不治の病



「マリモが悩んでるだァ?」


キッチンで一人地味に、でも鼻歌なんぞを口ずさみながら芋の皮むきをしていたサンジは、仕事をする手を休めずに聞き返した。
ルフィ以外の男連中が、首を揃えてサンジの元へやって来ている。
その訴えを聞かされたサンジの口には火の点いていない煙草が咥えられ、眉根は機嫌悪そうに寄せられていた。
(つまんねェことで俺の邪魔してんじゃねェよ)
口に出すのも疲れると思っているのだろう。黙っている彼の心の声が聞こえてくるような表情だった。
だがそんなものには怯まずに、男どもは至って真面目に頷いた。
ちなみにルフィは、彼等がやって来る少し前にキッチンにやって来て、サンジに残り物のおやつをねだって頬張っている最中である。
「ちょっと今までにないくらい真剣な顔してよ、声を掛けるのも躊躇われるんだ」
ウソップがいつも通り、オーバーなアクションと表情で力説するけれど、サンジは全然興味なしである。
フンと鼻を鳴らして芋の皮をむき続けている。
「思いつめて変なコトしなきゃいいが・・・」
「ほかっとけよ、あいつはマリモだがガキじゃねんだからよ」
フランキーが大人らしい心配を口にしたが、やっぱりサンジは全く興味なしである。
ちなみにルフィも特に興味はないようだ。下品に目の前の食べ物を口に運んでいるだけである。
「でもでも、ゾロは本当に悩んでるみたいなんだよ、サンジ」
小さなチョッパーがサンジの傍に寄って来て、エプロンの端をクイクイと引っ張った。
サンジは仕方なく芋から視線を外し大きく溜め息を吐いた。
「俺にどうしろってんだよ」
「様子探ってくれよ、心配なんだ」
「何で俺なんだよ。お前でもお前でもいいじゃん。それにそこでおやつ食ってるのは船長だぜ。あっちに言えよ」
ルフィが、ん? と反応してこっちを見た。皆もルフィのほうを見る。
だが、口にいっぱい食べ物を詰め込んで顔中に食べかすを付けている船長を見て、男連中は力なく首を横に振った。
「なァ、サンジ頼むよ」
「だから、何で俺なんだよ」
「だって・・・」
「オメェとサンジは仲良いじゃねェか」
チョッパーが言いよどんだ先をフランキーが引き継いだ。
「同い年だし話もしやすいんじゃねェか?」
「別に仲良くねェし、どうせマリモの悩みなんて大したことねェよ。だってマリモだからな。難しいことは考えられねんだ」
「いや、あいつ人間だし」
ウソップらしいもっともな突込みである。
「じゃあ聞こう、フランキー」
ウソップは無視して、サンジは右手に持っていた包丁をフランキーに向かって突き出した。
「危ねェな、人に刃物向けるなよ」
フランキーが顔を顰め抗議するが、サンジは気にすることなく話しを進めた。
「お前が真剣に悩むこととは何だ」
「あ? 俺?」 
いきなり問われ、それでもフランキーは腕を組み少し考えた。
「あれだな。コーラがこの世からなくなったら、ってのはかなり深刻だな」
「なるほど、この船もコーラ使うしな。だがもしそんな世の中になったら、お前の身体もこの船も海水仕様にしろ。次ブルック」
フランキーが塩水は錆びるとか何とか言っているが聞こえないフリをする。
「私は・・・美しいお嬢さんがパンツを見せてくれない、とか」
「うんうん、それも由々しき問題だ。だがな、レディがこの世からいなくなるほうがもっと大きな問題だ。次ウソップ」
「卵が値上がりするとか」
「それは俺にも大打撃だ。でもだったらお前は別のもので新兵器を作れ。ってか大体腐った卵使うんだから問題ないだろうが。
適当なこと言うなよ。次チョッパー」
「俺は、え〜っと、え〜っと?」
チョッパーが酷く混乱した様子で考えているのを見て、サンジは大きく頷いた。
「チョッパー、お前は今真剣に悩んでいる」
「え、あっ! 本当だ!」
「ついでに聞いておこう。ルフィ、お前の一番の困りごとは何だ?」
「ファ? ホフェファフェファア、フォフォファホ」
「うん、そうだな」
「―――・・・あの、ルフィさんは今何て言ったんですか?」
「分からん」
ブルックの問いかけに、サンジは胸を張って答えた。
「分からんが多分、肉がなくなったら嫌だとかそんなところだろう」
ルフィが大きく頷いた。皆がオ〜と賞賛めいた声を上げる。
「まァ、これくらいは朝飯前だ」
「スッゲェ、サンジ!」
