Arpeggio  -4-


お前と俺は、ガキの時からの付き合いだった。
性格も考え方も真逆で、寄ると触ると喧嘩になった。
周りの友達たちは犬猿の仲だと思っていたらしいけれど、それでも俺たちはいつも一緒にいた。
正反対でありながら、心の奥底では何か同じものを持ってる。
そう、お互いに感じていたからだ。
俺も、口で罵るほどにはお前が嫌いではなくて。
このままずっと、毛色の変わった友人でいられると思っていた。
お前が思いがけない告白をして来るまでは。

15歳の春に、お前はいきなり俺のことを好きだと言ってきた。
けど俺は、自分で言うのもなんだけどものすごく女の子が好きで。
そりゃあもう、どんな子でも全部可愛く見えるくらい、女の子が好きなんだ。
だからあっさり断ったよ。
俺はお前のこと嫌いじゃないけど、野郎に興味はないからって。
それでもお前は諦めが悪くてさ。
いつまでも真っ直ぐに、俺ばかり見て。
俺が好きだと言い続けてさ。
けど俺も意地になってて、絶対お前になんか靡くもんかと思っていた。
だってお前は、俺の名前を呼ばねえんだもの。
初めて会った時からずっと。
一度たりとも、俺の名前を呼ばないんだ。
そんな奴のことなんか、好きになるかと思っていたのに―――



ある時気付いたら、俺は宙に浮いていて。
見下ろす位置に俺がいた。
血溜りの中、白い顔で横たわっている自分自身を見下ろしながら、俺はそのまま空に吸い込まれるように
上へと上へと昇っていった。
ああ、死ぬんだ。
そう思ったら、無性に会いたくなったんだ。



大好きなナミさんでも、可愛いビビちゃんでもなく。
愛しいロビンちゃんでも家族でも、ジジイでもなく。
ただゾロに会いたかった。
お前なんか好きじゃないと、言い続けたゾロに会いたかった。

ゾロに会いたいと強く願ったら、俺はあの墓場にいた。
小さい頃お前に連れて行ってもらったことがある、お前の親友が眠る場所。
そこで、俺が知ってるよりずっと小さなお前を見つけた。



これは、罰なんだろうか。
お前の想いに答えることなく、つまらない意地を張り続けた素直じゃない俺への、罰なんだろうか。
やっと気付いたのに。
ずっと好きだったのに。
この先も傍にいて、お前の声を聞いて名前を呼んで、触れてさえいたかったのに。
今頃気付いてももう遅い。
なにもかもが、遅かった。










「オバ・・・いや、コック?」
うっすらと、その姿が薄らいでいく。
ゾロは痛みすら感じないで、管で繋がれた身体を無理やり起こした。
「コック待て!消えるな」
せめて―――
「お前の名前を教えろよ!俺が、俺がその名を呼んでやるから」
ゾロの必死な呼び掛けに、オバケは微笑んだまま首を振る。
「ごめんな、お前のことすごく好きだけど。俺が好きなのは、やっぱりでかいお前なんだ。ゴツくてガサツで目つき悪くて、
 男臭い野郎だけどよ。俺はあいつが好きだ」
ゾロが好きだ―――
声に出して呟き、噛み締めるように唇を引き結ぶ。
「だから、あいつの声で呼ばれたい」
「コック・・・」
「さっきから、あいつの声が聞こえるんだ。呼ぶはずないのに、聞こえるはずがないのに。俺の名を呼ぶゾロの声が。
 そっち行ったらきっと、天国なんだろう。それでも、ゾロが俺の名を呼ぶ場所へ、俺は行きたい」
「・・・」
ゾロはもう引き止めなかった。
ただ、仄かに発光するように白さを増して薄れていく影を食い入るように見上げるだけで。
「ありがとうな、会えてよかった。大好きだよ、ゾロ・・・」

