Fire burns


「サンジ先生、綺麗な色の髪をしてられますねえ」
ちょっと早目にお迎えに来たちーちゃんのおばあちゃんが、親しげに話し掛けて来た。
サンジはもちろん、全開の笑顔で振り返る。
「いやあ、そんなことないですよ」
「いえね、ちーちゃんはお家に帰っても、ずっとサンジ先生の髪の毛綺麗って言い続けますのよ」
「はあ」
「それでね、ちーちゃんもあんな風に金色にしたいって」
「…はあ」
「でもね、子どもの髪を染めるなんて、あなた、身体によくないでしょう」
「はあ…」
「ですからね、サンジ先生。あなたが髪を染めてくださらないかしら」
「…はァ?!」
ちーちゃんのおばあちゃんは、それがさも当然と言うように鷹揚に頷いて見せた。



「…てなことが、あったんだよ」
「ふざけんなっ」
ゾロが珍しく激高した様子で、ダンッとビールジョッキをテーブルに置いた。
小鼻が膨らんでいる。
「んで、どうしたんだ」
「ん、さすがに即答できなくて・・・まずは園長先生に相談したら、染める必要はないとあっさり言ってもらえた」
「当たり前だ」
ゾロは憤然としながら、手を挙げてビールのお代わりを頼む。
「それから、ちーちゃんと話をした」
「なんて?」
生春巻きに齧り付いて、サンジはポツポツ話す。
「俺の髪の色を綺麗と言ってくれてありがとう」
「うん」
「ちーちゃんの髪の色も、とっても綺麗だよ」
「うん」
「黒いって、ただ黒いだけじゃなくて、他のお友達とも比べてごらん。みんな、ちょっとずつ色が違うだろ」
「うん」
「みんな違う色で、ちーちゃんにはちーちゃんの髪の色があるんだよ。とっても綺麗で艶々してる。だから、先生はちーちゃんの髪の色が好きだな」
「ほほぅ」
ゾロはバカにした風ではなく、むしろ感心した面持ちで相槌を打った。
「お前、やっぱ女に対しては器用だな」
「なんだ器用って、もうちょっと言い方はないのか」
「その割にオクテで」
「うるさい、蹴るぞ」
蹴るぞと口で脅すと同時に、すでにもう蹴っていた。
ゾロはイテテと顔を顰めながら、新しいジョッキを受け取り、早速呷る。
「そんで、どうなった」
上唇に泡を付けながらぷはーと息を吐くと、サンジはその顔を笑いながら自分もジョッキを傾けた。
「それでちーちゃんも納得。もう家で俺の髪を羨ましいとか言わないから、おばあちゃんも何事もなかったみたいに知らん顔」
「まったくなァ」
ゾロは呆れたように嘆息した。
「どこにでもいるんだな、そういうクレーマー」
「クレーマーとは違うぞ、単に要望だけだから」
「だが、それを真に受けてお前が髪を染めてたら大損害じゃないか」
ゾロの生真面目な物言いに、サンジはぷっと噴き出した。
「なに、どこが大損害?」
「大損害だ。そんな言いがかりでもしも、てめえの綺麗な髪が染められたら」
「…は?」
サンジは箸を止めて、いやいやいやいやと気味悪そうに首を竦めた。
「なにを言ってくれちゃってんのお前。野郎の髪捕まえて綺麗とか、いやいやいやいや」
「綺麗なモンを綺麗と言って何が悪い。俺は気に入ってんだ」
じわじわと、自分の頬が熱くなってくるのがわかって、サンジはさりげなく下を向いた。
「そういうことは、もっと可愛い女の子とかにだなあ…」
「めんどくせえ」
「あ、また横着な物言い、ムカつく!」
ムキ――っと怒ったふりをしつつ、存外悪い気はしなかった。
というか、なんでか胸の辺りがぽわぽわする。
かなり酔いが回ったか。

