、ゼフを見つめた。
「ジジイ、俺はオールブルーを見つけた。この目で確かに見つけたんだ」
どこから説明したらいいのかと、逡巡しつつ言葉を綴る。
だがゼフは、ふんと鼻で息を吐いた。
「いつまでも外でベラベラ喋ってんじゃねえ、長い話になるなら中で座って話せ。年寄りをいたわる気持ちもねえのか」
「誰が年寄りだ、どこにか弱い年寄りがいるってんだ」
「あんだとお」
「じゃあ、お言葉に甘えてお邪魔しちゃいましょうか」
ゼフとサンジのやり取りを一応の挨拶とみなして、ナミはさっさと大所帯を連れて店の中に入ってしまった。
カルネが気を利かせて臨時休業にしてくれたから、これから揃っての宴会になるだろう。
オールブルーの話は、戦争みたいな厨房で立ち働きながら報告すればいい。
サンジも最初からそのつもりで、真新しいコックコートに袖を通した。



「夢みてえな話だが、チビなすがこうじゃ信じねえ訳にはいかねえな」
ひとしきり食事を終えて満足した一行にパティ特製デザートが振る舞われる頃、サンジも仕事に一区切りつけてテーブルに着いた。
「でしょう?サンジ君にとっていままでの22年間はまったくなかったことになってるの」
「本当に夢みたいな場所だったけど、あそこにいたのは俺にとってわずか数時間のことだったんだ」
ナミの説明に助けられてなんとか順序立てて話をしたサンジは、どこをどう見ても20歳になるかならないかくらいの若さを保っている。
時事問題は全く知らないし、業務用のオーブンの使い方もわからなかった。
なにもかもが便利だけど、ちょっと使いづらいとこもあんじゃないかと年寄りみたいな愚痴も零す。
姿を消す前と何ら変わりないことに安堵はしたが、不憫でもあった。

「しかし、時間が止まる島だってのか?」
「止まるんじゃないわよ、流れ方が違うの」
「しかも出たり消えたり、どこに現れるかわかんないしで掴みどころがねえ」
「それで、幻の海だってェ訳か」
難しいこたぁさっぱりわからねえと、むくつけき男達が腕を組んで首を捻る中で、サンジは畏まってゼフに向き直った。
「ジジイ、俺ぁもう一度オールブルーに行くつもりだ」
ゼフの、真っ白な眉毛がほんの僅かに上がる。
「見つかるかどうか、行ってみてどうなるかはわからねえ。だが、俺は確かにオールブルーを見つけた。あの島で、あの場所で、俺は店を開く」
開きたい、見つけたいという希望ではなく、これは宣言だ。
「だからその店に、バラティエの名を付けることを許して欲しい」
周囲が静かにざわめいたが、誰も言葉を発しなかった。

サンジの決意を正面から受け止めて、ゼフは小鼻を膨らませ“ふん!”とひときわ大きく息を吐いた。
「生意気言いやがって、ちゃんとオールブルーを見つけてから言いやがれ」
「今度こそ見つける。そして見つけたら、もう絶対に離れない」
「できるもんならやってみろ。そこにバラティエの名を付けようがどうしようが、てめえの勝手だ」
吐き出すようにそう言ってから、すっと視線を下げる。
「どこにいてもてめえが元気なら、それでいい」
「――――ジジイ」
先に、見守っていたパティが感極まって泣き声を上げ、カルネ達に袋叩きにされた。
ルフィはしししと笑い、ナミは目尻の涙を拭って、ウソップが両手を挙げて快哉を叫ぶ。
「ようし、バラティエオールブルー店決定だ!」
「早速看板作らなきゃなあ」
「ある程度、店の外観は組み立てで設計できてんだ」
「いよいよですね、忙しくなりますヨホホ〜〜」

