Call me
-8-



「――――は?」

訳が分からないというように、全員が動きを止めた。
「なんで俺らが幽霊なんだよ」
「そうよ、私たちこうして触れるし」
ナミがロビンの肩を抱く。
「俺、朝からいろいろ食ってうんこも出たぞ」
ルフィの身も蓋もない一言に、そうよねーと脱力しながらお互い頷き合った。
「俺たちの間では触れるんだろ。それで、島の奴らとも会話できる。だが、旅行者や海賊達とは話どころか、目も合わせちゃいねえはずだ」
そう言われれば…とナミは背後を振り返った。
すぐそばにこんなにナイスなバディがあるのに、赤ら顔の海賊は仲間達との馬鹿話に興じるばかりだ。
「しあわせパンチ☆」
「わーっ、なにやってんだ」
おっさんの目の前ではらりと肩を肌蹴させたが、何のリアクションもない。
なぜか背後でウソップが焦っている。

「なによーつまんない。見たら10万ぐらい取るのに」
「相変わらず阿漕な…」
ずらした襟元を直し、ナミは長い髪を撫でつけた。
「でも、これで私達の方が幽霊って証拠にはならないんじゃない?ここにいるほかの人たち全部が、幽霊」
「そうだよな、その方が自然だ」
「こんなにたくさんの幽霊に囲まれているなんて、恐ろしいはずなのにそうでもないですねェ」
「誰も、俺たちのこと気にしてねえからな」
自分たちが誰もほかの海賊たちと会話しなかったように、いま目の前に座る海賊たち…または観光客たち同士も話したり関わったりしていない。
見事に、それぞれのグループ同士が固まってひたすら楽しげに話しているばかりだ。
客観的に見れば、異様だ。

「俺たちも、こうだったのか」
「言われてみれば、不自然だったわ」
ロビンは顎に手を当てて、長い指で擦る。
「私たちがそれぞれの夢を忘れているように、ほかにも大切なことを忘れているのかもしれない」
「じゃああの、丘の上の幽霊は?あれは、俺たちにだけ現れたのか」
「あるいは、彼自身の存在にその意味があるのでは」

仲間の視線は、自然とゾロに集中した。
ゾロだけが幽霊の存在に気付き、ゾロだけが彼に固執したのだ。
解決の糸口は、ゾロにだけあるかもしれない。

「もしかして、実は彼は私たちが知っている人物だとしたなら…」
「連れてかなきゃなんねえだろ、仲間なら!」
力強いルフィの言葉に、戸惑いながらもみんな頷いた。
「じゃあ、もう一度あの丘に行ってみる?いつでも会えるようなら…」
「いや、行く必要はねえ―――多分」

ゾロはぐるりと、周囲を見渡した。
にぎやかな海賊や旅行者たちの姿はそのままだが、先ほどまでいたはずの島の人間の姿がない。
「なにもかも、化かされてるみてえだ。あの場所なんか行かなくったって、呼べばすぐ現れる」

はたして、ゾロの隣にあの男が立っていた。
半分透けて心許なそうに、どこか申し訳なさそうな表情で。

「ヴィンスモーク・サンジ…じゃ、ないのよね」
恐る恐るといったナミの問いかけに、男は恐縮したそぶりで首を竦めた。
こちらの言葉は、伝わっているようだ。
「どうすりゃ、こいつのこと思い出せるんだ?」
「ジェルマ66とか赫足の養い子とか、俺たちが調べたのは本当のことだったのかな?」
「こいつが決まったことしか喋れねえのも、制約がかかってるからじゃねえのか?」
身元がわかるような、もしくは名前がわかるような事柄は示せなくて、代わりにたくさんのヒントをちりばめた。
「ああもう、思い出せない!」
ナミはがしがしと、長い髪をかきまわす。

「海のコックで、夢はオールブルーを見つけること。バラティエの副料理長で、家族はジェルマ66…つまり王族」
「設定盛りすぎじゃない?」
「ジェルマって百十数年前に滅んだんだろ」
「その情報はダミーかも」

何が本当で何がまやかしかわからない。
ただ、ゾロの直感に賭けるしかない。

「ゾロ、あんたどう思ってるのよ」
ゾロはいったん開きかけた口を閉じて、彼らしくなく逡巡して見せた。

「おい」
誰にともなく、問いかける。
「なによ」
「俺が何言っても、笑うなよ」
「は?」
これもまた、ゾロらしくない物言いだ。
「俺自身が、まさかと思ってんだからな。だが、もしかしたらと思って言うんだからな。その辺、汲んでくれ」
「…お、おう」
ウソップは、おずおずと頷いた。
「ダメもとだ、なんでも言ったらいい。笑ったりなんかしねえよ」
「そうそう、気楽に行こう」
「ゾロ、頼む」
ルフィの真剣なまなざしを受け、ゾロは覚悟を決めたように口を引き結んだ。
「じゃあ、こいつの名前を言う」

