Fire side


11月11日というゾロ目の日を、記念日にしている人は案外と多いらしい。
今年は日曜日ということも重なって、祖父が経営するレストランにはアニバーサリーディナーの予約がたくさん入っていた。
子どもの頃、店を継いでシェフになるのが夢だったサンジは、保育士になった今も都合が付けば店の手伝いをしている。
今夜も、幼稚園で働くのとはまた違った、心地よい疲労を感じながら家路に着いていた。

―――明日の朝飯、なんか買っておくかな。
一人暮らしのサンジには、祖父がなにかと理由を付けてパンや惣菜を持たせようとするが、極力断って毎回手ぶらで
帰ってきている。
身内とは言え、いや身内だからこそきちんと働いているスタッフとは一線を引いて、出しゃばらず邪魔にならない程度の
手助けに留めるよう気を遣っていた。
手伝いは無償だけれど、サンジ自身が楽しんでやっていることだ。

―――もう商店街は閉まってっかな、コンビニでもいいか。
そう思いながら路地を抜ければ、灯りを落とした商店街の一角に、一軒だけまだ開いている店を見つけた。
その灯りに誘われるようにふらふらと店内に入り、先客の姿を見付けて思わず足を止める。
「あ、サンジ先生」
サンジが話しかける前に、先方が気付いて声を上げた。
「せ、先生は止めてください」
「え、だって先生じゃないですか」
「別に、あんたの先生って訳じゃないでしょ」
ニヤニヤと笑うゾロの顔に、からかってるんだなと気付いて口を尖らせた。
「よりによって、アイサちゃんのお父さんがあんたと同僚だったなんて」
「後でワイパーさんに聞いて、灯台下暗しだと思ったぜ」

アパート火災の折、成り行きで人命救助に貢献したサンジは、唯一の目撃者であるゾロがその身元を捜していた。
幼稚園の避難訓練で偶然再会し、そのまま身柄確保されてしまったサンジだが、表彰された新聞を見てゾロの先輩が
「なんだサンジ先生だったのか」と愛娘の話と共に園でのサンジの様子を職場でとうとうと語ったため、消防署内では
すっかり『サンジ先生』が定着してしまった。
「女の先生よりよく気が付くって、ママさん連中にも評判だって」
「だーかーら止めてくれよ。大体失礼だぞ、保育士に男女の性差はないんだから」
頬を赤くして言い返すサンジは、男女比率で言えば圧倒的に女性が多い職場だ。
それに反して、ほぼ男のみで構成されている職場に勤めるゾロとは、なにもかも対照的だった。

「で?先生も買い物ですか」
「今さら敬語止せよ、そういうあんたこそ・・・それ晩飯か?」
なんとはなしに、ゾロが持った籠の中を見てサンジは眉を顰めた。
割引された寿司パックにカップラーメンが2個。
「侘しいなあ、仕事帰りか?」
「いや、今日は休みだったんでさっきまで寝てた。日付が変わる前に飯食っとこうと思って」
「ああ、そうか」
消防士のシフトは特殊で、規則正しい生活を信条とするサンジには真似できないししたくもない。
「明日は仕事?」
「いや公休。これ食ったらまた寝る」
「寝溜めできる体質なんだ。さすがだな」
「それはこの職業に就く前からそうだったぜ」
「威張るな」

サンジもゾロに並ぶようにして、萎れた売れ残り野菜を吟味した。
「料理できるのか?」
「誰にモノを言ってんだ、うちは実家がレストランで俺だって玄人はだしだぜ」
自分で言うのもおこがましいが、事実だからしょうがない。
「ああ、サンジ先生のクッキーはすごく美味しいって言ってたな」
「なに、アイサちゃんそんなことまで話してるのか?」
「正確には、ワイパーさんがそんなことまで職場で話してるってことだが」
ゾロが真面目くさって訂正するから、サンジは思わず噴き出してしまった。
「参ったなあ」
ハムと野菜を適当に見繕って、ゾロの後ろに並ぶ。
レジのおばちゃんは会計を済ませると、早々に店じまいを始めた。

