朝月夜 -1-



月を追い 畑(ハタ)の畦道 行き来れば 足元照らす 彼岸花



10月に入り、気温がぐんと下がった。
特に朝夕の冷え込みはほんの1週間前とは段違いで、寝つき易くなった分寝起きが辛い。
いまが衣替え時とばかりに箪笥の入れ替えを始めたサンジは、どこかウキウキしながら仕舞ってあった毛布を出してきた。
「いよいよモフモフ毛布の出番だな」
「…人をダメにする布団の時期か」
このあったかい手触りが最高なんだよ〜とはしゃぐサンジとは対照的に、ゾロは浮かぬ顔だ。
元々体温が高く寒さに強いゾロにとって、モフモフ毛布はむしろ暑苦しい。
まだ初秋のこの時期では肌寒い程度で、自家発熱するゾロまで求めてもらえない。
毛布の温かさに縋って、サンジが布団に包まれるだけで満足するのも気に入らない。
ぶっちゃけ、布団相手に嫉妬しているゾロだった。

箪笥の入れ替えを済ませ、今度のハロウィン・パーティー用の菓子をあれこれと試作したサンジは、風呂敷包みを抱えて家を出た。
一足早い散歩かと、わふっといきり立つ風太と颯太に手を振り、まだ早いと宥める。
「ちょっと出かけるだけだよ、でもお前らも来るか?ゾロは畑以外行かねえと思うし」
なすがしら1号の後ろに風呂敷を結わえつけ、風太と颯太の綱を持って自転車を漕ぐ。
二匹とも心得たもので、自転車の速度に合わせてテテテテテと小走りに走った。
二匹がバラバラの方向に飛び出したり、どちらかが遅れたり先走ったりしない。
ただ、嬉しそうにサンジを見上げながら走るから、足元を車輪で引いてしまわないかとサンジの方がハラハラする。
「風太、もうちょい離れろ。つか、颯太は横向き過ぎだ。ちょっとくらい俺も見ろよ」
お前らって、二匹足して割るとちょうどいいバランスだよなーと犬相手に独り言を呟きつつ、ゆっくりと走るコンバインを追い抜く。
「こんにちはー、お疲れ様です」
「おう」
作業着姿のおっさんが片手を挙げて挨拶を返してくれた。
風太が振り向いて尻尾を振り、ちょっと出遅れて慌てて駆け出す。
抜けるような青空に、白い鱗雲が浮かんでいる。
稲刈りが終わった田んぼは独特の匂いがして、サンジは胸を張って深く息を吸い込んだ。

「お疲れ―」
自転車を止めると同時に風太と颯太の引き綱を外したら、二匹は一目散にしゃがんでいるゾロの元へと飛んで行った。
肩から頭まで飛びつかれ、おいおいおいと保護色の中から立ち上がる。
「鎌持ってんだからあぶねーだろうが」
「悪い、風太伏せ!」
「おせーよ」
ゾロは苦笑して、慌てて伏せた風太の腹をぐりぐりと撫でてやる。
颯太は最初から知らん顔で、畔に生えた戌尾草の匂いを熱心に嗅いでいた。
「いまから和々に行くから、これおやつ」
「おう」
冷たい麦茶と試作品をどんぎゃんの影に置いた。
「風太達置いてくから、あとはよろしく」
「了解」
鎌を掲げて合図するから、そっちのが危ねえだろがと口で窘めて自転車に跨る。
農道を走り出したサンジを、風太は追い掛けることなく尻尾を振って見送った。