すう、と息を吸い込んで、腹に力を込めた。
「ロロノア・サンジ!」

「は?」

ポカンと口を開ける仲間達の前で、薄れかけていた姿がはっきりと形を結んだ。
着崩したスーツ姿、金髪に巻いた眉毛。
片手に煙草を挟み、憮然とした表情でゾロを睨み返す。

「おせえんだよボケ!ってか、その名前で呼ぶなアホっ!!」
「呼ばなきゃ、てめえは戻らなかっただろうが」
反射的に言い返しながら、ゾロの頭の中で徐々に記憶が蘇っていく。

「そうだ、てめえは俺達の船のコックで、生意気で足癖の悪いいけ好かねえ野郎で、眉が巻いててエロコックでダーツでアホの国の王子」
「思い出しながら喧嘩売ってんじゃねえ!」
顔を真っ赤にして怒鳴り返す男が「仲間のサンジ」だと思い出したナミ達は、あらためて「はあああ?」と素っ頓狂な声を上げた。

「待って、ちょっと待って。サンジ君、確かにサンジ君よ!どうして忘れてたのかしら」
「ほんとだーっ、サンジごめええええ」
「アウッまるっと忘れちまってた、なんてこったい」
「なんてこと…それに、まさか」

大切な仲間の存在を忘れていた事実がショックだったが、それ以上に名前が違っていたことは衝撃だった。
「で、悪いけどその名前のこと――――」
「あーあーあーナミさん!無事でよかった。またこうして会えたんだから、もう全部オッケーオールオッケー!さあ、忘れよう」
「そうはいかないわよ!」
ルフィに巻き付かれたままヘラヘラしているサンジとゾロを、ナミは交互に見比べた。

「サンジ君の名前、いまゾロが言ったのが正解なの?ってか、そういうこと?いつから?」
「ナミすわああああ」
指を突き立てて追及してくるナミに、サンジは本気で泣きを入れた。


「クソぉ!だから嫌だったんだっ!!!」
地に伏して絶望するサンジの横で、ゾロはポリポリと顎を搔いている。
「私全然気づかなかったわよ。皆、知ってたの?」
「私は…なんとなく」
視線を逸らすロビンに、曖昧に頷くフランキーとブルック。
「いや、俺は全然」
真顔で手を振るウソップに、チョッパーは首を傾げたままだ。
ルフィは「サンジの飯―っ」と叫んでいる。

「どういうこと?」
サンジに聞いてもらちが明かないので、ゾロに尋ねた。
「割と長い付き合いなんだが、前の島で、まあ、すっかって話になって」
訥々と語るゾロの脛に、サンジが蹴りを入れる。
「うるせっ、うるせえ!余計なこと言うんじゃねえ」
「サンジ君、伏せ!」
「ナミすわあああああ」
地に伏して嘆き悲しむサンジの頭上で、ゾロは憮然とした表情で言い切った。
「つまり、こいつはロロノアって名前になったってことだ」
「つまり、あんた達は前からデキてて、こないだの島で…ああ、そういえば恋人同士が誓い合う鐘がどうとか、イベントあったわね」
金絡みでなければ、ナミの記憶は薄い。
「ともかく、その流れで盛り上がって結婚してたと。二人きりで」
「ナ、ナミっすわ…」
羞恥と憤怒で息も絶え絶えになったサンジが、往生際悪く足掻く。
「違うんだ、その、こいつが、その」
「でも、その名前で呼んだらサンジ君のこと思い出したんじゃない。それが本当の名前なんでしょ」
「…ううう」
ぐうの音も出ないで、ただ地面を叩き嗚咽を漏らす。

「でもそれじゃ本当に、ゾロが言わなきゃまったくわからなかったことだわ。誰も、そのこと知らなかったのよね」
「私もさすがに、二人が結婚していたとは知らなかったわ」
「ロビンちゃん、真顔で言わないで、お願いだから」
「真顔にもなるわよ、オオゴトよこれ」
「そうだぞ、もしゾロが思い出さなかったらお前のこと忘れて、俺らは次の島に行っちまうとこだった」
ウソップの言葉に、改めてぞっとした。
ゾロは「思い出した」訳ではないだろうが、なにがしか思うところがあったのだろう。

「―――愛のチカラね」
「やめてくれ…ほんとに、やめ―--」
耳まで真っ赤に染めながら、顔を上げられないサンジの背後にいつの間にか屋台の主人が立っていた。

「おや、見つけちまったかい。あんたら、いい“仲間”になれると思ったんだがなあ」
「あーっ」
「やっぱり、島の連中はみんなグルか?」
さっと身構えたウソップ達に、主人はまあまあと両手を振ってみせる。

