あるひあひる熱


今年の正月は天気に恵まれた。
掃除・洗濯日和なのに・・・とウズウズするサンジを押しとどめ、寝正月を決め込む。
元日はなにをするのもご法度だと諭せば、渋々ながらグータラに付き合ってくれた。
お節を食べて酒を飲み、餅を食べて昼寝をする。
サンジ曰く、ダメの見本のような三ケ日だったが、ゾロ的には充実した休日だ。
が、それに大人しく付き合ってくれたサンジそのものがおかしいのだと、もっと早く気付くべきだった。

「どうした?」
今年の正月は普段より気温が高く、日中は暖房もいらないくらいだった。
三日目には雨がしとしとと降り始めたが、さほど寒さは感じない。
なのにサンジは朝からどてらを羽織り、更に毛布まで被り出した。
「・・・なんか、寒い」
「ああ?」
ゾロは冷蔵庫を漁っていた手を止め、驚いて顔を上げた。
勢いよく扉を閉め、大股で居間へと戻る。
「寒いたァ、どういうこった?」
よく見れば、どことなく顔色が悪い。
そっと頬に手を添えると、冷えているどころかゾロの掌より熱かった。
「お前、熱あんじゃねえのか?」
ゾロは慌てて、体温計を探した。
確かこの部屋に引っ越してくるときに救急箱を持たされたはずだ。
が、今まで使ったことがないからどこに仕舞われたのかさっぱりわからない。
そうしている間にも、サンジ毛布の中でますます縮こまりプルプルと震え出した。
「寒ィ…」
「熱が上がり始めてんだな」
救急箱を探すのを諦め、ゾロは取って返して布団を敷き直した。
暖房を入れ、湯を沸かす。
「とりあえず、寝ろ」
サンジは毛布を引っ被ったままモソモソと移動して、布団の中に横たわった。
掛布団を掛け直し、端を引っ張って隙間を失くすよう軽く叩いてやる。
額に手を当ててみるが、先ほどと変わらずゾロの掌より若干熱く感じる程度だ。
「待ってろ、いま医者を呼んで来てやる」
ゾロはそう言い、部屋を飛び出した。

急な悪寒と発熱となればまず風邪だが、もしインフルエンザだったら――――
そう思うと、とても落ち着いていられない。
サンジがただの人間ならまだしも、その正体はあひるだ。
つまり、鳥だ。
まさかの鳥インフル――――
ゾロは、ぶるっと身を震わせた。
恐ろしい可能性に気付いて愕然とする。
もしそうだったら、俺はどうしたらいいんだ。

気が焦るばかりで三回ほど同じ場所をぐるぐると回った挙句、目的の場所に辿り着いた。
「おい、急患だ!」
勢いよくドアを開けると、中には人がいっぱいいた。
人と、色んな動物たちだ。
犬も猫も、オウムもハムスターもいる。
一斉に視線を注がれたが、めげずにずかずかと受付へ向かう。
「本日の受付は終了しました」
クマの着ぐるみとしか思えない、顏なじみのペポがオドオドしながら小声でささやく。
「急患だっつっただろうが」
「じゃあ、とりあえず問診票を・・・」
「そんな悠長なこと、してる場合じゃねえ!」
ゾロの覇気に押されて泣きそうになっているところに、白衣を着たローがひょいと顔を覗かせる。
「院内で、でかい声を出すな」
「ロー、あいつが熱を出した!」
必死なゾロの表情を、冷たく一瞥する。
「発熱は、何度だ?」
「体温計がねえからわからん」
「いつからだ」
「ついさっき、寒いと言い出して触ったら、いつもより熱い気がする」
ローの目が、すうと眇められる。
視線だけで、体感温度が一気に氷点下と思われる冷たさだ。

「帰れ」
「熱があるんだぞ」
喰ってかかるゾロを、ペポがアワアワしながら押しとどめる。
「今さら焦ってもどうなるもんでもない。後で検査してやるから、充分に水分を摂らせて休ませろ」
「――――・・・」
ゾロはぐっと拳を握りしめ、息を吐いた。
「わかった」
「はい、次の方どうぞ」
診察室に入る患畜と入れ代わるように、大人しく外に出る。



ローの「後で検査してやる」の一言で、少し冷静になれた。
サンジが発熱しているのは事実だし、それが風邪なのかインフルエンザなのかは素人の自分ではわからない。
いずれにしろ罹ってしまったのは仕方ないから、少しでも楽にしてやるしかない。

その足でゾロは薬局に行き、必要と思われるものを買い込んだ。
体温計に冷却シート、氷枕。
水分を摂らせろと言っていたからスポーツドリンクや麦茶を買って、うどんに白粥のレトルトも買う。
果物ゼリーぐらいなら、喉を通るだろうか。
甘いものは、別腹かもしれない。

目につくものを買って、家路を急いだ。
考え事をしながら歩いたせいか、来た時の半分以下の時間で家に着く。
出る時は小降りだった雨もいつの間にか止んでいて、西の空が暗い茜色に染まっていた。
日暮れにはまだ時間があるが、天気が悪いと陰るのが早い。

「ただいま」
あまりに慌てていたせいか、部屋には鍵がかかっていなかった。
電気を点けず薄暗い部屋の中で、サンジはこんもりと布団をかぶって寝ている。
そうっと足音を忍ばせて近付けば、よく寝ていた。
いつも独楽鼠のようにクルクルと立ち働いている男が、昼間にここまで寝入るということはよほど身体が辛いのだろう。

