明日の朝までに -3-


どちらが本物でどちらが偽者なのか。
小難しいことを考えるのが苦手なゾロは、早々にその判断基準をサンジ自身に定めた。
ノコノコと近付いて来る方が偽者だ。
一旦そう決めてしまうと、いつものコックらしからぬ奇行にも一々動揺せずに済む。

今日も昼寝から目が覚めたら、偽者サンジはゾロが凭れた酒樽の向こう側に背中を合わせるようにして胡坐を掻き、じゃがいもの皮を剥いていた。
端から見ると、随分と仲良さそうな光景だ。
ゾロが目覚めたことに気付かないで、せっせと皮を剥き続けている。
かすかに耳に届くのは鼻歌だろうか。
何を歌っているのかわからないが、耳に馴染んで心地よい。
もう少しこのままでいたくて、ゾロはサンジの邪魔にならないようにそっと反対側を覗き込んだ。
が、生憎のタイミングで吹き寄せた横風に船が煽られ、方向が僅かにずれる。
手元に差し込んだ影に気付き、サンジが顔を上げた。
「起きたかのか?」
口を開けてぽかんと見上げた表情がアホっぽい。
「・・・っち」
「あんだよその舌打ちは!」
言葉では怒りながらも声は笑って、包丁を布巾で包んだ。
「えらく早い時間に目が覚めたな、そろそろおやつの準備すっか」
こんな風に穏やかに微笑むサンジなど見たことが無い。
やはりこいつは偽者だ。
偽者だから、ゾロにだって優しい。

立ち上がり掛けて、不意にゾロの傍にしゃがんだ。
顔が近い。
見返すゾロにおずおずと近付いて、そっと唇を付けた。
ゾロが逃げないのをいいことに、触れるだけのキスを何度か繰り返す。
自分から仕掛けておきながらなんとも拙い行為に、ゾロの方がもどかしくなって手が出た。
丸い後頭部をがしりと掴み、容易に離れられないようにして口付けを深める。
歯列を割って舌を差し込み丹念に口内を舐めれば、最初はビクついて引っ込んだサンジの舌も躊躇いながら応えてきた。
ここまでしても逃げたりしないとは、さすが偽者。

酒樽の影に潜むようにして縺れ合い、お互いの唇を貪った。
荒い鼻息が漏れ、合わせた唇の間からいやらしい水音が立つ。
正直、コック相手にこれほど興奮するとはゾロ自身想像もしていなかった。
常々アホだなとかどこか危なっかしくて見てられねえとか首筋が美味そうだなとか、その程度しか思っていなかったのに。
いざコトに及ぶととんでもなくエロくてそそられる。
これはサンジだからか、それとも偽者の魔力だろうか。

「ふ・・・」
鼻から切なげな息を吐きながら、サンジの両手がゾロの肩を押した。
名残惜しそうに唇を離し、熱に浮かされたような目で至近距離からじっと見詰める。
「今夜、俺見張りだから・・・」
―――だから?
それ以上は言葉にせず、サンジはゾロの視線を振り切るように立ち上がると毅然とした態度でそのまま立ち去った。
いつになくシャンと伸びた背中を見送って、ゾロはふむと声に出して鼻から息を吐く。
見張りだから、どうしろっつうんだ。

偽者は非常に思わせぶりな行動をとる。
まるでゾロを誘っているような意味深な瞳で見つめ、実際に触れてきて濃厚な口付けまで交わしてしまった。
本物のサンジが知ったら、怒りのあまり卒倒してしまうだろう。
偽者の意図がどこにあるのかさっぱりわからないが、このまま流されてはさすがにまずいとゾロは思った。
ブンレツの実の隠された目的は、男の精を抜き取ることにあるのかもしれない。
そうでなければ、あの病的なまでに女好きなコックが、こともあろうに蛇蝎のごとく毛嫌いしている自分を誘う筈もないし、男相手に唇や身体を許すとは到底思えない。
すべてはあれが偽者だからだ。
いざ口付けてみれば、拍子抜けするほど幼い反応を見せるのも奴の手なのかもしれないし。
やってみれば案外いけるとか、前から憎からず思っていたから好都合だとか、目先の欲に眩んで迂闊に手を出してどんな罠が待ち受けているかもわからない。
何せ相手は未知の偽者なのだから。
そう結論付けて、ゾロはその夜見張り台には近付かなかった。