なんとなく二人で揃って表に出て、さてとゾロが首を巡らせた。
「この辺で、まだケーキ売ってそうな店、知らないか?」
「ケーキ?」
大の男に不似合いな単語に、サンジは首を傾げた。
「なに、お前甘党なのか」
「そうじゃねえけど、毎年誕生日にはケーキを食うようにしてるんだ」
大真面目な顔でそう答えられ、サンジはそんなもんかと頷いた。
頷いてからはっとして、待て待て待て待てと声を張り上げる。
「お前、今なんてった?」
「だからケーキ」
「そうじゃなくて、誕生日って?」
「ああ、今日は俺の誕生日だ」
11月11日か、ゾロ目の誕生日か、だからゾロか―――いやいやいや。

「おめでとう」
「ありがとう」
すっかり暗くなった商店街の真ん中で、二人畏まって頭を下げ合った。
「そんで、自分用のお祝いケーキを買うのか?いや、家で彼女が待ってるとか」
「んなことねえよ、自分用だけだ」
「・・・一人祝い・・・」
むなしいっと叫びたくなったのを危うく堪える。

なんてこった。
こんなにガタイがよくて、ちょっとは顔もよくて頼もしい公務員なのに、一人バースディ・・・

「すまん、目から鼻水が・・・」
顔を背けて鼻を啜るサンジに、ゾロは困ったような顔で後ろ頭を掻いた。
「まあ、コンビニでもいいんだが」
「わかった、この近くに俺の知ってるケーキ屋あるから。そこは確か遅い時間でも開いてたから、案内してやるよ」
セーターの袖でぐいっと目元を拭い、サンジは先に立って歩き出した。


働くOLをターゲットにしたお洒落な店は、夜11時近くでも煌々と灯りが点いていた。
とは言え、ショーケースの中はさすがに寂しい。
ほとんど選択の余地もないが、サンジは一応ここだと呟き、ゾロを振り返った。
「どれがいい?」
ゾロは顎に手を掛けて、真剣な眼差しで視線を走らせた。
「んー・・・その黒い奴かな」
「んじゃ、ノワールとタルト・オ・フレーズ1個ずつ」
言って、サンジは悪戯っぽく瞳を煌かせた。
「ここ、カフェも併設されてるから一緒に食おう」
「いいのか?」
「もちろん。あ、お前車とかじゃ・・・ないよな」
今さらなことを聞いて、サンジはスパークリングワインを2つ頼んだ。
「ここ、アルコールも扱ってるのか」
「結構いけるぜ、酒とケーキ」
サンジがレジで会計を済ませ、後からお持ちしますとの声に従って、二人でカフェスペースに移動した。
「金・・・」
「いいよ、ここは俺の驕りだ。つか、誕生日くらい祝わせろ」
ぶっきらぼうにそう言えば、ゾロは少し困ったような顔をしたが素直に礼を言った。

「そいじゃ、改めて」
華奢なフルートグラスの中で、透明な泡が細かく弾けている。
サンジはそれを軽く掲げて、声を潜めて祝いを述べた。
「幾つになるか知らねえが、おめでとう」
「27だ、ありがとう」
応えるように軽くグラスを持ち上げたゾロに、サンジはえ?と目を剥いた。
「27・・・今年でか?」
「そうだ」
「なんてこった、タメじゃねえか」
へえ、と反応が鈍いゾロに対し、サンジはぺちんと自分の額に手を当てた。
「俺は早生まれだから今は26だけど、来年の3月には27になるんだよな」
「そうか」
「それで消防士・・・長?出世早くね?」
「いや、こんなもんだ」
しれっと応えるゾロに、サンジはなんとなく面白くない。
「消防士なら、合コンとかでも引く手数多だろうが。つか、多いんだろ合コンの機会」
「まあまあだな」
「今度誘ってくれよ」
サンジが気軽に言えば、今度はゾロが妙な顔をした。
「合コンって、あんたの職場のが出会いが多いんじゃないか」
「・・・そりゃあまあ、そうだけれど」
途端、歯切れが悪くなって口の中でモゴモゴ言う。
職場は美女の宝庫だし、たまに研修に出たりしてもまさに女の園で、若い女子との出会いはゴロゴロあった。
だが、サンジは職務に真剣なあまり仕事関係では恋愛感情のスイッチが入らない。
恵まれた職場も、言わば宝の持ち腐れだ。

