明日の朝までに -1-


サニー号に乗った当初、ゾロはよく船内をウロウロしていた。
その度誰か彼かに見付けられ、トイレはあっちだの見張り台に上がるなら裏に回ってだの、場当たり的でありながら的確な指示を受けることが多かった。
誰もがゾロが迷っていることに気付いてはいたが、当の本人だけはいつまでもその自覚がなく、無駄な遠回りを続けながらも快適な新船に徐々に馴染んで行った。
今ではさすがに船内で迷うことはない。
ちょっと人より歩数は多いが一人でも目的地に辿り着けるし、お気に入りの昼寝場所も複数見付けた。
ただどうも最近、やたらと口うるさい奴に出くわす気がする。

「まーたこんなところで寝くたれてやがる。おやつだぞ」
ガツンと腹を蹴られ、ゾロは垂れかけた涎を啜りながら目を開けた。
サンジが近付いてきたのは気配で知っていたから、腹に打ち込まれる前に無意識に腹筋に力を入れている。
乱暴な起こし方は腹立たしいが、これも鍛錬の一つとでも思えば苦でもない。
「もう朝か?」
「おやつだっつってんだろがっ!」
即行で突っ込まれても聞く耳持たず、後ろ頭をボリボリ掻きながら身体を起こした。
ひょろひょろした背中が、肩を怒らせガニ股歩きで去っていくのをぼんやりと見送る。

今までおやつ時に起こしに来ることはなかった。
飯時はさすがに何度か蹴り起こされたが、おやつの時間に起きなくてもルフィの手から死守して取り置いてくれていたのだ。
それがここ数日、ああしてきっちりと起こしに来る。
それだけでなく、男部屋を勝手に漁って洗濯したり整頓したり、鍛錬中にドリンクを差し入れたり風呂へ行く時に忘れたバスタオルを届けたりと、やたらと甲斐甲斐しい。
その度口汚く罵って帰るのに、言ってることとやってることの差が激しすぎて腹が立つよりおかしかった。

―――ご苦労なこった
放っておけばいいものを、サンジはなんのかんの文句をつけつつ人の世話を焼くのが好きだ。
ゾロだけでなく、ナミやロビンはもとよりルフィやチョッパーの面倒もよく見ている。
フランキーやウソップは原則放置だが、彼らはそれで問題がない。
ブルックにはコマメに突っ込みを入れてやっているから、やはり生来人が良くて世話好きなのだろう。

甲板に出れば、よく晴れていい天気だ。
日差しを反射して海の輝きが目に痛いほどきつい。
このせいであのキンキラした頭も、悪目立ちするのかもしれねえな。
そんなことを考えながら、仲間達の声がする芝生へと足を踏み入れた。



「やっと起きやがったか、寝惚けマリモ」
「今日のおやつはミンスパイだぜ」
「お前の分は、特別に酒たっぷりにしてやったからな、心して食え」
「こらっクソゴム!ナミさんのに手え出したら、マストにグルグル巻きの刑だぞっ」
相変わらず喧しい声が交互に聞こえるなと思いながら一口齧り、うむと一人頷いた。
香ばしい焼きたてのパイの中から濃厚なミンスミートがじゅわりと染み出て、芳醇なアルコール臭が鼻腔を擽る。
チョッパーなら匂いだけで酔っ払ってしまうだろう。
美味いと思ったが口には出さず、もぎゅもぎゅと味わいながら咀嚼して視線を上げる。
目の前にドヤ顔でサンジが立っていた。
二人並んで。

「・・・・・・」
思わずごくりと、飲み込んでしまった。
しまったもっと味わいたかったのに、といやしんぼ精神が頭を擡げたが、今はそれどころではない。
「なんでお前が、二人いるんだ?」
パイを喉に引っ掛けたまま掠れた声で呟けば、二人のサンジは計ったように同じタイミングで顔を見合せた。
途端、周りは爆笑の渦となる。

