あるひあひる路


二人でいつかは一泊二日の温泉旅行。
壮大な計画を立てたはいいが、ちまちまと五百円玉貯金を続けていても、さほど貯まるものでもない。
別に急がなくてもいい話だ。
楽しみは先にある方が日々の張り合いになると、サンジなどはのんびりと構えているが、意外なことにゾロの方が落ち着かなかった。
サンジと温泉旅行。
しかも一泊、露天風呂付き部屋となると想像しただけで俄然テンションが上がってしまう。

思えば、一緒に暮らし始めて早や半年。
いや、正確には一年近くになるのだが、人間サンジと暮らし始めたのはやはりまだ半年ほどのことだ。
狭いアパート暮らしなのに、未だに一緒に風呂に入ったことがない。
別に風呂に拘る必要はないと頭ではわかっているのに、どうしてもその事実に釈然としなかった。
サンジの尻、尾てい骨辺りには白い羽毛が生えている。
尾てい骨にはあひるの名残…と言うべきものか。
それ自体、ゾロはもう知っているしサンジもことさら隠さなくなった。
ぴったりとしたジーンズを履いていると、時折布地の上からもその部分がぴるぴる動いているのを視認できるが、そこに尾羽があると知らなければ誰も気付かないだろう僅かな動きだ。そう神経を尖らせて隠し立てしなくてもいいし、恥らうようなことでもない。
だから、一緒に風呂に入るくらいいいだろうとゾロは再三誘いを掛けるのだが、サンジはガンとしてそれに応じなかった。
そうでなくとも狭いユニットバスだ、風呂くらいゆっくりのんびり入りたい。
そう言い返されれば、それ以上駄々を捏ねられなかった。
だが、サンジと一緒に風呂に入ってみたい。
自分でもよくわからない的外れな欲望に突き動かされ、ゾロは温泉露天風呂付き宿に宿泊することを最終目標に据えた。
これなら一緒に入浴しても、誰も文句を言わないだろう。
そんな訳でゾロだけが内心で焦りながらも、五百円玉貯金缶は地道に少しずつその重さを増していっているところだ。