和々には、店番のお梅ちゃんとおすゑちゃん、それにたしぎがいた。
「あれ、たしぎちゃんもう出歩いていいの?」
「こんにちは。散歩がてら来ちゃいました」
そう答えるたしぎの後ろで、おすゑちゃんが赤ん坊を抱いてニコニコしている。
「こりゃあもう別嬪さんやてえ、パウちゃんもお兄ちゃんになってなあ」
足元をチョコマカとしていたパウリーがなぜか誇らしそうな顔でうんと頷いた。
「そうだな、パウも兄ちゃんだな偉いな」
サンジがそう言って頭を撫でると、ニヤっと笑ってからなぜかお梅ちゃんの後ろに隠れた。
よくわからないが可愛い奴だ。
たしぎは、7月の末に第2子を出産した。
カリファと名付けられた、可愛い女の子だ。
「フランキーさんのところも、女の子だったんですよね」
「うん、こないだレテに連れてきてくれたよ。オリヴィエちゃんって、4月生まれだから同い年だね」
美人が増えて嬉しいなあとデレるサンジに、たしぎは首を傾げた。
「オリヴィエちゃんは、こちらで育てられるのかしら」
「そうみてえ。なんかロビンちゃん、あっちの仕事は全部片付けて引き継ぎも終えて、この秋に本格的にシモツキに帰るつもりらしいよ。晴れて親子3人で暮らせるって」
「そう、それはよかった」
半別居状態の夫婦生活だったから、事情がわかっているサンジ達はともかく、村の人たちにはどこか遠巻きに見られていた。
あの夫婦はうまく行ってないんじゃないかとか、余計な詮索もあったようだ。
一緒に暮らすだけが夫婦じゃないと反発を覚える一方で、どっちつかずの美味しいとこ取りだとたしぎが不満を抱く気持ちもわからないでもない。
「いよいよ、田舎生活に腰を落ち着ける覚悟ができたのかしら」
「手厳しいね、まあロビンちゃんにはロビンちゃんの人生設計があるんだから」
「もちろん、人がとやかくいう話じゃないですよ」
たしぎは背中に張り付いたパウリーを、腕を伸ばして抱え込んだ。
「でも可能なら、やっぱり家族は一緒に暮らした方がいいと思ってたんです。だから本当に良かった」
「そうだね」
パウリーの薔薇色の頬に、自分の頬をぴったりとくっつけるたしぎの横顔の美しさに、ついうっとりと見とれてしまう。
そこにウソップとカヤが顔を出した。
「こんにちは、試食と聞いて」
「お呼ばれに来ましたー」
茶目っ気たっぷりに笑うカヤの足元に、両手を繋がれてふらふらしながら立っているカクがいた。
「お、カクちゃんもう歩くのか?」
「まだでーす」
「でもやたらと立ちたがるんだよ、やっぱ目線が上がるのが嬉しいんかね」
ウソップはそう言って腰を屈め、カクを抱き上げた。
同じくらい長い鼻をお互いぶつけないように、お互い首を傾ける仕種が面白い。
「もう、ウソップも立派にパパだなあ」
「よせやい、まだまだ新米だ」
ウソップは謙遜するけれど、カクを抱いて歩く姿は堂に入ったものだ。
常々こいつはいい親になるだろうなと思っていたが、実際に子どもを持ってみるとすっかり板に着いている。
サンジは眩しそうにその姿に目を瞬かせ、持参した風呂敷包みを開けた。
「今日は、ハロウィンで出すお菓子の試食をしてもらおうと思ってさ」
「やった、大歓迎」
「いまコーヒー煎れますね」
「ともかく事務所入って入って、お客さんに見つからないように」
おすゑちゃんが悪戯っぽくそう言って、カヤとウソップの背中を押す。
「お梅ちゃんとおすゑちゃんの分もちゃんとあるから」
「私らぁは、おやつタイムにいただきますよ」
「ここでバイト始めてから、もう太っちゃって太っちゃって…」
幸せそうにボヤく看板娘達に店を任せ、事務所の和室に集った。

パウリーがカクを構い、カクはカリファに興味津々で、カリファは時折泣き声を上げて、パウリーを見上げている。
まだ目の届く範囲で遊んでくれる幼子を傍らに置いて、大人達はお茶タイムに移った。
「大体、ハロウィンってえとカボチャとか人参とかに偏りがちなんだけど…」
「でもいいと思いますよ、カロチン大事」
「こうやってスイーツでお野菜採れるの、親御さん達もありがたいと思うの」
「このクッキー、アイシングにレモン混ぜたらどうだ」
「それいいかも、ってかウソップ今年もアイシング担当してくれ。お前めっちゃ上手いし」
カボチャのカップケーキを頬張って目を細めるカヤは、カクが生まれてから少しふっくらとした。
「カヤちゃんは、体調もよさそうだね」
「何食べても美味しくて、ちょっと危険なんです。そろそろ断乳したいんですが…」
「まだ早いんじゃない?」
「できたら、年明けには職場に復帰したいんですよ」
「育休は3年取れるでしょ。せめて、年度末まで休めばいいのに」
「カヤが働きたいんだよなー。まあうちは、俺が見てられるから融通利くし」
「在宅ワークって便利よね」
「ただ、仕事と家庭がごっちゃになりやすいとこが問題」
「オンオフの切り替えって大事だよな」
サンジも、レテルニテがあるから営業日にはああしてこうしてと、週単位で予定を組み立てられる。
もしゾロと二人で農作業にのみ従事していたとしたら、もっとだらけたライフスタイルになっていたか、もしくは仕事とプライベートの区別が付かずワーカーホリックに拍車がかかったかもしれない。
週末だけの営業というスタイルも、一人で切り盛りする分にはちょうどいい配分だ。
「仕事って、線引きが難しいよな」
「家庭を持つと尚のことね。でも、都会で暮らしてるとこうもいかないんでしょうねえ」
たしぎは、会社勤めの時のことを想い出すのかしみじみと呟いた。
「それに、ここに住んでいると、今まで気付かなかったことに目を向ける機会がたくさんあります」
「へえ、例えば?」
「気温とお天気ですね、前はそんなことあんまり気にしていなかったんです」
大真面目なカヤの顔に、サンジもそう言えば…と思いだした。
バラティエにいた時は、気温や天気で仕入れが変わるという意味では意識をしていたが、生活するうえでさほど天候の変化に影響は受けなかった。
どこかに出かけるにしても、駅地下から地上に一歩も出ないで目的地に着けたり、一日も空を見上げずに移動できることもあった。
暑い寒いも気にならない屋内で、日々を過ごすこともざらだ。
雨の一降りで日がな一日心配しなきゃならない、こんな生活を送ることになるとは想像もしていなかった。

