どこまでも
― きららかな SIDE Sanji



ゾロとサンジは「恋人同士」だ。
だから今、2人は一緒に暮らしている。



恋人ってなんだったっけ。

サンジは、最近繰り返し自問する。

…コイビト…って…な、ん…だっ、た…っけ…。



自分たちの間には、実はそんな関係ないんじゃないか、思い込みなんじゃないか、って不安になる。
恋人…どころか、本当は、なんの関係もないんじゃないかって思えて仕方がない。


…不安、に、なる…そもそもそんな権利など、あったのだろうか。


ただの共同生活者みたいな日々。そんなの、寂しい。寂しい…でも。
一緒に住んでいれば、少なくともゾロにサンジの料理を食べてもらえる。
ゾロと一緒に食事が出来る。


ゾロは、帰ってきさえすれば、必ずサンジの食事を食べてくれる。
それだけがよりどころになっていって、最近サンジは、ゾロの前でじゃないとものが食べられない。

仕事で味見や素材の確認はするし、メニューの試作もするけれど。
自分で自分のためだけに作る食事は、ちっとも味がしない。
無理に食べて吐いてしまって、罪悪感に苛まれて以来、1人で食事はしていない。

ゾロがいつ帰ってきてもいいように、つまみとか温め直せるものとかを常備しておく。
帰ってきてくれた時には勿論ちゃんと作るのだけれど、その間ゾロを待たせたらいけないし。サンジがいないうちに帰ってきてくれた時には、何もなかったら大変だし

帰ってきてくれる。そう表現するようになった歪みに、サンジは気付いていなかった。


無駄にしちゃいけないから、保存が効かなくなったら自分で食べる。
やせた、いややつれた、と、レストランで心配されるほどめちゃめちゃな食生活だけど、気にならなかった。


ゾロはサンジから何も欲しがらないから、せめて美味しいものを。
帰ってくる日や時間がわかれば、食材だってもっと準備出来るのに。

一緒にいてほしいから。どんな形でも。


ゾロはおれがいないとダメだってあの時言った。おれが「一番」だって。
だから大丈夫。







肉体的な痛みは訴えやすいのだ、というのが、ゾロと暮らし始めてサンジが学んだことだった。
暮らし始めて、じゃないかもしれない。ゾロと付き合うようになって、少しずつ。
ずっと一緒にいられるようになって、余計に強く。




いつだって、ゾロはサンジを丁寧に扱う。
やわらかく、やさしく。

どんなに獰猛な目をしていても、あの無骨な手が指が体が、不思議な程にやわらかく動く。

それが無性に苦しかった。
冷たい、手。体温が高いのに、なんだか冷たくて仕方がない。


サンジはずっと前からゾロが好きだったけど、自覚して以来ひた隠しにしていたから、ゾロが自分を選んだ時は、夢じゃないかと死にそうになったのだ。
ゾロがいつからサンジを好きだったのか、そういえばサンジは知らない。他のみんなも、そんなの聞いたことがないらしい。



だけど、ゾロは、獰猛で冷徹な視線を注ぐだけで。
気まぐれにそっと触れるだけで。
それ以上サンジを求めることはしない。

そりゃぁレディの方がいいんだろうな。当たり前だよな。一度だけゾロに尋ねたことがあったけれど、ゾロは皮肉気な表情を浮かべて誤魔化した。サンジの大好きな、表情。
誤魔化した…んだと、思う。本当のところは、それ以来何も訊けないから判らない。