「スゴイだろ、チョッパー。その内お前にも分かるようになるさ」
フフンとサンジは誇らしげに胸を逸らし、目の前に並んでいる男どもを見た。
「お前ら今聞いたな? 他の男どもは今言ったようなことで深刻になるんだよ。よってマリモもその程度だ。
したがって俺らが心配してやることはない。OK?」
サンジが言い終わり皮むきを再開すると、男どもは一斉に反論の声を上げた。
皆の声が一緒になっているので何を言っているのか分からないが、おそらく、自分の悩みと他のヤツの悩みを一緒にするなとか言いたいのだろう。
そんな反論を受け入れるはずもなく、サンジは無心で芋に向き合っていたが、四人の唾がピンピンと飛んできて遂に堪忍袋の尾が切れた。
「うるせんだよ! 真剣に悩もうが笑いながら悩もうが悩みは悩みだ!! マリモが真剣に悩んでんなら、それはそれで良いじゃねェか! 行き詰れば自分から言ってくんだろ! いつも使わねェ脳みそ一生懸命働かせてんだ、
たまにはそうやって働かせねェと脳みそ溶けんだよ! あいつに人間でいて欲しかったら黙って見てろ!俺は飯の仕度してんだよ!!」
言っていることは無茶苦茶だが、サンジのあまりの迫力に四人が思わず口を閉じたそのとき。
「あ――、食った食った」
ルフィのマヌケな声がした。
「サンジ、美味かったァ、ごちそうさん!」
「オオ」
満足そうにお腹を擦ってルフィが立ち上がった。
サンジは相変わらず芋とお見合いしている。四人は黙ってルフィの動きを目で追った。
パタンと音がして扉が閉まり、ルフィ自作の奇妙な歌がペタペタという足音ともに遠ざかっていく。
四人は毒気を抜かれたようにお互い顔を見合わせると、肩を竦めて一緒にキッチンを後にした。

夜が更けた頃、風呂から上がったゾロがキッチンへやって来た。裸の上半身から湯気が立ち上っている。
首に掛けたタオルでガシガシと無造作に髪を拭きながらイスに座ると、タイミングよく酒とつまみがテーブルに置かれた。
「お、サンキュ」
簡単に礼を言ったゾロが、グイッと酒をあおり皿のつまみに手を伸ばす。
その様子を、サンジは横目で観察した。
「上にこの酒持ってって良いか?」
酒瓶を掴み聞いてくるゾロは、いつもと変わらないように見える。
「あァ、良いぞ。夜食は後から持ってってやるよ」
「頼む」
言いながらゾロは立ち上がった。
「シャツくらい着て上がれよ」
サンジがそう声を掛けると、ゾロは少し間があってニヤリと笑った。
「すぐ脱ぐのに?」
「そう思うんなら下も脱いでけば?」
アホじゃねェの? と思いながら言い返したが、ゾロは真剣に今の提案を考え始めたようだ。
そうして本気でズボンに手を掛けた。
「ブァカ! 汚ねェ裸こんなところで晒すんじゃねェ!」
サンジは堪らず怒鳴った。
「何だよ、いっつも見てんだろうが。・・・まァ、そんな捻くれたところも好きっていや好きなんだが」
「バカ言ってねェで早く仕事しに行け!」
サンジが投げた雑巾をヒョイとかわし、ゾロはブツブツと何か言いながら下半身は晒すことなく展望台へ向かっていった。
(信じられねェ、何だあの下品さは)
何だあのバカさは。何だあの羞恥のなさは。
そんなことは今に始まったことではないけれど、いまだに慣れない。
好きだとか可愛いとか、どこがイイのかとか気持ちイイかとか―――。
刀を振り回して敵を斬っている姿からは間違っても想像もできない。
付き合い始めたときは、あんなヤツだとは思わなかった。
もっと硬派で言葉少なくて、でもこっちの話はキチンと聞いていて、時折言う一言がズシンと重く心に響くようで、黙ってそこにいるだけで安心できるような、そんな感じだと思っていたのに。
フタを開けたら意外に喋るしベタベタ触ってくるし、そこにいたら鬱陶しいだけだし、エロ過ぎるしアホ過ぎるし。
ちなみにサンジは、そのゾロに対して勝手に抱いていたイメージがゼフと重なっていることに気づいていない。
言いたいだけの悪態を心の中で吐くだけ吐いて、サンジはゾロがテーブルに置いていった雑巾を片付けながら、疲れたように息を吐いた。
「ったく、あいつらいい加減なこと言いやがって。あれのどこが真剣に悩んでる人間なんだよ。目が悪いにもほどがあるだろう」
昼間のことを思い出す。
心配して損した。
あ〜あ、と誰に聞かせるでもなく派手に溜め息を吐き、サンジは用意した夜食を持ち展望台へ上がった。