翌朝は未明から大荒れで、風はそう強くないが叩きつけるような雨が降り続き、クルーは自然とラウンジに集まる形になった。
かと言って暇を持て余すこともなく、武器の手入れをしたりカードゲームに興じたりとそれなりに忙しい。
そんな中にあって、サンジ一人・・・いや、二人だけが妙にピリピリとした空気を纏っていた。
機微に聡いウソップは、カードを捲りながらそれとなくゾロに囁く。
「今度はなにしでかしたんだよ、恐ろしく機嫌悪いぜ」
「ああ?俺が知るかよ」
見張り明けではあるがサンジは朝からきちんと朝食の準備を済ませ、起きて来たナミやロビンに愛想を振りまいていつもと変わらぬように見えるが、男連中への態度は冷たかった。
特にゾロは、最初から射殺す目付きで睨み付けている。
一人でもおっかないのにそれが二人分だから、余計迫力が増す。
「明らかに、お前に腹立ててるって」
「そんなの前からだろうが」
気配だけで刺されそうなほどきつい視線を背中に浴びながら、ゾロはおっとりとカードを捲った。
実際、特に怒られるような事はしていないと思うし、もしかしたらと思い付くことは山ほどあるから一々気にしない。
「ゴム!てめえがラウンジにいると食ってばっかりだから、外で運動して来い!」
「おう、わかった!」
「この雨に、いくらルフィでも可哀想よ」
「そうだよね〜ナミさんvルフィ、うろちょろ出るんじゃねえ!」
「どっちだよ」
ルフィに八つ当たりしてるぞと、ウソップが横目で様子を窺っている。

「とは言え、あんまりルフィに居座られて食料を食い尽くされちゃあたまらんだろ」
「そうですヨホホ〜明日はパーティですのに」
「あ、そっか」
ブルックの言葉に、ナミが読んでいた本から顔を上げた。
「サンジ君、お祝いできそう?」
「無理かもしれないっすね、ゴムが粗方食ったから!」
ツンケンした態度のまま、サンジは乱暴に冷蔵庫の扉を閉めた。
「まだ大丈夫だろ。鍵付き冷蔵庫のはさすがのルフィも手え出してねえだろうしよ」
「オウ!俺様がスーパーな暗証番号掛けてっから、お前さんの許可が下りねえと開けねえよ」
レシピブックに何か書き付けていた方のサンジが顔を上げ、ぼそっと呟いた。
「どうせ鈍感アホ腹巻の誕生日だから、どーだっていいんです」
「あ?」
それは自分のことかと振り返り、両方のサンジから思い切り冷たい視線を浴びた。
「なんだ、俺のか」
「なあに、ゾロったらやっぱり忘れてたの」
「そりゃそうだ、自分の誕生日を前にしてソワソワするゾロってなか想像できねえよ」
「チョッパーはわかりやすいよなー」
「ウソップだって!」
「あら、あたしもよ」
「ええ?」

水仕事を終えた方のサンジは、火の点いていないタバコを咥えるとそれじゃあとエプロンを外した。
「俺、一眠りしてくるわ」
「OK」
「了解」
「おやすみ〜」
両手をポケットに入れて猫背で歩きながら、一人のサンジは出て行った。
もう一人はテーブルに肘を着いてノートを捲っている。
ゾロはその横顔をじーっと見ていたが、敢えて無視しているのかこちらに視線を送るようなことはしない。
―――ってことは、こっちが本物か
「ほい、上がり」
「あ、俺も」
ウソップに続いてゲームを終えると、ちょいと抜けるとそのまま立ち上がった。