俄かに沸き立つ仲間達を背に、サンジはゼフに静かに頭を下げた。
このままオールブルーへと向かったら今度こそ、今生の別れになる。
そのことはお互いにわかっているけれど、だからといって特別な言葉などいらない。
ゼフはふと、サンジの背後に視線を転じた。
常にサンジの後ろに、影のように佇んでいる男を見る。
今はもう“大剣豪”と呼ばれるようになって久しいが、無駄に畏怖や威圧感を与えない男だ。
むしろなぜかとても穏やかで、優しい瞳でずっとゼフと語らうサンジを見つめている。
ゼフの視線に気付いたか、ゾロはサンジの肩越しにゼフを見た。
まるで“任せておけ”と言わんばかりに小さく頷くからムカつきはしたが、ここで怒り出すほどゼフは若くも野暮でもない。
苦虫でも噛み潰したように口をへの字に曲げて、ゼフはゾロとサンジの顔を両方見比べ、もう一度“ふん!”と息を吐いた。

「じゃあ、行って来る」
「いつも、馬鹿みてえに元気でいろ」
「いままでお世話に――――」
「とっとと行け、クソガキが!」
最後はやっぱり蹴り出されて、サンジは振り向きざまに悪態を残して去った。
それが、二人にとって相応しい別れの言葉だとみんなわかっている。





「万能型潜水艦ユニコーンFive!発進!」
ルフィの高らかな宣言と共に、本船から切り離された大型潜水艦が深海目指して突き進む。
乗員は船長のルフィ以下、かつてのサニー号の仲間達と少数精鋭の技術者達だ。
それと、オールブルー店を建設するための材料と道具が一式。
フランキー達の手に掛かれば、数日も掛からずに建設できるだろう。

強い水圧などものともせずに、潜水艦はまっすぐに目的地へと突き進む。
こんなにも深く潜って、果たして陸地へと出るのかと不安にならないこともないが、ナミがロビンが、そして多くの研究者たちの協力を得て辿り着いた結論に間違いはないと、信じる気持ちの方が強い。
やがて濃紺の海に突然現れた裂け目から、透き通るような空の青が覗いた。

「―――――着いたー!!」
ここが、オールブルーだー!!
ほんの数か月前にサンジが聞いた、そして発した言葉を22年の時を経て再び全員で叫んだ。
初めてこの地に降り立つ者達も、子どものように歓声を上げている。
「すげえ、本当に夢みたいな場所だ」
「綺麗だなあ」
受かれる仲間達をよそに、サンジは覚えのある場所を見て回った。
やはり、再び辿り着いたオールブルーは、サンジが「ちょっと離れた」時と同じ状態だった。
海に入るために脱いで畳んで、木陰に置いておいた服もそのままになっている。
「ここだ、ここだよ間違いねえ」
「驚いた、本当にサンジ君の持ち物が、そのままあるわ」
「これ、昔のテントだよ懐かしい」
どこまでも晴れ渡る空と穏やかに浮かぶ白い雲、そして透明な海にはしゃぎかけた仲間達を、サンジははっとして止める。
「おい、こんなに呑気にしてていいのか。ここで過ごす内に、またあっちではどえらい時間が流れてんじゃねえのか」
一人で焦るサンジに、ロビンがゆったりと首を振る。
「おそらく大丈夫だと思うわ、以前サンジ一人を置いて私たちが近くの島に渡った時、そこで私たち自身がウラシマ状態にはならなかった」
「あ、そうか」
あの時、何ごともなく近くの島に着いて、そこでゾロの誕生日に合わせてオールブルーへと戻ろうとしたのだ。
時間のずれはなかった。
「オールブルーそれがどんな頻度で現れるのか、何をきっかけにして接点を繋ぐのかまではわからないわ。
それらを解明するには、人生はあまりにも短すぎる。けれど、私達がなぜ時間をずれることなく戻れたのか、いったい何が違うのか。私たちなりに調べて一つの仮説を立てたわ。それは、この島に上陸する時と立ち去る時の角度よ」
「角度?」
「角度というのか方向というのか、同じ方向から入って出れば時空の歪みは生じない」
「ほんとに?!」
すごい、と目を瞠るサンジにロビンは微笑んだ。
「その仮説をこれから証明するのよ、私たち自身が」