年の瀬も押し詰まり、さして予定もないのにどこか気忙しくなる師走。
ゾロの携帯に実家から電話が掛かってきた。
携帯を肩に挟み傾けた首で固定して、いつものように生返事をしながら足の爪を切っていた。
硬い爪はパチンパチンと音を立てながら四方八方に飛んでいく。そしてなぜ、新聞紙が敷いていないところに落ちるのだろう。
『・・・でねえ、今年も帰って来んの?』
「ああ、正月はバイト代が弾むんだ」
『お正月に合わせなくても、いつでも帰ってきてええんやで。顔見せみ』
「まあ、その内にな」
『おばあちゃん、最近足腰痛いって言うてあんまり外に出よらんのよう。あんたらが帰って来ると、喜ぶで』
「だからその内に」
『サンちゃん連れて帰って来たらいいやん。お披露目しい』
「いやいやいや」
ちょっと待て。
「なんで連れて帰るん」
『だって置いて帰って来れんでしょう。サンちゃん帰る場所ないんやから、そしたら一緒に里帰りしたらいいやん』
「なんで知ってるんや」
『前にサンちゃん、そう言うてたもん。お母さんとお喋りできるの楽しいて、言うてくれてん』
「いつ喋った?」
『おととい。結構喋ってるよ、あんたが風呂入ってる間とか』
「どんだけ電話掛けてきとん」
『あんたがおらんうち狙って掛けとるみたいになってん。着信が私からやと、サンちゃんも遠慮のう出てくれるし』
ゾロはまさかと、着信履歴を見た。
今まで気付かなかったが、本当に頻繁に「自宅」の文字が並んでいる。
それどころか、発信履歴にも「自宅」があった。
『時々サンちゃんからも掛けてくれよんよ、もう電話友達』
「人の携帯でなにしてくれとん」
『あんたが連絡せんからやろ。自業自得や』
ほなな、と勝手に切り上げ通話は切れてしまった。
ゾロは携帯を耳に当てたまま、呆然としている。
「お母さんから?今日はいっぱい喋ってたなー」
後片付けを終えたサンジが、手を拭きながらいそいそと卓袱台の前に座った。
ポットから急須にお湯をトポポポと注いでいる。
「お前、うちのオカンと喋ってんのか?」
ゾロは呆けた表情のまま振り返った。
それにサンジが他意なく「うん」と笑顔で頷く。
「お母さん、面白い人だな。前に送ってくれたチョロギの食べ方とか、わかんなかったから電話したら色々教えてくれた。話してても楽しいし、喋り方が面白い」
「なに勝手なことを、いつの間に?」
「ゾロが風呂入ってたりトイレ行ってたり、あと携帯忘れてバイト行ったりー」
そこまで言ってから、急に神妙な顔付きで正座する。
「勝手に携帯使って、通話料とか電池とか消耗させてごめん。俺のバイト代から払うから」
「んなこと言ってねえよ」
ゾロは乱暴に新聞紙を畳んだ。
隙間から、爪のカケラがポロポロと落ちる。
「別に責めてる訳じゃねえし、ただこうちょっと、俺が知らんうちに物事が進んでるのがつまんねえなと思うただけで」
「なに、ヤキモチ?」
「んなんじゃねえ」
と言い返したものの、ゾロの中で生まれたモヤモヤがなんなのか、ゾロ自身にもよくわからなかった。
ただ面白くない、非常に面白くない。
「ごめんな、でもなんかそういうゾロも好きだな、俺」
「は?」
なにを言い出すのかと、ぎょっとして目を剥いた。
「だってゾロの言葉、なんか面白い。お母さんみたい」
むぎっと口をへの字にして、ゾロはゴシゴシ顎を撫でた。
「お袋と喋ると、うつる」
「いいんじゃね?なんか、ゾロだけどゾロじゃないみたいで、ちょっと新鮮」
「訛ってるだけだ」
サンジはフローリングの上に落ちた爪のカケラを指先にくっ付けては、ゴミ箱に入れた。
「荒っぽくて、だけど愛嬌があって、カッコいいよ」
ちまちまと作業しながら、とんでもないことをさらりと言う。
ゾロはぐうと腹の虫が喉で鳴ったような声を出し、そのまま黙ってしまった。
その間サンジは床をささっと綺麗にして、改めてゾロの前にちんまりと膝を揃えて正座した。
「でね、ゾロの生まれた家とか育った町とか、見てみたいなあ」
お前、絶対わざとやってるだろう。
そう思わずにはいられない、絶妙な角度と上目遣いで最強のおねだり顔を見せ、ゾロは敢え無く陥落した。


ゾロの故郷は新幹線と特急を乗り継いで更にバスに乗る、海辺の田舎町だった。
サンジはどこからか風に乗って運ばれてくる潮の匂いに目を細め、トンネルを抜けて開けた視界の先に広がる海に小さく歓声を上げる。
「ゾロー、あれ海?海?」
「そうだ」
丁度、暮れかかる夕陽が朱色を滲ませながら水平線へと沈む間際で、どんよりと空を覆う雲は黄金色の光に照らし出されて荘厳な景色になっていた。
サンジはぽかんと口を開け、見る見るうちに色を変える夕焼け空を食い入るように眺めている。
厚着をした服の上からではわからないが、多分尾羽は千切れんばかりにぴこぴこ振れているのだろう。
「広いなあ、大きいなあ、綺麗だなあ」
「海、見るの初めてか?」
「うん、こんなにたくさんの乗り物に乗ったのも、初めてだ」
多分、サンジにとってはこの前のバス旅行が一番の遠出だったのだろう。
そう思うと、あちこち連れてってやれない自分の甲斐性なさも身に染みるが、一応学生の身だから仕方ない。
考えてみれば、こうして里帰りに同伴できただけでもよかったと思わないでもなかった。
なにより、サンジが喜んでくれているのが、一番嬉しい。
二人分の交通費は、サンジが頑として言い張ったので折半にした。
究極の方法としては、サンジがアヒル化してゾロのバッグに入れば無料だったろうけれど、そんなことして楽しくも嬉しくもない。
きちんと人間として交通費を払い、二人で里帰りできなければ旅をする意味もない。
サンジが喜ぶ姿を眺めているうちに、あっという間に地元に着いてしまった。
一人だったら至るところで眠ってしまい、それはそれであっという間だったろうが、中身の濃さが違う。
ゾロ自身が道中楽しめて、えも言われぬ満足感がある。