最後に目にしたのはやはり笑顔で。
来た時と同じように、オバケは唐突にその姿を消した。



「―――・・・」
何もなくなった空間を前に、ゾロはぼうっと座り込んでいた。
どのくらい時間が経ったのか、もしかしたらほんの数分だったのかもしれない。
連絡を終えた母親が病室に戻り、呆けたように座るゾロに血相変えて駆け寄った。
「ゾロ!あんた起きて大丈夫なの?」
差し伸べられた母親の腕に倒れ込み、それからゾロは熱を出した。
















背中に負ぶったおばあさんを庇ったせいか、ゾロは胸元に袈裟懸けの大きな傷を負った。
けれど幸いなことに内臓には損傷がなく、傷跡を残すだけでゾロ自身の身体には後遺症は残らなかった。
入院生活の間にも母はしょっちゅう傍にいてくれたし、おばあさんも見舞いに来て、その度に泣いていた。
ばあさんが元気ならそれでいいんだと言ったら、泣き止まなくなって困ってしまった。

火事で何もかも焼けてしまったけれど、これもいい機会だと母親は唐突に再婚話を切り出して来た。
実は前からお付き合いしていて、今はその人の家に転がり込んでいるのだとか。
母親に連れられて緊張した面持ちで病室にやってきた男は、背が低くて丸顔でどうにも冴えないおっさんだったが、
人が良さそうなことだけはすぐにわかった。
母親がいいのなら、それでいいと思う。






退院した後はその人の家に引っ越し、学区が変わるから転校することになった。
季節はいつしか春から初夏へと移り変わり、雨がそぼ降る日にゾロは初めて新しい学校に登校した。
転校生を迎える、クラスメートの好奇心に溢れた眼差しを一身に受けながら、ゾロの視線はある一点でピタリと止まった。
前の席から2番目で、興味なさそうに頬杖を着いている金髪の男子。
長い前髪で片方の目を隠して、ちょっとすかした感じがする。
よくよく見れば、見えている方の目の上辺り、眉毛がくるんと円を描いている。

「あんだよ」
先生の紹介が終わるのもそこそこに、その子はゾロを睨み返した。
「なに人の顔、ジロジロ見てんだ」
「・・・ぐる眉」
「あんだとお!?」
途端、どっとクラスが沸いた。
だめだよそれ言っちゃ〜と、クラス委員らしい女子が笑いを堪えながら嗜める。
「てめえこそマリモみてえな頭しやがって」
そう言われ、ゾロは怒るより先に笑顔が浮かんでしまった。
思いがけないリアクションに、少年の方がえ?っと怯む。

「コック」
続いて出た言葉に、今度は目を丸くして口を開けた。
ああ、あの時と同じだ。
空の色を写したみたいな、鮮やかな蒼。
透き通るビー玉。

「なんで、俺の夢、知ってんだよ」
「お前はコックだろ」
今日からコックだ。
俺だけがそう呼ぶ。
俺だけの呼び名。

「俺にはちゃんと名前があんぞ」
「コックでいい」
「なんだよ!」
「先生―、ゾロ君達が喧嘩始めましたー」
「あらあら、早速仲のいいこと」
一風変わった転校生に、教室内は鬱陶しい梅雨空もどこかへ吹き飛ぶくらい、賑やかな空気に変わる。
「ちゃんと名前呼べ」
「やだね」
「なんでだよ」
「うっせえコック」
「コックー」
「そうか、コックなんだー」
「お前ら真似すんな!」
ぎゃいぎゃい騒がしい教室に、先生が手を叩く音が鳴り響いた。
ゾロは一番後ろの席に腰を下ろし、これから来るであろう未来へと想いを馳せる。



この先はずっと、こいつの名前を呼ばないでおこう。
ゾロは密かに心に決めた。
初めて会ったあの日。
青い空と並び咲く菜の花よりも鮮やかにゾロの心を奪ってしまった、あの男に会うまでは。
「コック」と呼ぶ度不満そうに口を尖らせる、今はまだ単なるクラスメイトに。
いつか想いを伝える日まで。

そして、いつか再び彼に会えた時は、その時こそはその名を呼ぼう。
大切な人に、どこにいても届くように。
ありったけの想いをこめて


―――サンジと。








END



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