寝かせておいてやろうと、起こさないように静かに買ってきたものを整理した。
冷蔵庫の扉をパタンと閉めると、布団の山がもそりと動く。
「…あ?」
「お、起こしたか」
サンジは寝ぼけたような顔で、台所を振り返った。
「ゾロ?」
「大丈夫か、熱はどうだ」
「熱…」
まだ寝ぼけているようで、きょとんとしている。

ゾロは買ってきた体温計の封を切り、サンジの傍らに腰を下ろした。
額に手を当ててみる。
先ほどより、明らかに熱い。
「冷たくて気持ちいい」
外から帰ったゾロの手が冷えているのが心地よいのか、サンジは頬を赤くして目を閉じている。
ピピッと電子音が鳴った。
翳して見れば、38.3℃だ。
熱はあるが、高熱というほどでもない。

「何か食うか?うどんは?」
「別に、いい」
「とにかく水分摂れ」
背中に手を回し、抱き起してやる。
直接身体に触れると、発火しているのかと危ぶむほどに熱かった。
熱はもっと、あるんじゃないのかと心配になる。
「ん――――」
「寒くないか」
「それはねえ、つか、熱い」
悪寒は止まったようだ。
ペットボトルの口を直接唇に付けてやり、二度三度と飲み込ませる。
「…もう、いい」
ゾロの手を押しとどめて、サンジは濡れた口元を手の甲で拭った。
「とにかく、寝てろ」
再び横たわらせ、首元まで布団をかけてやる。
買ってきた冷却シートを額に当てると、気持ちよさそうに目を閉じた。
そのままほどなくして、また眠りに落ちる。

そっと、首元に手を当てた。
汗ばんでいる。
「汗を掻くと、着替えさせねえと…」
濡れたままでは、また風邪を引く。
着替えと、あとタオルも必要だ。
蒸しタオルで、首元を拭ってやろうか。

そわそわと動き回っていると、ドアをノックする音が聞こえた。
「おれだ」
「ああ」
ローの声に、中から鍵を外す。
「早かったな」
「お前が切羽詰まった顔で、来たんだろうが」
よく考えれば、まだ正月三日目だ。
獣医も開いていないのに、休日返上で急患を見ていたのだろう。
その上強引に往診まで頼んでしまって申し訳ないなと、ほんのちょっとだけ感謝した。

「どんな感じだ」
「熱は、さっき測ったら38.3℃だったが。もっと高い気がする」
「鼻水や、喉の痛みは?」
「聞いてない」
ローは靴を脱いで上がり、さっさと中に入って枕元に膝を着いた。
眠るサンジの首や目元を見て、聴診器を胸元に当てる。
「発症から間がないと、検査しても反応しないかもしれんぞ」
「だが、大体はわかるんだろう?」
ゾロの切実な表情をちらりと一瞥し、検査キットを取り出した。

あちこち触れられたせいで、サンジは目を覚ましたらしい。
ローの顔を見て「あれ?」と不思議そうに口を開く。
「なんで、ローがいんの」
「こいつに呼ばれた」
そう言ってから、ゾロに向かって顎をしゃくる。
「いいか、こいつが検査しろっつったんからな」
「?」
サンジは何をされるのか分かっておらず、相変わらずきょとんとしている。
「じっとしてろ」

「…んっ、ふ、がっ?!」


酷いー…と鼻を押さえて呻くサンジを置いて、ローはさっさと立ち上がる。
「水分摂らせて寝てろ、この調子なら薬もいらんだろ」
「おう」
「結果は、わかり次第連絡する」
サンジの肩を抱いたまま、ゾロは首だけ向けてローを見送った。
「ありがとう」
ローは背を向けたまま肩手を挙げて、部屋を出ていった。

「ゾロ、いまのなんだよもう…」
「検査だ、よく頑張ったな」
よしよしと子どもを褒めるように頭を撫でてやったが、思いがけない目に遭ったサンジは、まだ涙目だ。
「せっかく起きたし、うどん食うか?粥もあるぞ」
「ゾロは?」

そう言われて、初めて気づいた。
今朝、お節の残りを食べたきりだ。
「そうだな、うどん食うか」
「じゃあ、俺に2.3本分けて」
「了解」

柔らかめに茹でて卵を絡めた大盛うどんから、お椀にそっと面を分けてやった。
サンジは5本くらい食べて、温まったと再び横になる。
相変わらず熱は38℃台だが、食欲があればまずは一安心だ。

どんぶりを洗っていると、ローから着信があった。
『陰性だ』
その一言に、思わずガッツポーズする。

トロトロと眠りかけていたサンジが、ことんと首を傾けた。
「どうした?」
「大丈夫だ、インフルじゃねえよ」
「…そっか」
事の重大さに気付いていないので、サンジの反応は相変わらず鈍い。

額に掛かった前髪を、搔き上げてやる。
「ゼリー、あるぞ」
それに、サンジはふふっと笑った。
「なんだ」
「や、ゾロが優しい」
「いつもこんなもんだろ」
「そうだけどさ」

そう言って、ゾロの手に頬を擦りつける。
「たまには、熱出すものいいな」
その呟きに、ゾロはコツンと指先でサンジの額を小突いた。
「俺はもう、二度とごめんだ」

早く良くなれ。
そう囁くと、サンジは目を閉じたままコクンと頷いた。



End





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