バス停で降りて国道から横道に入り、更にせせこましい路地を曲がった。
隣同士の家の軒下が重なるほど、密着した住宅が立ち並んでいる。
「へえ〜」
「狭いとこだろ」
「これ、家の中からお隣さんの家の中、見えるんじゃね?」
事実、実家の座敷から隣の幼馴染ん家の廊下に裸足で渡っていたゾロは、その台詞に苦笑する。
プライベートも何も、あったもんじゃない。
「これだけ密集してると、火事とか怖いな」
「それは一番やばいんだ」
猫が一匹、二人の前を横切って電信柱の影で立ち止まり、尻尾を立ててこちらを窺っていた。
その隣では犬がだらりと手足を投げ出して昼寝している。
「匂いがするだろ?」
無意識にひくひくと鼻をひくつかせているサンジに、ゾロはそっと囁いた。
「うん、海の匂いと・・・魚?」
「生臭いだろ」
「そうでもねえよ、美味そうな匂いもする」
丁度夕飯時になったので、家のあちこちから様々な匂いが漂っていた。
ここは焼き魚、ここはカレー、ここは肉じゃが?と一軒一軒を吟味しながら、ゆっくりと路地を歩く。
「ゾロんちは、なにかな」
「百パーセント刺身だ。それと、味噌汁」
「楽しみ」

細い抜け道の向こうに漁船が見え隠れする場所で、ゾロは足を止めた。
最近建て替えられたばかりのような真新しい家に、木で造られた「ロロノア」の表札だけが風格のある古さを保っている。
「ここ?」
「おう」
引き戸に手を掛ける前に、中からがらりと戸が開いて女の人が顔を出した。
「わ、びっくりした」
「そりゃこっちの台詞だ」
ゾロに少し面差しが似た、きりりとした美人だ。
サンジがぽーっと見惚れていると、女性の方が伸び上がってゾロの肩越しに会釈をする。
「こんにちは初めまして、ゾロの姉です」
「あ、初めまして。サンジと言います」
「ようこそいらっしゃい、ゆっくりしてってね」
気さくにそう言い、突っ掛けを履いてゾロの脇を通り抜ける。
「どこ行くんだ」
「あんたがそろそろ帰って来る言うから、子どもら迎えに行くんよ」
「まだ帰ってないんか」
「もう、すぐに暗うなるんに暢気なんやから」
お姉さんがパタパタと表に駆け出して行ったのを見送るように、中からまた一人顔を出した。
「なんやゴチャゴチャ言うとるおもたら、おかえり」
「ただいま」
見事な白髪の、品のいい初老の女性だ。
サンジには声ですぐにわかった。
「初めまして、サンジです」
「あらあらまあ、サンちゃん〜〜〜」
女性はまあまあまあと声を上げ、突っ掛けを履いて息子を素通りし抱き付く勢いでサンジの両腕を叩いた。
「んまあ、想像してたよりもっともっと別嬪さんやねえ、まあ綺麗ねえ」
「は、あ・・・」
「まあまあ、いつもゾロがお世話になって、おおきんねえ。んまあ、サンちゃんねえ」
母親は頬に手を当て、コロコロと笑った。
「声を聞いたらまあサンちゃんね。ささ、早く中へ入って。ゾロ、なにボケッとしてんの」
「・・・呆気に取られてたんだ」
「いいから早よ、中に入りねま」
サンジには丁寧に、ゾロにはぞんざいに応対して母親はさっさと中に引っ込んでしまった。

