Alone -11-


20年間生きてるだけで、人生色んなことがあるものだ。
だがしかし、この期に及んで
男の腕の中で目覚める朝を迎えようとは、想像もしていなかった。

「あー・・・」
サンジは寝乱れた前髪の隙間から、仰向いて高鼾のゾロの横顔を眺めていた。
窓のカーテンは相変わらずきっちりと閉められていて朝日が差し込むことはないが、正確な体内時計が日の出を告げている。
そこかしこが軋むように鈍く痛む身体を騙し騙し、ゆっくりと起き上がった。
サンジの肩にかけられていた腕が、ぼとんと質量を感じさせる落ち方をする。

見事なほど素っ裸。
全裸で抱き合って、深く安らかに眠ってしまいましたか。


不思議なくらい、後悔はなかった。
むしろ、生まれ変わったような爽快感。
身体はだるいが、気持ちは随分と軽くなっている。

サンジは服も着ないでベッドから降りて、遮光カーテンを開けた。
白く柔らかな光が、サンジの産毛を金色に輝かせている。






「おはようございます」
お日様は偉大だと思う。
普段は寝汚いと自分でもぼやいていたゾロが、直射日光でぐずらずに起きてしまった。

折角起きたからと、朝から再び机に向かったのは感心だ。
やはり学生の本分は勉強だろう。

炊き立てのご飯と味噌汁。
アジの開きに煮浸しと即席漬。
スタンダードだがゾロが大好きなものばかりを並べ、一緒に朝食をとった。
だが、ゾロの箸が進まない。
飯を口に入れてもゆっくり咀嚼するばかりで、登校時間が迫ってきたのにぐずぐずと食卓に着いている。
「ゾロ、早く食わないと遅刻するぞ」
止むを得ず、サンジは声を掛けた。
食事を邪魔するのは不本意だが、いつになくゾロの動作が鈍すぎる。
ゾロは茶を啜ると、恨みがましそうな視線を寄越した。

「先生、バイト続けてくれませんか?」
「は?」
「良く考えたら、元々家庭教師なんだから、家政婦はついででしたよね」
「まあな。でもバイトの本質は家政婦の方だっただろ。代わりが決まったから、俺はお役御免になったんじゃないか」
サンジは空になった茶碗を重ねて、自分のために熱い茶を淹れた。
「わかってますけど、やっぱり・・・勉強が捗るんですよ。先生がいると」
「そんなもん、てめえ一人の力で充分できっだろ。いつまでも甘えんな」
そう言い放って、サンジはにやんと笑った。
「それとも、お袋さんに頼むのか?カテキョの先生のお陰ですっきりするんで、契約を継続してくれって」
サンジの言葉に、ゾロは真面目な顔で答えた。
「そのつもりです」
「や、止めてくれっ、頼むから!」
サンジは蒼白になって手を振った。
ゾロなら、この親子ならやりかねない。

ゾロは俯いて歯を噛み締めている。
今頃になって、サンジに去られる痛手に気付いたのかと、呆れるやらおかしいやらでサンジの口元が自然と緩んできた。
「なあ、ゾロ」
「なんですか」
応え方が乱暴だ。
拗ねている。
「お前、自分でわかってっか?」
「何がです」
顔を上げて挑戦的に見返してきた。
その視線を受け止めて、サンジは煙草を咥えたまま口端を上げる。
「お前、俺を引きとめようとしてんだぜ」

いつだって他人に無関心で。
人の痛みも苦しみも推し量れないで。
自分の行いが罪深いものであることも知らないで。
傲岸で不遜で、高慢で孤独で、ぜい沢で卑しくて気まぐれで拙い、足掻くことを忘れた老たけた子ども―――

「ざまーみろ」
サンジは軽やかに声を立てて笑った。

光満ちたダイニングの、広いテーブルの真ん中で
ゾロは、苦虫でも噛み潰したみたいな顔で憮然としている。











今年の冬は、冬らしい冬だった。
都心でも雪は降るし、ちょっと標高の高いところは路面が凍結したりするし、北海道は寒波に襲われたりするし。
それは冬らしい冬だった。
だからこそ、春の訪れが喜ばしい。


サンジは無事、三回生になった。
元々真面目に単位は取っているし、高額なバイトで懐は暖かいまま慎ましく暮らしたため、いつもより充実したキャンパスライフを過ごしている。

