愛のある場所 -3-


いつも砕けた様子で、例え容疑者相手でも無駄に警戒心を与えない、まさにプロ中のプロとも言えるブルック警部の慧眼に、ゾロは改めて尊敬の念を抱いた。
「そのことはいずれ、改めてお話したいと思います。今日はお忙しい中、お付き合いくださってありがとうございました」
今度こそ辞去するつもりで、ゾロは深々と頭を下げる。
「こちらこそ、世間話にお付き合いさせてしまって申し訳ありませんでした。でも、私はとても楽しかったですヨホホ〜」
ブルックは踊るような仕種で箱の蓋をきっちりと閉め、傍らへに積み上げた。
「これらの証拠品は、私が責任を持って処分いたします。もう誰の目にも触れることはないでしょう」
「ありがとうございます」
サンジの暗い過去の片鱗が、少しでも現実に残っていることはゾロにとって許しがたい。
ブルックならば跡形もなく消し去ってくれるだろうと、安心できる信頼感がある。

ゾロは倉庫の出口まで歩み寄って、ドアノブに手をかけたまま振り返った。
「一度、我が家にも遊びに来ていただけませんか」
唐突な誘いの言葉に一瞬面食らったような顔をしてから、ブルックはにっこりと微笑み返した。
「それは嬉しいお誘いですね、私、そんなこと言われたら本当に参りますよ」
「ぜひどうぞ、父の話などもゆっくり教えていただきたい。我が家といっても、もう両親の元から離れて暮らしておりますが」
「それはますます、お邪魔ではないですか」
そこまで言って、ブルックはポンと手を打った。
「もしやあの、素晴らしく芸術的なお弁当を作られる方がご一緒なのではないですか?いや〜、そう思うと年甲斐もなく胸がときめきます!」
「・・・何か、誤解があるようですが」

ゾロの弁当は、密かに職場で一大旋風を巻き起こしていた。
年若いイケメンエリートと、独身女性の関心を一身に集めたゾロが初日から持参した弁当の中身を見て、多くの女子が嘆き絶望し、その日の内に給湯室は阿鼻叫喚の坩堝と化したのだ。
あんな弁当を作れる人に、太刀打ちなんてできっこないと。
その辺の事情を知らないゾロが、まさか自分の弁当一つでその後展開したであろう、様々な面倒ごとを一気に回避できていたことなど知る由もない。

「まあ、一緒に暮らしている人はいますが」
「ああそうでしょうそうでしょう。ならば尚のことお邪魔ですのに、私勝手にソワソワしております。退職した暁にはぜひ、一介の好々爺としてお茶菓子持参でお伺いしたい!」
ブルックの腰のくねらせ方が美人を前にしたそれと同じだと気付いて、ゾロは控え目に片手を挙げて見せた。
「一応申してあげておきますが、私の妻でも女でもありません。ですが、大切な人です。そして貴方には紹介しておきたいと思いました」
「・・・光栄です」
ゾロが言外に含めた意味を理解したかどうかは定かではないが、ブルックは真摯な表情で頷いた。






ゾロは倉庫を後にし、埃っぽい廊下を抜けた。
さきほどブルックも驚いていたが、今日のこの日にサンジの過去へと辿り着いた偶然に、震撼を覚えずにはいられない
父親の文字が導いてくれたこともまた、何か因縁めいて感じられる。

部署には戻らず、裏口から駐車場へと出た。
ゾロは煙草を吸わないが、喫煙者ならここで一服したいところだろう。
自販機で缶コーヒーを買って、階段に腰掛けながら空を眺める。
ビルの谷間に輝く夕焼けの名残が、明日も天気がいいことを約束してくれているかのようだ。
まだ風は冷たいが、新芽が出揃い淡い緑で彩られた枝が春の息吹を感じさせる。
このまま何事もなく一日が終われば、今日は脇目も振らずに直帰する心積もりだ。
誕生日だからと言ってプレゼントを用意していたり、特別に何かしたりするわけではないけれど。

無性にサンジに会いたくなった。
今日のこの日は自分が真に生まれた日だと、亡き父への思慕を隠さずに寧ろ誇らしげに語る、彼の笑顔が恋しかった。






成人と同時に転がり込んだサンジのアパートを、引き払ったのは2年前。
駅から少し歩くが(そのお陰でゾロの帰宅時間が多少不定期になってはいるが)、閑静な住宅街に一戸建てを持った。
1階は20人も入れば満席の小さなレストラン、2階が住居だ。
サンジはそこでランチ&カフェタイムだけ営業しながら、ゾロと一緒に暮らしている。