「確かに、今日は寒いとか雨の匂いがするとか、雪の気配がするとかあるよな」
「小説とかでそんな表現があっても、今まではピンと来なかったもんなあ」
今ではそれがよくわかると、ウソップも頷いている。
「空気の匂いや風の感触、空の色とか水の音とか。自然の変化にすごく敏感になるよね」
「あーでも、都会のがよく歩くな。こっちに住み始めてからちょっと出かけるのもすぐ車に頼るようになった」
ウソップがそう言えば、たしぎも大いに頷く。
「逆に、車がないと不便なんですよね。どこにも行けない」
「電車は一時間から二時間に一本だし」
「バス路線廃止まっしぐらだし」
「一長一短ですね」
しみじみと頷き合う中で、たしぎはテーブルに肘を着いて溜め息を吐いた。
「やっぱりお天気問題は実害も酷いんですよー、こないだの大雨で畔が崩れて水浸しで、せっかく芽が出てたのに…」
嘆くたしぎの隣で、パウリーがうけけっと悪魔的な笑い声を立てた。

大いに喋って食べて、和々の閉店と同時に帰路に着いた。
すっかり寝てしまったパウリーをウソップが背負い、カヤとたしぎはそれぞれに赤ん坊を抱いて店を出る。
たしぎは、このままウソップの車に乗せてもらって帰宅だ。
「じゃな、ご馳走さん。気を付けて帰れよ」
「お前もな、大事なレディ達を乗せてんだからゆっくり帰れ」
手を振り返しながら、自転車を漕いで夕暮れの道をひた走る。
昼間は汗ばむくらいの陽気だったのに、日が陰った途端ぐんと気温が下がった。
切る風は冷たく、半袖の下から剥き出しの腕は見る見るうちに冷えていく。
「あーさびー・・・やっぱ羽織るもん持ってくりゃよかった」
一人ごちながらペダルを踏んでいる内に、適度な運動になって今度は身体が温かくなってくる。
けれど風に曝された肌は冷たいままだ。

「ただいまー」
帰り付いた玄関は外灯も点いていなくて、まだゾロも風太も颯太も帰ってきていない。
ぐるっと散歩にでも回っているのかなと考えながら、とにかく電気を点けて湯を沸かす。
風呂を沸かしている間に、ゾロが戻って来た。
「ただいまー」
「お疲れ、散歩もありがとさん」
風太と颯太は満足したのか、キュンとも鳴かないで表は静かなものだ。
「和々、どうだった」
「概ね好評だったぜ、お前こそどうだ」
「美味かった」
「いや、おやつの講評は聞かねえよ。お前美味いとしか言わねえし」
軽口を叩きながら、夕食の支度をする。
風呂が沸いた時点でゾロが先に入り、サンジも交替で体を温めてから揃って夕食で、風呂上りの一杯を楽しむのが定番だ。

ビール一缶で酔いが回ったサンジは、しみじみとゾロに語った。
「ウソップがなあ、いっぱしの父親の顔をしてんだよ。考えて見りゃあいつも三十路男だし、ガキの一人や二人こさえてても全然おかしくない年なのに、なんかおもしれえよなあ」
そう言いながらビールを呷り、どこか切なげな眼差しで中空を眺める。
「家庭を持つと、男って肝が据わるよな」
「――――・・・」
俺もとっくに据わってんぞ、と言いたかったが言える雰囲気でもなく、ゾロは黙ってビール缶を空けた。



ゾロが後片付けをしている間に、サンジは畳に横になって寝息を立てていた。
どうやら、飲んだら寝るの癖が付いてしまっているらしい。
安心して酔っぱらっている証拠だろうと、微笑ましく思って布団を敷いてやった。
サンジが喜んだモフモフ毛布に横たえて、寝顔を肴にもう一缶ビールを味わう。

父親の顔を見せるウソップに対して、サンジが抱いたモヤモヤは理解できた。
それでどうこうしようという訳でもない、ということも。
わかっているし仕方のないことだし、解決できる話でもない。
諦めも開き直りもすべて綯交ぜにして、サンジはただ、語りたかったのだ。
胸の内のモヤモヤを吐き出して、ゾロと共有したかったのだ。
ゾロから見えれば決して共感できる要素はないが、サンジの心理は理解できる。
だから、黙って耳を傾けた。
そうしてやることでサンジの気が紛れるならば…と思ったところで、大概自分も思い上がっているなと反省する。
サンジになにかを「してやっている」訳ではない。
むしろたくさんのことを「してもらっている」し「与えられている」
義務でもなく責任でもない、ただお互いを思いやる繋がりが家族≠ニいうものじゃないかなとつらつらと考えてから、俺も焼きが回ったかなと一人で照れた。





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