あるひあひるな


夜中に消防出動まで引き起こした救出劇は、救急車の到着で幕を下ろした。
集まっていた野次馬達も、中州で元気よく手を振るゾロの仕種を見て、酔っ払いが川に落ち自力で中州に流れ着いただけだと判断し、それぞれに散っていく。
サンジはゾロの襤褸切れみたいなシャツに包まれ、葦原の影に小さく丸くなって暗がりに紛れていた。

ゾロは駆けつけた救急隊からの担架を断り、毛布だけ借りて全裸のサンジを包み抱き上げた。
そのまま自分で歩いて救急車に乗り込み、サンジを介抱しようとする救急隊の手を遮って質問にすべて一人で答えた。
橋の上で眩暈を起こした友人を助けに、自ら川に飛び込んだこと。
友人は落ちた時点で意識を失っていたから、水の流れにも抵抗せず衣服だけ脱げてしまったのではないかと説明した。
身体も衣服もズタボロで満身創痍のゾロはともかく全裸なのに無傷なサンジはかなり怪しまれたが、病院で手当てを受けるゾロの隣でずっと手を握って離れず、睫毛を濡らしながら震え続ける姿には同情されたらしい。
二人して平身低頭、誠意を込めて謝ったのも功を奏したか、厳重注意だけで比較的早く放免になった。


「一体何事だお前ら」
突然呼び出された隣人ウソップは、呆れながらも二人の服を適当に見繕って持ってきてくれた。
夜中に電話で叩き起こされ「隣の部屋行って、財布と服と靴持って病院来てくれ。鍵は開いてる」なんて言われて、驚かない訳がない。
ゾロが保険証を提示して支払いを済ませている間に、サンジは手早くスウェットに着替え何とか落ち着いた。
「大丈夫か、顔色悪いぞ」
サンジの髪がまだ濡れていることに気付き、甲斐甲斐しくタオルで拭ってやる。
気温が高いとは言え、川の水に長時間浸かっていたせいか肌は冷えきっていた。
ウソップにされるがまま任せて、まだぼうっとしているサンジの元に支払いを終えたゾロが戻って来る。
「色々あってな、世話掛けて悪い」
包帯だらけのゾロと、目を赤く腫らしたサンジを前にしては文句も言えず、まあ収まったんならよかったなと言葉を濁す。
財布も持たず服も着ず?靴も履かず、しかも部屋に鍵も掛けずに飛び出しただなんて、よほどの緊急事態だったのか大げさな喧嘩の果てか。
ウソップの中で「痴話喧嘩」の文字が浮かんだが、言葉にはせずすぐに消えた。
無用な詮索はするまい。
雨降って地固まるとの言葉通り、結果オーライならいいんじゃないかい。



もう一眠りすると部屋に戻ったウソップに改めて礼を言い、二人で扉を開けて中に入る。
時刻は午前2時を少し回った辺りで、当たり前だが部屋の中は飛び出したままになっていた。
風呂の湯を抜いていないせいか、入浴剤の香りがかすかに残っている。
「ずぶ濡れんなったな、もっかい風呂入るか」
生乾きの髪を掻き上げながら、ゾロは屈託なく言った。
確かに、肌は冷え冷えとしているし、身体全体がどことなく砂っぽくてジャリジャリしている。
けれど―――
「んな、包帯だらけで何言ってやがる」
サンジはゾロを振り返り、声にしょっぱさを滲ませながら揶揄した。
実際、ゾロの身体からは消毒液の匂いがする。
頭も腕も腹も足にも、包帯でぐるぐる巻きだ。
頭と足はそれぞれ縫ったし、脇腹はまだ少し血が滲んでいる。
「無茶、しやがって」
ゾロの胸に手を添えて、肩にこつんと額を当てた。
「もう一度こうやって、お前とこの部屋に戻れるなんて思わなかった」

正体が知れたら、もう二度と戻れないと思っていた。
こうして自分の足で立って、手を使ってドアを開けてゾロを振り返って言葉を掛けて。
こんな日常に、もう二度と戻れないと思ったのに。

「サンジ・・・」
「もう二度とこんな無茶、すんな」
「すんぞ」
「はあ?」
サンジは呆れて顔を上げた。
ゾロは、悪戯っ子みたいな笑みを浮かべてそんなサンジの髪を掻き混ぜる。
「てめえがまたあひるに戻ったら、俺はまたこういう無茶をする。俺から離れようとしたら、絶対またする。だからてめえはずっと側にいろ。てめえが側にいれば俺は無茶しねえ。俺の命守るために、ずっと離れねえでいろよ」
「・・・」
「人生賭けて、恩返ししろ」
いや、この場合は鳥生か?
どうでもいいことに引っ掛かったゾロに、サンジはがばりと抱きついた。

「しょうがねえ、俺が一生ついててやる」
「おう」
「もう、離れてやんねーからな。見捨てねえからな」
「おう」
「あひるに戻って、二度と人間になれなくってもずっとずっと側にいるからな」
「おう」
「だから観念しろ」
「ああ」
ゾロもぎゅっとサンジを抱き返して、誰にともなく呟いた。
「だから観念しろ、鳥の神様」



祈りが通じたか脅しが効いたのか。
それ以降、サンジがあひるに戻ることは(滅多に)なくなった。



End


あるひあひるな(可愛いな)