■あるひあひるで




ただいまーと声をかけて扉を開けることに、もう抵抗感もなくなった。
「おかえり」と返事がある訳ではないが、温かめられた部屋の空気が出迎えてくれて、ほっと心が和む。
ゾロは赤くなった鼻先を擦りながら、靴を脱いで部屋に入った。
いつものように、すぐにでも食べられるようテーブルには皿や箸がセッティングしてあるのに、食欲をそそる匂いは漂っていない。
ガス台に、見慣れない土鍋が乗せてあった。
こんなのまで買ったのかと、感心しながら蓋を開けてみると、中には綺麗に野菜や肉が並べられている。
出汁も入っているから、このまま火に掛ければ食べられるのだろう。
それじゃあ、食べる前に風呂で温まろうかと洗面所に行けば、すでに風呂は張られていた。
ちょうどいいくらいの湯加減だ。
―――毛玉はやることが完璧だな。
毛玉の癖にすごい能力だと改めて感心して、取り敢えずゾロなりの挨拶のつもりでタオルに包まれた毛玉の元に行く。

相変わらず、どっちが頭だかわからない白い羽根球の状態でまるまっている。
こうなったら意地でも顔を出さないつもりらしい。
このままひっくり返して羽根も伸ばして、せめて鳥なのかなんなのかあれこれと見てみたい気もするが、せっかく丸まって頑として動かない覚悟でいるものを無碍に扱うのは気が引けた。
遠慮がちに背中辺りをもふもふと撫でる。
毛玉の手触りはいつも艶々でふかふかだ。
毎日水浴びでもしているのだろうか。
よく見ると、楕円形の背中の片方にだけ羽根が盛りちょこんと上がって出っ張ってちょっと硬い。
もしかしたらこれは尻尾なのかもしれない。
そうすると、こちらが尻か。
ゾロはちょんと出っ張った尾羽らしきものをちょいちょいと撫で、引っ張った。
ふりふり、と毛玉の後半辺りが左右に振れる。
もう一度、今度はちょっと強めに引っ張ると、ピルルルとやや激しく左右に振られた。
どうやら嫌がっているらしい。
嫌がっているらしいが、なんだか面白い。
調子に乗って、尾羽を掴んでそうっと上に引き上げてみた。
と―――

・・・バシッ
驚いて手を引っ込めるほどに、強い衝撃がゾロの手の甲を打った。
あまりの早業でよくわからなかったが、どうやら水掻きのついたペッタペタの足で蹴られたらしい。
分厚さと丈夫さだけは自慢できるゾロの皮膚が、うっすらと赤くなっていく。
「痛えなあ」
抗議と言うより感嘆の思いをこめて、ゾロは自分の手の甲を摩った。
バカめ――と言わんばかりに、もう一度毛玉の尻がプルルと揺れる。
「わかった、悪かった」
ゾロはポンポンと軽く背中を撫でて宥め、腰を上げる。
「じゃあ、先に風呂入ってくる」
そう声を掛け、風呂場に入った。


家に帰ったら飯の支度ができていて、風呂まで沸かしてあるだなんてまさに至れり尽くせりだ。
なんでこんな快適な生活になったんだったけかなと改めて思い起こし、毛玉を拾ったからだなと結論付ける。
こころなしか、風呂場の中も以前より明るくて気持ちがいい。
ほのかにいい匂いがするが、入浴剤が入れてあるようでもないしと…と湯船に浸かったまま首を巡らせて、違和感に気付いた。
浴室のコーナーには、以前は石鹸くらいしかなかったのに、いつの間にかシャンプーとリンスが置いてある。
―――そう言えば、毛玉もふわりといい匂いがしていたっけか。
ゾロは一瞬ためらってから、シャンプーだけ使ってみた。
なるほど、毛玉と同じ匂いがする。

わしわしと髪を拭いながら洗面所に出てみると、そこもやはりなにかがいつもと違う。
真剣に視線を巡らして、コップに歯ブラシが2本立ててあることに気付いた。
いつもゾロが使っている緑の歯ブラシの隣に、黄色い歯ブラシ。
なにげに色違い、でお揃い。
―――毛玉に歯があるのか?
素朴な疑問が湧き上がったが、ぐうと腹が鳴ったのでまあいいかと洗面所を後にした。

   * * * 

上がってみれば、食卓にはちょうどよく煮えた鍋が乗っていた。
さすが毛玉、早業だ。
スウェットを手早く着て、そそくさと食卓に着く。
「いただきます」と声に出して唱え、神妙に手を合わせた。
返事をするものもおらず、少なくとも今部屋の中にはゾロ以外の「人」はいない。
けれど、ゾロはホクホクとした顔で(あくまで当社比。実際には9割無表情)大口を開けて美味い飯を頬張った。


END

あるひあひるで(遊んでみた)

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