Emergency


「いいから逃げて!俺は大丈夫だから・・・」
殴りつけられたみっともない顔で精一杯余裕を見せてそう叫んだのに、応えて見せた彼女の顔には奇妙な笑みが形作られていた。
さっきまでとめどなく溢れていた涙は流れ落ち、細められた瞳は、喜びに濡れて光っている。

「ほんとに上手くいったわ。バカね。」
打って変わった冷たい声で、サンジはすべてが罠だと気付いた。





「ちゃんと縛れよ、こいつの足は厄介だ。」
「ったく、こんな細え身体で、なんてことしてくれんのかね。この兄ちゃんは・・・」
むさくるしい男どもがあちこちベタベタ触られて、サンジは歯を剥いて威嚇した。
さっきのレディが縛り上げてくれるなら本望だろうがその姿はすでにない。
後に残されたの野郎共はどう見ても堅気じゃねえ正視に耐えない凶悪面ばかりだ。

「てめえら、どういうつもりだ。」
ドスを利かせてそう問えば、皆薄ら笑いを浮かべてバカにしたように笑った。
「お前が麦藁の一味だってのは、俺らは最初から知ってんだよ。」
「俺らの仲間が、前の島でてめえらにボコられてんだ。覚えてろって言っただろうが。」
サンジは聞こえないように舌打ちした。
そういえば、そんなこともあったっけか?

「凝りねえ野郎だな。またボコられてえのか?」
「へへ、せいぜいほざいてろ。もうてめえらの技は見切ったからな。それに人質がいりゃあ、あっちも迂闊に手出しできねえだろ。」
人質?
「人質だと?誰を捕まえやがった!」
「・・・」
「てめえだよ。」
唖然として言い返されて、ふつふつと怒りが湧いた。

「この野郎、俺が人質だと?どういう道理だそりゃあ。」
「道理もクソもねえだろうが。てめえを使ってロロノアを誘き出す。」
「何い?」
益々わからない。

「アホかてめえら、俺を餌にしてなんであのクソ緑がほいほい出てくるってんだ!」
「出てくるだろう、なあ・・・」
「ああ、効果抜群だぜ多分。」
「んな訳ねーだろ、人質ってのは助け出さなきゃって思わずにいられない、か弱いレディだからこそ効力を発揮するんだ。俺なんか人質にしたって、誰もこねーよ。」
「それはどうかな・・・」
リーダーらしき一際体格のいい男が、野太い指を差し出して、サンジのネクタイをぷちんと紐でも切るみたいに引き千切った。

「これをロロノアんとこまで届けてやるよ。血相変えて飛び込んでくる姿が目に浮かぶってもんだ。」
そう言って下卑た笑みを浮かべる意味が、サンジにはまだわからなかった。
「なんのつもりだ?!」
上着を脱がされシャツを肌蹴られて、これから拷問でも受けるのかとそれなりに身を堅くする。
何されたって口を割らない自信はあるが、腕だけは勘弁して欲しいと無意識に後ろ手に縛られた両腕に力を込めた。

だが、意に反して男の手は首筋やら肩やらに触れてくる。
意図がわからなくて、視線を泳がせながら男たちを睨んだ。
「何?なにしてんだてめえら・・・」
「すっげー色白いのな。」
「しかもスベスベじゃねえか。」
何が面白いのか、男たちは寄ってたかってサンジの身体を撫で始めた。
汗臭い太い腕がシャツの中に突っ込まれて、がさがさに荒れた指であちこち弄られる。
「べたべた触んな、気色悪いっ!!」
思わず鳥肌モンで叫ぶ。
身を捩って足をバタつかせるのに、男たちは何が楽しいんだか徐々に真剣な目つきになってくる。

どういう訳か、男たちの息遣いがハアハアうるさくなってきたので、サンジはずり下がり喚いた。
「なんだなんだ?気色悪いぞてめえらっ」
「気色いいぞ、たまんね〜」
するりと、襟元から手が差し込まれた。
扁平な胸を撫で擦られて、指先が突起に触れる。
ぴくんと、身を竦めたサンジに男はにたりと笑ってみせた。