「俺は不器用な性質で、仕事と恋愛は分けて考えたいタイプなんだ」
「そうなのか」
ゾロは、いかにも“意外”と言う顔をした。
「もっとこう軟派・・・もとい、柔軟な考え方をするタイプだと思ったんだが」
「わざわざ気を遣って言い直してくれてありがとう。人を見かけで判断するんじゃねえよ」
サンジは、その外見が派手なのと身のこなしが軽いせいか、随分とチャラい優男に見られることが多い。
けれど内面は至極真面目で、どちらかと言うと堅物だ。
女性と交際するなら結婚を前提にして。
誓いの言葉を交わすまでは、お互いに清らかなお付き合いを。
厳しい祖父の元で育ったサンジは、それが普通だと思い込んでいる。

「消防士仲間だとどうしても似たようなタイプが固まるしな、あんたが入るとまた華やかで、賑やかかもしれねえ」
「おう、賑やかしならいくらでもするから、頼むぞ」
言って、サンジは自分の分のケーキにさくっとフォークを入れた。
「それ、ショコラムースだろ」
「ああ、そういうもんかな。甘過ぎなくて口当たりがいい」
「ケーキの種類もわからねえのに、誕生日にはケーキって決まってんのか?」
サンジの素朴な疑問に、ゾロは真面目な顔付きで頷き返す。
「俺は、ガキん時に家族を亡くしたんだが、小さい頃から通ってた道場の師匠がな、俺に約束させたんだ」
「・・・え?」
「誕生日ってのは、自分が生まれたことを祝う日でもあるし、生んでくれた親に感謝する日でもある。だから、俺が
 この先一人で生きて、誰も祝ってくれる人がいなくても、誕生日には必ずケーキを手に入れて一人ででも祝え。
 そして今は亡き親に感謝しろってな」
「―――・・・」
サンジは、なんと応えていいかわからず、ただ目を瞠ってゾロの顔を見つめた。
「最初はめんどくせえと思ったけど、今になると習慣付いて、師匠の言葉にも感謝してる」
「・・・そっか」
サンジはすっと視線を下げて、悪戯にフォークでタルトをつついた。
「そうだな、そういうの、大事だもんな」
「お陰で今年は、あんたに祝えてもらえたしな」
屈託なく笑うゾロに、サンジはすんと鼻を鳴らしただけでそれ以上何も言わなかった。



「ご馳走さんでした」
店を出てから丁寧に礼を言ったゾロに、サンジはポケットに手を突っ込んだまま鷹揚に頷き返した。
「あのさ、余計なお世話かも知んないけどさ」
「ん?」
「自分でケーキ買って祝うの、今年限りにしろよ」
どこか思い詰めた表情でそう言うサンジを、ゾロは神妙な顔付きで見つめ返した。
「・・・そう、か」
「おう、自分で買うのはこれっきりだ。来年は俺が作ってやる」
「―――は?」
俯きかけたゾロが、がばっと顔を上げた。
「ケーキくらい、俺がいくらでも作ってやるよ。お前の誕生日もう覚えたし、すげえ覚えやすいし、忘れないし」
「サンジ先生」
「だからそれ止めろって」
サンジは頬を赤く染めて、ぶんぶんと手を振った。
「来年は俺がちゃんと、すんげえバースディケーキ作ってやっから。それまでにどんなケーキがいいか考えとけよ」
怒ったようにそう言って、携帯を取り出した。
「一応、来年のためにメアド、聞いておく」
「おう」
ちゃちゃっと操作して、メアドを交換する。
「じゃな、また来年」
「なんだよそれ、合コンはどうした」
「あ」
ゾロは笑って「また連絡する」と手を上げた。
「おやすみ」
「おやすみ」

お互いに反対方向に向かって早足で歩き出しながら、サンジはポケットの中に手を突っ込んで自然と込み上げる
笑みを隠すために俯いた。
思いもかけずお近付きになれちゃって、ゾロのメアドを手に入れてしまった。
今度は一緒に、合コンに行けるかもしれない。
差し入れにケーキを作って、消防署にも持っていけるかもしれない。
一人でニヤニヤしながら、ポケット中にある携帯をしっかりと握り締めた。


その反対側でゾロもまた、手にした携帯に視線を落とし、自然と湧き上がる笑みをそのままにゆっくりと帰路に着く。
二人の笑顔を、暈を被った月だけが柔らかく照らしていた。


End




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