外に出れば、相変わらず叩きつけるような雨が降っている。
甲板には激しい水飛沫が掛かり、海面は波が踊っているようだ。
荒れる景色を横目で見ながらゾロはそのまま真っ直ぐ男部屋に向かったが、誰もいなかった。
どこで寝る気だとしばらくあちこちをウロついてみる。
なんでこんな、自分から機嫌を取るような真似をするのか自分でも不思議だったが、気になるものは仕方がない。
出てったあっちの方が偽者だろうと、勝手に思い込んでいるからだろうか。

雨が当たらない範囲に歩き回って、一旦行き過ぎてから後戻りして倉庫の扉を開けた。
見慣れた背中が、上にあるものを取ろうと手を伸ばしている。
「なにやってんだ」
振り返った拍子に、箱が崩れた。
雪崩れそうになるのを、咄嗟に両手を伸ばして押さえる。
「・・・急に、声掛けんなよ」
ゾロの顎の下に身を屈めるようにして、サンジが小さく悪態を吐いた。
その背中に貼り付いたまま、ゾロは伸び上がって崩れた荷物を元の場所へと戻す。
「寝るっつって、こんなとこでなにしてんだ」
「在庫の確認だ」
「俺の誕生日用にか?」
ゾロと箱の間に挟まれた形のまま、サンジはきっと睨み付けた。
がしかし、あまりに近くて表情が丸見えだ。
目元がうっすらと赤いのは寝不足のせいではないだろう。

「昨日、来なかった癖に」
「ああ?」
恨みがましい声に、ゾロはそのまま身を屈めた。
余計に身体が密着して、どちらのものともつかない鼓動が服越しに響く。
「昨夜、ずっと待ってたのに」
下唇を僅かに突き出し、奥歯を噛み締めるようにして横を向いた。
その仕種があまりにいじらしく映って、ゾロはガンとハンマーで頭を殴られたかのような衝撃を感じた。
―――なんだこいつ、偽者パワーか?
ぐわっとマグマが滾るように、俄かに腹の底が熱くなる。
衝動の正体がなんなのか、考えるまでもなく勝手に身体が動いた。

積んだ箱にサンジの身体を押し付け、乱暴に唇を奪った。
圧し掛かるゾロの身体を押し返し、僅かな抵抗の素振りを見せながらも、やがてサンジの手は縋るようにシャツを握り締める。
息も吐かぬほど激しい口付けを交わしながら、そのまま痩躯を横抱きにした。
サンジの身体は、いつもの半分ほどにも軽い。
難なく抱え上げて、キスをしたまま倉庫の床に横たえる。
「てめえ、どういうつもりだ」
顔の横に手を置いて至近距離で睨み付けながら、ゾロは荒い息でサンジの下唇を舐めた。
問い詰めているのに、その仕種はあまりに優しい。
サンジは泣きそうな顔でじっと横たわり、唇を引き結んだ。
「別に、ただ待ってたから・・・」
「なんでだ?」
「・・・・・・」
答える代わりにぎゅっと目を瞑ったら、その瞼も舐められた。
「てめえは偽者だろうが、信用ならねえ」
残酷な言葉に顔を歪め、くっと声を詰まらせて横を向く。
「偽者でも・・・偽者だから・・・」
つっかえつっかえ、声を絞り出した。
「お前が好きだから」
「・・・偽者だから、か?」
こくんと頷くサンジの様子に、ゾロの腹の底はますます熱くなった。
もうどうしてやろうか、この野郎。
一遍に噴き出した凶暴な欲情とは裏腹に、頭の芯がすっと冷える。
―――こいつは、偽者だからこんなこと言いやがる
本物なら、絶対にこんなことありえねえのに。