「ここはそういう島さ。訪れたものの中から一人だけ、その存在が忘れられる。ログが溜まるまでにその一人の名前を呼べば、思い出して元通り一緒に旅を続けられる」
屋台で飲み食いしている海賊たち、もしくは観光客たちは、そのことを知らずに楽しんでいる。
周囲を見渡して、ブルックが「恐ろしい」と呟いた。

「もし、名前を呼ばなかったら?」
「ああ、そん時はあんたらが島の住民になる。それだけさ」
「え?」

てっきり、忘れられた一人が島に取り残されるのだと思っていた。
だが、実際は逆だ。
仲間を忘れたグループは、旅の目的も旅をすること自体も忘れて、この島に定住する。
忘れられたただ一人が、この島から抜け出せる。

「そうして、この島は人口を増やしていった。最初の島民が誰だったかなんて、もう誰も覚えちゃいない」
「じゃあ…あなたも」
気のよさそうな主人は、皺の寄った額を撫でて「そうさねえ」と相槌を打った。
「そうだったんだろうねえ、もう覚えちゃいないけどね」
覚えていないこと=なかったことに、なってしまうのだろうか。
うすら寒い思いで、改めてサンジを見た。

忘れられたたった一人は、具体的なことを言えない制約の中で必死にその存在を示すしかできない。
しかも触れられない、幽霊のような存在の仲間に対して。

「残念だが、ログが溜まったらみんなでそろって船出だ。俺たちは心から祝福するよ」

いつの間にか、街の様子は元に戻っていた。
賑やかな観光客。
忙しげに立ち働く島民たち。
その誰もがかつては異邦人だった。

「――――行くか」
ルフィは片手で麦わら帽子を押さえ、まっすぐに前を向いた。
仲間たちは誰も、振り返りはしなかった。







何ごともなかったように、サニー号は島を後にした。
最終日に各自買い出しを済ませた、慌ただしい出港だった。
遠ざかる島影を見送りながら、誰ともなしに息を吐く。

「今から思えば、悪夢のような島だったわねえ」
「すごく平和で、穏やかな街だったんだがなあ」
「ゾロじゃねえけど、狐に抓まれたみてえだ」
誰ともなしに目を合わせ、不安そうな顔を寄越す。

「もう誰も、欠けてねえよな。仲間は揃ってるよな」
「怖いこと言わないでよ、ウソップ」
「まあまあ、ゾロのお陰で元に戻れたんだし」
「そもそも、私たちに内緒にしてたせいでサンジ君の名前がわかんなくて、苦労したんだけど?」
特にナミが苦労したわけでもないのに、恩着せがましく話を蒸し返す。

「もう勘弁してくれよ~ナミさん」
「だって、なんでゾロがわかったのかわかんないんだもの。思い出した訳じゃないんでしょ?」
ゾロは苦虫でも噛み潰したような顔で、サンジに視線を投げた。
「片耳に、俺のピアスのうち1本を付けた姿で現れたんだ」
「え?そうだったっけ?」
幽霊と思い込んでいたサンジの姿は、今では記憶の中でも朧気だ。
「しょうがねえだろ、なんかヒントねえとわかんねえだろうし。ほかになにも示すものなかったし」
確かに、男が男に「俺達結婚してんだぜ」など、声もジェスチャーもダメとなれば伝える術など皆無だ。

「あああもう、そういう訳でもうこの話はなし!忘れて!忘れろ、忘れてくれ!!」
バリバリと髪を掻き毟るサンジの姿がさすがに気の毒に見えて、ナミもそれ以上追及するのはやめてあげようと思った。

「もうさ、俺は別に、俺の中だけでこいつの名前だって…それだけで、よかったんだ」
小さな声でポツリと続けられた言葉に、不覚にもキュンと来る。
下を向き、頬も耳も真っ赤に染めて羞恥に耐えるサンジの姿にドS心が湧きそうになるのを、危うく耐えた。
代わりに、ゾロが拳を開いて指をワキワキさせているのを邪魔しようと思う。

「じゃあ改めて、ゾロの誕生祝しようか!」
「そうだな、誕生日おめでとう、ゾロ!」
「宴だ~~~~~~~っ!!!」

船長の一声で、一気に宴会モードに突入した。
早速料理に取り掛かろうとするサンジに、ロビンが悪戯っぽく話し掛ける。

「珍しく、ゾロからおねだりして来たプレゼントはちゃんと用意できたものね」
「え?なんだいそれ」
サンジが知らない、ゾロへの格別なプレゼント。
その意味は、その夜ゾロから伝えられた。






End



back