「てめえはさ、そういう理不尽とかねえの?や、いっぱいあるだろうけど」
「そうだなあ」
ゾロはゆっくりとジョッキを傾け、先ほどお代わりを頼んだばかりのビールを空にした。
「まあ、いろいろだな」
そう言って、ジョッキを高々と掲げお代わりを頼む。

ゾロは、仕事の話をあまりしない。
職場でのことや仲間の話はネタとしてたくさんあって聞いていて楽しいのだけれど、業務のことには絶対触れない。
やっぱ守秘義務とか徹底してんだろうなと思うし、おいそれと気軽に話せる内容でもないのだろう。
サンジだって、保護者のプライバシーがあるから誰と特定されるようなことは話さないけれど、ちょっとなーと思う程度のこういう話は、ゾロに聞いてもらうだけでずいぶんと気が晴れた。
職場ではどの保護者のことかわかってしまうから迂闊に話せないし、公のクレームでもないからこそ、特に気を遣う。

「まあ、働いてりゃ大なり小なり、いろいろあるわな」
自分で締めくくって、ゾロのお代わりを持ってきたウェイターにウーロン茶を頼んだ。
「なんだ、もうセーブすんのか」
「てめえといると、悪酔いしそうだ」
すでに真っ赤になった頬に手を当てて、サンジはぶすくれた表情で肘を着く。
「別に担いででも連れて帰ってやるぜ。安心して飲め」
「ふざけんなバカ」
からかってるのではなく、ゾロは大真面目でそう言っているのだとわかっているから、余計に性質が悪い。
「そうやって気軽にお持ち帰りすんだよなー。いやですねえタラシは」
「別に誑し込んでるわけじゃねえぞ」
若干不本意そうに眉を潜め、ウェイターが持ってきたウーロン茶を受け取ってサンジの前に置く。
「ただ、お前と俺じゃあ多分、本質的に考え方が違うんだな」
「なに?」
「俺は元々、所帯を持つ気がねえ」
ゾロの言葉に、サンジは片方だけ覗く目を見開いた。
「なに、結婚する気、ねえの」
「ああ」
「なんで?」
そんだけモテモテで相手も選び放題なのに、なんで。
「結婚願望が、ねえんだろうなあ」
どこか他人事みたいに呟いて、水みたいにビールを飲んでいる。
いっそお代わり10杯分ぐらい、注文しておいた方が忙しなくなくていいんじゃないだろうか。

「俺だって、別に結婚願望が強いわけじゃ、ねえぜ」
「ああ、わかってる。お前はすごく真面目なんだよ」
普通に恋愛してきちんと段取り踏んで、ちゃんと結婚したい。
サンジが理想としているのは一番自然な形の人生だと思うのに、なぜか敬遠されがちだ。
「だから気軽に、女の子に手を出すきになれなくて」
「だから真逆なんだろ。俺は結婚するつもりはねえから、遊びでしか付き合わねえ。だから気軽に手を出すんだ」
「サイテー・・・」
ほんとに最低なセリフを吐いてるのに、こんなに堂々と話されると非難する気持ちも怒らない。
「生涯にただ一人の人と思い思われ結ばれる…って、すげえいいことじゃねえか。やっぱ、俺結婚してえなあ」
「そうだな」
ゾロは柔らかく笑った。
「お前は家庭を持つのが似合うと思うぜ、お前と結婚できる子は幸せだろう」
「――――…」
ああ、またなんだか顔が熱い。
ていうか、身体まで熱くなってきた気がする。
やっぱり飲みすぎだ、ちゃんと熱を冷まさなければ。

サンジは冷たい烏龍茶を勢いよく飲んで、ちょっと噎せた。






「夕べ、大きな火事があったみたいですね」
朝の挨拶と共に保護者達から聞いたと、ビビが報告してきた。
「二丁目の一軒家らしいですよ」
「そうか、知らなかった」
サンジの自宅からは離れているが、確かイースト分署の管内だ。
もしかして、ゾロも出動したんだろうか。