とっぷりと日も暮れて、ゾロが通り過ぎる住宅街には夕食を思わせる匂いがあちこちに漂っていた。
今日は焼き魚か、こっちはカレーか。
道順を辿って帰ろうとするとどうしても時間がかかるため、ゾロは最近、もっぱら感覚のみで家路に着こうと試みている。
サンジの匂い、彼の手が紡ぐ料理の香ばしさ、ゾロを呼ぶ柔らかな声。
それらを想い描いて歩を進めれば、自然と足は我が家へと辿り着く。
これも一種の奥義かもしれない。

「CLOSE」の看板が掛けられた、店用のドアの横手に2階へ直接続く階段がある。
玄関の傍らに幾つか飾られた鉢植えやハンキングバスケットもサンジが手がけたものだ。
春を待ちかねたようにいくつもの小さな芽が硬い土から顔を出して、もう少し暖かくなれば青々と生い茂り色とりどりの花を咲かせてくれるだろう。
サンジとともに過ごす四季の豊かさが、ゾロの人生に輝きを与えてくれている。

紫色の蕾をつけたクロッカスを見下ろしながら、ゾロはふと足を止めた。
今日はつい、偶然が引き起こした成り行きでブルックを誘ってしまったけれど、果たしてこれでよかったのだろうか。
サンジは父のこともよく覚えていなかったのだから、もしかするとブルックのことも知らないのかもしれない。
もしかするとあの特異なキャラクター故に強く印象に残っていて、逆に懐かしがってくれるかもしれない。
それとも、ブルックに会うことで過去の忌まわしい記憶が呼び覚まされ、却って辛い想いをしてしまうかもしれない。
アレコレ考えると、自分がしたことが迂闊なものに思えてくる。
だがゾロは、やはりブルックを誘わずにはいられなかったのだ。

彼の中でずっと消えることはなかっただろう、痩せ細った哀れな少年。
少女の格好をさせられ奉仕を強いられ、疑問も悲しみも怒りも持ち合わせなかった、ただ生きているだけの人形。
長い刑事生活の中でひと時出会った被害者の一人でしかないけれど、ブルックにとっても痛ましく苦い
思い出に違いない。
だからこそ、父が関わっていたとは言えゾロに顛末を話して聞かせ、そうすることで自分自身をも慰めていたのだ。

ブルックにあの少年のことを知っていると見破られる前から、ゾロはブルックにサンジを合わせたいと思っていた。
今のサンジを見せてやりたい。
年を経て尚、生き生きと若く美しい、輝くようなサンジの姿を見て欲しい。
やり直せない人生などないと、貴方のお陰で彼は今ここにいると、感謝の想いを伝えたい。

それはゾロの独り善がりな希望でしかないのだけれど、サンジを見せびらかすのが嫌いなはずのゾロが、ブルックにだけは知っていて欲しいと素直にそう願っている。
彼を通して父親にも報告するような、そんな気持ちが隠れているのかもしれない。


ゾロは一人息をつくと、考えを吹っ切って階段を昇り始めた。
今さら思い直しても仕方がないし、サンジはゾロが心配するほど弱くも複雑でもない。
辛い想い出全てに蓋をして暮らして来た訳でもないし、サンジ自身、ゾロが驚くほどあっけらかんと過去を語ることもある。
だから無闇に、気を遣うのは止めにしたのだ。
サンジが辛い時は、ゾロが側にいる。
そうしてゾロが辛い時、サンジはそのことを理解しようと努力している。
それだけで、充分だから。

階段を昇るうち、やけに賑やかな笑い声が響いてきた。
もしやこれはと、自然と眉間に皺を寄せ険しい顔付きになってドアノブに手をかけた。
鍵は掛かっておらずあっさりと扉が開いて、狭い玄関にはところ狭しとあらゆる大きさの靴がごっちゃになって脱ぎ捨てられていた。
「―――――!」
つい、がっくりと肩を落とした。
大切なサンジの誕生日だというのに、いや、誕生日だからこそか。
邪魔者が多すぎる!

「あ、ゾロお帰りーっ」
目敏く見つけて飛びついて来たのはルフィだ。
恐ろしく元気で敏捷かつ快活なルフィは、大好きなゾロの首に齧り付いて勢いで振り子のように伸びた足が壁にガンガン当たっているのも構わない。
「ゾロ!ケーキあるぞ、サンジの飯が美味いぞ!」
「ああわかったわかった」
部屋の中をぐるりと見渡して、さらに頭痛を覚えた。
フランキーとロビン、それにオルビアが行儀よく並んで食卓を囲んでいるのはわかるとして、ルフィのガールフレンドで生意気な小娘ナミとか、ウェイターのバイトをしているウソップとその彼女とか、店の常連で医学生のチョッパーとかがなんで揃って飲み食いなんぞしてるんだ。