ゾロはいつも真面目に外を見ている。だが、サンジが姿を見せると、嬉しそうに笑って手を伸ばしてくる。
サンジはいつもそれに一言二言文句を言いながら従う。何だかんだで結局ゾロが好きなのだ。
今日もお決まりのそんなコースだろうと思いながら展望台の扉を開けて顔を覗かせた。
「・・・ゾロ?」
いつもなら真面目に見張りをしている緑の男が、窓際で辛そうに顔を伏せていた。
「どうした? ―――オイ、大丈夫か?」
近寄って体に触れたら熱かった。熱がある。
「だから服着ろって言っただろ! バカ剣士!」
「・・・頭に響く、どなるな・・・」
普段からは考えられない弱々しい様子に、ゾロがかなり参っていることが分かった。
「チョッパー呼んでくっから」
慌ててそう言い置いて、サンジは男部屋へと走った。


サニー号の展望台は好い。メリーの吹きさらしの見張り台も良かったけれど、ここには屋根も壁もある。
一人でぼんやりしていても、誰にも咎められないし気づかれない。
メリーのときは下から見上げて頭が見えなかったら、それは寝ているときだ。
ゾロはそれでよくナミに叱られていた。
そのゾロは今医務室で寝ている。
一昨日の夜、タダならぬサンジの様子に焦ったあまり、自分が一瞬医者であることを忘れたチョッパーの
診断によると、ゾロの体調不振の原因は親知らず。どうしたわけか、四本まとめて一気に生えてきたようだ。
男連中が、ゾロが真面目な顔で悩んでいると言っていたのは、悩んでいたのではなく痛かったのだろう。
刀も咥えられる丈夫な顎なのに、親知らずには勝てなかったらしい。親知らずの生えていないサンジは、バカにしたように一人笑ってやった。
まとめて変な方向に生えてきた親知らずを、ゾロの面倒くさいからという理由で昨日全部一気に抜いたところ、顔が腫れて熱が上がった。
自分で足を斬ったり、袈裟懸けの傷に麻酔を使わなかったり、そういうことは平気だったのに歯の手術でダウンするとは誰も思っていなかった。
あのルフィまでもが驚いている。もちろんサンジも驚いた。
だが、いつもの何倍にも膨れたゾロの顔を思い出すと笑えてくる。
腫れた部分を氷嚢で冷やしているので、更に膨れているのだ。
「写真に撮っておきてェな〜」
ケケケと声を出して笑ったとき、ロビンが交替だと言ってやって来た。
「彼、相当参ってるわよ。まだベッドから起き上がれないみたい」
「情けねェな、たかが歯で」
「アラ、でも昔は歯の傷が元で亡くなる人もいたそうよ」
「え、そうなの?」
死ぬほど大変な傷なのか?
「大昔の話よ」
顔色を変えたサンジを見て、ロビンはクスリと笑った。
一瞬焦った自分を見抜かれて、サンジはバツが悪い思いでロビンに後を引き継いでキッチンへと向かった。
甲板で各々のことをしているクルーを見ながら、キッチンの扉の前に立ったとき、一羽のカモメがサンジの元へ飛んできた。
そうして口に咥えている手紙を差し出してくる。
「俺に? 誰?」
そんな疑問を投げかけても、もちろんカモメは答えないしサンジも期待していない。ただ言ってみただけである。
「ジジイ?」
カモメの口から手紙を受け取り差出人を見たサンジは、少し驚いたように声を上げた。
ゼフから手紙が来るのは珍しいことではないけれど、いつもは何か物も一緒に送られてくる。
それはイーストブルーの名産品だったり、サンジの好きな食べ物だったり服だったり、色々だけれど大抵それらの荷物に他のコック連中の手紙や写真が添えられているのが常である。
なのに、今カモメが届けてくれたのは小さな花の絵が控え目にプリントされた、ゼフにしてはちょっと可愛らしいデザインの封筒のみだった。
「これだけか?」
手紙を人差し指と中指で挟んでヒラヒラさせながらカモメに問う。
「クエッ!」
そうだ! とでも言うように一声鳴き、カモメは空へ飛び上がっていった。
「ふ〜ん・・・まァ、いいけど」
鳥を見送りキッチンへ入る。
貧乏海賊にとって、ゼフから定期的に送られてくる物資はかなりありがたかったのに。
バラティエにも不況の波が訪れているのだろうか。
それとも、急ぎ手紙を書かなければならないような何かがあったのか―――。
「まさかジジイ、結婚するとか報告してきたんじゃねェだろうな」
(俺より先にそんなの許さん!)