「お父さんにご挨拶しいね」
「わかってる」
ぶっきらぼうに返すゾロに続いて、サンジはピョコピョコとあちこち首をめぐらせながら家に上がった。
住宅自体は真新しいが、家族が多いせいか雑然としている。
「散らかってるだろ」
「ううん、なんか賑やかでいい」
アパートとは比べ物にならないくらい、奥行きのある家の廊下を突っ切って座敷に入った。
奥に鎮座する仏壇に、サンジは驚いたようだった。
「ゾロ、なにあれすごい・・・立派?」
「んーまあ、仏壇だ」
サンジの目は、自然と位牌の横に置かれた写真に吸い寄せられる。
「親父だ、俺が中学ん時に事故で死んでな」
そこには、ゾロに少し面差しの似た男の顔があった。
「お父さん」
「とりあえず座れ、そんでこうやってだな」
リンを鳴らし手を合わせるゾロに続いて、サンジもおずおずと両手を合わせる。
しばらく黙って目を瞑ったあと、ゾロが顔を上げる気配に倣ってサンジも目を開いた。
「亡くなった人は、ここにいるの?」
「そうだ」
「お墓は?」
「そこにもいる、まああっちこっち・・・」
ゾロも、その辺りはよくわかっていない。
「ジジイも、こんな立派なところにいるのかな」
サンジがどこか憧憬にも似た眼差しで仏壇を見つめるのに、ゾロはそうかと気が付いた。
恩人の死と同時にアヒルに戻ってしまったサンジは、弔いにも参加できなかった。
大切な人を亡くして、途方に暮れてただウロウロと歩き回るだけで、気持ちの整理も悲しみの消化もできなかったのだろう。
「人が死ぬと葬式をして皆で哀しんで、こうして決まった場所に納めるんだ。それで死者は安らぎ、残された家族は癒される」
「・・・ゾロも?」
見つめるサンジの瞳が、潤んでいる。
「ああ、俺も。今は親父もここにいると思える。お前を連れて帰って、驚いてるかもしんねえ」
サンジはもう一度仏壇に向かって手を合わせた。
「サンジです、よろしくお願いします」
声に出して頭を下げると、ふと背後に人の気配を感じた。
「うわっ、ばあちゃんいつの間に」
珍しくゾロが焦った声を出すから振り返れば、驚くほど近い場所に小さな老婆がちょこんと座っていた。
「おかえり、久しぶりやねえゾロ」
ゾロは正座したまま老婆に向き直った。
「ただいま、ばあちゃんも元気そうでなにより」
「あ、はじめまして」
サンジもゾロの斜め後ろに身体を隠すようにして、ぺこりとお辞儀する。
「サンジです、お世話になってます」
「お話聞いてますえ。孫が世話になっておおきんに」
小さいおばあちゃんが更に背を丸めて、皺くちゃの手を畳に置いて深々と頭を下げる。
その丁寧さに驚きながら、サンジも改めて深くお辞儀をした。
「よう帰ってきてくれた、正月には間に合わんかったけどこれどうぞ」
おばあちゃんは懐から、小さなポチ袋を取り出してゾロとサンジにそれぞれ差し出す。
「ばあちゃん、もういいのに」
「孫が遠慮するもんやない。はい、サンジさんも」
「あ、ありがとうございます」
サンジはそれがなにかわからず、素直に受け取って繁々と眺める。
「これは?」
「お年玉だ、正月に貰う小遣いみたいなもの」
ゾロは、一旦は受け取ったものの持て余してサンジに自分の分も押し付けた。
「とりあえず、持っててくれ」
「うん」
「さあ、久しぶりに帰ってきたんやから、ゆっくりして行きね」
おばあちゃんの声と同時に、玄関から賑やかな声が届いてきた。

