その言葉なら知ってる



 仕事帰りの電車は、時間帯のせいか割と空いている。サンジは端の席に座って、買ったばかりのレシピ本を開いた。美しい盛り付けに女性ファンが多い、憧れのシェフの本だ。一皿ごとの世界観がすごい。レシピはフランス語だが、わかりやすく書かれている。材料を集めるのは大変だが、今度の休みの日に絶対作ってみよう。
 うっとりとページを捲っていたが、ふと右肩が固まったように感じた。今日もたまねぎのみじん切りやじゃがいもの皮むきで一日が終わった。それぞれ大量だから、長い時間同じ姿勢でいることが多い。だから凝ってしまったのだろうかと見れば、サンジの右肩にはやけに目に優しい緑が乗っかっていた。
(なんだ、男かよ……)
 かわいいレディだったらよかったのに、とサンジはがっかりする。緑はスーツを着ていて、がっしりした身体の男だった。それがサンジの肩に思い切り頭を乗せて、ぐっすりと眠っている。
 叩き起こそうとして、サンジは緑の手元に気付いた。両手で英語の参考書を開いている。
(コイツも、勉強中なのか)
 スーツが割と新しいものに見える。外資系の会社の新入社員だろうか。
 サンジは、コック見習い中だ。趣味で作っていた時には自分でそこそこ才能があるんじゃないかと思っていたが、プロのレベルは全然違った。まだ料理らしい料理は作らせてもらえない。下ごしらえや皿洗いなんかをしながら、先輩の手元を見て勉強する日々だ。
 しゃーねェな、とおもいながら、サンジは男を起こさないようにそっとレシピ本に目を落とした。憧れのシェフのオムレツが、ふんわりと笑っているようだ。
 緑の男は、15分ほどそのまま眠り続け、電車の揺れで唐突にサンジの肩から離れた。それで目を覚ましたのか、「ファー」とよくわからない声を出した。頭を振って、車内の電光案内を見、「お」と少しだけ嬉しそうな声を出して、次に停まった駅で降りていった。ちょうど目的の駅だったのだろう。

 男を起こさないでやったことを、ものすごくいいことをしたように思った次の日の帰り、また右肩が重くなった。
(あれ、コイツまた……)
 見ると、昨日と同じ緑だ。今度こそ起こしてやろうと思うが、やはり手元には英語の本がある。仕事と勉強で疲れてんだろうなと思うと、どうにも起こす気になれない。
 緑はまた同じあたりで目を覚まし、電車を降りていった。きっとサンジの肩に頭を乗せていることには、気づいていないだろう。

 翌日も、その翌日も、緑の男はサンジの隣に座り、肩に頭を乗せて眠った。
 さすがに、肩が本当に凝ってきている。今日こそは寝る前に言ってやろうと、サンジは身構えていつもの席に座った。
 緑の男が乗ってくる。
 きっと隣に座るのだろうと思ったら、男は座らず、サンジの手首を掴んだ。
「……え?」
 男はそのままサンジを引っ張り、電車から降りた。
「──な、何?」
 扉が閉まり、乗っていた電車が行ってしまう。ホームには人もまばらだ。
 緑は口を開き、閉じ、また開いて、閉じた。何か言いたげだ。そのあともう一度開いて閉じて、ようやく「How do you do?」と言った。
(え、なんだっけ、はじめまして……?)
 サンジはあまり英語は得意ではない。きっと中学で習った程度の言葉なのだろうが、うろ覚えで自信がなかった。
(なんだろ、英語の練習?)
 よくわからないが、これも何かの縁だと思い、付き合ってやることにする。
「えっと……、Me,too. ……?」
 男はちょっと首を捻った。何かおかしかったのだろうか。でもサンジにはどこがおかしいのかわからない。
「My name is Roronoa Zoro.I am a system engineer.」
「I am Sanji.I am a、……」
 見習いコックって何て言えばいいんだろう。コックです、とは、まだ自信を持って言えない。コックの卵とか、そういう感じか。サンジは考えて、「I am a cook of egg.」と言った。自分でも、なんかおかしい気がする。
 案の定、緑の男は考え込んだ。ホームには、次の電車に乗る人が集まり始める。サンジは男を促して、ホームの隅に移動した。男は考えた末に、次の言葉を発した。
「Will you cook any egg dish for me?」
「え、何?」
「Please cook some egg dish for me.」
「え……と、ごめん、わかんねェ」
「てめェ、卵のコックなんだろ。なんか卵料理作ってくれよ」
 男はサンジの前で、はじめて日本語を話した。そのあと、はっとしたように目を見開いた。
「──お前、日本語わかるのか!?」
「はァ?」


 緑の男──ロロノア・ゾロは、電車で偶然出会ったサンジと話がしたかった。しかし、相手は金髪碧眼だ。絶対に英語じゃないとわからないだろう。他の言語なんて思いつきもしなかったゾロは、その日から英語の勉強を始めた。電車の中ではどうしても英語の本を開くだけで寝てしまったが、仕事の休憩時間や家で、そこそこは勉強できた。それで今日、サンジに声をかけたのだ。
「なんだ、日本語わかるんなら、初めからそう言えよ」
 男は勝手なことを言う。
 サンジは日本生まれの日本育ちで、日本語しかわからない。レシピ本ならば、英語とフランス語が多少読めるが、会話なんてちんぷんかんぷんなのだ。
「──お前、毎日おれの肩に頭のっけて寝てたぞ」
 自分と話したかったなんて言われて、どう返していいかわからないサンジはそう言った。
「え、そうなのか。……済まねェ」
 男は素直に謝った。ちょっと頬を染めていたりなんかする。
 サンジはうっかり、ちょっとかわいいなんて思ってしまった。
「いいけどよ。それより、なんでおれと話したかったんだ?」
 そう言うと、男はまた最初のように、口を開いたり閉じたりしはじめた。
 開いて、閉じて、開いて、閉じて。
 そうしてから、真っ赤になって、口を開いた。
「Because I love you.」


「──オムレツ、食いにくるか?」
 憧れのシェフのレシピを頭に浮かべながらサンジが言うと、緑の男は嬉しそうに「Of course.」と言った。



End


  * * *


これは、私が昨日の夕方(17時30分ごろ)にツイで「若いリーマンが肩に頭乗せて爆睡してて、気を遣っちゃった」と
呟いたら、その2時間後にあみちゃんがひっそりとUPされたSSです。
すっごいよね、なにこのスピード、そしてクオリティ。
タイトルセンスが秀逸です。すごい、すごすぎるよあみちゃん!!
という訳で、早速おねだりしていただいちゃいました!!
ありがとうありがとう、元ネタ作ってくれた通りすがりのリーマン君にも感謝(笑)


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