少し気になってスマホにメールだけしてみた。
――――お疲れさん、夕べ火事があったらしいけど出動したのか?大丈夫かな。
なにやら文面が女々しいかと思ったが、ゾロ相手にかっこつけても仕方がない。
無事なら返事が来るだろうと思っていたが、結局そのまま夜になってもゾロからの連絡はなかった。

マメなタイプじゃないと思うし、もし非番なら日がな一日寝てるだろうし。
サンジからのメールになんて、そもそも返信しないかもしれない。
そう思いつつも、何度も着信を確認してしまう。
でもゾロからの返事はない。
気にするなんて馬鹿らしいと思いつつ、なんでだか胸騒ぎがして落ち着かない気分で朝を迎えた。
一人暮らしで新聞など引いていないから、少し早めに出勤して幼稚園に届けられた新聞に目を通した。
三面記事の片隅に記事を見つけ、どきりと心臓が跳ねた。

―――深夜の火災、住宅二棟全焼。消防士を含む三名が重軽傷。
『ロロノア・ゾロ(27)』
「…うっそ」
血の気が引いて、くらりと眩暈がした。
思わずデスクに手を着いて身体を支えたら、スマホが鳴ってビクッと震える。
恐る恐るメールを開くと、ゾロからだった。

『しくった、まだ病院なう』
「なにがなうだ!」
思わず床にスマホを叩き付けそうになって、危うく思い留まる。
それから両手で大事にスマホを抱いて、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。
膝から力が抜けて、立っていられない。
「なんだよもー…」
心配、させんなよ。

ボヤきながら、どこの病院だと聞いてみた。
しばらく経ってから「ドラム総合病院」と返事があった。
この辺では一番大きな病院だ。
――――とにかく、お大事に。
それだけ打ってスマホを閉じて、サンジは「うし」とひとり呟いた。






ナースステーションで病室を聞いて、やや緊張しながら扉をノックする。
入院先まで押しかけてきてしまったけれど、よく考えたら家族や…もしかしたら恋人とか(ゾロがそう思っていなくとも)いたりしたら気まずいな…と思いつつも、勇気を出してドアを開けた。
「お」
「よう」
ゾロは病衣を着て、ベッドに横になっていた。
傾けた顔の、頬にぺたりと張り付いた白いガーゼが痛々しい。
「間抜け面を見に来てやったぜ」
「ちえっ、カッコ悪ぃなあ」
どこか痛いみたいに顔を顰めながら笑う。
うん、大丈夫だ。
怪我はしているけど、元気そうだ。

「爆発に巻き込まれたって?」
「おう、油断した」
難儀して身体を起こそうとするのを制して、手元のスイッチを操作してゆっくりとベッドを起こしてやる。
「しょうがねえだろ、ゴミ屋敷だったって?」
「思わぬモンが貯めてあってな、山のようなスプレー缶と一緒にドカンだ」
火元となったのは近所でも有名なゴミ屋敷で、何が埋もれているのかわからない場所でもあった。
そこで立て続けに爆発が起き、家屋が倒壊して出動していた消防士が巻き込まれたとニュースでは言っていた。
「災難だったな」
「いや、俺の判断ミスだ」
言いながら、ゾロは悔しげに唇を歪めている。
その唇は黒く焼け焦げ、ひび割れた部分から薄いピンク色の肌が見え隠れしていて、サンジは思わず眉間に皺を寄せた。
「痛え…だろ」
「なんてこたねえ」
ゾロは目を閉じて、ふうと深い息を吐いた。
「身体が痛いくらいは、なんてことねえよ」

今回の火事で、ゾロと部下の一人が重傷を負った。
ゾロは消防士長だ。
部下に怪我をさせてしまったことが、一番堪えているのだろう。

サンジは何も言わず、スチール椅子に座ってじっとゾロの横顔を見ていた。
それから思い出したように、持ってきた紙袋を開ける。
「あのな、お前内臓とか大丈夫?つか、なんでも食えるか」
「おう、外傷だけだ。腹はなんともねえ」
「んじゃ、ゼリーくらいは食えるか」
ゾロは大酒のみの蟒蛇だが、甘いものだって結構いける口だと知っている。
こないだの居酒屋で、〆に二人でジャンボパフェを食べたのだ。
サンジが食べきれなかった分も、ゾロはペロリと平らげた。