フランキー達はさすが本職とばかりに、手際が良かった。
ほんの数日間で立派な店と、隣接する小さな家が出来上がる。
島の高台にある一番日当たりのいい場所には、太陽光発電が取り付けられた。
その他にも、島の自然を最大限生かした発電装置が、景観を損ねることなくあちこちに設置される。
「これで、この島でなら“当分の間”なに不自由なく暮らせっだろう」
毎日、豊かな食材で作りだされるサンジの手料理のお蔭か作業は捗り、あっという間に【バラティエ オールブルー店】は完成した。

「すげえ…」
サンジ一人でも賄えるよう、店舗自体は小さいが厨房は最新式の設備で揃えられ、使い勝手も良い。
雄大な景色を望めるテラス席は、天候と椅子の数次第で今後いくらでも増やすことができる。
「22年間の成果、ここに極まれりだ」
偉そうに鼻を高くするウソップに、そうだそうだと仲間達が囃し立てる。
「店開きついでに、ここでゾロの誕生日をしようぜ!」
「あ、それ私も提案しようと思っていた」
自然と上がった声に、サンジは人知れずほっとした。
実は、22年後に戻ってきて以降ずっと気にしていたのだ。
もうすぐ11月11日を迎える。
サンジが「次の誕生日に」と言っていたのと、すでに22年の隔たりを経て迎える、ゾロの44回目の誕生日だ。
オールブルーで祝い損ねた分、またここで改めて祝いたいなと密かに思っていたが、22歳ならいざ知らず44歳のおっさんの誕生日を祝いたいと、口に出すのは憚られた。
まだ二人きりならテレもなく言い出せるが、仲間が全員そろっている場所では尚のこと。
「なあ、サンジもお祝い料理作ってくれるよな」
チョッパーが、昔と変わらずあどけない眼差しで問いかけてきた。
図体ばかりがでかいけれど、相変わらず甘いもの好きだ。
「しょうがねえな、大剣豪さんには特製の、めちゃくちゃ甘くて美味いケーキ作ってやるよ」
「やったあ!」
「いよっ、大盤振る舞い」
ゾロは甘いものは苦手だと言っていたから、嫌がらせついでに本気でチョコレートたっぷりの特大ケーキを作ってやろう。
サンジはそうほくそ笑んだが、22年ぶりに自分のために作られたケーキを、ゾロが残すはずもなかった。



水平線がうっすらと白み始める頃、朝露に濡れた樹々に静かに朝日が降り注いだ。
夜通し騒いだ仲間達が、そこここに点々と倒れ伏しているのが照らし出される。
まさに死屍累々と言った有様だが、みな腹を満たし美酒に酔って満足そうな寝顔だ。
起こさないようにそっと足を忍ばせ、サンジは転がった酒瓶を拾い集め食器を片付けていく。
どれも舐めたように綺麗に空になっているから集めやすい。
島の中央に滾々と湧き出る泉から引いた水場は、天然の洗い桶だ。
そこに浸けてさてと振り返ると、ちょうど木陰に大の字に寝そべるゾロを見つけた。
手枕で大口を開け、いかにも太平楽な寝顔だった。
「―――ったく、いつでもどこでも寝こけやがって」
サンジは咥えていた煙草を揉み潰し、携帯灰皿に仕舞ってからそっと近寄った。
無防備な脇腹を蹴って起こしたいのと、このままずっと寝顔を見ていたいのと両方の気持ちが沸き立ってくる。
結局、どこかあどけなくさえ見える寝顔に負けて隣に腰を下ろした。

ウラシマ伝説の島でゾロと再会し、サニー号に帰ってバラティエに戻って、それから海の底を潜ってオールブルーに辿り着いて。
ゾロとは、あれいらい二人きりでじっくりと話をしていない。
当たり前みたいにいつも傍にいるから、それが普通のように錯覚していたけれど、ほんとにこれでよかったんだろうか。
自分の夢を優先させて、オールブルーに辿り着いて。
こうしてサンジがここに留まる事をどう思うのか、ゾロは、俗世に未練はないのか。
サンジがいない22年の間に、情を交わした相手だってきっといるだろう。
心残りは、ないのだろうか。
それともやっぱり、ここに留まるのはサンジ一人で―――