突如として浮かんできた考えに猛然と腹を立て、サンジは乱暴に手紙の封を開けた。
見慣れた冒頭の挨拶に続いた文章を読みながら、サンジは首を捻る。そこにはこう記されていた。

『俺は前からお前に言おうと思っていたことがある。
自覚があるかどうか知らないが、お前はかなり捻くれた性格だ。おまけに気も強い。
海賊をするからには舐められたらお終いだ。気の強いのもいいが、ときには素直になることも必要だ。
特に、惚れた相手にはな。
人間なんて、いつどうなるか分かったもんじゃねェ。
惚れた相手にはへそを曲げずに素直になっとかねェと、後で泣きをみてからじゃ遅いんだぞ。』

「何だこれ、ジジイのヤツ頭に虫でも沸いたか」
手紙を読み終えたサンジは、思わずそんなことを呟いた。
一体何故、今こんなことを書いて寄越してきたのか。
「もしかして―――何か病気でもして気が弱くなってんのか?」
例えそうだとしても、ゼフは自分から病気だなどと言ってはこないだろう。
こちらから聞いたって答えてくれないに違いない。
「パティに手紙でも書くか」
そのほうが確実だ。サンジはそう決めると、手早く一人分の食事をテーブルの上に整えた。
そうして医務室の扉をノックする。
「チョッパー、飯食えよ。俺が代わるから」
扉を開けながら中に向かって声を掛ける。机に向かって本を読んでいた小さな船医が嬉しそうに顔を上げた。
「ありがとう。じゃあ、俺ちょっと食べてくる。ゾロ今寝てるから」
「オオ、任せろ」
軽く請け負ってチョッパーと交替する。
医務室に入ったサンジは、チョッパーが欲しがっていたクルクル回るイスに座り、そのまま一回転してみた。
なかなか快適だ。そのまま肘掛に肘を乗せ、ふんぞり返って室内を見回す。何となく偉くなった気分である。
「フ〜ン、こりゃ結構」
作業台から見るダイニングも良いけれど、ここはここで良い感じだ。
軽く鼻歌なんぞ口ずさみ、分かりもしない医学書を開いてみた。頭が痛くなりすぐ閉じた。
そのとき背後から衣擦れの音がした。振り返れば、自分を見ている深緑の目と視線が合った。
「起きたか」
「―――チョッパーは?」
「飯食ってる。―――冴えねェ面だな」
サンジの憎まれ口に、ゾロは疲れたように息を吐いただけで再び目を瞑り天井に向いてしまった。
「・・・飯食いてェ」
数日は噛むものはダメだとチョッパーから言われている。
独り言なのかサンジに向かって言っているのか分からない呟き。
そのあまりにも弱い調子に、サンジはいつもの調子を狂わされた。さっきロビンが言っていたことが頭をよぎる。
「・・・・・・早く元気になれよ」
思わずポツリと言っていた。ゾロが一瞬の間の後に、驚いた顔をしてサンジを見る。その顔を見てサンジも驚いた。
―――今、自分は何を言った?
