Albireo 5





「サンジ、おい?」

触れられた肩から我に帰って、飛び起きた。
正確には目を開けただけで、身体はぴくりとも起きなかったけれど。

薄汚れたソファの布地が目に入って、それから部屋の中が明るいことに気付く。
サンジは目だけ巡らした。
心配そうに見下ろすウソップがいる。
肩に添えられた手は、彼のものだ。

「大丈夫か?」
じっとりと、首筋の辺りに汗をかいているのに暑いんだか寒いんだかわからない。
サンジは「いや」と返事を返してみて、殆ど声にならないことに気付いた。
喉が掠れている。
黙って身体を起こすと下半身に痛みが残っていた。

―――夢じゃ、なかった。
それでもいつも寝巻き代わりに着ているシャツを身に着けて、ソファに寝ている。
髪も顔も汚れたままではなかった。
掛けられた毛布の下で手を動かすと裸の足に触れる。
下は何も身に付けていないようだ。
それでもべたついた感触はない。
綺麗に、されてる?
それが何を意味しているかよくわからないけど、かっと顔に血が昇った。

「やっぱ具合悪いのか?お前が寝過ごすなんて初めてのことだし、熱でもあんのか。」
そう言って伸ばされたウソップの手から弾けるように身を仰け反らせて、サンジは毛布を手繰り寄せた。
「・・・や、悪い。ちょっと、寝すぎただけだ。」
なんとか声を絞り出し平静を装う。
「あ、もう朝?朝飯・・・準備しねえと・・・」
「ああもう、俺らで作ったから。先に食ってるからお前はゆっくりしてろよ。」
両手を翳してそう宥めて。
でもウソップはサンジに触れようとはしない。
視線も微妙にずらして目を合わせないまま後退りして部屋を出て行った。

――――感づかれた?

それとも、ウソップは知ってるんだろうか。
二人がこんな関係だってことを。
こんな―――

サンジは無意識に毛布を握り締めていた。
自分の身に起こったことが今でも信じられない。
男に・・・しかも、ゾロに――−

ぶん、と首を振った。
あれはゾロじゃない。
ゾロなんかじゃない。

シャツの袖から覗く手首には、くっきりと赤い指の跡が残っている。
指の先まで痺れるくらい強く掴まれた。
痛いと泣いても容赦しなかった。

あんな――――
あんな酷いことを―――――

思い出すと余計に身体が強張って、サンジは身を縮こませた。

あんなことを、していたんだろうか。
ゾロは代わりをしろといった。
いつもこうだと。
身体が覚えていると――――

ずくん、と身の内が疼いて、それがまたサンジを戸惑わせる。
自分の身体があんな風になるなんて、信じられない。
でも思い出せば今でもずくずくと感触が蘇る。

「くそっ」
サンジは声に出してうめいた。
なにもかもが受け入れ難い。
こっちのサンジはああしてゾロにいいように扱われていたのだろうか。
狭い船の中で、女の代わりをさせられていたのだろうか。
無理矢理に?
もしかして、自ら進んで?
そう疑わざるをえないほどこの身体は慣れている。
ゾロが言うように、悦んで受け入れていたんだろうか。
ゾロを相手に。

サンジは両手で顔を覆った。
犯されて泣くなんて女の子みたいなことはしたくないけど、もうどうしていいかわからない。

「・・・もう、嫌だ」
助けてくれよ。
助けてよ。
「――――ゾロ」
今はここにいない、ゾロの名を呼んだ。



「あら、サンジ君は?」
そう顔を上げたナミにウソップは曖昧な笑顔で応えた。
「ああ〜、やっぱなんか具合悪そうだ。多分、もうすぐ出てくっけど。」
「そう、困ったわね。」
首を傾けながらロビンを見る。
「やっぱり島でお医者さんに見てもらった方がいいかしら。」
「・・・それで治るならいいけど、どんな風に具合が悪いの、長鼻君。」
「う、んああ。ちょっと熱っぽかったな。まあ、奴にしたら色々ありすぎて智恵熱ってやつじゃあ、ねえの。」
言いながらちらりとゾロの顔を盗み見る。
ゾロはそ知らぬ顔でパンを齧るだけだ。
「医者云々より、今は島の偵察のが先だろ。俺はひとっ走り行って様子を見てくるわ。」
ウソップは立ったままパンを口に放り込みコーヒーを啜ると慌しくラウンジを出ていった。