急に不安が胸を過ったら、まるで察知したかのようにゾロの右目がパチリと開いた。
寝ぼけた風でもなく、覗き込む体勢のサンジをまともに見返す。
「あ、お、おはよう」
間抜けな挨拶をしたサンジに、すっと片目を眇めてから手枕を解いて腕を掴んだ。
そのまま引き寄せて、自分の胸に抱き込む。
「わ、ちょっとまて・・・」
「まだ早え、てめえも寝てろ」
「いやだってもう朝だし、片付けが」
「後でみんなでする、どうせ宴会の後は昼過ぎまでみんなで寝くたれてんだ。なんかあったら俺が起きる」
ゾロは目を閉じて口の中で呟くようにぶつぶつ言ってから、再びすうと深く息を吐いた。
唐突に起きて唐突に寝るよなと、半分呆れつつ温かなゾロの胸の感触にサンジまで眠気を誘われた。
なんかあったら、確かにゾロは起きるかもしれない。
それならまだ、もうちょい、いいか――――

結局そのまま二度寝して昼過ぎに目覚めたサンジは、大樹の根元でゾロと一緒に毛布を掛けられているのに気付いて大いに慌てた。
なんかあったら起きるっつっただろうがとゾロを責めたが、ゾロにとっては仲間に見つかって毛布を掛けられたことぐらい大したことじゃあないので、なんの問題もない。
なにせ仲間達は大概、大人なのだから。

店が完成するまでは今か今かとワクワクしていたが、いざできてしまうと仲間達との別れが待っていた。
誰も言葉には出さないが、誰しもが寂しく悲しい想いを胸に抱え、自然と暗い雰囲気になる。
それを払拭するように、ルフィは「よし!」とひときわ大きな声を出し立ち上がった。
「俺には俺の冒険がある。次の海を目指して、行くぞお前ら!」
「おお――――っ!」
ルフィの一声で再び活気づいた仲間達は、出航準備に取り掛かった。
楽園のような場所に安穏としているのはよしとしない。
彼らはいつも、常に先へ前へと走り続ける。


「じゃあサンジ君、またね」
「ゾロ、サンジをお願いね」
「喧嘩ばっか、してんじゃねえぞ」
「医療用具は一式置いといたから、サンジは辛くても我慢しないで、ゾロは酒飲んで怪我治すんじゃねえぞ」
「また、ちょくちょくメンテナンスに来るぜ」
「お二人とも、どうかお達者で〜〜〜」
大げさな別れの挨拶はせず、淡々と船に乗り込む。
一番最後に船長が、ハッチを開けて叫んだ。
「ごっそさん、美味かった!またな!」

「おう」
「またな」
ユニコーンFiveは元来た浜辺をゆっくりと後退し、静かに沫を立てながら沈んでいく。
本当に、来た道と同じ道を辿れば元の時間軸に戻れるのかは、これから彼ら自身が証明するのだ。

望遠鏡を通して見える、遠ざかる景色の中にはいつまでも見送る二人の姿が映っていた。
真新しいレストランを背にして両手を大きく振るサンジと、当たり前みたいに隣に立つゾロ。
誰も敢えて経緯は聞かなかったが、二人がこうしてこの場所に留まることは自然な成り行きに見えた。
彼らは、喧嘩しながらもいがみ合いながらも、きっとずっと共にいる。
波の飛沫にかき消される寸前まで、彼らは幸福そうに微笑んでいた。

そうして二人は、伝説になった―――――








海賊王の妻、ナミが創始者となった麦藁カンパニーは水陸海の要衝をすべて牛耳り、世界有数の大企業にのし上がった。
特に人気なのは、幻の島・オールブルーへの美食の旅だ。
50年先まで予約でいっぱいの破格ツアーだが、希望者は尽きることがない。
その島には年若いが腕のいい料理人と、現役の大剣豪がいる。
美食を極めたグルメ達が、またはオールブルー自体を夢見た者達が大枚をはたいて島へと渡り、実り豊かな島の幸と海の恵みを存分に味わった。
また、剣の道を究めたい者には、大剣豪がいつでも相手をしてくれる。
誰にとっても夢のような島は確かに実在し、その伝説はいつまでも色褪せることはなかった。

今もなお、10年に一度
―――――その扉は開かれる。



End



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