あるひあひる嘘



隣人のウソップに花見に誘われたと、サンジは昨日から準備に余念がなかった。
いつも早起きなのにそれよりさらに1時間も早く起きて、弁当を作っている。
朝から揚げ物の匂いに起こされたゾロは、布団の中から寝惚け眼でそんなサンジの後ろ姿を眺めた。
なにを歌っているのかわからない鼻唄と共に、尻がふ〜りふりと揺れている。
心なしか尾てい骨あたりが盛り上って、腰の動きに合わせてモコモコ左右に振れているように見えた。
ぱちっと目を覚まして、やや慌てながら寝床から這い出た。
足元にやってきたゾロの気配で、サンジは目を丸くしながら振り返る。
「おはよう。どうした、腹減ったか?」
ゾロの目線の上で、デニムからほんの少し覗いた白い毛先がピコピコと震えた。
「今日は天気はいいが、ちと冷えるだろ」
「あーそうかもな。いまもちょい肌寒い」
「ちゃんと、上着着て行けよ」
「わーってるって、ゾロって自分のことは無頓着なのに人の世話焼きたがるよなー」
ちょいちょいと素足であしらわれ、俺は猫かと不満に思いつつも睡魔に負けてそのまま足元に伏せた。
別に世話好きな訳じゃない。
ただ、お前のことは放っておけないだけだ。

* * *

「晴れたー!」
3段の重箱弁当をゾロに持たせ、サンジはドアの外で叫びながら伸びをした。
駐輪場の掃除をしている管理人さんが顔を上げ、にっこりと微笑む。
「あら今日はお休み?」
「はい、それでお花見に行くんです」
「ああそう、いいわねえ」
「お土産にお花見団子、買ってきますね」
「あらあらいいのに」
ホホホと笑う管理人さんを、ゾロは薄ら寒い想いで眺めていた。
少なくとも、ゾロがこの部屋に入所した当初はギスギスした印象で、普段は管理人室に篭っているが顔を合わせるとなにかと小言が出る厳しい管理人のイメージしかなかった。
それがいつの間にか顔立ちまでふっくらとし、薄化粧もして朝から甲斐甲斐しく立ち働いている。
挙句、入居者と朗らかに挨拶を交わし、あまつさえ世間話にまで興じるようになった。
サンジはゾロの生活を一変させただけでなく、その周囲の人間まで変えてしまう力があるのだろうか。
恐るべし、鳥的魔力。

「お、お待たせ」
サンジ達の声が聞こえたか、隣人が息を弾ませながら部屋から出てきた。
「いんや、いま来たとこ」
「おまえら、なんか寒いぞ」
軽口を言い合いながら、揃って階段を降りる。
「いまが盛りだから、どこも混んでいるだろ」
「ああ、でもカヤが場所取りしててくれるんだ。大丈夫だろ」
「なに?カヤちゃんが場所取りだなんて、早く行くぞ待たせるなよっ」
場所もわからないのに駆け出すサンジを追いながら、ゾロもちょっと渋面を見せる。
「場所取りさせるなんて危ねえだろ」
「いや、カヤがどうしても役に立ちたいって言うからさ。それに危なくはない・・・だろ」
ウソップらしくもないと思いつつ、目的の公園に着いたらその心配は杞憂だったことがわかった。


平日だと言うのに花見客で賑わう公園のど真ん中。
長さ3m程度のブルーシートの上にカヤが一人でちょこんと座り、その四方を黒服・サングラス姿の男達がまるで警戒でもするようにカヤに背を向けて立っていた。
ぱっと見怖い。
そしてあまりにも異質で、景色から浮いている。
場所取りなどしなくても、半径10mは離れて遠巻きにされている場所の中央で、カヤはウソップの姿を見てぱっと顔を輝かせた。
「ウソップさん、こっちです〜」
いや、呼ばれなくてもわかるよ。
唖然としたゾロとサンジを置いて、ウソップは駆け足でカヤの元に走った。
「遅くなってゴメンな、待たせただろ」
「いいえ、いま来たとこです」
いや、それはない。
まるでSPのような黒服を遠まわしに眺めていると、彼らは待ち人が来たと了解して軽くカヤに会釈し音もなくその場を立ち去った。
動きに無駄がなさ過ぎて、まるでロボットのようだ。
「私一人で大丈夫って言ったんですけど、いつの間にかついて来ちゃったんですよ〜」
のほほんと笑顔で話すカヤに、サンジは「それはよかった」とやや強張った笑みで応えた。
ウソップはともかく、ゾロもサンジもこういう事態にはあまり慣れてはいない。
場違いな黒服がいなくなったお陰か、カヤが座るブルーシートの間際まで、誰か彼かがおずおずと場所取りに加わるようになって来た。
少しずつ賑わいを取り戻す周囲を、カヤが嬉しそうに見渡す。
「ああよかった、さっきまでなんだかこの辺だけ寂しかったんです。やっぱりお花見はこんな感じですよね」
「・・・そうだね」
「俺お花見初めてなんだよ、いいよねこんなの」
初めてのお花見で間違った知識を植えつけてしまったのではないかと、多少危ぶまないでもないゾロだ。