「やだーゾロ!マジ?マジで気付いてなかったの?!」
「本気かよゾロ〜」
「信じられない」
「ホラね、私の言った通りだったでしょう。私の目は節穴ではありませんよ。まあ穴しかないんですけど」
仲間達が口々に囃し立てる中で、世にも珍しい二人のサンジもそれぞれに腹を抱えていた。
「あークソ参った、どんだけ間抜けだクソ腹巻」
「脳みそ筋肉にもホドがあらあ」
信じられない、どんだけーと散々盛り上がった後、ナミが涙を拭きながら付け加えた。
「サンジ君、もう三日も前から二人だったのよ?ほんとに本気で気付かなかったの?」
三日前から二人???
大抵のことには動じないゾロもさすがにこれには驚いて、言葉も出なかった。
ただ喉に引っかかったままのミンスパイを飲み下すべく、コーヒーを口に含む。
冷めても美味いそれはサンジが煎れたいつものものと、なんの変わりもない。





「この間寄った島で人助けしたじゃない。まあ、行きがかり上だったけど。あの時、領主からたんまり貰ったお礼とは別に、孫を助けて貰ったっておばあさんからお礼を貰ったのよね。ブンレツの実」
「一人の人間が一週間だけ二人に増えるって、一時的な悪魔の実もどきだ。誰を二人に分けさせるかって話し合い、みんなでしただろうが」
「あん時は、高鼾で寝てたよなあ」
「ナミを二人にしようって言い張ったのサンジだけだったしね。後は全員一致でサンジだった」
「サンジ君が一番働き者ですもの」
そんな経緯があったとは露知らず、ゾロはこの三日の間ずっとサンジが二人いると気付かずに過ごしていたらしい。
元々手分けして仕事を片付けるために分裂したサンジだったから、食事の時は一人がラウンジにいてもう一人は別の場所で仮眠を取ったりしていた。
分裂したとは言え元は一人だから、食事も片方がすればいい。
最初は都合上そうしていたのに、どうやらゾロは気付いていないらしいとブルックが言い出した。
そんなまさかと半信半疑で仲間達が見守る中、ゾロは目の前のサンジがトレイを持ってラウンジを出た後、キッチンから呼び声が聞こえたりしてもなんら疑問を持たなかった。
これは本物だと気付いてからは面白がって、ゾロの目の前ではサンジ同士が顔を合わせないようにわざと振舞っていたのだ。
それでもいつかは気付くだろうと賭けの対象にまでしていたのに、一向にその気配を見せない。
業を煮やして呼び付けたのが、今日のおやつタイムだ。

「あー腹痛え」
「笑わせて貰ったわあ」
「賭けは俺の勝ちだな、ゾロは最後まで気付かねえ」
どーんと胸を張るルフィに、はいはいとナミは苦笑いだ。
「次の島で好きなだけ食べていいわよ。その代わり、食事代は自分で稼いでね」
「ほんとか!やったあ」
「・・・なんのメリットもねえぞルフィ・・・」
突っ込むウソップの横で、二人のサンジはまったく同じ服装同じ表情で肩を竦めて見せている。
煙草を咥えた仕種も、何もかもが一緒だ。

「筋肉達磨に人並みの能力を求めるってのが酷ってもんだった」
「あんだとコラ」
凄んでみせるゾロだが、実際どっちを睨み付けていいのか迷い視線が揺れた。
見知った顔が二つも並んでいるというのは、おかしなものだ。
「ただでさえ小うるせえのが二人に増えて、どんだけ鬱陶しいんだ」
「あんだとゴルア」
「それで気付いてねえてめえはどんだけ阿呆だボケ」
二人掛かりで上から怒鳴られて、うるさいことこの上ない。
よくよく考えれば、確かに最近船の中でよく出会うとは思っていたのだ。
だがまさか、二人になっていたなんて誰が想像するだろうか。
「あーうるせえ」
ゾロは残りのミンスパイを一息に頬張って、頬袋を膨らませたまま席を立った。
「まてオラ、コーヒーのお代わりはどうすんだっ!」
「食いながら歩くんじゃねえよ、口から零すなっ」
二人のサンジに追い掛けられるゾロの姿がまた笑いを誘い、甲板は再び爆笑に包まれた。