ロロノア家を辞して、サンジの日常は呆気ないほど元通りになった。
誰と誰が別れただのくっついただの、ゼミのあの子が可愛いだのメール教えてくれないだの、助教授の不倫がバレただのセクハラで訴えられただの、些細な話題は巷に尽きない。
唯一つ、オナニーのやり方が変わってしまったことだけは、誰にも言えないトップシークレットなのだけれど。

サンジの周囲に大きな変化はなく、おかしなDVDが世間に流出している心配もなさそうだ。
それはそれであり難いような、寂しいような、複雑な気分ではある。

サンジにとって思い出したくもない屈辱的な記憶であることに変わりはないけれど、だからと言って封印してしまおうとも思わない。
経験をひっくるめて強くなれた自信はあるし、何より、最後の夜の言い知れぬ幸福感の方が思い出として勝るのだ。

恋を、したのだと思う。
あの、冷酷で稚気に溢れた、無邪気な悪魔に。
彼を更生させて共に生きたいとは思わないが、せめて、彼がこれからの人生の中で、自分にとって大切なものを見つけて欲しいと思う。
自分にとって大切な人ならば、その人のためを想って生きるだろう。
そうすれば、彼は何かを大切にすることを学び、そしてまた、自分自身も“大切な存在”であることを学ぶだろう。
そんな風に想いを馳せるのは、年長者の余裕からだろうか。







桜舞う、春麗らかな昼下がり。
キャンパスは新入生の勧誘に色めきだっていた。

「君もその熱き魂を白黒のボールにぶつけてみないか?!」
「迸る情熱と飛び散る汗は男の勲章だ!」
「え〜お笑いを一席・・・」
「伝統ある我が詭弁論部にはっ―――」

犇く怒号と猫なで声が飛び交う光景は、何年経っても変わることのない、キャンパスの風物詩なのだろう。
サンジも「スイートキューティなケーキを作って、どんな彼氏も容易くGETvついでにボクのハートもがっちりキャッチ♪」などと丸文字で書かれた看板を下げてうろうろと「洋菓子研究会」の会員募集に励んでいる。
無論、ターゲットは女子のみ。

「最近の新入生は高校生ん時から擦れてっから、ぱっと見全然わかんねえよな」
ぼやく友人の、サンドイッチマンみたいな背中を軽くつついた。
「そんなことねえぞ。ほら、あのピンクのカーディガンの子とその隣は新入生だ。それからショートボブの子と、あっちのミニスカ美脚ちゃん・・・それから・・・」
「なんでわかるんだよ」
「俺が見たことない女の子だからだよ」
自信満々で応えるサンジに、友人ははは〜と平伏する。
「恐るべし・・・」
ふふんと顎を上げて遠くを眺めやり、ふと目を眇めた。

今、目の前を若葉が通り過ぎた気がする。




「こんちは」
通り過ぎたそれが、立ち止まり振り向いた。
サンジを見て、それからにこっと笑う。

「こんにち・・・は―――?」

サンジは驚愕に目を見開き、白昼夢かと瞬いた。
甘酸っぱい思い出の中にしかいない筈の、憎くて愛しい悪魔が今、目の前にいる。

「おま・・・なんで?」
「今年から、ここの大学なんです」
「はっ?!」
ゾロは、チェックのシャツを着てバッグを肩から下げている。
どこから見ても、立派な大学生だ。
だがしかし―――

「お前、S大は・・・」
「滑りました」
あっけらかんと言って笑った。
「あれから、全然勉強に手がつかなくなっちゃって。結局第一志望も第二志望もダメだったんすよ。親父は怒るはお袋は泣くは、そりゃあもう大変でした」
それほど大変でもなさそうに笑い飛ばし、改めてサンジに一礼する。

「これからよろしくお願いします。先輩」
唖然として返事のできないサンジを残し、ゾロはじゃと手を挙げてさくさく歩き出した。


「今の、誰?もしかしてあの、可愛い生徒?」
友人の軽口も、サンジの耳には入らなかった。
あまりに思いがけないことで、頭がついていかない。
ゾロは数歩歩いて勧誘に掴まり、もみくちゃにされている。

「君!いい身体しているな、一緒に青い山脈を眺めてみないか!」
「小さな白球に青春のすべてをぶつけよう!」
「その眼鏡の奥に秘め知性を是非、ミス研に!」

まとわりつく数多の屈強な男達をものともせず、真っ直ぐに遠ざかる背中が人ごみに紛れるまでサンジは見送っていた。




チラチラと、雪のように花弁が舞い散る春のキャンパスで。
波乱の予感が胸が沸きあがるのに、サンジの顔には自然と微笑が浮かんでいた。






END


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