勉強会


ミーンミーンミーンジ――――・・・
鳴き声だけで暑さ倍増の蝉時雨の中、陽炎立ち上るアスファルトの上をテクテク歩いてコーザの家に行った。
小じゃれたマンションの1室。
父子二人で住むのに充分な部屋だ。
インターフォンを押すと、コーザの応えがあってすぐに鍵が外された。
「らっしゃい」
「お邪魔しまーす」
サンジは首を伸ばし、コーザの背後に続く部屋へと声を掛ける。
「大丈夫だ、寝てっから」
「まだ?」
「昨夜、つかもう今朝だな。帰りが遅かったんだ。休みは大体午後起き」
ならば尚更、静かにしなければと足音を忍ばせて家の中に入る。
「どんだけうるさくったってガアガア寝てるぜ、気い遣うな」
コーザはそう言いながらリビングを抜け、自分の部屋へと案内した。
扉一枚隔てた向こうが、父親の寝室らしい。

「けど、珍しいな。サンジが一緒に勉強しよなんて言うって」
「や、だって俺ら一応受験生じゃね?コーザは塾行ってっからいいけど、俺なんもしてねえし」
「高校行かなくてもいいとか、言ってたじゃねえか」
「うるせえよ」
口先を尖らせて、持ってきた袋を乱暴に置いた。
中からちゃぷんと音がする。
「でかい袋だな、ナニ入ってんだ」
「紅茶とおやつ。暑いだろ、冷蔵庫冷やしとけよ」
「相変わらずマメだなあ」
綺麗にラッピングされた菓子を取り出して、コーザはひゅうと口笛を吹いた。
「生憎だけど今日はビビ来ないぜ」
「うっせえな、わかってるよ」
サンジはなぜか頬を赤らめて、乱暴な仕種でワークや筆箱を取り出した。

実家がレストランだけあって、料理や菓子作りが得意なサンジは友人達との集まりでもたまに手製のおやつを持ってくることがあった。
が、それは大抵女子も一緒の時に限られていたから、こんな風にコーザと二人の時に持ってくるなんてことは初めてで珍しい。
珍しいといえば、コーザの家に行きたいなんて言い出したのも驚いたし、勉強するなら図書館でと誘ったら人がいるから嫌だとか、サンジらしくない理由を訥々と並べ立てて抵抗したっけか。
「高校、どこ行くか決めたのか」
「まだ・・・」
「ふうん」
それでも、今頃がむしゃらに勉強しだした辺り、少しは目標ができて焦りが出てきたんだろうか。
「もしかして、G校狙い?」
「はは・・・まさか」
サンジは微妙に視線を逸らしているが、微妙な半笑いだ。
もしかすると本当に、G校を目指すつもりかもしれない。
ビビはまだ2年だがG校に入るつもりでいるし、そのためにもコーザは自分が先にG校に入って待っててやろうと言う心積もりだ。
それを聞いて、サンジもG校に入るつもりになったんだろうか。
ビビ狙いか、まさか自分が・・・
「サンジ」
「ん?」
「言っとくけど俺、ビビ一筋だからな」
「はあ?」
サンジはきょとんとして顔を上げた。
長い前髪から覗く片側だけの目の上に、くるりと巻いた眉は何度見ても見慣れない。
「なに言ってんの?」
「・・・いや、別に」
考えすぎかと、コーザは改めて自分もノートに視線を落とした。



しばらくは、カリカリと鉛筆を動かす音だけが室内に響いていた。
エアコンは効いてるし、表通りから少し離れた場所だから静かで快適な環境だ。
これから毎週この部屋に遊びに来たら、少しは成績も上がるかもしれない。
なんて自分勝手なことを考えていたら、寝室の扉がガチャリと開いた。
サンジが弾かれたように顔を上げる。

「あ・・・」
「おう、いらっしゃい」
現れたのは上下グレーのスウェットに毛糸の腹巻をつけた父親だった。
眠たげな頬には無精髭が浮き、ツンツンした髪が寝癖で妙な方向を向いている。
「親父、同じクラスのサンジ」
「いつもお世話になっております」
サンジが三つ指着いてきっちりと頭を下げると、父親はこりゃどうもとズボンの裾を上げてその場で膝を着いた。
「コーザが世話になってます」
「いえ、こちらこそ」
「なにやってんの、二人とも」
コーザの呆れた声に、父親は開ききらない瞼を擦りながら顔を上げた。
「だってよ、こんなに丁寧に挨拶されちゃこちらも誠意持って挨拶しないとだな」
言って、その場で胡坐を掻いて座る。
「どうだ、勉強捗ってるか」
「はい、この部屋とても涼しくて快適ですごく捗ってます!」
サンジが張り切って答えるのに、そりゃあよかったと父親は寝ぼけ眼で笑った。