「ねえ、実際自分がもう一人いるってどんな感じ?」
「そりゃあ変な感じだよナミさん」
もうゾロにもバレたからと、二人のサンジは堂々とキッチンに立っていた。
一人はシンクで洗い物をし、もう一人は明日の仕込みをしている。
元々一人でしていたことを同等の能力を持つ自分同士で手分けできるのは実に効率がよく、サンジ的には快適な毎日だ。
いつになくのんびり過ごせて、心置きなく朝寝も昼寝もできる。

「余計に働かせることになったのではないかと、気にはなっていたのだけれど」
二人分の体力を使うことを懸念していたロビンに、サンジは二人とも振り返って笑う。
「それが、ちゃんと休めるせいか疲れねえんだよ。どっちが何やってるかも把握できるし、みんなと話すことや聞くことも同時にできるから超便利。一緒くたになるとちょっと混乱するけどね」
だから普段は、どちらかが動いている時もう片方は人気のないところで単純な作業をしたり休息を取ったりしていた。
今日はゾロを驚かせたのが面白くて、未だに二人一緒にいるだけで。
「それを悪用して、初日にお風呂覗こうとした人いたわね」
即座にナミに見つかり、サンダーボルトを食らった。
あの時は確か、アリバイ作りのためにラウンジにいたサンジも昏倒したのだ。
「それはこいつだよ」
「何言ってんだ、あん時はてめえじゃねえか」
慌ててお互いを指差す。
どっちも一緒だと、先ほど言ったばかりだろうに。
「見た目は全然変わらないのにね。・・・ん、ちょっと色が薄くなったかしら」
「色?」
「うん、こうして船内で見るとそうわからないんだけど、昼間甲板でおやつ食べたでしょ。あの時のサンジ君、髪の色が普段より薄かったわ」
「黒いスーツも少し透明感があったわね」
「いくら分裂つっても服まで同じものに分かれるって面白いよな」
「でもその時着てた服だけだろ、脱いだらパジャマとか別々に着てる」
「見張りしてる時、もう片方寝てても寝たことになんのか?」
仲間達の矢継ぎ早の質問にも、二人は交互に答えた。
さすが元は一人というべきか、息がぴったりだ。

「もうゾロにはバレたんだから、男部屋で二人で並んで寝ていいぞ」
「ボンクに二人はきついだろ」
「重なって寝てると笑える」
「オロスぞオラ」
「見てみてえ、おんなじ寝相なのかな」
「サンジって、船での生活が長いからか寝相いいよな」
「たまには二人揃って休みなさいよね」
二人に分裂したというより、仲間が増えた感じで賑やかだ。

「あのドン臭腹巻に差し入れ持ってったら寝るよ」
「ゾロって・・・マジおもしれえよなあ」
「あれ本気で気付いてなかったよね」
「ミラクルだ」
「なんせファンタジスタだから」
くっくと思い出し笑いをする仲間達に背を向け、二人のサンジは同時に小さく溜め息を付いた。





「まりもん、起きてやがるか?」
バスケット片手にひょいと頭を覗かせたサンジに、ゾロは思わず身構えた。
あのうるさいのが二人連れ立ってくる可能性は大いにある。
主に嫌がらせの目的で。
だが予想に反してサンジは一人だった。
そう睨むなと笑いながらバスケットと酒を差し出す。
顔が赤く、ほのかに酒の匂いがした。
「飲んでんのか?」
「ナミさんが実験とか言って、片方に飲ませた。もう片方も酔っ払うかって・・・」
「それで?」
「もう一人の俺は寝てる」
見事に酔い潰されたということか。
「俺も寝るー」
「馬鹿野郎、こんなとこで寝るな」
危うく落としかけた酒瓶をひったくり、凭れ掛かってくる酔っ払いに背中を向けた。
懐くようにしな垂れかかり、両手をだらりとゾロの肩から下ろす。
「今までどこで寝てたんだ」
「んー、ラウンジとかー」
「片方は男部屋でか?」
「そうそう」
そんなに手間を掛けてまで、自分にバレさせないようにしていたのか。
策を弄したと腹が立つより感心する。
「それじゃあ俺が気付かなかったのも無理ねえな」
「そうそう無理ねえ・・・って、んな訳あるかーっ!」
がばりと顔を起こし、いきなり吠えた。
耳がキンキンする。
「いくらメリーよりでかいとは言え、所詮船だぞ。船の中で一緒に生活してて、仲間が一人増えてることにどうして気付かねえ?間抜けにも程があらあ、てめえの目は節穴か!」
「どうでもいいだろ、んなこと」
耳を指で穿りながら、うるさそうに横を向いて酒を呷る。
「どうでもいいだと?てめえやっぱり、俺のことなんかどうでもいいんだな。てめえってそう言う奴だったんだな」
どうした、絡み酒か。
「俺のことなんかなーんも見てねえ、増えようが減ろうがてめえにはどうでもいいんだ。所詮、その程度なんだ」
言いながら膝を抱え、俯いて鼻を啜り出した。
今度は泣き上戸か。
「どんだけ薄情なんだてめえ、信じられねえ」