「可愛いなあ、おい。」
ぞぞぞっと総毛立つ。
今まで相当なピンチを切り抜けてきたが、こんな窮地は初めてだ。
なんだかよくわからないが、非常にやばい。
「触んな触んな触んなあああああっ!!」
口を塞がれた。
シャツの襟元が引っ張られてボタンが飛ぶ。
胸元を弄る指は明確な意図を持って乳首を強く摘み、別の手が脇腹を探った。
膝を割られ、開かれた股間を布越しに掴まれて、別の手が窪みを確かめるように上からなぞる。

ぐるんと、脳みそが一回転したかのような衝撃を受けて、サンジはただ目を見開く。
何をされているのか理解したくはなかったが、一度にそこかしこに与えられる刺激に動転して個別に対処できない。
ただ塞がれた掌の下で叫びに似た形に口を開けたなりだった。

「ぐっ・・・」
楽しげに少し離れた位置から見下ろしていた男が、低く呻いて棒立ちのまま倒れる。
驚いて振り向く男たちを次々に血飛沫が染めて、サンジの背後で押さえつけていた別の男が膝を浮かして銃を構える。
だが一瞬早く振り下ろされた刃に成す術もなく身二つになり、サンジは不自由な体勢のまま転がって身体を起こした。



戸口から駆け込んできたゾロは、全身を朱に染めている。
一目見てわかるほど大きく肩で息をしていて、よほどの激戦だったのかとサンジは改めて背筋を凍らせた。
ゾロは大股で近付くとためらいもなく一振りし、サンジの戒めを斬った。
「大丈夫か。」
ゾロから発せられる台詞すら俄かには信じ難く、サンジは寝そべったままこくこくと頷く。
背に腕を回され抱えられて漸く、ゾロの頬の切り傷から血が流れ落ちているのに気付いた。

ゾロに、傷を―――
猛烈に腹が立った。
こんな変態集団のくせに、ゾロに傷をつけるなんて言語道断だ。
殺してもあきたらない。

ゾロはサンジを抱えたまま新たに刀を抜いた。
殺気に満ちた視線にたじろぐ男たちを、サンジも腹立ちを隠さず睨みつける。
カチカチと震える歯を鳴らした男達は、くるりと踵を返すと一目散に駆け出し、扉や壁を破壊しながら土煙を上げて走り去っていった。

「・・・なんだありゃあ。」
怒るより呆れ返って思わず呟く。
対してゾロは無言で立ち上がり肩幅よりも足を広げて仁王立ちになると、剣を構えて気合を込めた。

「おい、何をっ・・・」
サンジが手を翳すまもなく低い唸り声と共に振り下ろされた刃が空気を切り裂く。
風圧だけとは言いがたい煌く光が渦を伴い、半壊の壁を木っ端微塵にし、尚その先へと竜のようにくねりながら突進した。




「うぎゃあああああっ!!」

断末魔のごとき叫びが遙か遠くから木霊をともなって帰ってきた。
そして訪れる沈黙。
ぱらりと、崩れた土壁から埃が落ちる以外なんの音もしない。


「・・・おいおいおい」
ややあって、サンジが漸く声を絞り出した。
「なんか、やり過ぎじゃ・・・ね?」
その言葉にゾロはぎろりと目を光らせて振り向いた。
次は俺かよと、本気で身の危険を感じる。
ともかく今のゾロの状態は普通じゃない。
なぜだかはわからないが激怒している・・・気がする。

ふうふうと鼻で息を吐きながらゾロが近付いてきた。
本能で危機を察して、サンジは不本意ながら後ずさる。
こんな単細胞男にビビるなんて心外だが、心理状態がやばい相手には用心するに越したことがないだろう。
そう思って引き攣った笑みを浮かべたらがしっと両肩を掴まれた。
びくんと身体を震わせて、ぱくぱくと口を開けたり閉めたりした。

「なんとも、ねえか。」
滲み出る殺気をよそに、ゾロの声はどこか揺れている。
それが怒りからくる震えだなんてサンジにはわからない。
答えないサンジをよそに、ゾロはまるで身体検査するみたいにあちこち手で撫で擦った。
その動きがさっきまでの男たちを思い出させてサンジは慌ててその手を払い除けた。