ゾロと姉は十歳年が離れており、姉の夫が世帯主になっていた。
祖母に母、姉夫婦と小学生の男の子が二人。
ゾロの義兄は姉の幼馴染で、亡き父の跡を継いで漁師をしている。
若いのに見事な禿頭で、よく日に焼けた肌と笑い皺に深みがある、恰幅のいい男だった。
「ゾロが世話になってのう」
よく通る低い声で笑い、親しげにサンジの肩をバンバン叩いた。
その衝撃に息がつまり思わずゾロに倒れ掛かると、すぐさまサンジをさっと脇に抱え身を乗り出す。
「義兄さんも元気そうじゃ、いつもおおきんのう」
一升瓶を傾けカップにだばだばと酒を注ぐと、義兄はガハハと笑いながら一気に飲み干した。
そしてゾロにグラスを持たせ、一升瓶を傾ける。
「知らん間にこんな別嬪掴まえ取ったか、ゾロはこんまい頃からたらしじゃったが」
「何言うか、あることないこと言うでね」
ハハハだははとお互いに笑いながら、競い合うようにグラスを開けては注いで行く。
サンジが目を白黒させている間に、次々と一升瓶が空になっていった。
「付き合っちょると、見てるだけで酔っ払うで、こっち来」
お姉さんに手招かれ、母親とおばあちゃんの間に座らされる。
「サンジさんってどこの国の人?」
「日本語上手やんな」
甥っ子たちは興味津々で次から次へと質問してくるから、サンジもたどたどしく答えた。
が、出身国など聞かれてもわからないし、自分が知っている単語を適当に並べて、あることないことを率直に答える。
「ばらてぃえって、ぐーぐるまっぷで調べたら出て来るかな」
「そこ寒いとこやろ、寒いとこに住む人は色白いんやて」
「レストランのジジイちゃんに拾てもろたんや、ええ人でよかったなあ」
ありがたいことに、ロロノア家の人達は総じて物事に拘らない人ばかりだった。
サンジの曖昧な返事にも感心はすれど突っ込んで来ず、ああそういうこともあるやろね〜と流してくれる。
この辺りが、ゾロによく似てるなあとサンジの方が感嘆してしまった。

「義兄さん明日も早いんやろ、そろそろ寝たら」
「せやな、んなサンちゃんまたな」
呆れるほどの一升瓶を転がしながら、義兄はあっさりと腰を上げて風呂に入ってしまった。
言動がものすごくサバサバしている。
適度な馴れ馴れしさと素っ気無さが同居していて、サンジが今まで遭遇したことのないタイプだ。
「お義兄さん、面白い人だな」
「そうか、まあこの辺に住んでるのは、こんなんばっかだな」
祖母も夜は早いと言うことで、夕餉の団欒は九時には片付けられた。
新居にゾロの部屋はなく、二人で座敷に布団を用意される。
仏壇の扉はきっちりと閉められていたが、ゾロは怖くないかと気遣った。
「怖い?なにが」
サンジに、幽霊を怖がる知識はない。
仏壇を見たことで亡きゼフのことを思い出せたし、ここにゾロの父親もいると思うとむしろ心強い。
持参したパジャマに着替えてウキウキしながら鞄を整理していたサンジが、そう言えばとシャツのポケット探った。
「さっき、おばあちゃんにいただいた封筒」
ポチ袋を取り出して、ゾロに渡した。
「ああこれなあ・・・」
封を開けて覗き込み、あーとゾロは声を出した。
「またばあちゃん、もういいのに」
取り出した中身は、綺麗に折り畳まれた万札だ。広げてみれば三枚もある。
「お年玉って、すごいんだな」
「三年帰ってなかったから、三年分だろ」
サンジのポチ袋を開けると、やはり三万円入っていた。
「え、俺もこんなに貰えるの?」
「俺と一緒じゃねえとだめとか思ったんだろうな、ばあちゃん気ぃ遣い過ぎ」
帰郷するだけでとんでもない稼ぎになってしまった。
「コツコツ貯めといたへそくりだろうに、こんなだから帰ってくんの気が引けるんだよ」
「それは違うぞゾロ」
サンジの、いつにない厳しい声に驚いて顔を上げる。
「おばあちゃんはゾロにお金あげたいんじゃないと思う。会えて嬉しいんだ、だからお金は受け取らなくてもいいから、もっと帰って来てやんないと」
「帰って来たって、そう話すことなんかねえのに」
「側にいるだけでいいし、声を聞かせるだけでいいと思う。帰って来なくても、電話だけでも。お前が元気にしてるってわかるだけで、いいと思うぞ」
な?と諭されて、ゾロは神妙な顔付きで頷いた。
まさか、サンジに諭される日が来るとは思いもしなかったが、世知辛い世の中に流されがちなゾロと違って、サンジはなにが一番大切かを感じ取れるのかもしれない。
「明日、こんなんいらねえから元気でいろって、ばあちゃんに言う」
「それがいい。俺もそう言う」
サンジはにこっと笑って、ゾロの布団の中にごそごそと入っていった。