「それじゃあ、俺は邪魔しないようにどっかで飯食って来るわ」
「おう」
コーザがそう応じようとしたのを遮って、サンジは机を叩く勢いで立ち上がった。
「あの、あの、俺アイスティ持って来たんですけど」
何事だ?と言う風に、父親とコーザが顔を見合わせる。
「家でブレンドしたんです、すっきりするのでもしよかったら・・・」
「ああ、じゃあご馳走になるかな」
再び座り直した父親に代わってサンジはさっと身を翻すと、リビングに入って勝手に扉を開け始めた。

「・・・あの子、どこになにがあんのかわかんのか?」
「うちに来たのは今日が初めてのはずなんだけど・・・少なくとも親父よりわかってる感じだな」
親子で感心しつつ、とりあえず顔洗って来いとコーザに叱られた。
洗面所で髪を整え髭を当たって、ついでに着替えして戻る。
それと同時に、サンジは適当に見付けた食器を利用してなにやら運んできた。

「アイスティーと、お茶請けによかったら・・・」
「へえ」
からりと涼しげな音を立てて氷が揺れる。
綺麗な色のアイスティーに添えられたのは、ビスコッティだ。
なにかおやつを持っていこうと思ったが、時節柄溶けるものはいけないし、重たいものは暑苦しい。
それに甘いものは苦手かもしれない。
ああでもないこうでもないと考えて、結局シンプルなものに決めた。
ナッツ類をふんだんに入れて、からりと焼き上げた。
「あの、どうぞ、よかったら」
「いただきます」
早速手を合わせ、グラスを手に取る。
父親とコーザは同じ仕種でアイスティを呑んだ。
「あ、美味い」
「すげーすっきり」
同じような顔で笑った。
その笑顔に安堵して、サンジも表情を緩めた。
「そっか、よかった」

ちゃんと着替えた父親は、さっきより小ざっぱりとした顔をして黒いシャツに生成りのパンツ姿でぐんと若く見える。
紅茶を飲む動きと共に上下する喉仏が妙にセクシーで、思わず見蕩れてしまった。
「これも美味いぞ、サクサクして」
ビスコッティを齧った父親は、モグモグと口を動かし納得したように何度も頷いた。
「ほんのりと甘いのがいいな」
「なんかほっとする味だなー」
「たくさん食べてください、ちょっと作りすぎちゃったので」
サンジは照れながら、菓子皿に入れたビスコッティの山をずずいと差し出した。
「あ、アイスティお代わりありますよ」
「貰おうかな」
「俺も」
俄かティータイムとなったが、サンジは自分では手を付けず、旺盛な食欲を示す親子をただニコニコと笑いながら見守っていた。

「紅茶も菓子もすごく美味いけど、お母さんが持たせてくれたのか?」
父親の問いに、サンジはぶんぶんと首を振った。
「いえ、俺が作ったんです。・・・趣味で」
「すごいな」
目を瞠って感歎される。
さっきより目が大きく開くようになってきているのが、なんだか可愛いと思えた。
「ご馳走さん、美味しかった」
綺麗に食べつくされ、サンジは満足して箱を仕舞った。

「さて、美味いもの食ったからもうひと頑張りできるな」
父親は、立ち上がりざまコーザの頭をぐりぐりと撫でた。
いいなあと見上げるサンジの目線に気付いたか、サンジの髪も遠慮がちに優しく撫でた。
「晩飯でも買いに行って来るから、ゆっくりしててくれ」
「あ、あのっ」
慌てて腰を浮かすサンジに、父親はん?と振り返る。
「俺、飯作るのも得意です。夕飯と、か」
さすがにここまでは強引過ぎる申し出かと思ったが、父親は引いたりせずに穏やかに笑みを返した。
「そうか。そりゃありがてえが、まずは勉強だな。またよかったら、ご馳走してくれ」
「はい、必ず」
勢い込んで頷くサンジの頭をもう一度撫でて、父親はサンダルを突っ掛けて外に出掛けてしまった。

名残惜しげにその後ろ姿を見送って、サンジは再びノートに向かい始めたが、まもなくソワソワと身体を揺らし始める。
飲み終えたグラスを手で弄んだり、定規と消しゴムを積み上げて遊んでみたり。
そしてとうとう、手にしていたシャーペンをぽいっとノートの上に投げ出した。
「あーあ、なんか勉強飽きてきたな。表でサッカーでもしねえ?」
「お前、何しに来たんだよ」
コーザの突っ込みに、サンジはぺろりと舌を出した。


End