信じられなくて混乱していると、そんなサンジの様子に気づいたか、ゾロが意地悪そうに笑った。
「俺が相手してやれないから寂しいか」
「バッ・・・・・・ッ!」
カヤロウ! と続けようとして思いとどまる。今度はゼフの手紙の内容が頭をよぎった。
『たまには素直に―――』
「・・・別に、うるさいヤツがいなくて調子が出ないだけだよ」
だがそう言うだけで精一杯だった。それでもゾロは満足そうに笑う。
「そうか、そうか。俺がいねェと寂しいかよ。安心しろ。治ったら昨夜の分もまとめて相手してやるから」
(いらねェよ、こっちの身がもたねェよ)
かなり本気でそう思ったけれど、ひどく嬉しそうなゾロを見てサンジは何となく黙っていた。
反論してこないサンジを見て何を思ったのか、ゾロが浮かれた調子で続ける。
「ついでだから愛の告白してみるか? ホラ、言ってみろ。ゾロ大好き〜」
一瞬言ってやってもいいかとも思ったけれど、ゾロの表情があまりにも緩んでいてアホ丸出しだったのでやめた。
「頭悪そうだからヤダ」
「照れるな、照れるな」
ホラホラ、と尚も急かされたとき、チョッパーが食事を終えて戻ってきた。
「サンジ、ありがとう。ごちそうさま。―――あ、ゾロ起きたか? 調子どうだ?」
「大分良いぞ。―――と、コック」
チョッパーが戻ってきたのでこれ幸いと交替しようと立ち上がったら、ゾロに引き止められた。
「飯の仕度」
短く答えて医務室を後にしたものの、まだ支度をするには時間があったので、パティとゼフに手紙を書くことにした。
便箋を用意してイスに座り、ゼフからの手紙を読み返しながら返事を考えていたらナミがやってきた。
「あら、サンジ君、手紙?」
サンジの斜向かいに座り日誌らしきものを開いたナミに、サンジは紅茶を入れるために立ち上がった。
「ジジイにね」
「あ、それオーナーからの手紙なの? 私てっきりゾロかと思った」
ナミの視線が、サンジが自分用に用意した便箋の横に置いてある薄いオレンジ色の手紙に向けられている。
「何でマリモ? あいつは手紙なんて書く柄じゃねェよ。それにカモメが運んできたし」
「そうなの? でもその便箋、私がゾロにあげたヤツだと思うけど」
「マリモに? 便箋をあげたのかい?」
驚いて声が高くなった。
この場合、ゾロが便箋を欲しがったということと、ナミがただで譲ったのかという二点に驚いたのである。
「そうよ、手紙書くからって言われて300ベリーで売ったの」
(あ、やっぱりお金が動いたんだね)
少しホッとする。それでこそナミだ。
「サンジ君にラブレター書くのかって冗談で聞いたら似たようなもんだって」
「似たようなもの? ・・・でもカモメが運んできたんだよね」
「消印見た? イーストブルーからだったら二週間は掛かるわよ」
 言われて封筒に押された消印を見る。
「・・・一昨日・・・」
速達を使ってもありえない日数だ。
ゾロが悩んでいると男連中に言われたのと、同じ日である。
「ホラ、やっぱりゾロだ。この船から出したのよ。でも何で直接渡さないでカモメ便使ったのかしら。ってか、何でオーナーのフリしてるのかしら」
ナミは首を捻りながら、ちょっとイイ? と、便箋を手に取った。
サンジは医務室の扉を睨む。
何でこんなことをしたかなんて、手紙の内容が教えてくれている。さっきの緩みきったゾロの顔。
ホラホラと急かしてきた、あの楽しそうな顔。自分に 「好き」 だと言わせたかったに違いない。
サンジの体は怒りに震えた。
「何これ。ゾロのヤツ、バッカじゃないの? サンジ君が捻くれてるのは分かってて好きになったんでしょうに、何を今頃欲出してんのかしら」
ナミのセリフも大概酷いが、サンジはそのセリフをスルーして怒りのままに医務室の扉を蹴破った。
「てめェ、コラ、クソマリモ! 何じゃ、あの手紙は!」
叫びながら寝ている剣士を蹴飛ばした。
「うわあ! サンジ、何すんだよ! ゾロは病人だぞ!」
「病人なもんか、こんなヤツ! 知恵熱に親知らずが重なっただけじゃねェか!」
尚も蹴ろうとしたとき、大きくなったチョッパーに止められた。
「ちえねつ・・・?」
何だそれ? と戸惑うチョッパーに、キッチンからナミが声を掛けた。
「生後6ヶ月くらいの子供が出す原因不明の熱のことよ。他に、普段頭を使わない人間がたまに脳みそを使いすぎて熱を出したりすると、バカにした意味で使うことがあるわ」
「たまにとは何だ! 俺だって頭くらい使っとるわ!」
はっきりバカにされていると分かって、ゾロが蹴り飛ばされたままの格好で反論した。
「使ったって思いつくことはアホなことじゃねェか! ジジイのフリして俺に説教たァどういうつもりだ!」