「なんでもねえ、つうか触るな。」
「なんでだ?」
「はあ?」
触るなと言って何でと聞かれては困る。

「気色悪いじゃねえか。」
口を尖らせてそう言えば、ゾロは益々怒った顔になった。
「なんだとてめえ、あんな野郎共にベタベタ触らせてやがったくせに!」
「好きで触られた訳じゃねえ!」
「どこまで触られた?」
「はあ?」
話の展開が読めない。
大体なんだってこんな場所でゾロにあちこち触られなきゃならないんだ。

「あのな、この場所からは早く逃げた方がいいと思うぞ。」
「そんなん後だ。どこ触られた。」
「いやだから・・・」

よくよく見ればゾロの白目が血走っている。
目は零れるほどに見開かれて、広い額には青筋が行く筋も浮き上がり針で突けば勢いよく血を噴き出しそうだ。
「お、落ち着けお前・・・」
「落ち着けっか、馬鹿野郎・・・」
一瞬、ゾロの目が切なげに眇められた、と思ったらそのままがばりと抱き締められる。

「?■×△∵☆??」
サンジは声もなく硬直した。
「てめえを取り囲んで好き放題弄くりやがって・・・ぶっ殺してもあきたらねえっ」
「・・・ええと、もしもし?」
興奮するゾロとは裏腹に、サンジは全身の血がすうとどこかに引いて行く思いだ。
なんなんだこれは。

「この髪を、この肌をっ・・・この胸も・・・もしかしてっ・・・」
いやあの、もしもし?
一人盛り上がってハアハア言ってるゾロの息が首筋にかかって、なんとも不気味だ。
がっちりホールドされた身体は身動ぎもできないし、肺が圧迫されて苦しい。
そんな状態でもゾロの手があちこち弄ってくるので気色悪いやらくすぐったいやら、腹が立つやらでサンジは大声で喚きたくなった。

「いー加減にしろてめえっ!触ったがどうした減るもんでなし!」
「んだとお?」
サンジに負けぬほどの大声でゾロが怒鳴り返す。
「減る減らねえの問題じゃねえだろ、てめえのこの・・・」
言いながら、むにっと頬を摘まれた。
「なにす・・・ふがっ」
「こんの柔けーこれとか!」
なんだなんだゾロは。
一体何に腹を立ててるんだ?
サンジがパニクっている間に、ゾロは回した手に力を込めてぎゅっとより強く引き寄せた。
ほとんど同じ位置に当たる股間に何か、か、堅いモノがっ・・・

「う、ぎゃあああなんだ、なんだよおい!」
「シャツをこんなに肌蹴やがってこの野郎。」
いやそうじゃなくて、今焦ってるのは股間の状態で――――
「待てよマジ・・・なんでてめえ・・・」
ぎゅうと頬が押し付けられた。耳元でゾロの鼻息がふがふが言ってる。
動作は荒々しいが、別にサンジに危害を加えようとする動きではない。

「お前、もしかして・・・オレが触られたの、怒ってんの?」
ようやく意味が通じたのか、ゾロは素直に頷いた。
サンジはこの期に及んでなんで?とは聞けなかった。
答えは多分、一つしかない。

「・・・てめえも、俺に触りたかったのかよ。」
「おう・・・」
「まさかホモとは思わなかったぜ。」
「ああ、俺もびっくりだ。」
びっくりなんだ、ふーん・・・
とどこか冷静に突っ込みながらもサンジは大人しくゾロの腕の中で力を抜いた。

「この髪とかよ、この首―――」
ゾロはどこかうっとりとした声で囁く。
「この腕も性質の悪い足もこの口も全部全部・・・」
乱暴な口調とは裏腹にゾロがなぞる指の動きは羽根のように柔らかい。

「ずっとこうして、触れたかった。」
目を閉じて顔を近付けるゾロに、サンジは口元だけ笑みを浮かべた。

そして―――





突っ立った体勢ながらも膝関節&脛の脚力だけでゾロの股間めがけて渾身の蹴りを繰り出した。
警戒心など欠片もなかったゾロは素直に真後ろへ吹っ飛び、壁を突き破り天井を崩して土煙を上げながらさらにその奥へと消えていく。


「淡水藻の分際で俺を口説こうなんざ、100万年早いぜ。助けてもらった礼だけは、言っとくがな。」

壊れた壁の隙間から、何事かと固唾を呑んで見守っていた見物人達は思わぬ展開に恐れ戦きながらも、余裕でタバコを咥えたサンジに親指を掲げて見せた。



END

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