こう詰られると、ゾロとて後ろめたく感じない訳でもない。
二人いることに気付かなかったのは、別にサンジの存在を蔑ろにしたわけではなく、ただ単に一人の人間が二人になっていると思い付かなかっただけのことだ。
「まさかお前が二人になってるたあ、普通思わねえだろ」
「けどなんか変だなーくらい、思わねえかよ」
思ってはいた。
思ってはいたが、多少のことはまあいいかで済ませるのがゾロの性分だ。
こればかりは直しようがない。
「所詮、俺ってその程度」
「うっせーな、悪かった」
謝るからとっとと下りてくれ。
そう下手に出ようと振り返ったら、サンジは膝を抱えたままじっと恨みがましそうな目で見上げている。
その瞳が酒のせいか赤く潤んでいて、いつもと違う雰囲気につい呑まれた。
「なんだよ」
「別に・・・」
ふいとそっぽを向いた横顔が拗ねている。
いつの間にかサンジの機嫌を取るような構図になっているのに気付いて舌打ちした。
なんだってんだこいつは。
いつもより随分と饒舌で、仕種がガキ臭え。

「お前は偽者なんか?」
「はあ?偽者なんかねえよ、俺は俺だ」
「そうか?なんか違えぞ」
ゾロの言葉に、サンジは潤んだ瞳のまま半眼になった。
しばらく黙って見つめてから、にやりと笑う。
何かよからぬことを企んだような笑みだ。
「どう違うってんだ」
「そうだな、なんか変だ」
元から変だったかなと付け足すと、うるせえと足が飛んできた。
片手でがしっと受け止めたが、威力はいつものサンジと変わらない。
腕の痺れから、一人が半分になったんじゃなく二倍になったのだと改めて気付く。
「二人に増えたんなら、ナミとロビンにそれぞれ張り付きゃいいじゃねえか」
「それはもう最初にしたんだよ、鬱陶しいってあえなく追い返されたけど」
既に玉砕済みだったか。

「てめえの言うとおり、実は俺が偽者だ。本物は今頃ガアガア寝てる」
いきなり白状して、ゾロは少々面食らった。
この素直さは確かに、偽者臭い。
「折角面白え船に乗ったのによ、後四日も経ったら俺はあいつに吸収されて消えちまう。この記憶も全部なしだ。みんなの思い出の中にも多分、かけらも残りゃあしねえだろう」
「そうなのか?」
こくりと頷く横顔が、酔いに染まっているのにどこか青褪めて見える。
「束の間生まれた泡ぶくみてえなもんだ。なあゾロ・・・」
真剣な瞳で見詰められ、つい視線を逸らすタイミングを失して見詰め返してしまった。
「ナミさんが俺のこと、色が薄いってんだよ。そんなに薄いか?俺の存在ってあやふやか?」
灰色がかった蒼の瞳が、気のせいか透き通って見えた。
「お前に気付かれねえほど、俺の存在って希薄か?まるで最初からいなかったみてえに」
背中に懐いたまま体重を掛けてきた。
ゾロの肩に乗った顎を擦り付け、赤く染まった目元を伏せる。
「そんなに頼りねえもんなのか、お前の身体で確かめてくれよ」
そう言いながら、固まったまま動けないゾロの身体をぎゅっと抱き締めた。



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