「お前があんまり素直じゃねェからだろ! 俺だって年に一回くらいは好き言われてみてェわ!」
このセリフで、ゾロは罪を認めたも同然である。
「ヤダ、サンジ君。年に一回も言ってあげてないの? 」
背後から様子を伺っていたナミが、少し呆れたように、でも冷めた調子で言ってきた。
「―――まァ、こんなバカ相手じゃその気持ちも分かる気はするけど、バカ故に大切にしてあげないと可哀相よ。
お陰でこんな間違った脳みその使い方しちゃって、親知らずはまとめて生えてくるし、熱まで出しちゃって、顔はおたふくだし、でもバカは治らないし」
言うだけ言うと大仰な溜め息を吐いて、処置なしねとばかりに首を振りナミは去って行った。
「・・・何か後半は色々と関係ないこと言っていきやがったな、あの女」
「何か分からないけど、とにかくゾロはまだ寝てなきゃダメだよ」
ナミのセリフに毒気を抜かれてしまった。
ゾロが頭を掻きながら床から立ち上がった。
チョッパーに言われたとおりベッドに戻ろうとする男を、サンジは唇を尖らしながら睨んだ。
「―――何だよ、まだ何か文句があんのかよ」
サンジの視線に気づいたゾロが、眉根を寄せて聞いてきた。
「―――俺は、あの手紙がジジイからのだと思ったんだ。でもあんまり内容がいつもと違うからジジイの身に何かあったんじゃないかと思って心配した」
サンジが低い声で静かに告げると、ゾロは微かに目を瞠り息を呑んだ。
「俺の性格は昔からこんな風で、周囲には色々と誤解させたり気を使わせてるのは悪いと思う。でもそれは別の部分でカバーしてるつもりだし、そこを曲げたら俺じゃないとも思う」
「――――――」
「お前の言いたいことはあの手紙で分かった。けど、あんなやり方は絶対に違うと思う」
そう、絶対に違う。
どれだけアホなことをしようとも構わないけれど、人をいたずらに不安な気持ちにさせるのは間違っている。
「―――悪かった、ジイさんの真似なんてして」
サンジが怒っている本当の理由が何か分かったゾロは、素直に謝罪の言葉を口にした。
自分に向かって頭を下げた男の後頭部を、サンジはジトリと睨み下ろす。
チョッパーがオロオロと二人の顔を交互に見ている。
「―――まァ、てめェが頭悪いのは最初から分かってたのに、忘れてた俺も少しは悪かったよ」
「いや、お前に余計な心配をさせた。今回のことは全部俺が悪い。もうジイさんのフリはしねェ。色々と考えるのも疲れたしな」
頭を上げたゾロの口から、思わずと言った感じに本音が漏れた。
ゼフの手紙を真似ようとして、相当頭を悩ませたらしい。深刻に悩んでいたというのは本当なのかもしれない。
けれど歯の痛みもあったのは絶対だとサンジは思う。
何にしろ、ゾロは自分の今回の行いを心底から反省したようだし、もうイイよとサンジが許そうとしたとき、ゾロの目がキラリと光った。不審に思ってサンジが口を開かずに入ると、ゾロが代わりに口を開いた。
「やっぱり俺は正面から行くことにする」
そう言ったゾロの目が、更に怪しい光を増した。
サンジの背に、冷たいものが走り抜ける。
ゾロの纏うオーラが、完全に夜のそれに変わっている。その証拠に、チョッパーが僅かに怯え始めた。
(これは正しく猛禽類)
身の危険を感じ、サンジは一歩後ずさった。
「ちょうどここにはベッドがある。チョッパー、お前はもう一回飯を食って来い」
「え?」
いきなり言われたチョッパーはわけが分からない。
「何考えてんだ、てめェ。またその悪い頭で悪いこと考えたんだろ」
「頭は悪かないし、考えたことは悪いことでもない」
胸を張って堂々と言い切る男に、サンジは頭の血管がピキピキと音を立てるのが分かる気がした。
「てめェにとって悪かないってだけだろうが、大ボケヤロ―――!!」
怒鳴りながらその脳天に蹴りをお見舞いしてやった。
「うわあ―――! サンジ、やめてくれよ。ゾロも、おとなしく寝ててくれ! 俺お腹はいっぱいだよ」
再び大きくなったチョッパーがサンジを止めに掛かる。
「バーカ、バーカ、お前なんて一生おたふくで寝てろ!」
押さえ込まれて届かない足を、それでも振り上げてサンジは悪態を吐いた。完全に子供のケンカである。
「バカ言うな! それにこれはおたふくじゃねェ!」


医務室から延々聞こえてくる二人の怒鳴り声と、それを必死で止めようとするチョッパーの悲鳴。
それらをBGMに、サニー号は今日も平和に海を航って行った。



END


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