あるひあひる風



大気が淀んでいる。
空は晴れているのにどこか湿気て、蒸し暑い。
時折りパラりと小雨が降るが、ほんの数適頬を濡らすだけでまた日が差した。
雨雲は見えない。


「台風だねえ」
「台風だってよ」
「いやあねえ、台風よ」
学校に行ってもバイトに行ってもコンビニに寄っても、話題はすべて台風一色だ。
冷えたビールを提げてアパートの階段を上ると、隣室のウソップが部屋に入るところだった。
足を止め振り返り、ゾロに「おかえり」と声を掛ける。
「いよいよだぜ、台風来襲」
「みてえだな、たいしたことねえといいが」
「用心だけしとくに越したこたぁねえが、準備万端で待ち構えてて肩すかしってのが理想だな」
「そうだな、気を付けて」
「お前らもな」
なにかあったら、隣同士だ。
どこか頼もしく感じて、ゾロは自室の鍵を開け「ただいま」と部屋に入った。


「おかえり、どうだ台風」
サンジはいつものピンクエプロンを身に付け、お玉を持ったまま出迎えた。
「いや、外は特になんも変わってねえぞ」
「そっか、なんかテレビはさっきから大騒ぎでさあ」
どこか浮き浮きとして見えるのは気のせいか。
まあ、自分もガキの頃は台風が来るってえと、慌ただしく準備する大人をよそにどこかワクワクしていたっけか。
いま思えば不謹慎だが。


「来るの金曜日だろ」
「んーちょっと速度弱まったのかな?」
居間ではテレビが繰り返し、注意喚起を行っている。
南の方では、すでに暴風雨状態だ。
「ゾロは、明日は学校?」
「ああ。だがバイトは中止になった。先方から、こなくていいだとよ」
「うちも、商店街ごと閉めるって」
来ることがわかっているなら、無理に外出しなければならないような用事を作ることはない。
最近は災害への備えに社会全体が過敏になっているせいか、ある程度融通が効くようだ。
「じゃあ、明日・明後日とはここに籠城できるな」
サンジはそう言って、冷蔵庫を開けて見せた。
買い出ししてきたのか、ぎっしりと食糧が詰まっている。
「あ、今日は風呂の水抜くなよ。あと、ポットとか鍋とか、汲めるだけ水汲んでおかないと」
「大げさだな」
「何が起こるかわからないだろ」
停電したら〜とか断水したら〜とか、サンジはテレビで聞きかじったらしき知識を滔々とゾロに語る。
このままでは、勝手に炊き出しおにぎりでも作ってしまいそうだ。
まだ外はピーカンなのに。


「とりあえず、予報は金曜日だから今はまだ落ち着け」
「大丈夫、落ち着いてるぜ」
余裕ぶってにっこりと笑って見せているが、背後で尻がもぞもぞ動いている。
これはあれだ、尾羽が膨らんでバタ付いているのだ。


その後も、サンジはしょっちゅう窓の外を眺めては、風が出てきた?とか、雨が降りそうとか呟いていた。
実際には、蒸し暑さが続くだけで空模様に特に変化はない。
「夜は雨戸閉めて寝ような」
「そうだな」
ゾロはサンジのしたいようにさせている。
台風の準備とか、正直面倒くさいからちょうどいい。






夜も更けたが、不気味なほど静かな夜だ。
このまま穏やかな朝を迎えるんだろうなと思うのに、サンジは枕を持ってウロウロと落ち着きなく部屋の中を歩いている。
「もう寝るぞ」
「ん」
戸締り確認、冷蔵庫の中確認、風呂場の蓋OK。


要所要所を見て回ってから、最後にゾロの布団を捲り腕の中にするりと潜り込んだ。
背中をぴったりとゾロの胸にくっ付けて、膝を曲げて両腕で抱える。
「これでよし」
胎児のように丸くなり、安心しきって目を閉じる。


まるで卵に還ったかのようなサンジを抱いて、ゾロも金色の髪に鼻を埋め目を閉じた。
窓枠を揺らす風の音すら聞こえない。
静かな静かな、夜だった。




End






back