翌朝、サンジは早くから起き出して甥っ子達に連れられ、漁港を散歩したり朝御飯の用意を手伝ったりしていた。
すでに義兄は漁に出掛け、遅まきながら起き出したゾロは甥っ子たちの宿題を見てやった。
「サンちゃんに聞いたら、わからん言われた」
「サンちゃん、漢字読めへんねんで。せやから俺教えたった」
「そうか、そらありがとな。そんかわり、美味い飯作りよるで」
ゾロが自慢げに言う視線の先には、姉と母と三人で楽しげに台所に立つサンジの姿がある。
心なしか、エプロンの結び目の下で尻の上辺りがぴょこぴょこ跳ねていた。
年季が入っているとは言え、女性に囲まれて嬉しいらしい。
「サンちゃん、今日のおやつ作ってくれる言うてた、楽しみやなあ」
「ええなあおんちゃん、いっつも美味しいもん食べれて」
「ええやろ。お前らも早よ大きなって、ええ子見つけや」
なに言うてんのあんたはと、姉が通りすがりにゾロの足を踏ん付けて行った。

「ほな、またな」
今夜はバイトが入っているからと、午後には家を出た。
忙しないなあと呆れながらも、母親も姉も特に引き止めたりはしない。実にあっさりしたものだ。
「ばあちゃん、お年玉おおきんね」
「なんも」
「今年は盆も正月も、時期外れても必ず帰るから、今度は小分けしてくれたらいいし」
そう言って、ゾロは自分の分のポチ袋を差し出した。
「サンジのだけありがたく貰っとく。んで、これは今から三年分」
「いらんて」
「あかん、これ預かっておいて。ちょくちょく貰いにくるから」
「ええて」
「ほんなら俺貰おうか?」
甥っ子がひょいと手を出すのに、ゾロとおばあちゃんは同時に手を引っ込めて顔を向けた。
「「あかん!」」
その表情がそっくりで、サンジは思わず笑ってしまった。




「ああ面白かった、ゾロんちすっごく楽しい家だな」
「そうか?普通・・・つうかむしろ、ざざかしい家だけど」
「ざざ?」
「えーと、そうどな・・・いや、うーんごちゃごちゃ、いや、がちゃがちゃした?がさつな家」
「んなことねえよ」
方言を標準語に変換するのに苦心する様を、サンジはニコニコしながら見ている。
ガタンゴトンとリズミカルな電車の揺れが心地よい。
「結局俺の分だけ、お年玉貰っちゃったな」
「いいんだ、お前のだから」
「思いもかけない、温泉資金貯まったな」
サンジの言葉に、ゾロはかっと目を見開いた。
「ほんとだな」
「だろ?春には温泉行けるんじゃね」
まさにお年玉様々だ、おばあちゃんありがとう。
感激に打ち震えるゾロの向かいに座り、サンジはいつの間にかうつらうつらしていた。
慣れない遠出と見知らぬ家で過ごした緊張感は、少なからずあっただろう。
珍しい、サンジの居眠り姿に目を細め、ゾロもまた向かいに座ってじっと目を閉じた。
目的地は終点、少しばかり寝過ごしても問題はない。
うとうととまどろんだゾロは、久しぶりに懐かしい父親の夢を見た。


おわり




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