「おかえり、早かったな」
ただでさえ狭い部屋にケーキや料理、それに飲み物と人がひしめいて溢れ返りそうな中で、サンジはいわゆるお誕生日席に座ってニコニコと幸せそうに笑っている。
「・・・ただいま」
ゾロは首にルフィを巻きつけたままぐるりとキッチンを振り返り、またしても頭を抱えた。
家中のバケツ、果ては洗面器まで総動員して色とりどりの花束があちこち水に活けられている。
居間の奥には巨大な花輪まであって、ゾロは眩暈を覚えた。
「・・・なんだこれは」
「エースがすんごい豪華な花束持ってきてくれて、そしたらデュバルも花贈ってくれてダブっちゃってさ。どうしようとか思ってたらギンから花輪が届いて、とうとう置く場所なくなっちゃったんだよ」
サンジは能天気にそう答えると、部屋の隅に詰まれた箱を指差した。
「こっちはジジイ、んでカルネとパティ。独立したのに気にかけててくれて嬉しいよな。んで、こっちは―――」
「もういい、大体わかった」
ゾロは額にまでくっきりと浮かんだ青筋を押さえながら、ぞんざいに手を振った。

「年々派手になるわね、貴方も大変」
他人事のように呟くロビンをぎろりとねめつけ、ゾロはルフィを首にまきつけたまま洗面所で手を洗った。
年を追うごとにサンジの誕生日に届くプレゼントは増え続けている。
それはサンジが多くの人間に出会い続け、好かれ続けていくからこそ起きる現象で、ゾロにとっても喜ばしいことではあるのだが、内心面白くないのが本音だ。

タオルでごしごしと顔を拭きながら、ゾロはテーブルの上を改めて見渡した。
「お前らもう食い尽くしたんだろ、とっとと帰れ」
乱暴な物言いだが、怯むものなど一人もいない。
「まあそう言わず、ゾロも座って食べましょうよ」
「ナミちゃんの言うとおりよ、みんなでお祝いしましょ」
「そうだそうだ、サンジはみんなのものだぞ」
調子付いたウソップをひと睨みで黙らせ、ゾロは腰に手を当てて声を大にした。
「馬鹿言うな、サンジは俺のもんだ!」
サンジ一人がばったりとその場で食卓に伏せたが、その他大勢はやれやれと肩を竦めるのみだ。

「幾つになっても大人気ねえな」
「ゾロ、そんなんで警察ちゃんと勤まってるの?」
「我が子ながら心配だわ」
口々に失礼なことを言うギャラリーを睨み付けながら、ゾロはふとこの中にブルックが混じったとしても何の違和感もないんじゃないかと気が付いてしまった。

後悔先に立たず。
やっぱり誘うんじゃなかった・・・今後のことを含め、いろんな意味で。

一人反省を始めたゾロを横目に、ロビンはオルビアを促して立ち上がった。
「仕方ないわね、そろそろ失礼しましょうか」
「そうだな、これ以上いると馬に蹴られるな」
「はいはい、お邪魔様でした〜」
「サンジーまたな〜」
しっしと手を振って追い払うゾロの仕種に苦笑しながら、優しい友人達が狭い部屋から次々と退出していく。

「まだ早いから、うちで飲み直そうぜ」
「チョッパー、カヤちゃん達もいらっしゃい」
「サンジも行こうぜ」
「サンジ連れてってどーすんだよ」
賑やかな話し声が階下へと降りていって、ようやく静かな空間が現れた。
とは言えテーブルの上は散らかり放題、花は部屋から溢れんばかりだ。

サンジは適当に皿を重ねると、ゾロのためにスペースを空けて手招いた。
「ちゃんとゾロの分はとってあるから大丈夫だ、まあ座れ」
そう言って冷蔵庫へ向かおうとするのに、ゾロはその手を捕まえて強引に抱き寄せた。
仏頂面は幾分和らいでいるが、それでも口元がへの字に曲がって拗ねている。
「みんなでお祝いに来てくれたんだよ、俺嬉しかった」
サンジはゾロの額の皺を伸ばすように指で撫でながら、ふわりと柔らかく微笑んだ。
その指にぱくりと噛み付くと、軽く歯を立てて唸る。
「飯より先にこっちがいい」
「・・・食いしん坊め」
サンジはゾロの唇の裏で、歯を軽く擽った。

「帰って来てちゃんと手洗ったか?嗽もしたか?」
「勿論」
自慢げに答えるゾロの頬をぴたぴたと両手で叩き、サンジは仕方ないなと目を細める。
「それじゃあ、ご褒美をやろう」
少し背伸びして唇を合わせたら、ゾロは両腕をサンジの腰に回して抱き上げ、そのまま花の匂いで満たされた居間へと運んでいった。





サンジとゾロ。
年の差10年。
戸籍上は父と息子。
この先何年、何十年経ったとしても、やっぱり基本は変わらないだろう。

それでも―――
二人が共にいる場所には、いつだって愛が溢れている。



END



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