「温かいお湯とコーヒーを用意してきました」
「これはお弁当、あとお菓子はこれでいいかな」
「素敵、美味しそうです」
カヤとサンジが顔を突き合わせながら、きゃっきゃきゃっきゃと風呂敷を広げている光景は実に和やかで可愛らしい。
先ほどまでの黒服の余韻も消え去り、普通の花見的雑多さが甦ってきた。
担いできたクーラーボックスから取り出したビールで、ウソップと乾杯する。
部分的に散り時を迎えた樹から、チラチラと花びらが舞い落ちている。

「満開の桜を愛でて、桜吹雪も楽しめて。最高だな」
「こんなにいっぱい植わってるから見事なんだよな、なんで桜なんだろう」
サンジのもっともな疑問に、ウソップは長い鼻をつんと伸ばして応えた。
「いーい質問だ。帰国子女のサンジにはなぜ日本が桜でいっぱいなのか、不思議だろう」
帰国子女じゃなく単なるあひるなのだが、ゾロは黙って聞いている。
「この公園に植わってるのはほとんどがソメイヨシノだ。江戸時代に突然変異から作られた品種で、接木で増やしたんだぜ」
「接木?」
「他の桜の木にソメイヨシノの枝を接いで、そこから大きくさせたんだ。だからここらに広がるソメイヨシノは全部おんなじってことさ」
サンジは口を開けたまま、仰向いて桜を見上げた。
「じゃあ、あれもこれもそれも。同じ樹から生まれた兄弟ってこと?」
ウソップはチッチッチと舌を鳴らしながら人差し指を左右に振って見せる。
「兄弟じゃねえ、本人だ。つか、クローン?どれもこれも、同じソメイヨシノさ」
「すっげえ」
素直に感嘆するサンジに、ウソップは気をよくしたのか更に高々と鼻を掲げた。
「同じ樹だからか、一本一本に宿る桜の精もみーんなおんなじ顔してんだぜ。妖艶な黒髪の美女だ」
「そうなのか、そりゃあぜひお目にかかりたい!」
「満開の満月の夜に、日付が変わる前にそっと桜の木下に立ってみな。同じ顔の美女がもう、あちこちに・・・」
サンジは箸を握ったまま、必死の形相でゾロを振り返った。
「ゾロ、満月っていつだっけ?」
「騙されるな、それは嘘だ」
ズバンと真相を告げてやる。
そうしないと、どこまでも際限なく与太話が続きそうだ。
「へ?嘘?」
鳩が豆鉄砲でも食らったような顔つきのサンジに、カヤが笑いながら手を添えた。
「あの、今日は4月1日でエイプリルフールなんですよ」
「えいぷりる、ふーる・・・」
「年に一度、嘘を言ってもいい日です」
「あれ?エイプリルフールって世界基準じゃなかったっけか?」
ウソップも、あまりにクリアな反応のサンジに却って驚いているようだ。
「じゃあ、今の美女の話は・・・嘘?」
「ごめんなあ、まさかほんとに信じるとは思わなくて」
まあ飲めと、新しい缶ビールを取り出してプルトップを開けた。

「嘘をついてもいいとは言え、難しいですよね。ウソップさんみたいに人を傷付けず、すぐに嘘と見抜けるようなのものはとても・・・」
「すぐに見抜けなかった人がここにいますが」
「うっせえな、しょうがねえだろ」
サンジは憤然としながら、勢いよくビールを呷った。
尖らせた上唇に泡が付く。

「せっかくだから私もなにか・・・ウソップさんの誕生日だし」
カヤはコホンと咳払いすると、真面目な顔でウソップに向き直った。
「お誕生日おめでとうございます」
「おいおいカヤ、その祝福がウソとか、言わないでくれよ」
「言いませんよ」
くすくすと笑いながら、改めて顔付きを変える。
「今まで内緒にしてたんですけど、実は私、男子校の出身なんです」

「――――・・・」
「あ―――」
「―――あ・・・」
まあ、確かに誰も傷つかないしすぐに嘘と見抜ける。
鈍い反応にカヤは頬を赤らめ、両手で顔を覆って俯いてしまった。
「ああ〜やっぱりだめですか、難しい・・・」
「いやいや、上手だぜ。つうか、嘘に上手いも下手もねえだろうが」
「そうだよカヤちゃん、俺ちょっとびっくりしたよ」
「お前はなんでもそうだろうが」
ゾロの突込みに、サンジはむきっと言い返した。

「そんなん言うなら、ゾロだってなんか嘘ついてみろ!」
「…ああ?俺がか」
ゾロはごくんと一口ビールを飲んでから、ふっと顔を上げた。
「俺は、生まれてこの方、一度も嘘なんてついたことねえ」
「――――・・・」
「――――・・・」
「――――・・・」

「どうだ?」
「…微妙〜〜〜」
つい、3人とも首を捻ってしまう。
「そう言われれば、そうかな〜って思わなくも、ない」
「けど、嘘なんだろ」
「どっちが・・・でしょう」
サンジは腕を組んだままうんと一人頷き、片手を挙げた。
「うし、じゃあ俺行きまーす!」
「よし来い!」
身構えたウソップに、サンジは胸を張るようにして言った。

「俺は、実はあひるじゃなくて白鳥なんだ!」

「「???????」」
ブ―――――ッ!!!
盛大にビールを噴いたゾロのせいで、その場は一時大混乱に陥った。


賑やかに騒ぎ笑うウソップ達の頭上で、はらはらと散る花びらが風に舞い飛んでいった。



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