「食う、ちょうど小腹が空いてたところだ」
布団から難儀して手を差し出せば、手の甲まで包帯でぐるぐる巻きだった。
サンジはゼリーのパックを開けるのに一生懸命なふりをして目を逸らす。
そうしてから、スプーンでひと匙掬って、ゾロの口元に差し出した。
「はい、あーん」
「よせよ」
ゾロがおかしそうに笑い、軽く噎せた。
「バーカ、んな手してスプーン握れっかよ。ほら、口開けろオラ」
「笑わすんじゃねえよ」
「いいから」

観念したのか、ゾロはあーんと口を開いた。
真っ白な歯と、赤い舌がぺろりと覗く。
喉に滑り込まないように慎重に舌に載せれば、唇がパクンと閉じた。
「ん…冷たくて甘え」
「美味いか?」
「んむ」
モグモグしているゾロの口元を見つめ、サンジはすんと鼻を鳴らした。
それに、ゾロの眼だけがぎょろりと動く。
「おら、もう一口」
ゼリーを掬ったスプーンで唇を突つくも、ゾロは口を開けない。
それでいて、首だけを軽く擡げた。
「…んな面、すんな」
「ん?」
俺が、どんな顔してるってんだ。
サンジはむっと不機嫌を装いながら俯いた。
正直ちょっと、泣きそうになってる。

「そんな面を、させたくねえんだ」
「――――…」
居酒屋で、結婚について語ったことを思い出した。
もしかしたらゾロは、自分がこういう職業に就いているからこそ、家庭を持つことに慎重になっているのかもしれない。
けれどワイパーさんみたいに、若くしてちゃんと家庭を持ってる人だっている。

「俺な、ガキん時に家族なくしたって言ったことあったろ」
「うん」
「それからずっと一人だから、その方が楽でな」
「うん」
「だから、誰かに心配されたり悲しませたり、そういうのは苦手なんだ」
「…うん」
それはわかる。
わかるけど――――

「でも、心配ぐらいさせろよバカ」

聞こえないように呟いたつもりだったのに、ばっちり聞こえてしまったらしい。
ゾロはものすごく困ったような顔をして、どこか不安気な目線でサンジを見た。
目が合って、つい魅入られたように見つめ合ってしまう。
…と、そこにノックの音が響いた。

「うおーっす!生きてるかー」
「士長!大丈夫っすか!」
ドヤドヤと現れたのは、消防署の面々だ。
サンジは慌ててゼリーをテーブルに置き、素早く振り向いた。
「あ、サンジ先生だ」
「こんちはー」
「ちわっ」
「あ、どうも」
愛想笑いを浮かべてぺこぺこ会釈するサンジの横で、ゾロはどこかバツが悪そうにぺこりと頭を下げた。
「すんません、迷惑かけて」
「まったくだ」
冗談交じりに返して部屋に入ってくるのと入れ替わるように、サンジは席を立った。
「それじゃ、俺はこれで…」
「先生、まだゆっくりされたらいいじゃないですか」
「その先生っての止めてください」
サンジは苦笑しながら後退りする。
「じゃあロロノアさん、お大事に」
「あ…ありがとうございました」
不自然なほど他人行儀な挨拶を交わし、サンジはそっと病室を出た。

職場の人たちが来てくれてほっとしたような、ちょっぴり残念なような複雑な気分だ。
けれど、あのまま二人きりで病室にいたら、自分はなにを口走ったかわからない。
だからこれで、よかったんだ。

サンジはモヤモヤとしたわだかまりを胸に抱いて、振り返ることなく病院を後にした。




End





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