身支度を整えボートを下ろす準備をする。
ブーツの靴音が聞こえても無視を決め込んで振り向きもしなかった。

「おい。」
ゾロから声を掛けてくる。
なんだと応える代わりに睨みつけた。
「・・・」
少し意外そうな顔で自分を見ているゾロに、ウソップは顔を顰めて見せる。

「・・・お前、何考えてんだ。」
ゾロからの応えはない。
「お前が、お前らがそういう関係ってのは、俺だって薄々感づいてたよ。けどなあ、今のサンジは違うだろ。」
ウソップは強い口調で詰る。
だがゾロは何も言わない。

「可哀想に、血の気の引いた顔して、目だけ真っ赤だった。あれはサンジじゃねえんだぞ。それくらい、わかんねえのかっ」
「わかってる」
「わかっててやったのか。てめえやれりゃ誰でもいいのか。サンジの身体なら、それでいいのか?」
口に出して責める内に、ウソップの方が情けなくなってきた。
どうにも腹立たしくて押さえが利かない。
それなのに、ゾロは口元に薄ら笑いさえ浮かべている。
「身体?そうだな。身体だけは間違いねえあのクソコックのままだったぜ。反応もな。」
かっと来て、ウソップは渾身の力を込めてゾロの胸に拳を叩き込んだ。
硬い筋肉に跳ね返されて、手の方が痛い。
「って・・・」
殴られたゾロは、僅かに唇を歪めただけだ。

「お前は、最低だぞ。」
もう顔も見たくないと、そう吐き捨ててウソップはゾロに背を向けた。



扉の前でしばしためらって、サンジはラウンジに入った。
さっと見渡すとゾロの姿はない。
ほっとして、それでも緊張は解けないまま後ろ手にドアを閉めた。

「おはようサンジ君、具合はどう?」
「はい、大丈夫です。」
具合、だなんて言われて顔が赤くならないように無駄に深呼吸を繰り返しながら、サンジはへへ、と笑って見せた。
「朝ご飯、ちゃんとルフィから死守しといたんだけど。」
テーブルにはかぶり付くように居座ったルフィとロビンの手の中にある食パン。
サラダとスープ。
「朝ご飯、作ってくれてありがとうございます。」
小さく礼を言って、ポットから残りのコーヒーを注いだ。
「でも俺食べられそうにないんで、ルフィ良かったら食ってくれ。」
「いいのか!」
ぱっと顔を輝かせたルフィは、すぐに表情を曇らせた。
「でもよサンジ。それでお前がコーヒーだけで済ましちゃいけねえぞ。いつも言ってるじゃねえか。
 朝ご飯はちゃんと食べろって。」
唇を少し尖らせた、拗ねた子供のような言い様が癇に障った。
「いつもって、そんなの言ったの俺じゃねえよ。何もかも、ここのサンジみたいにできっかよ!」
つい声を荒げてしまって、はっとして口を噤む。
ルフィはん?と首を捻ってからにぱっと笑った。
「そういやそうだな。俺が間違えた。悪い!」
あんまりあっけらかんと謝られて却って戸惑ってしまう。
「いや、俺の方こそ・・・」
「んじゃあ、これ貰うぞ!いっただっきま〜す!」
嬉々として食事を再開したルフィの隣でサンジはしばし呆然としていたが、その内仕方なくコーヒーを啜った。


上陸は偵察に向かったウソップが帰ってからにするらしい。
朝食の後片付けを済ませて、すぐ昼食のメニューを考える。
残っている食材を点検し、レシピノートとにらめっこするのは案外と楽しくて、気が紛れた。
ゾロはまだ一度も姿を見せない。
後甲板で鍛錬しているのか寝ているのか、サンジもラウンジから一歩も出ないから確かめることもしなかった。

外がにわかに騒がしくなったと思ったら、ロビンがラウンジに顔を出した。
「長鼻君が帰ってきたわよ。」
とりあえず全員分の飲み物を用意して甲板へと出る。

「ウソップ!どうだった?」
ウソップの帰りを待ちかねていたルフィは文字通り飛び跳ねて迎えている。
上陸したくて仕方がないらしい。
「まあ待て、ちょっと作戦会議だ。」

よく晴れた空の下で、車座になって座った。
皆より一歩下がった場所に腰を下ろしたゾロにの前にも飲み物を置く。
動作がぎこちなくならないように、人一倍気を遣った。
トナカイのチョッパーまで一緒になって座っているから思わず微笑みながら水を用意してやる。