色んなレディから(不本意ながら野郎からも)お誘いを貰うけど、応える気にはなれなかった。
ゾロがいつかサンジを求めるかもしれないから。…いつ、か。

最近は、特に。
言葉だってとても静かで、昔のゾロからは信じられないくらい穏やかで。
そこには全然気持ちが見当たらない。




ゾロがほんとうはサンジをどう思っているのか、サンジには分からない。
聞きたいけど聞きたくない。だって怖いから。

今捨てられたら自分は空っぽになってしまうから。








ゾロがまた外泊した次の日。帰ってきたゾロに食事をさせなくちゃ、と思っていたら、ナミさんがいらっしゃった。

サンジはゾロが好きだけど、レディにめろりんとなるのはもう習性で、それがナミさんとあってはおもてなししない訳がない。

ゾロが気になりつつもお飲み物をお出しするためにキッチンへ急ぐ。
なんだか表情が硬かった。あとで、リラックスおやつもお出ししよう。
ゾロも、不機嫌だったし。


トレイにグラスを乗せて戻ると、リビングからナミさんの声がした。搾り出すような叩きつけるような…これは、怒り?


さんじくんがだいじじゃないの?かわいくないの?



ドアを開けようと伸ばした手が、思わず止まる。
…さんじくん…って…なんの、はなし…


ゾロ。ゾロ。答えちゃ駄目だ。やめろ、何も聞きたくない。
聞きたくないのにここを離れられない。



あぁ、かわいいさ。



ゾロ、ゾロ、ゾロ…



あいつは、やくにたつからかわいいんだよ。



―空っぽになった自分が砕ける音がした。


手からトレイが滑り落ちてグラスが床に当たって砕ける。
スローモーションのようなその光景にも反応できず、キラキラと混ざり合ったガラスと氷を呆然と見つめていた。


目の前でドアが開く。

ナミさんの声が悲鳴みたいだ。

どうしたんだろう。




あぁ、聞こえちまったか?


ゾロ。ゾロの声だ。

聞こえちまったか、って、何だろう。
ゾロ…ゾロが、言った。さっきの、言葉も。



ちりちりと脳が焼かれていく感触。
ゾロの声は耳じゃなくて神経に伝わってくる。



いつの間にかナミさんは姿を消していた。








2人きりになった部屋の中で、サンジは浅い呼吸を繰り返す。


悪いな、なんか聞いちまったか?

改めて尋ねたゾロの声に、我に返って。


聞こえるように、言ったくせに。

そう言い返したかったけれど、サンジは何も言えなかった。

だってわかっていた。ずっと前から。
ゾロにとってサンジはただ「便利」なだけで、いなくなっても代わりは楽にみつかるってこと。
それでも、どうしたって逃げられないってこと…


だから、笑った。
何が?と。グラスが割れたことを気にしている振りで。


笑えた自信はあったのだけれど。




ガラスを拾い集めようと伸ばした指が震えている。
止められない。止められなくて、ぷつりと刺さる音がした。


よかった、まだ空っぽじゃないや。
もうボロボロだけれど。まだこうして血が出ると、痛い。

さっきの言葉の方がずっとずっとずっと痛いけれど。



痛い、と感触を確かめていると、大きな手がサンジの手をつかみあげた。
驚いて振り返るのと、指先があたたかい何かに包まれるのは同時だった。



ゾロの舌がサンジの指をなぞっている。

信じられなくて思わず見上げた瞳の中に、いつもの冷たいだけの色とは違う、赤く黒く燃え盛る炎を見出して、サンジは何故か恍惚とした。


抱えあげられソファに投げ出されても、サンジは身動きひとつ出来なかった。
重力に従い、唾液の線をひいて口から零れて落ちてきた指。


カーテン越しに入ってくる筈の光が、シルエットに隠されて見えない。


サンジは口元をゆるめた。
笑う、というには仄かで、微笑み、というにも儚すぎる…表情。



役に立つ?
…そう、それだけだって構わない。おれはゾロの役に立ちたい。


これでいいのだ。サンジはゾロから離れられない。
どんなに痛くても。どれだけ傷ついても。



美しく恐ろしい生き物が、すべての光を遮って立ちはだかる。
どこまでもどこまでも絶対の存在なのだと、無言で知らしめるように。


昏い炎の中で、いつか砕けてしまっても。
引き摺られ追い堕とされても拒んだりは出来ない。あの手の中へ。


その瞬間すら既に愛おしくて、サンジは微笑う。



この煉獄は、おれだけのたからもの。





END



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