片手で乱暴に身体を弄って、股間を探った。
ズボンの布越しにも熱く硬くなっているのがわかった。
自分にキスされて押し倒されて、興奮してやがる。
そう思うと、目が眩むほど凶悪な感情が湧いて出た。
「ふあっ、ゾロっ」
急所をぎゅっと掴まれて、痛みと驚きに痩躯が跳ねた。
その上に膝を乗せて固定すると、そのままシャツをたくし上げて滑らかな肌に唇を付けた。
どう見ても男の扁平な胸だ。
肌は細やかだが薄っぺらく、綺麗に筋肉がついている。
何の柔らかさも膨らみもないそこに唇を這わせ、小さすぎる尖りに歯を立てた。
ビクンと肩が揺れて上半身が起き上がろうとするのを、片手で押さえる。
「いっちょまえに、硬くなってやがる」
唇で挟んで吸うと、サンジはゾロの頭を抱えるようにしてああっと身体をくの字に曲げた。
「ば、かやろ・・・そんな」
「なんだ、感じんのか?」
片方の乳首を食みながら、もう片方を指でやわやわと揉んでやった。
男が乳首で感じるのかなんてゾロは知らないが、サンジの反応が過敏でつい調子に乗った。
吸ったり舐めたり噛んだりしている内に、口の中でどんどんと硬さを増していく。
「偽者だから、乳首で感じんのか」
口に含んだままそう言ったら更にビクビクと身体が逃げた。
「やっ・・・やめろ」
明らかに艶が混じった声に、拒絶の色は見えない。
この野郎と理不尽な怒りが湧いて、乳首を噛んだまま片方の手をズボンの中に突っ込んだ。
既に熱く滾っているそこを、下着の布越しに乱暴に擦る。
「ぅあっ・・・ああ、やっ」
サンジは両手で口を押さえ、腰だけ引いて海老のように逃げた。
だががっちり掴んだゾロの手がそれを許さない。
相手を気遣う余裕も見せないまま、ただ高めるために手荒に扱いた。
「ふあ、やっ・・・ダメだっ」

ああっと断末魔のような声を上げてサンジの手がゾロの腕を掴む。
なんだイきたくねえのかと動きを止めると同時に、外をバタバタと走る足音がした。
「おい、そこにいるのか?」
ウソップの声に弾かれたように身体を起こし、ゾロは素早く立ち上がった。
「おう、どうした」
不自然でないようにゆっくりと靴音を鳴らしながら、戸口に出る。
「サンジは?」
「こん中だ、何か探し物があるとかで」
それとなく倉庫の中が見えないように自分の身体で隠しながらウソップの前に立った。
「いや、こっちのサンジが急に熱出たみたいなんでよ、そっちはどうかと思って」
「ああ?」
ゾロは目を丸くしてウソップをまじまじと見た後、そっと背後を振り返った。
素早く身支度を整えたらしいサンジは、積まれた箱の向こうからそっと窺うように姿を現した。
当然のごとく、顔は赤い。
「あ、やっぱな。風邪引いたかな」
サンジはややわざとらしいほどに足元をふらつかせてウソップの前に出て来た。

「や、探し物してたらなんかふらついてよ。そしたらこいつが来て・・・」
「ああ、大丈夫かと言ってたとこだ」
咄嗟に話を合わせる。
「そりゃ丁度よかった。こっちのサンジは毛布引っかぶって男部屋に寝かしたから、お前もそうしろ」
「ああ、ありがとう。多分寝不足なんだ、寝たら治るよ」
そう言いながら、不自然な前傾姿勢のままでヨロヨロと男部屋へと向かう。
送ってってやろうかとのウソップの申し出はきっぱりと拒否した。

「あいつもなあ、分裂したはいいけどやっぱり二倍以上働くことになるんだから、疲れも出るよな」
な、と振り返ったウソップがぎょっとするくらい、ゾロはへんてこな表情でサンジの背中を見送っていた。



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