「で、どうだったの。街の様子は。」
「ああ、島の大きさ自体は中くらいなんだがえらい賑やかだ。街ん中歩いてみて驚いたぜ。いたる所に手配書がべたべた貼ってある。」
げ、とナミが顔を歪める。
「探してみるとすぐに見つかったぜ、ルフィもロビンも。だがゾロのは無かった。」
「どういうこと?」
「貼ってある手配書をよく読むと皆が皆、能力者ばかりだ。やっぱり能力者の力が無くなってることを知ってて賞金稼ぎが集まる島だったぜ。」
ナミの口からため息ともつかぬ声が漏れた。
「厄介ね。」
「この島の半径何キロかの海域から作用してるのかしら。」
「そうらしい。なんせ賞金稼ぎの間じゃ有名な島らしくて、そりゃあ活気付いてたぜ。ならず者だらけだ。」
まともに港に着けるのは危険そうだ。
「北側に回ると漁業用の小さな港があるらしい。海賊旗は仕舞ってそっちに着けた方が安全だぞ。あとログが溜まるのに2週間かかる。その間ルフィとロビンはあまりうろつかない方がいい。」
ええ〜、とあからさまに不満の声を上げるルフィをばしっとはたいて、ナミはウソップが持ち帰った島の観光マップを広げた。

「賑やかなのはこっちの街ね。」
「ああ、反対側はのどかな田舎って感じだったぞ。」
ともかくログが溜まらないことには次の島には行けない。
なんとか2週間をやり過ごすことでルフィにも良く言って聞かせた。

「じゃあサンジ君も本調子じゃないことだし、とりあえず上陸して昼食にしましょう。」
「あ。」
ウソップが思い出して声を上げた。
「そう言えば、港でおかしな光景を見たぞ。」
「なに?」
ウソップはサンジをちらりと見て、それから首を傾げた。

「入港管理局が何人かいて上陸してくる奴らをチェックしてるんだが、別に海賊でも商船でも同じように通してた。だが金髪の男がいるといちいち呼び止めて確かめてるんだ。」
「確かめるって、何を?」

ウソップは少し言い淀み
「―――左目。」
前髪を掻き上げる仕草をして見せた。


少し北側に回れば、寂れた漁港があった。
ウミネコが飛び交うばかりで人影もまばらだ。
管理者らしき制服姿の人の姿もない。
「船番は、とりあえずルフィとロビンでお願いね。後チョッパーも。私達は先に上陸してもう少し詳しく調べてくるわ。」
「ええ、お願い。」
「飯の差し入れを忘れんなよな!」
少々不満そうな船長を置いて4人連れ立って船を下りる。
サンジにとってははじめての上陸だ。

「ログってのを溜めなきゃならねえんだよ。このログポースが指し示す方角をだな…」
ウソップはひっきりなしに話しかけて、色んなことを教えてくれる。
久しぶりの地面の感触も、知らない街も、山の緑もサンジには心地よかった。
「おもしれーなあ。んで、この島もやっぱ不思議島なのか。」
「不思議島なんてルフィみたいな言い方だな。」
笑い話しながらゆっくりと小高い丘を登る。
ふとナミが空を見上げて眉を顰めた。
「通り雨ね、降ってくるわ。」
さっきまで晴天だったはずなのに、いつの間にか雨雲が一つ近付いていた。
サンジは丘の上を見上げ、それから振り向いて漁港を見下ろした。

「―――――?」
その視界にゾロが入る。
慌ててまた前を向いた。

なんだろう、この感じ。
なぜだか胸がどきどきしてくる。
この島は、一体―――

「あちゃ、降って来た。」
坂道が急で丘に登っても雨宿りできる場所があるかどうかはわからない。
それでもともかく急ごうと足を速めるウソップに、サンジが声をかけた。
「ウソップ、上に上がってすぐでかい楠があるはずだ。そこで雨宿りしようぜ。」
え?
驚いて振り向くウソップを追い越してサンジは駆けた。

丘を登りきると、だがそこに木はなくて草原が広がるばかりだ。
「…あれ?」
「はあ…、あーら残念。楠は、ないわね…」
ぜいはあ息を切らしながらナミも追いつく。
「ああ、走ってる間に雲も通り抜けちゃったわ。いいお湿りね。」
サンジはゆっくりと景色を見渡し、首を傾げた。
「…俺、なんで木があるって思ったんだろ。」
「もしかしたら、サンジ君の住んでたところに似てたんじゃないの?」
ゆっくりと歩きながら、サンジは何度も首を傾げた。
「こんなとこ、初めて来る筈なのに…なんかでかい楠があった気がしたんだ。」
それから一人、くすっと笑った。
「こういうの、デジャヴュってんですか。」
「そうかもね。」

先を行くナミたちを置いて、ウソップは丘の真ん中辺りで立ち止まった。
「どうした?」
気付いて止まるゾロを手招く。

「これじゃねえのかな。サンジの言ってた楠。」
ウソップが指し示す足元には、草むらの中に隠れるように残された巨大な切り株があった。





next