あるひあひる日



朝からむっしりと暑いからか、サンジは朝食のあと水浴びをした。
風呂に入って小一時間した頃、コツコツと浴室のドア下辺りをつつく音がする。
出口にバスマットを敷いてドアを開けてやれば、あひるがヨチヨチと出てきた。
ゾロは用意していたバスタオルであひるの頭からぽふぽふと軽く叩くように水分を取ってやる。
その動きに懐くように、あひるは目を閉じて首を伸ばし、タオルに凭れた。
バッサバッサと羽ばたきをし、バスマットの上でペッタリした足を上下させて足踏みする。
ぷるりと尾羽根を震わせて、そのまま身体から頭へとぷるぷるが移った。
小さくて軽い頭を扇風機みたいに回し、ひょいと首を擡げる。

ゾロが包み込むように持ったままのバスタオルの中から抜け出て、ヨチヨチ歩きながら部屋に戻る。
ゾロは風呂の栓を抜いて浴槽をざっと洗い、バスマットとバスタオルをそれぞれ干してから部屋に戻った。

あひるは窓辺の、日の当たる場所に蹲って、薄く目を閉じた状態でうつらうつらしている。
洗いたての毛が日差しで渇いて、見る間にふっくらとして艶々だ。
あひるはしばらく、哲学者みたいに小難しい顔で目を閉じていたが、ぱちりとつぶらな瞳を開けると首を振った。
側で新聞を読んでいるゾロににじり寄り、Tシャツの裾を嘴で咥えて遠慮がちに引っ張る。
「なんだ?」
ゾロは新聞を畳むとあぐらを解いた。
その間にあひるはちゃぶ台の向こうをぐるりと遠回りして、玄関に降りる。
「出掛けるのか?」

今日はいい天気だ。
散歩にでも、行こうか。



アパートの階段はあひるには厳しいから小脇に抱える。
駐輪場を掃除している大家さんに挨拶した。
大家さんは箒片手に朗らかに「おはよう」と返してくれた。
幸い、ゾロが抱えている白い物体には気付かなかったようだ。
このアパートは確かペット禁止だから、気付かれるとまずい。
ゾロはそのまま、あひるを新手のバッグみたいに脇に抱えてサクサク歩いた。

橋を渡って河川敷に降りると、最近草を刈られたところのようでちょうどいい広場になっている。
幼子が足元の石に夢中になり、その傍らで若い母親達はお喋りに夢中だ。
ベンチには年寄りがポツポツと座り、ジョギング中の人がその後ろを通り過ぎる。

ゾロは腰を屈めてあひるを地面に下ろした。
あひるはその場でしばし足踏みしてから、トトトと歩く。
首を伸ばして地面を覗き込み、所々刈り損ねた、長く生えたままの草を嘴でつついたりしながらヨチヨチ進んだ。
ふいと頭を下げ、草むらを覗き込んでから、ぴやっと飛び退いた。
怯えるように尾羽根を震わせ、方向転換してまた歩きだす。
大方、虫でもいたのだろう。

空は晴れて青く澄み渡り、日差しは暑いくらいに強い。
けれど川を渡る風は涼しくて心地よかった。
手で庇を作って景色を眺めれば、川辺は草丈を残したままで濃い緑に縁取られている。
流れる水面はキラキラと輝き、せせらぎは耳に優しい。

シロツメグサの花が咲き乱れる中を、白くて黄色いあひるはヨチヨチ歩いた。
時折伸び上がって、両の翼をバッサバッサと大きくはためかせる。
それからまた丸まって、念入りに毛繕いだ。
かと思えば、水掻きのついた足をくるりと転換させて歩きだし、草むらの中でぴやっと跳ねる。

あまり足元を見ないのか、ペッタペッタ歩く足は大きな石を踏んだりして不安定だ。
ゾロの前を通り過ぎる時、知らん顔して足を踏んで行った。



流れの緩い場所でもう一度水浴びし、満足したのか自分から率先して家路に着いた。

白くてもっこりした尻を振りながら、ヨチヨチ歩くあひるのあとをゆっくりとついて歩く。
馴染みの商店街を通り抜け、アパートに戻った。
途中、「あひるだ」「あひる?」「あひるね…」と囁く声は聞こえたが、誰も特に声を掛けて来たりはしなかった。




戻ってもう一度風呂場に消えたあひるを置いておいて、ゾロは簡単に昼飯を作る。
即席の天津飯をちゃぶ台に並べていたら、サンジが髪を乾かしながら洗面所から出てきた。

「あー気持ちよかった」
「そうか」
「でも、日差しきついなー。ちょっと日焼けしちまった」
…どうやって?
と思ったけれど、口には出さない。

「飯ありがと、せっかくの休みに悪いな。夜は俺が作るから―――」
「お前こそせっかくの休みなんだ、ゆっくりしてるといい」
そう言いながら、二人して「いただきます」と手を合わせる。

ゾロは自分が作った天津飯もどきをモソモソ食べながら、聞いてみた。
「楽だったら、たまには今日みたいに戻ったらいいんだぞ」
俺に遠慮せず…と続けて、なんで遠慮すんたよと一人突っ込む。

「んー、ありがと。別に楽とか今が無理してるとか、そんなんじゃねえんだぜ」
サンジは頬袋を膨らませとモグモグしながら、視線を中空に泳がせた。
「そうだな…でもたまにはいいな。自分の素に戻れるってえか、思い切り羽根を伸ばせるってえか…」
さもありなんと、ゾロは咀嚼しながら大きく頷いた。

麗かな昼下がりは、一人と一羽で昼寝をしよう。



END






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